7/1(土) 東京->千葉->東京->掛川・曇

 昨日は予定通り,三島->御殿場->八街と営業して回る。御殿場からは高速バスが使えるということを見落としていた。うれしい事に,あっという間に東京へ移動できた。こりゃぁ御殿場線が寂れるはずだ。
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 本日は朝イチで千葉へ出向き,朝食を取りながら某K氏と密談。どーもごっそさんでした。
 その後は東京へ戻って買い物。ヨドバシ,ユニクロ,丸善をはしごする。久々に本を一気買い。ご紹介は後ほど小分けにしてupする予定。
 午後3時には掛川へ戻り,SWoPPの原稿最終校正。実は既に原稿は送ってしまったのだが,出先のプリンタの質がよろしくない上に,間違いが見つかってしまったため再修正を余儀なくされたのである。明日早々に訂正稿を速達で送付せねば。あーみっともなー。
 予定通りSony DCR-SR100を購入。ヨドバシで100,900円なり。早速,東京駅で総武快速線を撮ってみた。

 にわか鉄っちゃんのため,映像の面白味のなさはご勘弁を。おまけに間延びしてやんの。16:9のモードで撮ったんだが,uploadする前のWMVファイルはちゃんとこの画面比率になっているが,YouTubeに上げたら4:3になってしまっている。うーむ,みっともないが,直し方が分からん。ま,雰囲気が分かってもらえればいいやね。
 個人的な感想では,Everioよか標準マイク性能が格段によろしいようである。次週にでも本格的な比較を行ってみる予定。一応,ズームマイクも買ったんだが,必要かなぁ。無駄だったかも。
 ようやく鬱が晴れつつあるようだ。バリバリ仕事せねば~。溜まっちゃったモンなー,やることが。
 風呂入って寝ます。

6/28(水) 掛川・曇

 梅雨特有のハッキリしない天候が続く。気温は大分上昇してきており,今朝は窓を開けておいたにもかかわらず,室内気温が27℃を超えていた。ジメジメしつつも,気候は本格的な夏に向かいつつある。今週は営業週間なので,最後の営業日である金曜は涼しくなって欲しいものである。何せ,三島→御殿場→榎戸という,超強行軍だからな。一線級の営業マンにしてみれば屁みたいなモンだろうが,こちとらひ弱な世間知らずであるから,年に一度の長距離営業はかなりシンドイのである。精進が必要であるな。
 Movable Type 3.3のリリースは延期になった模様。どーせ試している時間はないし,こちとらただ乗りユーザであるから文句を言う筋合いもないし,いいっちゃいいんだが,ちょっと残念。つーか,システム周りの整備に気を配るより,本文ちゃんと仕上げろや>自分 考えているうちに,ムラムラと全面改稿に着手したくなってきたぞ,大丈夫か,Tutorialの改稿作業もあるってのに,間に合うのか>自分
 VMware Server,RC2の一つ手前のβバージョンで試してみた限り,Windows XP x64をホストOSにするよか,Fedora Core 4 x86_64をホストOSにした方がパフォーマンスがずっといいことが判明。この先正式バージョンが出ればまた変わる可能性があるので,ちゃんとしたベンチはその時に行いたい。
 しかし,現時点では職場の本環境(Pentium D cluster)ではFC5の上でVMwareを使った方がいい,というのが暫定的結論である。ま,そっちの方が管理する側のスキルにもぴったりあっているし,ありがたいのだが。
 問題は,8月下旬までにその環境を整えられるかどうかなんだが・・・ハード面,ソフト面,どちらも時間的かつ予算的にキチキチの状況なのでかなり微妙。まーしかし,自分でどーにかなる問題ではないので,待つしかないのである。うー,フラストレーションが溜まる。
 では行ってきます。

6/26(月) 掛川・雨後曇

 朝方は土砂降りの中,出勤。九州方面に梅雨前線の強いところが停滞しているらしく,土砂崩れの被害も出ているらしい。こちらに豪雨被害が出るのは7月に入ってからか。
 本サイトのトップページカウンタが14000を突破。
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 移転一周年には余裕で15000は越えているな。ご愛顧感謝,感謝。
 今週は営業活動に勤しみつつ,SWoPPの予稿を上げる予定。ワシに取り付いている鬱はどーもしつこいようで,またぞろ復活しつつあり,予定はドンドン先延ばしになっている。どーなることやら。
 鬱のおかげと,西方行き出張ばっかり重なっているせいで,4月に買った新幹線の東京行き回数券が余ってしまいそう。今週末に一枚消費できるが,もう一枚は半端に残ってしまう。7/18までだから,三連休(7/15~17)に何か予定を作って遊びに行くしかないな。
 あ,いつの間にかVMware ServerがRC2になっている。正式版は第2四半期に出荷とあるんだが,もう終りかけである。第3四半期へずれ込みかな。何にせよ,早くExpirationなんぞはなくなって欲しいものである。まあワシが使うだけならVMware Playerだけで十分だし,何より高速だからいいんだけど,実習環境となれば,Serverの方が何かと楽なんだよねぇ。
 ボチボチやって寝ます。

6/22(木) 掛川・曇

 どんよりした空だが,雨粒は降ってこない。気温は高からず,低からず。典型的な梅雨の朝。
 あ,いつの間にか応用数理学会の年会受付が始まっていたぞ。今年は講演はパス。おんなじ話を繰り返すのも嫌味だし,それよか次のネタに集中したいし。
 懇親会と込みで参加申し込みのみ行う。一万円なり。HPC関係のよか安上がりなのは良いことである。高い会場を使うからなぁ>SACSIS and HPCS。
 で,はたとdomain名がjsiam.orgになっていることに気が付く。SSLがオレオレ認証なのはまあ銭のない学会なのでしょうがないけど,いよいよ本格的に独自ドメインで運用するのかしらん? ちらっと調べてみると・・・ほほうDNSはあそこが,Webサーバはここか・・・ということが判明。商売抜きのボランティア活動に近いよーな。ご苦労様です>関係者様一同
 Movable Type 3.3は6/27リリースとのこと。うーん,試してみたいが時間がないぞ。あのテキストとこのテキストの書き換えが完了してからだから,順調にいって8月下旬あたりかなぁ。
 では行って来ます。

金森修「病魔という悪の物語 チフスのメアリー」ちくまプリマー新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-68729-7, \700

病魔という悪の物語
金森 修著
筑摩書房 (2006.3)
通常24時間以内に発送します。

 お目当ての新刊をgetすべく書店に入ったものの見つからず,さりとて読書欲ははちきれんばかりに膨れ上がっており,このまま手ぶらで帰るわけにはいかなかったのである。本書はそんな時にふと目に入ったもので,もちろん金森の名前は知ってはいたものの著作を読んだことはなく,題名の,それも副題である「チフスのメアリー」に惹かれて買ってしまったのである。夕飯代わりのマクドナルドのフィレオフィッシュセットをパクつきながらほぼ一コマ,90分で一気に読了した後に残ったものは,ひたすら苦く,それ故に脳細胞が活性化される「問題の種」であった。
 いや,これを中学生に読ませるのかい,金森先生よ。ワシとしてはその度胸を大いに買うと共に,「いいのかよ,ぉい」という一抹の不安を持たざるを得ないのである。ちょっとでもヒューマンな心を持ち,サイエンスの心得がある者であれば,それ故に,本書が提示している問題の大きさに慄然とせざるを得ないはずなのだ。道徳の教材に使える? そーね,使えるけど,教室が水を打ったようにシーンとしても知らねーぜ,オラ。
 チフスのメアリーという言葉をどこで聞いたかは覚えていない。しかし,確かにどこかでチラとその意味と言葉を知って以来,脳の奥底に引っかかっていたのは間違いない。そこには不可視の病原菌への恐怖と,基本的人権を完全に否定された者への憐憫がオマケとして付加されている。
 本書はその,18世紀末から19世紀初めにかけて,アメリカ合衆国に実在した「チフスのメアリー」こと,Mary Mallonの生涯を辿り,そこから現代にも未来にも通じる公衆衛生的大問題を突きつけている。
 本書では触れられていないが,隔離を伴う法定伝染病として最も著名なのはハンセン病だろう。つい最近,日本政府が過去の隔離政策の行き過ぎを謝罪したことも大きく報道された。この問題に関しては,武田徹の「隔離という病」に詳しい。
 感染力の強い(と思われる)伝染病が発生した時の対策として,一般社会から離れた場所に「隔離」する,ということは,まあ字面だけ見ていれば当たり前のことと思える。しかし,それによって生じる問題を考え出すとキリがない。隔離に際して発揮される強制力はどこから来るのか? また,隔離することによって確保される公衆衛生の規模はどの程度のものなのか? 隔離される患者の人権が侵されることによって得られる社会の対価は,本当に釣り合うものなのか?・・・といった難しい,そして結論が出るまでに時間が必要な問題が山ほど噴出してくるのである。普段,我々が「善意」と呼んでいるものが,スライドしてそのまま患者にぶつかり,取り返しのつかない被害をもたらしてしまうのだ。
 伝染病は怖い,怖いから公権力に取り締まって欲しいと願う,その後押しを受けて隔離に乗り出した結果,医学的に正確な感染力の把握もなしに患者への差別が社会に蔓延してしまう・・・という構造を非難するのはたやすい。たやすいが,その構造こそが我々の社会を保つ源泉でもある訳で・・・あーもー,考え出すとキリがないっ・・・ということになってしまうのである。
 実在したメアリーは,腸チフスの保菌者であることが断定され,ごく一時期を除き,人生の大部分を隔離された島で送ることになってしまった人物である。確かに著者の言う通り,そんなに長期間閉じ込めておく必要があったのかは疑わしく,不幸なレアケースであることは間違いない。しかしそれでも,メアリーが腸チフスを他人に感染させたことは否定できない。そんな人物を我々,いやワシやアンタは受け入れることが出来るのだろうか?
 できる,と著者は言い,その実例を,Plavska一家とメアリーとの交流に求めている。家族ぐるみでメアリーを歓待しながらも,メアリーとの食事後は「お皿をごしごし洗ったり,熱湯で煮沸したりした」。しかし,続けて「それほどの懸念を押してでも,メアリーと時間を共に過ごしたいと思ったということの方が大切」(P.113)だ,と。
 自分の身を守りつつも,かけがえのない友人との交流を保ち続けるという,この態度が一般常識になることが望ましいのは言うまでもないが,果たしてそれが自分に出来るかどうか。この辺が,道徳教材としては一番難しく,そして核心部であると思われる。
 文章は軽快でありながら,読み進むにつれて,ドンドン自分の思考が捩れ,キリキリと音を上げだす。そんな辛くて楽しい読書は久しぶりだった。二重丸。