無趣味なひとりものの経済

 富裕層,という言葉がある。一般的に言うところの「金持ち」のことであるが,大体,$100万の資産を持つ人のことをそう定義するらしい。日本円で言えば,約1億円ということになる。Qさんの定義によれば,資産だけでなく月額100万円の自由になるお金がある人もその仲間ということになる。確かにどちらも金持ちと呼ぶことに異論は少ないだろう。ここでは前者を「資産金持ち」,後者を「高給金持ち」と呼ぶことにする。
 ひとりものと一言で言っても,その収入や資産は様々だろう。年収が低いが故にひとりものであるケースもあれば,高くても積極的 or 消極的理由でひとりものであり続けるケースもあるからだ。しかし一般的に考えれば,馬齢を重ねるにつれて,金持ちが一人であり続けることは難しいと思われる。ホリエモンが逮捕されてから,人生は金だけではない,という当たり前のことを言う人間が増えたが,そうは言っても金の量と人を寄せ付ける魅力はかなりの相関関係があり,人と接する機会はおのずと増えるのである。性別に関わらず,多くの人間と接する機会が増えれば,ひとりものから離脱する機会も増えると考えるのが妥当だ。従って,若年者が減少し続けている今の日本では,ひとりもの全体の平均資産・年収は減少傾向にあると言えるのではないか。つまり,金持ちであれば,ひとりものであり続けることは難しく,逆に,ひとりものから脱したいと切実に思うのであれば,異性を追いかけること以上に自身の収入・資産を増やすことが必要なのだ。身も蓋もないことであるが,これは統計的事実なのである。
 よって,中年以上のひとりものの多くは金持ちではない,ということになる。そして私も金持ちではないひとりものの一人である。しかし高給取りではないものの,今のところ自分としては十分すぎる程のサラリーは貰っているので,中の下 or 下の上クラスの平凡な暮らしを維持できている。更に言えば,もし定年まで順調に勤め上げ,現状の貯蓄額を維持することができれば,退職時にはギリギリ資産金持ちになり得るのである。これは数学的事実である。あ,言っとくけど,私の貯蓄額は,友人に言わせると「その年収で,かつ,ひとりものにしてはそれ程ではない」ものらしいので,過大に思わぬように。
 何故そんなことになるのかといえば,それはひとりものであるからとしか答えられない。持ち家もなく,今住んでいる賃貸アパートの家賃を定年まで満額支払ったとしてもせいぜい2000万円未満で収まるし,扶養家族ゼロであるから,子供の教育費も専業主婦(絶滅させるべき人種であると個人的には思う)のメシ代もゼロなので,月々のサラリーすら全額使い切ることが出来ない。どーせ余るならと,積立貯金に余剰分を回しているから,月によってはカツカツだが,年単位で見れば大幅な黒字であることは間違いないのである。
 オマケに,私は金のかかる趣味を持っていない。せいぜい読書ぐらいなもんである。月々マンガ雑誌を2000円,単行本に1万円程度買い込むことが出来れば満足な人間であるから,無職になって収入がゼロになっても生活保護貰って公共図書館に毎日通っていれば満ち足りた生活が送れること間違いないのである。
 SEXの処理? そんなもん,ヤらせてくれる女性がいなければ,センズリでごまかす他ないに決まっているのである。古谷三敏の名作マンガ「寄席芸人伝」には,ケチの王道を行く万年二つ目が登場する短編があるが,この主人公は当然独身である。何故かといえば,「センズリはメシをくわねぇ!」からであるとか。私はそこまで達観できない「なりゆきシングル」であるが,この台詞は客観的真実と認めるほかない。この主人公と私の共通点は風俗に出かける趣味を持たないことぐらいであるが,理由は異なっている。この主人公はケチを通すためであるのに対して,私は単に度胸がないだけである。
 そんな訳で,私は今のところは金の使い道がなく,資産金持ちへの道を着実に歩んでいるのである。あ,石投げないでよ,まだ続きがあるんだってば。
 しかし,いいことばかりではない。私のようなしみったれのひとりものにとっては,高給を目指す動機付けが乏しいから,高給金持ちになることは難しいのである。子供や専業主婦という,どうやっても金食い虫になる要因は「愛」という厄介な太いワイヤーで結ばれているからそう簡単に捨てたり出来ない。だから,愛つき金食い虫を抱え込んじゃうと,高給取りとまでは言わないものの,彼らを養うだけサラリーは稼がねばならない。稼ぐためには出世を目指すほかなく,それが高給金持ちへの強力な推進力となるのだ。逆にそれがないひとりものは,よほど人生を賭けるだけの金食い道楽を持っているならともかく,そうでないなら日々過ごすに足るサラリーを貰っている現状の維持で十分で,せいぜい資産金持ちを目指すぐらいが関の山なのである。従って,中年以上でひとりものの高給金持ち,という存在はかなり稀有な部類と言える。たまーにそういう人間がいるらしいが,バツイチでもなく,清廉潔白な仕事を持つその手の人間が何を考えて日々過ごしているのか,私は大変興味がある。ぜひインタビューなどしてみたい。
 で,何が言いたいかというと,対した趣味のない,そしてこの先ひとりものを脱却する予定もない中年人間にとっては,資産金持ちを目指す,という生き方もそれ程悪くないのではないか,ということなのである。家を持つもよし,株を買うのもよし,芸術に走るもよし,現金を眺めるのもよし,何か自分なりの目標を持って生きることは絶対に必要なことであり,ついでに将来自分を身を守る手段としても,資産を増やすということは,人並みの老後を送ろうとするひとりものにとって必修なのではないか,とね。ま,自己肯定って奴ですね。
 実際,資産金持ちを目指すといっても,この先の人生,そう順調に行くわけがないのだ。この先,ひとりものを脱却する見込みは少ないものの,年を取れば医療費もかさむだろうし,悪い奴に騙されることもあるだろうし,せいぜい終の棲家が得られるぐらいの資産が残ればいい方であろう。しかし,ベクトルの向く角度をぐっと90度に近いレベルに維持することで「張り」が違ってくるのだから,今のところ,最後は資産金持ち,というゴールを目指す方針を変更するつもりはないのである。