小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」1巻,「同」2巻

小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」巻,,「同」

1巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-912982-3, \1000 + TAX
2巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-913595-4, \1000 + TAX

 本書の元となる連載が始まったと聞いた時,ワシは「おっ!」と思ったのである。

 ノーベル文学賞を取った原作を「小梅けいと」が描き,監修に「速水螺旋人」が付くというではないか。前者は「くじ引きアンバランス」以来だが,ワシの好きな漫画家だし,後者はここでも何作か紹介したことで分かる通り,身悶えするほどのファンである。正直,原作に関しては関心の埒外であるので,どういう作品かもTVニュース報道以上のことは全く知らなかったが,本年最初に1巻,そして本年末に2巻が出た本作を一気読みし,ワシは久々に原作も紐解いてみようかという気になっている。つまりこれは,このコミカライズ作品がそれだけのパワーを持っている傑作であることの証なのである。つ〜ても原作を未読である故に,以降の記述は純粋に本コミカライズ作品についてのみのものなので,その点は弁えて頂きたい。

 戦争を描いた作品については,ここでも何度か引用しているいしかわじゅんの意見をワシは一つの基準としている。

 いしかわじゅんは「いわゆる反戦漫画とか戦争漫画を」「あまり読まない」と言う。その理由はこうだ。

その多くが,苦しいと描いてしまうからだ。痛いと,辛いと,悲しいと描いてしまうからだ。現実の大きさに甘えて寄りかかり,表現することから逃げてしまっているものが多いからだ。
 大きな事件があって,それを克明に描いていけば物語の形にはなる。傷を負って痛いと描けば,痛みはわかる。愛する人を失って悲しいと描けば,もちろんそれは伝わる。しかし,それは表現ではない。

「秘密の本棚」小学館,P.369

 この基準に照らし,本作はというと,及第点は楽にクリアしていると言える。ボブ・ディランがそうであるように,直接的な戦争を描いた作品ではなく,その周辺から,つまり,戦争というものが主として男同士の殺し合いであることを逆手に取り,女性側,それも実際に志願して戦争に参加した女性兵士の視点から描いた「大祖国戦争」のドキュメンタリーになっているあたり,伊達にノーベル賞をとっていないなと感心させられた。「戦争は女の顔をしていない」とは,まさにこのことを指し示しているタイトルであるのだなと,改めてその言葉選びのセンスにも嘆息してしまう。

 ナチス・ドイツとコミンテルンの親玉たるソビエト連邦(現・ロシア連邦)との,真反対のイデオロギーのぶつかり合いとして,起きるべきして起きてしまった壮絶な総力戦,それが大祖国戦争である。もちろんこれはソ連側の言い方であるが,それだけ激しい祖国愛をぶち込んだ激しいものであったということでもある。本作では巻末にいつものごとく螺旋人の異様に細かいコラム2ページが付録に入っているが,これをきちんと読むとそのあらましがよく分かる。もちろん螺旋人の愛読者たるワシには周知のことではあるが,改めて戦争ってのは,始める時よりも辞め時が難しいモンだなと感じる。まして,男女同権を高らかに宣言した共産党としては,意欲の高い女性を活用しないわけにはいかず,戦闘機の操縦士として,スナイパーとして,看護師として,時には将校の慰み者として,祖国に準じていくのである。総力戦の行き着くところ,講和などという妥協の産物は役に立たない。ヒトラーも追い込まれて米英との交渉を考えたようだが,東西より押し込まれてガソリンを炊き付けとして消えてしまった。ヒトラーの頭を銃で撃ち抜かせた原動力は,ベルリンに突入した赤軍(ソ連軍)を構成した,この女性たちであったこと,間違いないのである。

 一つ一つのエピソードは戦争から帰還した女性兵士からの聞き書きであるが,それ故に具体的で,懐かしさと苦しさと,自分だけが生き残って原作者に語るという罪悪感に満ちている。小梅けいとの白く,それでいて色気のある描線がその内容の真摯さを担保しており,ソ連時代のロシア人の独白は,人種に関わらず突き刺さってくるものばかりである。なるほど,これがノーベル賞かと,改めて感心し,原作に手を出そうという気にもなってくるというものである。

 コロナ禍の最中,引きこもりのついでに,「女の顔をしていない」極限状況に思いを馳せるのも悪くない。この日の本だって,平和ではあるけれど「女の顔をしていない」社会情勢であるという共通点があるのだし。

12/20(日) 駿府・晴

 先週から急激に寒気がシベリアから降りてきたらしく,平年並の寒さになってきた。日本海側はドカ雪に見舞われて関越自動車道が通行止めになり,自衛隊にお出まし願うという有様。コロナ大流行に陥った旭川や大阪でも自衛隊に助けを求める状況で,かなり末期的な感がある。ワクチン接種は来年から少しずつ開始されるようで,夏までにはだいぶ良くなるかなとは思うが,それもこれも東京オリンピックのためと思うと,何だかやるせない気分になるのは気のせいかしらん。何かとこの手の公共事業でしか金の使い道が見つからないという老齢化社会日本を象徴しているように思えて仕方ないんだよなぁ。

 何とかシコシコ間に合わせて「Python数値計算入門(仮)」,入稿しましたよ全く。PEP8に合わせてソースの書式変更が一番面倒くさい上に不毛っぽくてイヤんになってきたが,関数定義の後は2行明けという規則のおかげで行数は稼げるという,著者にとってのメリットはある訳で,痛し痒しかな。何にしろ,次週には第一校が到着するとのことで,正月は暇を見ながら校正作業に勤しむことになる。全く,額縁よ〜なのによー働くなワシ。しかしこれで当面本を書くこともなさそうだし,プログラミングに勤しむことにしよう。

 とゆーことで,何とか「AVX2によるマルチコンポーネント型多倍長精度行列乗算の高速化」が形になってきた。

まぁ先達のある研究なので二番煎じ的ではあるけれど,Strassenとの組み合わせて最高速を目指すというところは売りになるかと。第一校が到着するまでには日本語の下書きは終わらせて,ヘボ英語DraftのArxiv登録は済ませてたいところ。どーなりますことやら。そろそろ線形計算の飽きてきたんで,直接法と疎行列の実装終わったらいよいよアレに着手したい。夏休み以降の課題なんだろうけどねぇ。

 つーことで,次年度の実験講座向けの資料の作成,大体材料は揃った。

 Flaskで計算させようという実験資料

 どーせ全部は終わらないので,これに追加する形でDeep Learningに繋げるような内容にして,卒研ネタにできればいいかなと。要素技術の追求は個人的には面白いし,定年後もやりたいお仕事ではあるんだけど,若い世代にそれを押し付けるのは老害もいいところ。やりたい向きが自発的に取り組むのはいいけど,総合的な技術の積み重ねの小山に登らせる経験なしで盲目的に下積み的テクニック習得に時間を使わせるのは教育機関としてはよろしくない。ま,FlaskでMVCの習得をさせてPythonにも慣れて貰うというのは一応その方向ではあるので許してもらえるかなと。

SIRモデルで,平均感染期間2週間(14日,左図)と3.5日にして計算したものを題材の一つとした。やっぱり感染者数(オレンジの線)が違うんだなと再認識。

 さて,コロナ禍でドタバタの本年もあと2週間,今週末で職場も仕事納めに入る。今年末はぷちめれ祭りする暇もなさそうなので,数冊,現実逃避がてら紹介することにしようっと。

 山下達郎の朗々としたクリスマスソングを聞きながらの,穏やかな日曜日でございました。ひと段落済んだらまたなんか書こうっと。

幸谷智紀・國持良行「情報数学の基礎(第2版)」森北出版

幸谷智紀・國持良行「情報数学の基礎(第2版)」森北出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-627-05272-7, \2200+TAX

 さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。引退したク○教授どもが(当時の)若手教員二人に押し付けた新科目「情報数学基礎」のテキスト,紆余曲折あって森北出版社長の目に止まって出版に漕ぎ着け,所属大学以外でもあらびっくりのアラビア石油,テキストとして採用してくれたってんだからありがたいことこの上ない。本学だけでは売り切ることができないところ,5刷まで行ったてんだから僥倖僥倖これ僥倖,「本文二色刷りにして第2版を出しましょう!」と第1版担当編集F氏は宣うたのもこれ自然,著者としてはありがたいことこの上ない。是非もなし,どうぞどうぞと承諾すればコトが済むかと思いきや,「グラフ理論の章を追加して,まえがきからもう一度全面校正をお願いします。ついては第1版から追記・変更・修正するところがあればそれご指摘的下さい」ときたモンだ。クリビツ仰天,何せ著者二人は管理職,と言えば偉そーだが実態は単なる雑用係何でも屋,コロナ禍でしっちゃかめっちゃかのところに新章書き下ろしの上に全ページ校正アリだというから笑っちゃって腰が抜けるところを反射神経的に「いいっすよーやりましょー」と返事しちゃったんだから間抜けというかなんというか。んじゃ下書きよろしくです〜といつものよーに頭脳労働担当著者にぶん投げて,まぁそのうち出来たらワシが手を入れればいいやぁと呑気に構えていたらあっという間に「下書きできました」ときたモンだ。どーせ期限内にはできないだろうと悠々と構えていた所,こうなりゃ仕方ない,全面的に文章入れてリライトして図もたくさん追加して肉体労働担当著者としてでっち上げましたよ超特急で。その後は森北の編集氏とワシらとの間でやれこの題材はコラムじゃなくて本文にしろだの何だの変更しまくって頭からの校正も2回やってどうにかこうにか本日(2020年11月26日(木))販売に漕ぎ着けたという次第。20ページ近く分量増えて読みやすい二色刷りになったのに何故かお値段据え置き2200円(+TAX)! 今日日,容量減らしてお値段据え置きとかフザケタ実質値上げが相次ぐこの日の本で,なんて良心的なんだと涙が出てくるってシロモンなのだ。さあ買った買った買ったぁ!

 ・・・というヤケクソ的な愚痴はともかく,好評頂いたのは著者としてはありがたいコトこの上ないのは事実である。「理工系大学でこの程度?」という批判も覚悟で書いたモノだが,第2版が出たということは,まぁつまり「この程度」のための邦文テキストが存外に存在していなかったという事実が判明してしまったということなのだ。プログラミングやデータベースや情報理論をこれから勉強しなきゃならんのに命題論理も集合も写像も関係も知らんでは困る。いやそれ以前に高校までの数学では何を習ってきたか,計算手法じゃなくて学ぶべきは「概念」であって,記号はその表出に過ぎないということから説き起こす必要がある,というニーズをコンパクトに本文171ページに納めたのが第2版に漕ぎ着けた一番の理由ではないかとワシは睨んでいるのである。

 大体,研究者の書いたものは東海林さだおが言うところの「ドーダ」が多すぎるのである。鹿島茂が定義したこの「ドーダ」=「過剰な自己愛的表出」,早い話が「能力自慢」,まぁオベンキョーを生業とする学者先生の職業病みたいなモンだから仕方のないことではあるが,初年時の学生に対して「ワシらは専門家であるからしてこれだけのことを知っていてこのぐらいの問題は楽勝なのだ「ドーダ」」の山を押し付けることはアカデミックハラスメントにすらなりかねない。申し訳ないが,ワシらがこのテキストを書いた頃には既存の「離散数学」のテキストはかなりの「ドーダ」的な代物であり,「センスがない奴には解けないだろ?」という,良問だが,それ故に捻った演習問題に満ち溢れたモノだったのである。習得できれば何ということもないが,概念の理解と暗記だけでも大変なのに,問題が素直に解けないモノであれば,成績下位者から投げ出してしまうこと間違いない。本学に「情報数学基礎」という必修科目が設定されたのは,ともかく論理・集合・写像・関係という最低限の離散数学用語と記号と概念の習得をして貰わねばこの先がない!,という,主として数学担当の教員による要請によるものなのである。が,サイテーなことにこの科目の必要性を訴えた○ソ教授どもが担当するのイヤがってワシら若手(当時)に押し付け腐ったモンだから,「まぁこんくらいなら大丈夫かな」という内容に落ち着かざるを得ず,「ドーダ」の入れようがなかった,というのが偽らざる真相なのである。

 しかしまぁ,結果的に,中学・高校数学との接続も意識した必要最低限の解説と,素直極まりない演習問題にしたことが,テキストとしては良かったのであろう。実際,数学的センスを必要とする場面が現実にそうそうあるかというと案外そうでもないし,センスなんてモンを発揮する以前に,概念習得がまず先にあって然るべきなのである。一通りの概念を学んだ後でないと,有段者のセンス良さに感心することすらできない。逆に,センスの良さばかり追いかけていると,情報処理における「肉体労働」,つまり「プログラミング」の重要性を軽んじる「評論家バカ」,つまり「眼高手低」の輩に堕してしまう可能性があるのだ。まずは素直に概念習得しましょう,そのための必要最小限のひねっていない問題解いて慣れましょう,それが本書のコンセプトなのである。

 ワシらが目指しているのは,アイディアの有用性を理解する基礎知識の涵養であり,プログラミングテクニックを通じてアイディアを実現する技術の習得であり,そのためには,プログラミングのための概念の修養が重要である。本書はそのための簡易覚え書きであり,それ以上でもそれ以下のものでもない。分量の少なさ,演習問題のストレートさは,概念理解のスピードアップを図るためのものであり,センスの涵養を行いたい向きには,前書きにも書いた通り「もう少しレベルの高い(ドーダが詰まった)「離散数学」のテキスト」や「(純粋ドーダの塊である)情報システム関連の論文」を使った教育を行って頂きたい。その際には本書を露払いとして使用して頂ければ,著者としては「この程度」で書いた甲斐があった訳で,ありがたい限りなのである。

永坂秀子先生の思い出

卒業生の遺稿集を出すそうなので,その下書きとして書いた文章を以下に掲載しておく。

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 忘れもしない1991年,大学院生の受け入れはしないという方針の研究室にて数値解析の面白さに目覚めた学部4年生の私は,どうにかこうにか他大学の大学院へ行きたいと,手当たり次第に国内の数値解析系の研究室をリストアップし,電話(E-mailが普及するのは1990年代終盤)をかけて大学院生として受け入れて頂けるかどうか面談を申し入れまくっていた。リストアップした二番目が山梨大学の田中正次先生で,タイミングの悪いことに電話が繋がらず,三番目に挙がっていた日本大学の永坂秀子先生に電話をかけるとご本人在室で直接お話しでき,面談の快諾を得た。以来亡くなる前年の2019年まで,三十年近いお付き合いの始まりになるとは思いもしなかったことである。日本大学理工学部数学教室の研究室でお目にかかった先生は,一面識もない他大学の学部4年生に親しくお話しして頂き,「興味があるようなら6月の数値解析シンポジウムにいらっしゃい」とお誘い下さって,これもまた今も続く研究集会・数値解析シンポジウムとの長いお付き合いが始まるのである。

 そうして何とか潜り込んだ日本大学大学院理工学研究科博士前期課程(いわゆる修士課程)において,私は永坂研究室に泊まり込んだりしつつ,TeXやPC-9801や日立の汎用マシンや,SUN Sparcマシンと戯れつつ2年間を過ごしたのである。研究は面白く,計算にのめり込んだ私は,当然博士後期課程に進みたかったものの,金銭的な問題もあり,兄弟子の室伏誠先生のつてで雇用促進事業団に雇ってもらい,遠く能登半島の真ん中辺,穴水町の石川職業能力開発短期大学校にて,給料をもらいつつ理解のある校長の許可も得て社会人博士課程大学院生として3年間を穴水と東京を行ったり来たりしながら過ごし,永坂先生と戸川隼人教授のご指導のもと査読論文を三本執筆し,晴れて博士号を取得することができたのである。ちなみに,この時の副査のお一人は,戸川教授のツテで,二番目にお会いできなかった田中正次先生にお願いすることになったというのも何かの縁を感じざるを得ない。

 博士号を取得後も,私が静岡理工科大学に職を得て異動してからも,果ては永坂先生が日本大学を引退されてからも,先生のご自宅へ定期的に通うという習慣は続き,取り止めのない世間話や数値解析の研究についての楽しくお話しするという至福の時間を過ごすことができた。最近はもっぱら永坂家に伝わる古文書に関する話が多かったが,私の結婚後は妻共々親しくおつきあいさせて頂き,2019年12月まで,武蔵小山近辺の中華料理屋やイタリアンの店で会食させて頂いたのは良い思い出である。

 その他にも様々なことが思い出されるが,近年一番印象深い出来事は,2018年,常微分方程式の数値解法の世界的権威であるAuckland大学のJohe Butcher教授主催のセミナーで,永坂先生が五十嵐正夫先生や室伏先生らと精力的に取り組まれた捕外法の歴史をテーマとするマレーシアの研究者の講演で,かのNIM法(Nagasaka-Igarashi-Murofushi)の論文が取り上げられていたことである。このセミナーでは私も捕外法を例とする研究発表を行ったのだが,そこでもNIM法を取り上げており,この偶然の一致にいたく感動したことを今でも鮮明に覚えている。

 考えてみれば,はた迷惑な押しかけ弟子として出発した私は,学位取得もその後の精神衛生的支柱としても,永坂秀子先生の人徳に寄りかかりっぱなしの研究者人生であった。先生なくして今の私はここにはいない。ここに次の追悼の辞をお送りして締め括ることにする。

 日大の学部生でもないのに突然押しかけてきた私を暖かく迎えて頂き,大学院5年間のご指導を通じて修士号・博士号を取得することができました。以来,本年まで30年近くお付き合いさせて頂き,誠にありがとうございました。妻と共に静岡の地より御礼と共に,ご冥福をお祈り致します。

11/15(月) 駿府・晴

 晴天だが雲が多めの日。富士山が見えず,さっぱりとした秋空とはいかず,明日からは天気が崩れるとの予報。本格的な冬に入る前段階のようで,寒さはまだ本格日しそうにもない。その割にはコロナウイルスは,GoToなんちゃらの影響で緩みまくったワシら日本人に容赦なく襲いかかっており,感染者数は過去最高を更新しそうな勢い。冬になる前に第三波がやってきた訳で,ボチボチ東京をぶらぶらしたいなぁと思っていても,今年いっぱいは無理っぽい。ワクチンがくるのを待つしかないなぁ。

Intel Mac用としては最後のmacOSかしらん?

 自宅用メインマシンのMacBook Airを Big_Surにアップデートした。どうやら今度出たApple Silicon M1マシン用のOSとして出てきたらしいが,将来のないIntel Macとしては最後のメジャーバージョンアップかしらんと不安になってくる。Arm用とx86_64用の両バイナリをサポートするアプリがこれから出てくるようだが,後のないマシンオーナーとしては余計なモンをくっつけてくるんじゃないと言いたくなる。
 ちょうどSIMDに凝っているので,ArmのScalable Vector Extensionsを勉強するのアリかなとつらつらマニュアルなどを見ているのだが,肝心の使い勝手の良いGCCは来年以降にならないとHomebrewからは出てこないらしい。

 つーことで,M1マシンの購入は様子見。まぁソフトウェアの厚みについてはx86系の優位はそう簡単に崩せないし,AMDのRyzen快進撃もあって,ワシの科研費が終わるまではAVX2だけ相手にしていれば十分であろう。AVX-512? あんなクソ命令,高速化に寄与できないんだったらAMD見習ってコア数増やせ!・・・という代物である。

 どうやらAVX2によるDD,TD,QD線形計算の高速化は達成できそうでほっと胸を撫で下ろしている。懸案の3倍精度もQD演算を流用することでしっかり高速化できることはしっかり確認できた。後はベンチマークをやりつつ,来年2月投稿予定の論文の下書きを書くことになる。問題は同時期に締め切りが来る本学紀要論文で,書くと明言しちゃった以上,何か書くしかない。昨年に書いたPython多倍長精度計算の続きみたいなモンを書くしかないなぁ。DLL化してODEの計算にも有用とか言ってみたいものである。・・・頑張らねば。

 コロナ禍でも,というか,だからこそシコシコ論文書くにはもってこいの環境であるにもかかわらず論文生産性が上がらないというのはサボり以外の何者でもない。せいぜい引き篭ってシコシコやることにしよう。今月末からはまたPython本の最終ゴールに向けてラストスパートをかけないといかんしなぁ。

 来週も頑張ります。