マンション購入記・・・無印化する内装デザイン

 大体,入居は8月下旬だった筈なのだ。それが9月になった現在でも・・・
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こんな有様である。先日,仕事に来た友人にここを見せたら,「2階建てか?」を笑われてしまった。ちなみに,私が入居を予定しているのは最上階の5階である。・・・悲しい。実に悲しいのである。
 まあデベロッパからは11月には入居できると言われているので(既に3回も延期されているのでどこまで信用できるかは疑問だが),遅くても年越しは新居で迎えられる・・・と信じたい。
 ・・・とまぁ,先行き甚だ不安な今日この頃なのだが,こればっかりは自分でコンクリートをこねて何とかなる話ではないし,あんまり急かせて手抜き工事をされても困るので(チェックの厳しい建築士に設計を依頼したための遅延でもあると説明を受けている),顧客としては待つしかない。居室のオプションもちょっとした和室の設計変更も既に依頼済みなので,もはや先方に言うべきこともなくなってしまい,こっちとしては金の算段以外,ホントーに「待つだけ」なのである。
 仕方がないので,萌えるひとりものは,自分の得意技である「萌えるための想像力」を働かせて,まだ見ぬ新居のイメージを脳内で描いて楽しむ・・・しかなかったのだが,その楽しみも今では殆ど失われてしまったのだ。
 何故か?
 それは,今の住宅内部空間の「無印化」が深刻なまでに進んでいることを痛感させられたからである。
 家を買う,という決断をする以前から,新築・中古マンションの情報を見るのは好きだった。家好きが高じて「間取りの手帳remix」や「Tokyo Style」のようにぼーっと眺めるだけの文庫も買ってしまったぐらいである。学部生の頃,バイトをしていた塾の受講生のバカガキから「女」とあだ名を付けられたほど,私の感性は女性,しかも主婦感覚というものに近いようなのだ。そして女は例外なく,家が好きなのである。
 で,見れば見るほど,内装のデザインという奴は没個性だなぁ,と思わされる。特にバブル崩壊後の失われた10年以後の物件は例外なく,「カウンター付き台所」「全室フローリング」「広々リビング」という間取りであり,内装も全体的に白っぽいものがデフォルトである。
 じゃあ,いわゆるデザイナーズ物件という奴が良いのか,となるとこれも考えてしまう。奇妙奇天烈というほどのものは少ないが,住んで快適かというと×××(ペケペケペケと読んで下さい)なのである。
 つまり,住空間が没個性なのは作る側にあるのではなく,購入者の我々の,住み良い空間という奴への想像力の欠如にあるのだ。試しに,都市型マンションに住みたいという輩に,希望の内装とはどのようなものかを聞いてみるといい。前述の三要素の一つは必ず含まれている筈だ。そして,このような没個性的住空間にフィットするのが無印商品なのである。
 いや,むしろ,無印以外はフィットしない,と言うべきかもしれない。もし無印以外のブランドでしっくりする物品があれば,それはデザインが既に「無印っぽい」のである。無印は家を丸ごと自社ブランドで固めたモデルハウスを全国で展開しているが,実は既に新築物件の大部分は最初から「無印モデルハウス」と言うべき代物なのだ。
 8月下旬に,同じくひとりものの友人(男)が買った一戸建てを見せてもらった。白い壁に淡い色の板を敷き詰めたフローリングの内装は,別段買った本人の趣味ではないようだが,やっぱり無印フィッティングだなぁと思ったが,そこには既に無印のソファとクッション,そしてベッドが置いてあった。げげ・・・しばらく気が付かなかった。
 全く違和感がなかったのである。そこにあるものが無印であることを意識させないほど,部屋に溶け込んでいたのだ。その分,異なるメーカー製造のクーラーや薄型テレビの存在が際立って見えたものだ。
 ああ,やっぱりそうなんだなぁ・・・と私は確信した。そして,新居には無印のベッドを置くしかないなぁと思っていた私の決断が,実は私ではなく,現在の没個性な内装の流行によってなされたものであることを,つくづく思い知らされたのである。
 そーいや,無印って,西武セゾングループだったよなぁ・・・してみれば,私が憎むコジャれたデザインの先駆けとして,25年以上も存在し続けているのだから大したものである。その年月を経て,実は我々の感性は西武セゾンにじわじわと浸食されてきたとも言える。堤清二は経済的に失敗したが,田中一光の精神は見事なほどの成功を収めた訳だ。
 とゆー訳で,田中一光的没個性内装にフィットする家具は無印・・・となってしまって,「家具に萌える」楽しみも失われた今,ひとりものには全くすることがなくなってしまったのであった。・・・待つしかないかぁ。

畑川剛毅「線路にバスを走らせろ 「北の車両屋」奮闘記」朝日新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-02-273156-2, ¥724
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 仕事柄,ワシは地方に出張することが多い。ワシらの業界は人間関係が重要なので,アフターファイブでもグループ間でお誘い合わせの上,酒席を共にしたり,懇親会に出席したりするのが普通なのだが,人見知りの激しいワシはそーゆー社会活動とは縁が薄い。当然,一仕事終えた後は,一人でぶらぶらと散歩し,唯一の趣味である読書欲を満たすべく,必ず書店に立ち寄ることになる。幸い,ワシが出かける先はたいがい県庁所在地なので,それなりの規模の書店の一つや二つは必ずあり,時間つぶしに困ることはないのである。
 新刊本を扱う書店は没個性だとよく言われる。まあ確かに音羽・一橋グループを初め,新潮,角川,文藝春秋,筑摩・・・といった大手書店の新刊本は全国どこでも発売日に入手可能だから,品揃えは当然似通っている。しかし,地方で書店を覗いていると,それ以外の新刊本というものは案外たくさんあるものなんだな,ということに気づかされる。
 まず,地方新聞社の刊行物というものがある。これが案外曲者で,地域限定ながらも結構な人気を博しているというものが結構あるのだ。加えて,名も知らぬ中小出版社の刊行物もある。こういうものの大部分はさっと見るだけで購入しないのが普通だが,眺めているだけでも楽しいものである。
 しかし一番目につくのは,大手出版社の刊行物ではあるが,その地方では特に人目を引くであろうと思われるタイトル・著者・内容の本である。静岡であれば「徳川」「お茶」「サッカー」というキーワードに引っかかるものが全面に並ぶし,金沢であれば「前田家」「古都」「輪島塗」といったものが並ぶ。これが関西になると,やっぱりここは日本のケベック州みたいなところだな,と思わされるほど並んでいるものが違うのである。
 で,北海道だと「アイヌ」「酪農」「北国」・・・というタイトルのものが並ぶのが定番だが,最近ここにもう一つキーワードが加わったようだ。それが,マイクロバスに鉄道車輪をくっつけた形状の変な乗り物の略称,「DMV(Dual-mode Vehicle)」である。
 最初このDMVの実物を写真付きで報道したニュースを読んだ時,なんて不格好な乗り物だ,と思ったものである。地方ローカル線存続の切り札として熱望されている他,本書でも述べられているが,静岡県富士市でも,新幹線駅と在来線駅,それに地方鉄道路線を組み合わせた運用を検討しているという報道を聞いて,「期待過剰じゃないか?」とも感じた。定時運行が可能な鉄道というシステムと,道路さえあればどこでも乗り入れが可能なバスというシステムを組み合わせれば「いいとこどり」ができる,という発想は安易極まりない。意地悪く言えば,維持管理に金のかかる鉄道システムと,定時運行が難しく事故の多いバスというシステムの,「悪いとこどり」になる可能性もあるのではと思ったものである。
 本書は,ワシのような意地の悪い読者の疑いも,DMVにあふれる希望も,そしてDMVの失敗の歴史も,この246ページの薄い新書に余すところなく詰め込んだ,技術開発のドキュメントとしてな模範的な教科書である。以前取り上げた「スーパーコンピューターを20万円で創る」は,開発者本人が書いたにしては技術的な解説が少なく,ちょっと「お手本」としては疑問であるとワシは書いたが,本書はその辺の解説がきちんと述べられている上に,歴史・開発環境の背景も綿密に述べられていて,「模範的」なのはどちらか,と聞かれれば間違いなく本書に軍配を上げることになる。
 で,結論だが,ワシの疑問はある程度正鵠を得ているようなのである。多分,DMVが本物になるのは,事故を起こした後になるのだろうとワシは考えている。本書を読む限り,今のところ,安全性には相当の気を配って開発・運用されているようだが,事故は本格運用がなされた後に発生するのが普通だ。そして事故の後は原因の追及がなされ,システムの手直しが行われる。DMVが本物になるためには,事故が起こるほど普及し,以降の運用継続が望まれるという世間の期待をバックに改善がなされるという「洗礼」を経ることが不可欠であろうと,ワシは考えている。
 JR北海道が自力開発したこの乗り物がその道のりを辿るためにはさらに年月が必要であろうが,普及の暁には,本書をもう一度ひもといて,先陣の苦労を味わってほしいものである。

9/1(土) 掛川・曇時々晴

 防災の日。毎年この日の静岡県はやかましい。ちゃんと地域社会に組み込まれている方々は何やかにやとお仕事があるのだろうが,萌えているだけのひとりものにはやることがない。淡々と家事をこなすだけである。
 UNIX Note PCを買って半月ほど,ようやく環境が固まってきた。その後,Officeを突っ込み,MuPAD 4.0を突っ込み,Scilabを突っ込んで,仕事ができる環境になった。まだ確認できていないのは,Flets Spotの接続。金曜日の朝にみかかへMACアドレスを口頭で伝え(このシステム何とかならんか),午後に職場のFlets Spotアンテナの近くで接続を試みたがまだダメだった。来週またやっておかないと,今月の札幌行きで不都合が生じる恐れがある。使い慣れているFlets接続ツールが使えないのが不自由。いざとなったらVMwareのWindows Vistaで設定するか。
 それ以外で特段不自由しているところはあまりない。まだ使い込んでいないせいでもあるな。この先,出張のお供をしてもらえば,段々と不平が出てくだろう。
 あ,一つあった。重いのである。やっぱりLet’s Note R3に比べると2倍の重さは,運動不足のメタボ中年にはちとつらい。軽量版のUNIX Note PCが出れば乗り換えようかな。
 包丁も磨げたので,来年の手帳を買いに出かけます。