Dr.取りに関する私見

 apjさんの戦闘的な文章はワシの愛読するところであるが,その中にDr.(博士号)取得に至る経緯をつづった文章がある。簡単にまとめると,主査たる教授が示した研究テーマがとてもDr.取りには不向きなもの(とapjさんは判断した)だったので,テーマ変更を自分から仕掛けてめでたくDr.取得に成功した,という内容である。当然,教授のコメカミには青筋が立つわけだが,apjさんもさるもの,お返しすることを忘れていない。

一度だけxx教授(伏字はKouyaによる)にプレッシャーをかけられたことがある:「これだけ金をかけて学位をとれなかったら、この部屋(3階)の窓からお前を放り出すぞ」。私は即座に答えた。「その前に○○さんをつれてこい。東京湾に沈めてやるから。」これが、多分、測定開始の合図だった。

 いやぁ,スッキリする啖呵ですね。ワシなんかグズの意気地なしなので,主査の先生からDr.論文提出直前に驚天動地の指示を出されても直接文句も言えず,間に入ったワシの大師匠に愚痴る(と,いうことにしておこう(笑))のがせいぜいだったモンなぁ。
 ・・・とシミジミと自分のDr.取り時代の回想にふけってしまったのも,ワシが見聞してきたDr.取りの成功・失敗の具体例をつらつらと考えてみるに,結局は「環境」と「能力」というものがDr.取りに多大な影響を与えているのだなぁ,と,apjさんの記事を読んで会得できたからである。
 「環境」とは,この場合,「師匠運」ということになる。「運」とは何か? 簡単にまとめると,師匠(主査)の(1)研究者としての能力,(2)学内における立場,そして(3)弟子(院生)との相性である。従って最高の「環境」とは,国際的にも知名度の高い優秀な研究者であって,学内でも人格者で通っており,弟子には常に優しく,そして時には毅然と指導してくれる師匠を持つ,ということに尽きる。
 が,そんな奇跡みたいなこと,そうそう起こるわけはないのである。むしろ,全てが逆になることだって珍しくない。つーか,その方がむしろ普通だと考えた方がいい。・・・え,そんなの酷いって? 学費を取らない噺家ならともかく,安くない学費を納めているのに酷い主査に当たってしまうことが普通だなんて非道だという訳ね,あーたは。
 じゃ,言うけどさ。その師匠を選んだのは,他ならぬ,アンタでしょ? 学部で卒研に入る時だって,第n希望まで書いたはずだよね? ましてや大学院だよ。イヤなら他の先生でも,他の大学院でも,他の専門分野を選んだっていいじゃない。今なら2ちゃんねるでもどっかの掲示板でも,その先生の評判ぐらい,すぐ調べられるってモンでしょうが。それを怠ったとすれば,アンタが悪い。
 え?修士の時に誘われて,ついDr.まで進んじゃってから,その師匠についていてはろくな就職先も業績も得られないどころかDr.取得も危ういって分かったって?・・・そりゃ,アンタがバカなだけじゃん。・・・あー泣くなってば,もう三十路も近いってのにもー,みっともないてーの。そーゆー時こそ,apjさんみたいに,自分の「能力」を発揮するしかないじゃないのよ。
 ということで,「環境」が悪い時こそ役に立つのが自分の「能力」である。apjさんのように自分でテーマを変え,それを主査に納得させる(喧嘩腰だけどね),これも一つの能力である。だけど,これってあんまりお勧めしない。スマートじゃないし,第一,Dr.取っても業績がゼロでは今後のキャリアにマイナス効果にしかならない。
 ということで,ここは絶対に,査読論文を自力で書いてacceptさせるべきである。それも内規以上の本数とクオリティで。それが無理・・・なら,Dr.取りも研究者への道も,すっぱり諦めるべきだ。そこが自分の能力の限界と見極め,他の道を模索すべきである。
 ワシは冷たいことを言っているのだろうか? いやぁ,違うね。絶対違う。どこの学術雑誌でも,主査と共著でないと論文は受け付けない,なんて規約を設けているところはない。自分一人でも書いて投稿しちまえばいいのである。もちろん国際的な権威が共著であれば論文が通りやすいということはあるだろう。ズブの素人が論文の体裁を整え,新規性を持ったテーマの内容を簡単に執筆できるわきゃないのだが,それこそ自分に「能力」があって,かつ,努力の方向性を間違わなければ不可能ではないのだ。主査にぐうの音も言わさぬほどの業績を稼いでしまえば,多少の嫌がらせはあるかもしれないが,すんなりDr.を出せそうな人間の主査になることは自分の業績にもなるわけだから,遠からずO.K.を出さざるを得ないのである。
 そしてもしこれを実現できたら,それこそ自分の研究者としての「能力」を開花させたと胸張って生きていけるのだ。「環境」がいいところでぬくぬくとやってきた人間よりも,よっぽどまともな研究者になれるんじゃないのか? ・・・いや,性格は多少なりともねじ曲がっちゃうけどさぁ,どーせ研究者なんて変人の集まりじゃん。犯罪を犯さない程度に社会生活が送れるなら,気にするこたぁないのである。
 Dr.がすんなり3年で取れるかどうかってのは,「環境」の要素が大きいようだ。でも,年数を継ぎ足せばDr.が取れるかどうかは「能力」で決まる。・・・いや,Dr.が取れる学内あるいは職場「環境」が一番要因なのだ,とあくまで言い張る人がいるかもしれない。だけど,それも自分の選択の結果だと思えば,やっぱしその手の「環境」を選ぶ「能力」の問題って気がしないでもない。・・・なんだか「鶏が先か卵が先か」的な堂々巡りになってきたのでこの辺でやめておくけど,ワシの見聞した範囲では,「環境」に寄りかかってDr.を取った人って,その後のご活躍の程度は甚だ良くないよーに感じるんだよねぇ・・・って,これも僻み根性の色眼鏡で見ちゃっているせいなのかしらん?

8/6(水) 佐賀・晴

 SWoPP2008に来ている。
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 今年は佐賀市。以前,武雄温泉でやったばっかりだというのに,何でもう一度佐賀県なんだか・・・と思っていたら,本日のBoFで謎が解けた。そうか,ライギョのせいか。
 しかし,どわっちぃ~。ここ佐賀市に限らず,日本全国そうだろうが,蝉の声がやかましい。じわじわしゅわしゅわみじみじ・・・あーうるさいっ。うるさい中を,徒歩でホテルから会場まで移動しているのだ。いい運動になるけど,佐賀市って県庁所在地の癖にちっちゃいね。さすがはなわの出身地だけのことはある。全国的には鳥栖の方が有名かも。石川県は知らないが金沢市は知っているというのと一緒だね。
 こちらに来る時は博多まで新幹線乗継。朝一のこだまだったので,ワシが乗った14号車は浜松までだれ一人乗ってこなかった。ということで記念写真を撮っておく。
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 名古屋からはN700系のぞみ。JR東海は300系追放・N700系導入を進めており,300系の写真を残すなら今のうちかも。
 でもN700系は窓際限定だが電源コンセントがあって,ワシみたいに移動中に仕事を抱えているずぼら人間には助かる。
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 無線LANもスタンバイ状態になっていた。こだま専用駅でも待合室で使えるようになるそうだし,これでますます山陽新幹線との差が広がるな。
 講演については,ま,何とか無事済んだとだけ言っておこう。これ以上聞いてはいけない。世の中には知らなくてもいいことがいっぱいあるのである。特にワシが座長までやらされたなんてことはもっと知らなくてもいいことなのである。あーやるもんじゃないですね。業績評価にカウントされるらしいけど,面倒だから申告しません。なかったことにしておこう。うん。なかったことと言えば,ワシの前の講演者の方のQ&Aの際にはちょっと火花が散っていたような気が・・・うーん。
 あ,リンクありがとうございます。伝統あるライブラリのリンクにサンドイッチにされるってのは光栄ですぅ~。
 すっかり疲れたので今日はもう寝ます。あ,成績の方,明日以降ボチボチやりますぅ~。もうしばらくお待ちくださいませ>静大受講生の皆さん

7/31(木) 掛川・?

 昨日,千葉からの出張から帰宅。行きは東京駅から特急しおさい号で八街へ。
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 実際には有休を取ったので,帰路ははゆっくり。で,鈴本の昼席で
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というような恐ろしく「外れなし」のメンバーを堪能できた。あーた,あの紙切りの正楽師匠が一番浅い上がりなんですぜ。トリの喬太郎師匠は円丈作「ぺたりこん」で,年寄りばっかりの客席を湧かせていたから大したモン。ごちそうさまでした。
 青山ブックセンターの親会社,また倒産とのこと。2004年に続いて2度目。今度はブックオフが支援に乗り出すって・・・あーあ,とうとう新古書店の傘下に入っちゃうのか。
 げ,丸善は大日本印刷の子会社に(日経新聞)。うーん,店頭売りだけではやってくのは大変なんだろうなぁ。
 ま,人ごとではないけど。やるだけやって寝ます。

ゆうきまさみ「ゆうきまさみのもっとはてしない物語」角川書店

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-854206-7, \1500
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 いやぁ,お互い年は取りたくないものですなぁ,ゆうき先生。前作(上記写真の左)が出た時は1997年,ワシがまだ能登半島でくすぶっていた時代ですよ。「いんたーねっと」とやらがボチボチブームになり出した頃。懐かしいですなぁ。これは後ほど2003年に角川スニーカー文庫本2冊(天の巻地の巻)にまとめ直されましたが,そろそろ視力に衰えが見えてきた三十路後半の身には,ちと読むのが辛かった覚えがあります。だもんで,いまでもこの日に焼けちゃった単行本が手放せないのですよ。
 その単行本が刊行されてから既に11年経ちました。角川書店は角川グループホールディングスを構成する一出版社となり,その社長はあーた,NewTypeの編集長だった井上伸一郎さんですよ。ワシは角川GHDの株主になっちゃうし,全く光陰矢の如し。でもゆうき先生のこのコラムが連載開始以来23年,50才を越えられても未だに続いているのですから,ワシもまだまだ,あと十年は頑張らねば,と,ふんどしを締め直さねばなりません。良き先達は全くありがたいものです。・・・年寄り臭い言い回しに終始しましたが,年のせいと思って聞き流して下さいませ。
 特にアニメオタクではないワシなので,コラムだけは欠かさず立ち読み(買えよ)していたNewTypeともいつしか縁遠くなってしまいました。なので,突っ込みキャラが登場(P.62)していたことも知らず,表紙の女の子を見て,「ああ,ゆうき先生もとうとうご結婚されたのか,羨ましいなぁ」と麗しい誤解をしてしまいました。大変失礼致しました。しかしこのツッコちゃん,可愛いですね。可愛いと言っても既にワシにとっては友人知人のお嬢さん,としか思えなくなっているのが非常に悲しいのですが。
 オールカラーになっても,内容が時事問題から身辺雑記まで節操なく盛り込まれているのは全く変わらず,オールドファンとしては嬉しい限りです。晩年の手塚治虫は丸っこい線を描くと線がふるえてしまうと嘆いていましたが,ゆうき先生はせいぜい目が悪くなった程度(P.98)で,シャープな描線はCGになっても健在ですね。ご健筆,頼もしき限りです。保守復権の先導役・小林よしりんもまだまだやる気のようですから,ゆうき先生には是非とも戦後良識派としての立場を遵守され,ますます議論を深めて頂きたいと願って止みません。
 この調子だと,次の「もっともっとはてしない物語」が出版されるのは10年後ですね。その時,私は50代,ゆうき先生は還暦を迎えるわけで,戦後初の「おたく老人世代」の先鞭役となられるはず。後輩のワシとしては,おたくの老後をどのように描かれるのか,今から大いに楽しみなのです。TVアニメ化が始まったばかりの鉄腕バーディー,掲載誌のヤングサンデーが休刊になってしまって今後の行く末が心配ではありますが,もし連載が中断でもされるのなら,バーディーの次に「ヤマトタケルの冒険」路線が復活するのではないかと,ワシはよからぬ期待を持ってしまっておりますので,それはそれで楽しみです。無粋な輩でどうもすいません。実は初期作品集()が編み直されると知って以来,アニパロコミックス等でゆうき先生の作品を読んでいた時代を思い出してしまっておるのですよ。・・・やっぱし,年ですかねぇ。
 では,これからのゆうき先生のご活躍を祈念して,筆(キーボードですが)を置かせて頂きます。

初歩のFFT Version 0.31

初歩のFFT

 13回の講義をまとめたもの。複素解析の立場からFFTを語るという試みに対して力量が足りず,中途半端に終わってます(使い回しもある)。どっかで書き下ろしさせてくんないかしらん?