内田麻理香「恋する天才科学者」講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-214439-1, \1400
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 歴史に名を残してきた科学者の評伝というのは例外なく面白い。もし面白くないとすれば,それは文章のレベルが低いか,読み手の科学的知識が不足しているか,そのどちらかである。もともと後世に残る程の業績がある人間なのであるから,どこかしら「普通でない部分」があるのは当然であるし,その「科学的業績」だけを取り上げてもその偉大さに比例した面白さが得られるのだから,評伝が面白くない筈はないのだ。
 しかし,残念ながら「科学的業績」に力点を置いてしまうと,読者としてはそれに関する知識のある人間だけに限定してしまうので,商業的にはあまり芳しくないことになる。数式ゼロの,専門用語を極力廃した文章だけで科学的業績を書こうとすると,どうしても長くなってしまい,本が分厚くなってしまう。それなりに広い読者層にアピールするためには,せいぜいブルーバックスのように,ピンポイントの話題を選択してコンパクトにまとめる程度にしておく必要がある・・・が,それでも読者が限定されてしまうきらいがある。従って,普通の大手出版社から出ている新書では,「科学的業績」よりは「普通でない部分」に力点を置いて紹介せざるを得なくなる。つまりは,ワイドショー的な下世話な所をほじくり出して,「あの偉大な科学者がこんな生活(生涯)を送ってきた!」ってなものになりがちだ。それはそれで読み物としてはアリ,とは思うが,それが何かの学問的価値があるかどうか,となると話は別だ。こういう手のものを書くのは大概大学などに籍のある科学史家なので,自らの学問的良心と,商業的な要求とのバランスを取って(こういう思考を「最適化」と呼ぶ),「ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿―科学者たちの生活と仕事」みたいな面白い本が出来上がってくるのであろう。
 内田麻理香は,カソウケンの研究者という肩書きで身近な科学を面白く上品な筆致で紹介してきた希有な書き手である。伊達に東大のDr.コースをを出てないな,と思わせる博覧な彼女は,しかし,自分なりの16人の科学者(ファーブルや南方熊楠のような枠に納めづらい人間も含んでいる)の評伝を書くに当たって「最適化」の手法を潔く捨てたのである。ワイドショー的「普通でない部分」にのみ力点を置き,そこだけ,を端正な読みやすい文章で綴ったのである。副題が”The Handsome Scientists”になっているので美形の科学者だけを取り上げたとも読めるが,ワシら扁平顔の黄色人種から見れば,西洋ゲルマン系の男どもの若い時分の顔は大概美形であるから,内田がまえがきで書いている通り,選択の基準はそれだけではない 。本書のタイトル「恋する天才科学者」の「恋する」の主語は当然・内田本人であろうが,惚れているのは「科学的業績」であって,顔だけじゃないのである。しかし内田は,この業績部分は殆ど全て巻末の参考文献に譲り,下世話な部分だけをミーハー的な読ませる文章で綴ったのである。
 この取り上げ方には異論が多々あるかも知れない。特にそろそろ絶滅しかけている真面目な堅物の学者様には不評かもしれない。しかしワシも含む多くの現役研究者は本書の存在意義を大いに認めるだろうし,内田もそれは狙って書いている。まるで韓流イケメン俳優にうつつを抜かす中年オハバンのようなミーハーさを装ってはいるが,その後ろには相当のバランス感覚が手綱を引いていて,「普通でない部分」の描き方はかなり客観的だ。それは相当の読書量と,Dr.まで進んで現在東大の特任教員にまで就任するだけの科学的知識・社会的常識に裏付けられたものなのだろう。ファーブルの記述では養老孟司の引用や「昆虫くん」(酒井順子言うところの「宇宙人」だな)の話もあったりして,同じ「昆虫くん」のワシとしては,いやぁ申し訳ない,と苦笑しながら読ませて頂いた。
 理数系離れが叫ばれる昨今だが,多くの理数系入門書が書いている内容は似たり寄ったりの手垢にまみれた「分かりやすいトピック」だけを取り上げたものばかりであり,本気で理数系に進もうとしている読者には遠からず飽きられてしまうだろう。本書はその中でも異色の「理数系としての生き方」に絞った入門書であり,世間的に居づらさを覚えているオタクな人間には一種の共感を持って読める本だ。多分,内田にしか書けない軽さ(を装っている)を持った本書は,今のところ,ワシにとっては女性にも勧められるNo.1の「科学入門書」なのである。

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