晴れたら昨日干しそびれた毛布を出そうと思っていたのに,秋の雨が朝からしとしと。今週は半ばには一年ぶりのお掃除の神が来訪される予定なので,布団類ぐらいは片づけておこうとしてたのに~。ま,天気に文句を言っても仕方がない。
衆議院選挙も半ばを過ぎて,各新聞社から情勢報告がされるようになってきた。ふーむ,大体予想通りだな。民主党にはもうちっと頑張って欲しいのだが。
昨日は自家用車で買い物に出かけた際に,ここ静岡三区から出馬している某前代議士の選挙カーとすれ違った。候補者本人が乗っていたようなので,手を振ったらちゃんと「ありがとうございます」と返事が返ってきた。でも彼には一票を入れることはないだろう。すまん。
確か彼は東大から大蔵省(現・財務省)の官僚になり,しばらく勤めてから立候補したんだったよな。嫌み抜きで思うが,全くエリートは大変だ。どうも世間の人は誤解しているようだが,イイ大学を出るってのは,「「機会」を与えられることが多くなる(かもしれない)」権利を貰えるだけであって,「無条件でイイ会社やイイ役所に勤められる」権利が与えられる訳ではないのである。
「どうせコネで引き上げて貰えるんだろう」って? ま,そういうことも多いだろう。んでもさ,エリートの「コネ」って,情状酌量onlyの甘いモンじゃなさそうよ。相手の能力や人間関係を鋭く斟酌しつつ,「こいつは面倒を見る甲斐がある」と判断されて初めて「コネが効く」のであって,一種の面接試験になっているのである。ペーパーテストよりきっついことじゃないの?これって。
ましてや議員だ。いくら二世が多いとはいえ,担ぐに足るだけの最低限の能力は見られる訳で,時間を守れなかったり,支援団体に頭を下げられなかったりという,まるっきりの馬鹿では支持者がそっぽを向いてしまう。選挙期間内は一日中選挙カーから怒声を発して支援を求めるだけの体力も必要だ。有力政党から公認をすんなり取り付けるためには政治力もなければならない。少なくともそーゆーレベルはクリアして初めて議員になれるのである。誰にでもなれるというモンではない。
それでもスキャンダルがあれば,あっという間に「ただの人」になってしまう職業。あんまりなりたいとも,お近づきになりたいとも思いませんなあ。わたしゃせいぜいWebでうだうだっている方が似合ってます。ええ。
Fedoraはまだ正式リリースにはなっていない模様。ま,リリースされたとしてもMirrorに伝わるにはまだまだ時間が必要だろうし,のんびり待つとしますか。GbEとHTの実験も初めにゃいかんし,忙しくなってくるなあ。
ふーん,ジブリが堀田善衛の作品とDVDを刊行ねぇ。「路上の人」って,確か「キリストは笑ったか」を探求する旅を続ける修道士と従者の話だったよな。なんか,淡々としているクセにみょーに考えさせるところの多い小説だった。「ちくま」に長期連載していた巻頭コラム集「天上大風」も楽しみに読んでいたな。堀田が亡くなってその後をなだ・いなだが襲った訳だが,泰然自若としていた堀田に比べると,「老人党」なんて立ち上げたりして,老けてからは随分とアクティブである。対極的な老人を持ってくるのが得意なのかしらん?>筑摩書房
既読の作品はともかく,NHK教育講座のDVDは興味がある。まだ価格未定だが,手が出せるようなら買ってしまいそうである。
11/2(日) 掛川・晴
まるで真夏のような気候。ただいま午後3時だが,Tシャツにトランクスという格好でちょうど良い気温である。天気図は昨日より「クジラの尾」型に太平洋高気圧が張り出したまま。さすがに秋なのでそれほど長続きはしないようだが,全く季節感覚が狂ってしまう。
谷根千の新刊が出たようである。そろそろ定期購読しても良いかな。来週は2回も東京行きなので,その時に買ってこよう。
だら日記+だらまんを読み続ける。うーん,前作と比べても「だらしな」からは遠ざかりつつあるなあ,と感じる。かくいう自分も自炊率が上がっており,同時にエンゲル係数も下がってしまって,生活は安定してきた。やはり,社会に出てあれこれもまれてストレスにさらされる二十台を越えて,ぼちぼち腹回りの脂肪だの自分の能力の限界だのと正面から向き合わざるを得なくなる三十路過ぎの人間は,生活の規律を取り戻すようになるのであるな,と実感する。
さて,干しておいた布団と毛布を取り込まなきゃ。そしたら職場に行って一仕事である。
11/1(土) 大阪->掛川・曇
Linux Conference 2003の会場からこれを書いている。まだまだ仕事の山は片づかず,おまけに査読まで舞い込む始末でどうしようもないが,鬱憤がたまる分は吐き出していかないと身が持たないので再開する。講演はどうだったかって? ま,それなりに(以下略)。
GigabyteのGA-8IPE1000Pro2を購入し,Redhat9をインストールしてみる。なるほど,HTが効いてSMPマシンとして認識されているのは確認できた。しかし,予想通り肝心のCSA直結GbEは認識せず。再チャレンジすることになる。
Googleでサーチしてみたら,同じ悩みを見つける。おお,タワリーシチ!と思うも,何の解決策にもならない。このあたりが,Linuxの弱点でもあり,ビジネス展開の強みでもある。「メーカーサポートがないと使い物になりませんよー」という売り文句に使えるからだ。で,銭のない庶民は自力で頑張って何とかするしかない。がんばんべー。
ということで,Redhat10になるはずだったFedora Coreを試してみると,あっさりGbEを認識する。ちゃんとドライバも新しくなっていたようである。注文していたTurboLinuxでもばっちりでした。
と,ばたばたやっているうちにIntelがCPUを値下げ(PC Watch)。おおっ,これを,これを待っていたのである。もっと下がらないかなあ,るん。
産業界への貢献度で大学格付け(朝日新聞)。ネタ元は三菱総研のこれかな?
こーゆーものが出るとまず真っ先に感情的な反論が出てくるが,それを通り越して冷静に見てみると,良いことが書いてある。評価基準に対する疑義も隠さず述べている点は素直に偉い!と認めざるを得ない。
今回は対象分野と大学を絞っているので,あくまで試行段階ってことらしいが,いずれは全大学全学部に対して行われるのだろう。これは経産省の価値基準だが,文科省の基準とは当然ベクトルが違っている部分がある筈で,そのうちバトルでも勃発しないか(もうしているか?)という期待もある。
まあしかし,この手の評価ってのは研究者個人の生き方の問題とはあまり関係がない。業績ゼロでは困るが,ある程度以上の仕事ができるように自分の嗜好や流行と折り合って生きていかねばならないのだから,一時的な評価で一喜一憂するよりも,自分の人生を豊かにするための方向を常に見定めて行けばよいのではないかな。ありきたりの結論だが,ま,そーゆーもんです。
何かに対して,深く静かに絶望しているってことは,オトナになるとよくある。しかし,腹黒くなっているから,それを口に出して言ったりはしない。ましてそれが日常的につき合いのある人間に対してだったらなおさらである。適度にあしらいつつ,やり過ごすのが正しいあり方。最もそれは自分に対してもそうされている可能性だってあるわけだ。
問題はそれを感じ取るセンサーがあるかどうか。感じ取ったからといって具体的に改善が出来るかどうかは不明だが,少なくとも精神的に,その事実に傷ついたり開き直ったりすることは出来る。それがなければお互い永遠にすれ違うだけである。離反するのも人生かな。
何か,今日の日記はオヤジ臭いを通り越して老人臭が漂ってきそうな内容。自分に対して言っているので,他の人は気にしないように。
うーむ,Producer 2003かあ。サンプルも見られる。こうやってビデオとPowerPoint資料をくっつける訳ね。納得。来年度,DVCを買ったら,BNCpack/MPIBNCpackの宣伝用に試してみよっと。
祝,だらしな日記2発売。だらしな村もリニューアル。めでたい。これから新大阪に向かうので,通りすがりに見かけたら買って帰ろう。んでは,とりあえずこのへんで。
で,帰って参りました。「やっぱりだらしな日記+だらしなマンション購入記」は,新大阪駅構内のブックストア談(検索して初めて文教堂グループであることが判ってびっくり)にて無事購入。しかしさー,書店内に在庫検索端末があって「だらしな」を検索しても出てこなかったぜ? なんで? ま,買えたのでよしとしよう。帰りの新幹線でずーっと読みふけっていました。んが,あの分厚さで上下2段組だから,「だらマン」部分しか読めませんでした。全部読んだらいずれレビューします。
10/20(月) 掛川・晴
論文だのTutorialだの書類だのLC2003の資料だの父母懇談会だのと,これから10日間はとんでもないことになりそうなので,一息つくまでここの更新を休みます。ふぅ。しんど。
はったらっくおっじさん,はったらくおっじさん・・・。
菅谷明子「未来を作る図書館 -ニューヨークからの報告-」岩波新書
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-00-430837-2, \700
前著「メディア・リテラシー」に続いての第二弾。New York Public Libraryの先進的機能の紹介に留まらず,図書館関係者や実際の利用者へのインタビューがふんだんに盛り込まれており,近年の不況によって財政的に苦しい(Public LibraryではあるがNPO法人)という実情もちゃんと報告してある辺り,何事も過不足なく調査する著者の誠実さが際立つ。
利用者の望む「本」を無料で貸し出すだけではなく,利用者の望む「情報」を,書籍やThe Internetを介して提供する,という先進的機能は,日本でも浦安市立図書館が実践していることで知られつつあるが,まだまだ全国の行政の認識は甘く,経験を積んだ司書も足りない現状では,そう簡単に普及するとは思えない。しかし,本書で示された「知のインフラ」としての機能は,間違いなくこれから必須のものとなるだろう。
The Internetが飽和状態にある今,Googleを検索すれば望みのものは何でも見つかる,という夢物語は胡散霧消し,無数の二次的情報の中から信頼のおける数少ない「情報」を求めるリテラシーが求められるようになった。そして,結局,未だに信頼の置ける情報源は,人間である著者が情報をまとめ上げ,人間である編集者が意見を述べて改良した「紙の本」であることが多い。そしてまた,あまたの本から,利用者の望む情報をすくい上げる手助けは,人間である司書に頼る他ないのである。
図書館よ永遠なれ,と,本書読了後には願わずにはいられない。ああ,著者のマジメさに引きずられて,わしの文までマジメになってしまった。