5/17(水) 掛川・曇

 沖縄は入梅。梅雨前線が活発に活動しているようなので,今年も平年並みの時期に入梅となりそうである。
 昨日は鬱な頭を絞って,金曜日に行われる高大一貫講義用の資料を作る。遠隔講義用の資料は既に2つ作ってあるが(これこれ),今回は出張講義として先方に出向いて行うものなので,話よりも実習重視の内容となる。Newton法は微積をまるで知らない学年向きではないと悪評なので今回はパスし,中点法とRegula-Falsi法のみ。って,実習の手間はこっちの方が上かも。
 鬱時の逃避行動の一環として,気になったことをちょろっと調べてみた。町山さんのコラムを聞いていたら,「アメリカ合衆国におけるパスポート所持率は20%」という発言があったのだが,じゃあ,わが日本国の所持率はどんなもんじゃろうという疑問が湧いてきたのである。ググってみても,ドンぴしゃりのデータはなさそうなので,信頼できる統計値から計算してみることにした。
 まず,外務省のWebページから,2005年12月28日時点における有効旅券の数を調べてみる。このPDFファイルの11ページ目にそれが載っており,計34934463,とある。約3493万券ということだ。
 次に,総務省統計局のWebページから,ほぼ同時期の日本の総人口を得ることにする。ぴったり2005年12月28日時点の正確な数字はないようなので,2005年12月1日時点における推計値,約12779 0千人,で代用する。12779万人ということらしい。現時点でも大体1.2億人いるそうだから,1ヶ月程度の差異は殆どないと見てよい。
 するってぇと,日本のパスポート所持率は,3493 / 12779 = 約27.3%,となるわけだ。
 日本が27%,アメリカが20%。諸外国と比べてみないと何ともいえないけれど,7%程度の差では,アメリカがモンのすごく低い,と言える訳ではなさそうである。
 雇用保険3事業が抜本的見直し,という記事が出た。毎日新聞の記事から引用してみると,詳細は次のようになるらしい。
 「雇用保険3事業は、事業主が従業員給与の0.35%の保険料を全額負担し、これを財源に「雇用安定」「能力開発」「雇用福祉」を実施する仕組み。仕事と子育ての両立を支援する「育児・介護雇用安定助成金」(同34億6300万円)なども含まれるが、規模が小さく、児童手当に代表される子育て世代への経済支援には使えない。このため、同省は3事業の内容を全面的に見直し、「少子化対策」としての予算を1000億円単位で支出できる枠組みを作る具体案の検討を始めた。
 同3事業は00年度まで勤労者福祉施設の整備費にも充当され、現在それらの施設が投売りされるなど、無駄遣いぶりが指摘されてきた。昨年12月には「3事業は廃止も含め徹底的な見直しを行う」と閣議決定されている。」
 厚生省と労働省が合体した時から,いずれは,と思っていたが,とうとうその時が来たか。しかし過去何度も雇用保険勘定の使い道について見直しが叫ばれてきたけど,結局名義変更だけで乗り切ってきたもんなぁ。旧労働省の巻き返しがどれぐらいのものになるのか如何で,再編の行方も変わってくるのだろうな。
 では行ってきます。
 ただいま。
 高大一貫講義資料(PDFMHT),一応完成。いくらでも丁寧に資料を作ることは出来るが,それと反比例してモチベーションは下がっていくのである。最適化した結果,このあたりがbetterか(bestではない),ということで打ち切り。これを膨らませて,ブルーバックスでも書いてやろうかしらん。
 あああごめんなさい,NAS2006幹事団から「はよ予稿提出せんかいワレ」的催促メールが届く(実際の文面は至極穏当です,為念)。あと一歩,T.Kouya,あと一歩でございます。最後の,最後のお願いにやってまいりました,T.Kouya,T.Kouya,よろしく,よろしくお願い申し上げます。T.Kouya,よろしくお願い致します・・・(Fade out)。
 SEOと見なされなければよいがのう。
 では運動してきます。
 ただいま。書き忘れがあったので追加。
 数学博士や国立大学の数学専任教員が減っているそうな(読売新聞)。だから何? 増やせっての? 情報にも工学にも数学プロパーは結構入り込んでいると思うんだけど,それは数に入らないの? 大体,少子化で大学数が多すぎるってんで,この先潰れる私大が山ほど出るって言われているのに,数学教員だけ増やす理由ってなんかあるの? 産学連携が叫ばれる昨今,そんなもんに目もくれず純粋数学に邁進する天才肌の人間を優遇してくれるっての? そもそも純粋数学を盛んにしていったい何を期待しているの? 期待するほどの産業振興に繋がるオコボレは殆どないかもしれないのに,そこんとこ分かって言っているの?
 何を言いたいのかよく分からん記事。日本数学会は喜ぶだろうけどねぇ。
 寝ます。

5/15(月) 掛川・?

 天気を忘れるほど用事の多かった日は久しぶりだ。鬱がようやく薄れてきた模様。
 本日も企業さん(人材派遣)が来訪される。年を経るごとに,人材派遣会社が増えてくる。そんな傾向にぶつぶつ言う人もいるが,そーゆーのに限って自分がどっかの人材派遣ではない企業を開拓しようという意欲もなければ人脈もなかったりする。まあ口だけの人をまともに相手にしていても仕方がないから,こちらも黙って聞き流すのみ。しかし○○○○○がここにも出てきたのか,という指摘は正しい。打開策は学生さんがバリバリ勉強してくれることだけである。それが達せられていないのは教師の力不足も一因であるから,当方も教育力を挙げるべく精進しなければならないのだな。
 2年ぶり(?)にスポーツクラブ通い復活。今回は前回の轍を踏むことを避けるべく,ナイト会員として安上がり(一般会員より\2500安い)に済ませる。三日坊主になる可能性も高いが,なに,三日坊主を繰り返せば三日坊主でなくなるのであるから,懲りずにチャレンジするのみなのである。
 久々のクラブは
 ・マッチョなおじさん連中が減り,ワシみたいな腹回りの中年が増えた
 ・駐車場の中に島のように残っていた2軒の民家がなくなり,駐車場が広くなった
 ・シャワー室にシャンプーとボディソープが常備されるようになっていた
 ・洗面台に櫛が常備されるようになっていた
という小変化があったのみ。どうやら会員数もそれ程増えていないような雰囲気。ま,利用者としてはその方が有難い。
 筋肉痛の来襲に恐れながら寝ます。

古谷三敏「BARレモンハート 22巻」アクションコミックス

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-575-83236-7, \552

BARレモン・ハート 22
古谷 三敏著
双葉社 (2006.5)
通常24時間以内に発送します。

 買い物に出かけたショッピングセンター内の書店で本書が出ているのを発見した。おお久々,では早速レジへ・・・と思いきや,先ほどなけなしの金を煮干と本だしと詰め替え用シャンプーと3足セット靴下に費やしてしまったばかり。ATMから金を引き出そうにも今は土曜日の午後6時過ぎで,とうに閉まっている。うう悔しい,これから家に帰って金を取って戻るのも面倒だし,今日は諦め・・・いやいや待て待て。BARレモンハートと言えば・・・そうだ,そうだ。自宅に飛んで帰り,すぐ隣のコンビニに飛び込んで新刊漫画の棚をざっと見ると・・・あったあった,ありましたよ。
 そんな訳で,無事本書を見つけたその日にgetすることができたのであった。
 そう,BARレモンハートの単行本は,全国ネットのコンビニには必ず数冊配本されているのである。うろ覚えだが,これは十数巻に達した頃からの現象だったと思う。年単位で出版されるかされないかという頻度であるから,ワシは大抵,どこかの店頭に並んでいるのを見て気がついた時に買う,というやり方でgetしていたのだが,いつの間にやらコンビニで出会う確率が増えていったのである。ジャンプ・サンデー・マガジンコミックスのヒット漫画なら兎も角,大手とは呼べない双葉社の,しかも一度は休刊したアクション連載のコミックスとしては,クレしん・じゃりチエ・三丁目の夕日に次ぐ配本数ではなかろうか。実際,この最新刊の帯には「600万部突破記念フェア」の文字が大きく踊っている。一巻分だけでも30万部近い部数が出ている漫画単行本は,双葉社レベルでなくとも大ヒット作であることは間違いない。
 作風はどう見ても派手とは言えない漫画作品がどうしてこれまでの大ヒットを記録するまでに至ったのか。そこで語られている酒に関する薀蓄の深さと愛情もさることながら,やはり前回も述べたようにBARレモンハートに集う常連達の魅力と,そこに登場する多彩なゲストキャラクター,その三位一体がなす力が大きいと思われる。しかし何より,掲載雑誌の危機に際しても本連載を絶やさなかった双葉社の頑張りが大きい。連載がストップしていれば,このような大ヒットに繋がることはなかっただろう。
 松っちゃんの独身生活は相変わらずだが,振られても振られてもチャレンジし続ける姿勢は寅さんを思わせる。どんなに時代が変わろうとも,ギネスブック級のシリーズ映画の味わいに近づきつつあるこの作品が続くことを願わずにはいられないのである。

無趣味なひとりものの経済

 富裕層,という言葉がある。一般的に言うところの「金持ち」のことであるが,大体,$100万の資産を持つ人のことをそう定義するらしい。日本円で言えば,約1億円ということになる。Qさんの定義によれば,資産だけでなく月額100万円の自由になるお金がある人もその仲間ということになる。確かにどちらも金持ちと呼ぶことに異論は少ないだろう。ここでは前者を「資産金持ち」,後者を「高給金持ち」と呼ぶことにする。
 ひとりものと一言で言っても,その収入や資産は様々だろう。年収が低いが故にひとりものであるケースもあれば,高くても積極的 or 消極的理由でひとりものであり続けるケースもあるからだ。しかし一般的に考えれば,馬齢を重ねるにつれて,金持ちが一人であり続けることは難しいと思われる。ホリエモンが逮捕されてから,人生は金だけではない,という当たり前のことを言う人間が増えたが,そうは言っても金の量と人を寄せ付ける魅力はかなりの相関関係があり,人と接する機会はおのずと増えるのである。性別に関わらず,多くの人間と接する機会が増えれば,ひとりものから離脱する機会も増えると考えるのが妥当だ。従って,若年者が減少し続けている今の日本では,ひとりもの全体の平均資産・年収は減少傾向にあると言えるのではないか。つまり,金持ちであれば,ひとりものであり続けることは難しく,逆に,ひとりものから脱したいと切実に思うのであれば,異性を追いかけること以上に自身の収入・資産を増やすことが必要なのだ。身も蓋もないことであるが,これは統計的事実なのである。
 よって,中年以上のひとりものの多くは金持ちではない,ということになる。そして私も金持ちではないひとりものの一人である。しかし高給取りではないものの,今のところ自分としては十分すぎる程のサラリーは貰っているので,中の下 or 下の上クラスの平凡な暮らしを維持できている。更に言えば,もし定年まで順調に勤め上げ,現状の貯蓄額を維持することができれば,退職時にはギリギリ資産金持ちになり得るのである。これは数学的事実である。あ,言っとくけど,私の貯蓄額は,友人に言わせると「その年収で,かつ,ひとりものにしてはそれ程ではない」ものらしいので,過大に思わぬように。
 何故そんなことになるのかといえば,それはひとりものであるからとしか答えられない。持ち家もなく,今住んでいる賃貸アパートの家賃を定年まで満額支払ったとしてもせいぜい2000万円未満で収まるし,扶養家族ゼロであるから,子供の教育費も専業主婦(絶滅させるべき人種であると個人的には思う)のメシ代もゼロなので,月々のサラリーすら全額使い切ることが出来ない。どーせ余るならと,積立貯金に余剰分を回しているから,月によってはカツカツだが,年単位で見れば大幅な黒字であることは間違いないのである。
 オマケに,私は金のかかる趣味を持っていない。せいぜい読書ぐらいなもんである。月々マンガ雑誌を2000円,単行本に1万円程度買い込むことが出来れば満足な人間であるから,無職になって収入がゼロになっても生活保護貰って公共図書館に毎日通っていれば満ち足りた生活が送れること間違いないのである。
 SEXの処理? そんなもん,ヤらせてくれる女性がいなければ,センズリでごまかす他ないに決まっているのである。古谷三敏の名作マンガ「寄席芸人伝」には,ケチの王道を行く万年二つ目が登場する短編があるが,この主人公は当然独身である。何故かといえば,「センズリはメシをくわねぇ!」からであるとか。私はそこまで達観できない「なりゆきシングル」であるが,この台詞は客観的真実と認めるほかない。この主人公と私の共通点は風俗に出かける趣味を持たないことぐらいであるが,理由は異なっている。この主人公はケチを通すためであるのに対して,私は単に度胸がないだけである。
 そんな訳で,私は今のところは金の使い道がなく,資産金持ちへの道を着実に歩んでいるのである。あ,石投げないでよ,まだ続きがあるんだってば。
 しかし,いいことばかりではない。私のようなしみったれのひとりものにとっては,高給を目指す動機付けが乏しいから,高給金持ちになることは難しいのである。子供や専業主婦という,どうやっても金食い虫になる要因は「愛」という厄介な太いワイヤーで結ばれているからそう簡単に捨てたり出来ない。だから,愛つき金食い虫を抱え込んじゃうと,高給取りとまでは言わないものの,彼らを養うだけサラリーは稼がねばならない。稼ぐためには出世を目指すほかなく,それが高給金持ちへの強力な推進力となるのだ。逆にそれがないひとりものは,よほど人生を賭けるだけの金食い道楽を持っているならともかく,そうでないなら日々過ごすに足るサラリーを貰っている現状の維持で十分で,せいぜい資産金持ちを目指すぐらいが関の山なのである。従って,中年以上でひとりものの高給金持ち,という存在はかなり稀有な部類と言える。たまーにそういう人間がいるらしいが,バツイチでもなく,清廉潔白な仕事を持つその手の人間が何を考えて日々過ごしているのか,私は大変興味がある。ぜひインタビューなどしてみたい。
 で,何が言いたいかというと,対した趣味のない,そしてこの先ひとりものを脱却する予定もない中年人間にとっては,資産金持ちを目指す,という生き方もそれ程悪くないのではないか,ということなのである。家を持つもよし,株を買うのもよし,芸術に走るもよし,現金を眺めるのもよし,何か自分なりの目標を持って生きることは絶対に必要なことであり,ついでに将来自分を身を守る手段としても,資産を増やすということは,人並みの老後を送ろうとするひとりものにとって必修なのではないか,とね。ま,自己肯定って奴ですね。
 実際,資産金持ちを目指すといっても,この先の人生,そう順調に行くわけがないのだ。この先,ひとりものを脱却する見込みは少ないものの,年を取れば医療費もかさむだろうし,悪い奴に騙されることもあるだろうし,せいぜい終の棲家が得られるぐらいの資産が残ればいい方であろう。しかし,ベクトルの向く角度をぐっと90度に近いレベルに維持することで「張り」が違ってくるのだから,今のところ,最後は資産金持ち,というゴールを目指す方針を変更するつもりはないのである。

5/11(木) 掛川・雨後晴

 蒸し暑い。教室でコンピュータを多数扱っていると更に暑くなる。あんまし酷いので,時期はかなり早いが,今後は冷房を効かせてもらうようお願いする。
 就職担当をしていると,様々な学生が書類を持ってくる。余裕のあるときは一言二言質問することにしている。おそらくここ数年来最もウザい教師であろう。
 今日の学生さんは傑作であった。
 「この会社は,うちの学科の専門とは全く関係ないな。実家から近いからってだけで選んだんじゃないの?」
 「近くないです。自転車で30分もかかります。」
 「それはオトナの基準では遠いとは言わない。」