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吉村昭「私の文学漂流」ちくま文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-480-42560-7, \600

 本年(2009年)はなかなか大学生の就職が決まらない。就職先がない,というわけでもなく,企業の新卒者採用の意思はそこそこあるのだが,採用目標数に届かなくても学生の質には妥協しないという「厳選化」と早期に締め切ってしまうという「早期化」,そして学生自身の「質」の問題が引っ絡まって,変な言い方だが「内定が取れない学生は取れないまま」となってしまうようである。
 「厳選化」と「早期化」は企業側の都合だから仕方ないとしても,「質」の問題となれば,ワシも含めた教育機関側にも大いに責任がある。学生自身を甘やかしたという気はあまりないのだが,考えさせる機会をことごとく奪ってきた,という忸怩たる思いはある。もちろん「あまり考えさせないでくれ」というのは学生側の「(かなり)切実な」要求ではあるのだが,それにハイハイと応じてしまうワシらの側に一義的な責任があると言わざるを得ない。但し,たたきのめす様なことを今更やったところで脱落者が増えるだけで良いことはあまりない。サポート体制はとりながら,チクチクと「考えさせる」ことを意識的にやらせるようにしなければダメだろう。そういう意味では,小中高を通じて,どれだけ勉強してきたか,というよりは,その勉強を通じてどのように「主体的にモノを考える習慣をつけたか」ということが,知識量そよりも何倍も重要なことである。ハッキリ言って,就職活動を始めてからそのことに気がつくのでは完全に手遅れなのだ。どこまで通じるか分からねど,せめて「これから自分の人生をどう歩んで入ったらいいのか真剣に考えろ!」と,ネチネチと言い続る必要があるのだろう・・・が,それで彼らの胃の腑に届くのかは甚だ疑問だ。
 本書は,2006年にガン闘病中,カテーテルを引きぬいて逝った吉村昭の,デビューまでの悪戦苦闘ぶりをいつもの静謐な文体で綴った自伝である。これを読むと,確かに日垣隆が嫌味を言うように,事業を営む兄弟の援助を受けることができる恵まれた環境にいたことで,長い助走期間を何とか脱落することなく乗り切れたということが分かる。
 しかし,途中,妻の津村節子が先に芥川賞を取る一方,自分の作品は再三候補になりながら,一度は受賞決定の知らせを受けて会場にたどり着いてから間違いだったと告げられるという仕打ちを受けた挙句に結局取れずに終わって挫折しかけるという経験を読まされると,結構辛い助走期間だったなぁと同情してしまう。結局,自分のポリシーを曲げて筑摩書房に投稿し,やっと太宰治賞を取ることができたあたりから反転,新潮社から「戦艦武蔵」を出して10万部を越えるヒットを飛ばしてなんとか作家として離陸できたという事情が,本書の最後あたりで明らかとなる。
 この助走期間において,吉村は同人誌で批評合戦を行いつつ,作家修業を積んでいたことが本書の半ばあたりで詳細に語られている。当時の純文学雑誌は同人誌の中からめぼしい作品に目をつけてスカウトするというシステムだったようで,段々と吉村にも声がかかって来ると,芥川賞にも手がとどくところまで到達するのだ。
 教師をしていて思うのは,学生への訴求力は,学生同士の関係から生まれてくるもののようだ。結局のところ,読書会とかゼミのように,自主的に学びを経験し,ロールモデルを教師にではなく,自分より優れた学生に見つける,というのが一番学生の成長が見込める学習形態である。作家・吉村を育んだ土壌もそこにあった。
 内定が取れる学生とそうでない学生との差異は,仲間内から自然発生的に優れた部分を見出そうと意識し,自分の開発に生かそうとする学習能力が発揮できるかどうか,そこが大きいように思える。具体的な行動を起こさず,他者との現実的なコミュニケーションも怠り,何年も夢想だけしているというのでは,採用する側が躊躇するのも当然だろう。実績のない若手は,体力にモノを言わせて短期間で実績作りに死に物狂いになって取り組まねばならない。何故なら,自己プレゼンはそこに基づいて行うしかないからだ。「何でも好きなことをやりなさい」とはワシらの常套句であるが,それは好きなことなら主体的に「学習」できるだろうという期待に基づくものであって,怠けさせるための口実ではないのである。
 吉村のデビューまでの経緯には,終戦当時としては経済環境は恵まれている方とはいえ,作家としての実績作りに真剣に取り組み続けた跡がくっきりと残っている。今の学生さんも,社会環境が厳しくなっているとはいえ,まだその多くは学費を払ってもらって飯も食わせてもらってという,吉村以上に良い経済環境に浸っているはずなのだ。だから,彼らは口先三寸の面接だけで企業に入れてもらおうなどというさもしい魂胆はさっさと捨てて,せめて吉村並の必死さを見習って,何でもいいから「実績」を作って示して欲しいと,ワシは願っているのである。

T.Kouya

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