[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-87257-577-6, \1200
イースト・プレス (2005.8)
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夏目房之介という人をどう捕らえていいのか,少し前まではちょっと迷っていたところがある。
ワシはしょーもない(ホメ言葉です為念)漫画が好きである。「しょーもない漫画」とは,メジャー志向ではないショートギャグ漫画で,メッセージ性皆無,脱力系ギャクが満載で,作者本人は楽しんで描いているものの,一般的人気は取れそうもないな・・・という,ワシが勝手にカテゴライズしたジャンルである。横山えいじ,竜巻竜次がしょーもない漫画の2大作家であり,ワシはこの二人の作品が大好きで単行本が出るたびに買っているのだが,困ったことに人気がないのでなかなか出版されず,店頭にも並ばないから入手しづらいというファン泣かせのジャンルなのである。ワシにとっての夏目房之介像の一つは,このしょーもない漫画を長く描いていた作家,というものであった。多分,純粋漫画作品としては「偉人でんがく」が最後だったと思うのだが,ワシはこの掲載誌を休刊になるまで購読していたので,そーゆーイメージを持っていたのである。
しかし,ワシが最初に嵌った夏目房之介作品は「手塚治虫はどこにいる」という,シリアスな漫画家評論集だったのだ。これに感動したワシは次から次へと漫画評論集を読むようになって,自分のblogで読了した本の感想文を書き連ねるパンピーになってしまったのであるが,ワシにとっての夏目房之介像もこれによって完全に分裂して今に至ってしまったのである。文章が硬く,論理的な説明を丁寧に積み重ねた評論と,しょーもない漫画とのギャップが激しすぎて,ワシの脳内では同一人物としての一致を見ていないのである。
本書は前著「これから」に続くエッセイ集であり,文に添えられているカットを本人が描いているという体裁も版形も,老化していく自身やその周囲を観察し恬淡と思ったこと書いているという内容も全く同じで,違うのは出版社だけである。
ワシは現在三十路半ばを過ぎた人間ドックおじさんであるが,そのぐらいの年齢になってくると,世間と自分との折り合いのつけ方は当に心得てしまっているので,本書で述べられている考え方は「まあ,そんなところだろう」と全面肯定できる。逆に言えば,意外な考え方が示されているわけではないので,あんまし年を取ってから読むものではない本かもしれない。社会に飛び込んだばかりの二十歳代ぐらいに読んでおくと,世間との軋轢に悩んだ時には参考になることが多いんじゃないかなぁ。そう考えると,今は難しいだろうが,熟年離婚に至った経緯と理由を語ってほしい,というのが無責任な第三者の正直な感想である。
しかし一番面白かったのは,ワシが抱いている2重の夏目像が,硬い文章と,説明過多のしょーもない漫画タッチのカットのそれぞれに重なったことである。おかげで,カットはカット,文章は文章で別個に眺めることで2回しゃぶることが出来る,ワシにとってはお得な本になっているのである。