石原繁・浅野重初「理工系入門 微分積分」裳華房,石村園子「すぐわかる微分積分」東京図書

「理工系入門 微分積分」 [ Amazon ] ISBN 978-4-7853-1518-4, \1900
「すぐわかる微分積分」 [ Amazon ] ISBN 978-4-489-00406-3, \2200
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 あーめんどくさ。複数の教員が担当する「微分積分/演習」のテキストを統一するための会合があり,何だか知らないけれどワシが議長役をしろということになった。
 で,大もめ。
 元々,ワシ自身がリーダーシップを取るつもりもなく,現状,テキストが統一されていない状況を理解するためのご意見拝聴に相務めようという態度で臨んだせいなのだが,その煮え切らない態度に怒った方がいらっしゃるのは当然として,そもそも今まで培ってきた教育手法も考慮せずに統一なんて乱暴極まりないというご意見の方もいらっしゃって,面白かった・・・のだが,正直疲れた。政府の審議会で喧々囂々の議論を纏めるなんて良くやるよなぁ・・・ホント,議論ってのはタフじゃないとやってられないなぁとつくづく感じた次第である。
 で,そこで出たテキストの候補がここで取り上げる2冊なのである。石原・浅野の「理工系入門 微分積分」(以下,「石原・浅野本」と称する)は,矢野健太郎の流れをくむ正統派テキストの簡易バージョン,石村園子の「すぐわかる微分積分」(以下,「石村本」)は,共立出版の「やさしく学べる」シリーズ(ここでも離散数学テキストを取り上げたことがある)と双璧をなす,「すぐわかる」シリーズの一冊で,穴埋め形式の演習問題の解答法まで教授してくれるバカ学生向けテキストである。両者とも,一変数関数の微分積分から二変数関数の微分積分までフォローしており,石原・浅野本が常微分方程式まで扱っている点を除けば,ほぼ守備範囲は一致している。
 また,どちらもロングセラーで版数・刷数が半端じゃない。石原・浅野本は1999年初版で,2011年2月に第16版第4刷,石村本はその6年前,1993年に初版,ワシが貰った2008年のものは第37刷である。理工系大学生向けのテキストとしては間違いなくベストセラーと言える。両者とも,主たる使用者の大学教員に支持されているからこそこれだけ売れているわけで,それぞれのテキストに惚れるという合理的理由もちゃんとあるのだ。だから,この両者のどっちかを選べと言われると揉めるわけである。いいじゃんテキストなんて好きなもの使って,結果として微分積分が理解できれば問題なし,とワシ自身はそう考えるのだが,世の中そー考えない方もいらっしゃって,まぁめんどくさいことになってしまうのである。
 「やさしく学べる離散数学」でも述べたが,偏差値40前半以下の学生さんを相手にしていると,「数学」というものを根本的に勘違いしたまま教えられてきた,という事実に気がつく。彼らの多くは単なる記号操作(=計算手法)の暗記と訓練を数学と思っているのだ。まぁ,彼らを相手にしてきた高校の先生方にしてみれば,それで十分と割り切ってのことなんだろう。実際,二次方程式の解の導出方法なんかすっかり忘れ,解の公式だけ覚えている,なんてのが日本の標準的高校生の実態なのだから,標準以下の生徒は計算方法を習得しただけマシ,と割り切るのも無理もないことなのである。
 とはいえ,これだけフツーにコンピューターが氾濫し,スマホですらDual-core CPUを積んでいる時代になると,少々重たい記号処理操作でもソフトで易々と実行できてしまう。計算方法の裏に潜む理論体系を知り,理論に基づいた真の「数学」の運用こそが人間本来の仕事であり,ICT社会になった今こそ,計算は機械に任せて本来の仕事に勤しむべきなのだ。その点,日本の高校生(に限らないけど)の数学力は世界最低レベルと言えよう。何せ,計算機械の方が何万倍(どころじゃないか)も優れている操作を,超低速な人力で再現しておしまいってんだから。最低でも,所謂「応用問題」が出来なきゃ数学を勉強する意味が無い時代になったということは認識して欲しいものである。
 だもんで,大学教師は躍起になって本来の「数学」を教えさせられる羽目になる。いや,数学以前の国語も含めて,全部やり直しになるのだ。答案の書き方,論述の仕方,「式」が単なる記号ではなく,意味を持った「文章」なのだということ・・・,まぁメンドクサイったりゃありゃしない。しかし,これが重要,かつ,専門科目への登竜門となる学習内容なのである。理論体系の存在に気づき,「体系」に基づいた記述方法を習得できないと,彼らは「数学」を学んだことにはならず,コンピューターに取って代わられる存在に留まるのだ。
 で,その本来の「数学」を教えるための教材開発をせっせせっせと行ってきたのが,「大綱化」がなされて教養課程が崩壊した1990年代からの歴史なのである。同時に,大学も山ほど作られた結果,本来なら大学生とは呼べないレベルの人達も受け入れざるを得ない状況になった(大学もある,ということ)。そうなれば,ますます教材としてのテキストは多種多様なものが必要となり,それこそ「微分積分」と「線形代数」の入門書は佃煮に出来るほど出版されることになった。結果として,教員の教授法にあったテキストが選ばれて,熱心な教員ほどテキストに依存したノウハウが増えて執着度が増す,ということになるのである。そのような事情を無視し,十分なFD的議論もせずに無理して統一を求めれば,揉めるのも当然のことなのだ。石原・浅野本を好む向きは,説明が不足している分を埋める講義を熱心に行い,石村本を好む向きは,自学自習の共として演習問題の解答をこのテキストに従って書かせるのだ。どっちがどう優れているかなんて決めようがないではないか。学生の理解度に違いが出るとすれば,それはテキストのせいではない,教員の資質の問題なのである。
 ・・・とゆーことを全部報告書に書いたのでは字数がいくらあっても足りないので,オミットした歴史的経緯とテキストの紹介文についてはこちらに書いておくことにしたのである。

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