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栗原裕一郎「<盗作>の文学史 -市場・メディア・著作権-」新曜社

[ Amazon ] ISBN 978-4-7885-1109-5, \3800

 いや~,久々に頭を抱えながら読まされてしまった。唐沢俊一さんの「新・UFO入門」における「盗用」事件,それに端を発した告発ページやblogの主張は,表層的な点はともかく法律的にはどうなんだろうと疑問に感じて本書を読み始めたのだが・・・読めば読むほどこの<盗作>問題というのはややこしいものだということを痛感するハメになってしまった。本書は500ページ近い大著であるけれど,それはこの「ややこしさ」を資料引用を含めて丁寧に解説しようとすればイヤでもこの分厚さになってしまう,という事実を知らしめているのだ。法律問題には全くの門外漢であるワシが新たに知ったり感心した事柄は後述するとして,何がややこしくさせているかを最初に端的にまとめておくと,次のような事情によるようだ。
1.そもそも,文学(広く書き物も含まれるが)における「盗作問題」と呼ばれる事件は,全く整理されてこなかった。つまり本書以前に体系的な先行文献というものは皆無であり,栗原は資料を一から収集せねばならなかった。従って「この事件の発端はこの類型Aに分類されるのだな」という荒っぽい常識的な判断も不可能な状態であった。
2.「盗作問題」の多くは当事者同士の示談によって収拾されたり,論争に終始したりすることが多く,法廷で争われたケースは案外少ない。結果として法律論としての集積があまりなされず,法律家でも明快な判断が下しづらいようだ。
3.2のような事情も絡んでか,何が「盗作」なのか,どこからどこまでが著作権法で規定されている正当な「引用」なのか,盗用あるいは剽窃になってしまうのか,判断が極めて曖昧である。ほとんど引き写しの文章であるにも関わらず原著作者が何も言わなければ事件にならない,といったこともあるし,あるいは「そこまで文章を細分化して似ているだの何だの言ったらキリがないだろう」という度の過ぎた(と思われる)訴えもあり,これに感情論や出版社・放送局のビジネスの問題も絡んでくると,純粋に文芸的かつ法律的な「盗作問題」の定義は,第三者的に決められるモノではない,と思えてくる。
 本書で大きくページを割いて取り上げられている事件のうち,純粋な著作権上の,特に翻案権が侵されたかどうか,という点が争われたのは第六章・2「山口玲子「女優貞奴」とNHK大河ドラマ「春の波涛」」だが,これは担当した裁判官が「どう判断してよいかさっぱり分かりません」(P.358)とぶちまけるぐらい判断が難しいものだったようだ。最終的には最高裁までもつれ込む事件となるのだが,結局はNHK側の怜悧な弁護士の構造主義的法律解釈と小森陽一の論述によって,NHK側の全面勝訴となる。山口は自分の著作がそのままドラマ内で使われていると主張したが,その部分も「資料として活用されたに過ぎない」(P.370)と判断され,創作性は認められなかった訳だ。この場合,山口の著作が川上貞奴という実在の人物を追ったドキュメンタリーだったために,「事実」に創作性があるとは言えないという,ちょっと気の毒ではないかなぁという判決になってしまっている。
 純粋な文芸作品として執筆された作品中に,資料として用いた文献の文章と酷似した箇所がある,という「盗作事件」は本書でも多数示されているが,上記の事件のように,「事実」である場合は「盗作」と主張しても認められないケースが多いようである。
 ・・・となると,こりゃぁ,難しい話だなぁ,ということがご理解頂けると思う。パクリだ泥棒だと主張するのはたやすい。ことに盗んだ・盗まれた当事者でない第三者がヤイノヤイノ騒ぐのは簡単である。本書でも読者からのクレームによって発覚した事件が幾つか紹介されているから,著作権に関する意識は戦前よりも格段に高まっているのだろう。しかしながらそれが純粋に法律的に問題か?となると,個別の事例を詳細に調べていかないと何とも言えないのだ。しかもそれが実際の事件に関する文章だとすると,「引用文献の明示がないのは失礼だ」という文句のレベルで片づけられてしまう可能性が高いように思われる。創作態度が気に入らないとか安易だとかといった主張は感情論で終始してしまうのがオチだ。著作権違反だと言うのなら法廷闘争に持ち込んで恐ろしく手間のかかる手続きを経ないと決着が付かない上に,大した事件でなければ示談でオシマイなる可能性が高い。
 かくして<盗作>問題は,法律的な蓄積がナカナカ増えないまま,感情論とビジネスと世評のうねりの中でダイナミックに漂い続けるほかない丸太のようなモンなのである。普通に生活している分には,「あ,あの辺で丸太が流れているね」で終りだが,いざ自分が巻き込まれてしまうと振り回したつもりの丸太が一回転して自分の後頭部をかち割ってしまいかねないのだ。そう,NHKに喧嘩を売った山口が全面敗訴したように・・・。
 栗原はそんな危険な丸太をかき寄せて何とか一体の筏に仕上げることに成功した。が,思いのほか丸太の数は多かったようで,ふん縛って492ページにまとめるまで2年を要したという。無理もない。しかし労作にありがちの晦渋な文章は皆無で至極読みやすいし,当然のことながら「引用」の方法や「参考文献」の提示は著作権的に完璧である。「そっか,こういう風に書けば問題ないんだな」というお手本としてもお役に立つ一冊,法律家の書いた著作権本より,実際の事件がどのようなものでどういう経過を辿るのかを知るには現時点で最高の本であることは間違いない。誰だって著作権者になり,同時に著作権を踏み越えてしまいかねない時代なのであるからして,一度は目を通しておいて損はしないと断言しておく。

T.Kouya

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