[ Comic Zin ] 頒価 \609
Comicリュウに掲載された「うっちー3LDK」に興味を持ち,著者初商業単行本「でもくらちゃん」を読んで感想を書き,さて次の作品はいつ掲載されるのか・・・と思っていたら,どうも世の中そう順調にはいかないようで,待てど暮らせど「次」が載らない。
ちょうどストレスが最高潮に溜まっていたこともあり,鬱憤晴らしにほぼ1年ぶりのコミティア参加を決め,この機会にご本人の同人誌を買いあさってこようと決意,目論見通りに「まるちぷるCAFE」の店頭に並んでいるものを片っ端から購入させていただいた。全部で3冊,「高速ぷるん1」(かわいい「原子炉」が登場。巻末の原子力考察まんがもマル),「なかせよしみのまんがのススメ」(なかせ版「まんが道」。ナルホド,そういう生き方もあるんだと感心),そしてこの「10年目のマチコ」である。どれも面白かったのだが,やっぱりこの「マチコ」が妙な具合にワシにはシンクロしてきたのである。
表紙を入れてちょうど30ページの短編なのだが,手塚治虫なら火の鳥マチコ編なんて長編に仕立て上げそうな,波乱万丈の物語になっている。ちょっとドジな女の子タイプのメイドロボ「マチコ」は量産直前に交通事故に遭って木っ端微塵,何の間違いか,10年後に廃棄物処理施設でスクラップになっているところで覚醒する・・・というストーリーである。短いお話だからこれ以上は同人誌で確認していただくとして,ワシの感性がシンクロしたのは,お約束的にドカドカ事故に巻き込まれて崩れていく様と,それでも健気に「修繕」しながら動力を維持しようという姿勢である。あんまし短絡的に人生論にしてしまうのはどうかと思うが,このマチコの,ユーモラスに描かれてはいるが健気な姿勢にワシは入れ込んでしまったのである。
「10年目」というのはマチコが目覚めるまでの時間でもあるが,最初にこのキャラクターが考案されてから10年目,という意味もあるらしい。10年前に描かれた「恋するセルロイド」と,スニーカー誌に掲載されたショートショートマチコシリーズが巻末に納められているが,それらと比較してもやっぱりこの「10年目」の作品の完成度が上であることが分かる。10年かかって熟成した作品・・・う~ん,なんで単行本にするならこの手のSF短編シリーズをまとめなかったんだと,徳間書店・リュウ編集部を小一時間問い詰めたい気分である。
紙媒体の商業雑誌が軒並み採算割れになる昨今,案外同人誌でコツコツ読者を増やしていく地道な活動をしていた方が,新しい展開が拓ける時代なのかなぁと思わんでもない。しかし,やっぱりワシとしては商業誌でもっと読みたいなぁと,思ってしまうのである。なかなか,徳間書店をはじめとする商業漫画雑誌では大量の読者をグイグイ引っ張ってくる漫画家でないと商売としては困るのかもしれないが,地道だが堅実に読者をつかむタイプのマンガを,それこそロングテールのラインナップの一つとして確保しておくことも必要ではないかと思うのである。
「まんがのススメ」を読む限り,なかせよしみの挑戦はまだまだ続いていくようだ。今後,商業誌で,も少し長めの作品が継続的に読めるようになることを,読者の一人として祈念する次第である。
3/1(月) 掛川・曇
生ぬるい日が増えてきたな・・・と思っていたらもう3月。2月の日数が7の倍数なのでカレンダーに違いがなく,なんか変化ないな,と油断していたらもうあなた,2010年は1/6が過ぎてしまったのですよ。この調子ではあっという間にお正月となること必定なのである。いやそんなことより,ワシは今月下旬に帰省する前に,何とかデブの汚名を注がねばならないのだ。二重あごを消去せねばならないのだ。皮下脂肪の下に埋没した腹筋を発掘せねばならないのだ。なのになんでワシは毎週二日しかないトレーニングをサボってこんな駄文を書いているのだ。もうダメだ,ワシは脂肪とともに生きることを覚悟したのであった(続く)。
NA Digestを見てたら,あの一癖ありそな(いやあるに決まっている)Trefethenのおっさんが,「ボランティアでぼくのテキストをチェックしてくれたまへ」という誠に虫のいいお願いを投稿していた。ざっと見てみたけど,確かに補間理論とその練習問題(結構センスいいんだこれが)がコンパクトに詰まっていて,うーん,性格はともかく,脱帽,である。どーせそのうちSIAMあたりから出版されるんだろうから,それを楽しみに待つことにしようっと。
さて,プチメレ祭り第一弾漫画編(1冊ウチダ本が混じっちゃったけど)は本日更新分で終了。最後はどうしようかなと思ったが,折角コミティアに出撃したので同人誌をばご紹介して,中締めとさせて頂く。
第二弾だが,献本していただいた数値計算のテキストと,よさげな数学の入門書が入手できたので,数学特集としゃれ込みたいが・・・タダでさえ狭い世間を更に狭くして窒息しかねないので,時期の方は4月にずれ込んじゃう・・・かな? ま,期待しないで待ってくれたまへ(誰が待つのか)。
せめてスクワットだけやって風呂入って寝ます。
あき「歌姫」ゼロコミックス
[ Amazon ] ISBN 978-4-86263-088-9, \629
最近,ワシが購入するマンガが,既知のベテラン漫画家の作品に偏っているということに気がついた。ま,四十路であるし,小学校でコロコロコミックスの「ドラえもん」の単行本を買ってもらって以来,マンガ読み歴30年以上になるロートルであるから,選球眼が厳しくなった・・・というと聞こえはいいが,自分の好みががっちり固まって冒険をしなくなっただけなのである。
つーことで,一時はさんざん読みあさっていたBLや女性漫画(少女漫画って言い方は今でも有効なの?)の,特に新人さんについてはさっぱりわからないというのが正直なところである。最近購読するようになった新人さんだと,大塚英志が発掘してきた群青ぐらいか。これではイカンと,なるべく財布と時間に余裕のある時には書店のマンガ売り場でジャケ買いに精出すようにしているのである。
大体,書店員としては,売りたいもの=売れそうなもの・売れているものをプッシュするのが人情である。だから,今どんなものが売れているのかは,平積みになっているものをじっくり眺めていけば自ずと分かるようになっている。本書もそんな一冊を,表紙の絵だけ見て谷島屋書店で購入したものであるが,地味ながら,2006年の初版以来,2009年11月まで8刷を重ねていることを購入後に知って,地道に細く長く支持されているのだなぁと思ったのである。最近は重版しても部数は数千単位だったりするのが普通だし,なにせ出版元は一度潰れたのを別資本に拾ってもらった弱小であるから,ポピュラリティがどれほどものかは怪しい。それでも,回転の早い昨今の出版状況を考えると,根強い読者に支えられた漫画家であることは間違いない事実なのだろう。
つーことで,ざらっと読み始めたのである。・・・ふ~ん,これが単行本デビュー作なんだ,それにしても絵が達者だよなぁ,すげえなぁ・・・というのが第一印象である。一条ゆかりは「絵に照りがある」という言い方をしていたが,ウマい絵というのとは別の「イキの良さ」を示す意味で使っているようだ。この著者の絵にはわかりやすいぐらいの照りがあり,もうテッカテカのピチピチで,眺めているだけで気持ちがいい。
で,肝心のストーリーだが・・・うん,タイトル作の「歌姫」第一話は・・・新人らしい,シチュエーションの書き込み不足が目立って,「?」と思ったが,更に読み進めて行くと・・・なるほど,書き込まなかった理由がだんだんと明かされていくという仕組みなのか,と読者が逐次納得していける構成になっている。キャラクターの描き方は真摯で真面目,破綻した人物はおらず,エロ度ゼロ。歌姫と王が分業している国家システムの作り込みは面白くて,絵柄を現代っぽくした紫堂恭子的ファンタジーだなぁというのがワシの感想であった。
ちなみに,本書の最後に納められた短編「ダリカ」の方が,ワシは好みである。どうも編集者があんまし干渉しないせいなのか,やっぱり今一歩,説明不足な点が見受けられるが,「ダリカ」を「世話」する優等生ロイの関係には,ウルッとくるものがあった。力量のある漫画家の作品には,細かいツッコミはいくらでもできるものの,それ以上に迫り来る迫力とかストーリーテリングの凄みが感じられて黙るしかない,ということがある。この「あき」という若い漫画家はファンタジー世界のシステムづくりが巧みで,説明の仕方には改善すべき点があるとはいえ,魅力的な照りのある画力も手伝って,非常にパワーの感じられる優れた作品をモノにすることができる,ということは間違いないようだ。
この先,継続してこのマンガの作品を追いかけていくかどうかは不明だが,新人漁りはやっぱり楽しいな,ということを再確認させてくれた本書には感謝したい。今後のご活躍をお祈り申し上げてキーボードを置くことにする。
内田樹「日本辺境論」新潮新書
[ Amazon ] ISBN 978-4-10-610336-0, \740
今(2010年2月28日(日) 午後11:30過ぎ),Amazonで本書の順位を確認したら45位。発行日が昨年の11月だから,もう発売から3ヶ月は経とうかというのにこの順位を維持しているのはすごい。トータルの販売数ではひょっとすると「国家の品格」を抜くんじゃないのかなぁと感じる勢いである。しかしまぁ,「品格」と本書が並んで販売される新潮新書といい,それだけ売れる日本という国といい,なんだか面白いなぁ,いい状況だなぁ・・・つくづくいい国に生まれたと,嫌味抜きでありがたいとワシは思うのである。
今更,本書のようなベストセラーについて言及するのもアレだが,せっかく新書大賞を受賞したということもあるので,ワシが感心した箇所についてだけ,引用を交えてコメントしたい。
本書は「日本は辺境にあり,辺境人としての性癖を持っている」ということを主張する。それ自体は新しい知見ではなく,丸山真男はじめ,様々な識者が繰り返し語ってきたことであり,坂の上の雲を目指して上っていた一時期ですら,辺境人のスタンスを維持していた,とゆーか,そうであったからこそ,先の大戦についても「強靭な思想性と明確な世界戦略に基づいて私たちは主体的に戦争を選択したと主張する人だけがいない」(P.56)と指摘する。被害者意識に基づいてしか,軍事的な主張をしないと言うのである。そして,日本人の特殊な「ナショナリズム」をこう解説する。
本来のナショナリズムは余を以ては代え難い自国の唯一無二性を高く,誇らしげに語るはずであるのに(注:ヒトラーの思想に近いもの),わが国のナショナリストたちは,「自国が他の国のようではないこと」に深く恥じ入り,他の国に追いつくこと,彼らの考える「世界標準」にキャッチアップすることの喫緊である旨を言い立てている。(P.93)
あ~,そ~いや,欧州ではあ~だの,アメリカではこ~だのって言い方しか,ワシら,聞いたことがないもんなぁ・・・と思い当たること多数である。これが辺境人のメンタリティであり,そーゆーものを骨の髄まで染み渡されたワシらは開き直って,辺境人としての自覚を以てそのメリットを生かそうではないかと主張するのが本書の目的である。いわば,「国家の品格」でオーバーヒートしたナショナリズム脳細胞に冷水を浴びせ,活性化のレベルと適度に保とうという,新潮新書のバランス感覚がもたらしたのが本書の存在意義なのであろう。
構造主義者と一口に言ってもいろいろな立場があるようだが,内田樹が主張するそれは(「寝ながら学べる構造主義」参照),我々が生きているこの社会や歴史を「構造」という俯瞰的な立場から見直し,それをベースに自己のポジションを適宜変化させていくことを可能にする「思考」を持つことの重要性を指摘していた。本書の主張する日本人の辺境的メンタリティは,そのような構造主義者でなければ語られることはなく,辺境人の多面的な彩りを表現することも出来なかったに違いない。その意味では,ふさわしい人物に相応しいテーマを適度な厚み(薄さ?)でまとめさせた新潮社の編集人の有能さに感服すべきなのかもしれない。
2/26(金) 掛川・?
あや~,日をまたいでしまった~。って,その割には全然仕事は進まず,Twitterのみ更新されていくと言う体たらく。明日こそ,じゃない,今日こそ頑張らねば・・・と宣言したときには大抵進まないんだよな。四十路だってのに学習しない奴>ワシ
あ,そうそう,Twitterにも書いたけど,6月19日(土)にウチの職場の公開講座で御大層なテーマの講演をします。いいのかワシがWebの歴史を総括してさ。The Internet赤軍派からブチのめされるかも。
いまんところ,この簡易ポスター(PDF)しかできてないけど,もうすぐワシの顔写真入りの正式ポスターが刷り上がってきて,袋井全戸に配布されるという恐ろしいことになるのだ。ま,誰もワシの顔なんぞ見やしねーだろーとは思うが,職場付近でワルいことが更にできなくなりそうな予感。やっぱり関西方面で○欲を発散してこなきゃダメか。
しかし,おんなじ職場なんだから,外部講師の方用の書類作るついでとはいえ,こんな委嘱状なんて御大層なものくれなくてもいいのに。
つーこことで,ワシの現実逃避Twitter活動は,情報収集の一環なのよんっ!・・・と何でも言えそうなテーマにしておいたご利益をワシは享受しているのである。
風呂入ったら寝ます。