[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-06271-8, \700
ふーん・・・と感心するところの多い分析が随所に見られるが,最終的には本書で提示されている「萌える人生賛歌」には全く同意できなかった。
決定的だったのは,著者自身が「萌え尽きる人生」を全うする気がなく,自分はそのうち社会的ステータスを上げて恋愛して結婚してしまうかもしれないが,萌える人生そのものは社会として認知し,推奨しましょう,と主張している次の個所にぶち当たったことである。
「僕はよく『萌えるとかモテナイとか言うけど,もしモテたらどうするんだ』『本が売れたらモテるのではないか』などと言われるのだが,僕は僕個人が『恋愛資本主義』的な価値体系の中で首尾よく自分の商品価値を上げてモテました,めでたしめでたし,というふうには考えていない。これは僕個人の問題ではなく,社会全体の問題なのだ。
恋愛とは個人の問題ではない。社会問題である。」(P.166)
いや,「結婚」は社会問題ですが,「恋愛」はやっぱり個人の問題でしょうよ。ま,それはともかく。
申し訳ないが,ワシはごく普通(異論があるかも知れぬ)の常識人なので,自分が出来もしないことを他人(この場合は社会だが)に軽く押し付けるような言説を信用することはできない。オウム真理教事件を経験した日本社会としても,そのような覚悟のない「萌える人生教祖」においそれと若者が追随するのを容赦するべきではない。結局,あの教祖は批判能力のない若者をかどわかして食い物にしただけであるが,本田透も,「俺は萌えて尽きるしかないのかなぁ」と消沈している奴を,「そのまま萌えて行きなさい」と優しく諭すことで自身の論を彼らのバイブルとし,自分の著作を買わせ続けるための市場を作ろうとしているだけなのではないか,と思えて仕方がないのである。
現実との折り合いのつけ方は人それぞれで,趣味や仕事に走ることで,恋愛や結婚から「降りる」というのも選択肢の一つではあろう。しかし,現実社会で広く認知されている「人はある一定の年齢以上になったら結婚すべきである」という常識を,キモいだのウザいだの言われたからといって,そう易々と放棄して良いものだろうか。常識ってのは,疑ってみることも,実践してみることも,そしてそれをやり続けることも必要なものなのである。
まあねぇ,面倒なことも多いけど,ほんと,生身の女性ってのはいいもんですよ,振られてもさ,ということだけは「萌えるひとりもの」の先達として,後輩の方々にお伝えしておきたい。・・・ちっ,思い出しちゃった(泣)。本田透のスカタンのせいだな。今日は一日,「帰ってきたもてない男」小谷野先生と一緒に泣き暮らし,明日からは気分を変えてまたチャレンジしよーっと。