木尾士目「Spotted Flower 1巻」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-72066-0, \550

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 新婚三年目ともなれば,お互いヤルことヤリ尽くしているから,そりゃぁまぁヤリたくないのも分からなくはないけど・・・頭では理解できてもやっぱりしてほしいときはある訳で,「立たない」って一言で済む話じゃないと思うんだけどなぁ。どこの夫婦もそんなもんなのかしら?

 昔は「大人マンガ」というジャンルがあって,長谷川町子先生みたいにピューリタン的なユーモア漫画だけを描く人は少数派,何だかんだ言っても中年以上の昭和の男ども向けに艶笑漫画を生産していたみたい。手塚治虫も一時はその手の漫画を描いていて,西洋ジョークのように洗練されてはいたけれど,下世話なものという以上のものではなかったような。男どもはその手の漫画を,対して喜びはしてなかったとは思うけど,週刊誌や夕刊紙で目にする機会は多かったんじゃないのかな。
 対して女性向けの艶笑漫画ってのは基本的に皆無で,レディースが隆盛になった1980年台以降,言い方は悪いけど,私たちがおぼこい少女時代に読んでいた少女漫画家が流行から遅れ出して嫁姑モノとか,熟年夫婦の葛藤を主婦側から描いたものを書き出したのが最初じゃないかと思う。もちろん,今に続く下世話な女性週刊誌の伝統ってのものはあったけど,良妻賢母をかなぐり捨ててあからさまに女性の欲望を満足させるような記事が増えてきたのも大体同時期ぐらいじゃないのかなぁ。その辺よく分からないけど,やおい・・・じゃ分からないか,今のBLの源流にあたる漫画が隆盛になったのも,1976年の「風と木の詩」以降だから,そのあたりの流れともかぶるのかなぁと思う。ともかく,男の慰み者でしかなかった「エロ表現」が女性にも開放されてきたってのは1980年以降ということでいいみたいね。
 でまぁ,解放されたのはいいとして,反動が来ちゃったのかしら? 男どもがちっとも手出ししてくれなくなっちゃいました。「シテシテ女」って意味で普通に性欲がある女性を肉食系とかいうけど冗談じゃない! 手を出すのは男が先でしょう! 何よ草食系って? だらしなくなっただけじゃない! 今じゃコンドーム会社の調査おかげで,日本はセックスレス大国として世界に知れ渡るようになっちゃって,私ら日本の女性は世界から同情される存在になっちゃったわけ。経済的に破たんしちゃったギリシアがあんなにヤリまくっているってのは,つまり他に楽しみがないせいなのかしらとか言いたくなっちゃうけど,それなら北朝鮮の方がよっぽど娯楽が限られる分,お楽しみがそれしかない!状態なんじゃないかと想像・・・どうなのかしらね。

 御多分に漏れず,ウチの旦那も世間並,いやそれ以下かな?・・・同類相哀れむつもりなのか,「げんしけん」でメジャーになった木尾士目のこんな漫画を買ってきちゃいました。まぁオタクなのは知ってたけど,ここまで自虐的な性格とは思わなかったなぁ。ハラボテ状態の妻に全く手出しできなくなった夫(ウチの旦那より大分若いけどその分可哀想)の「ヤル気」をあの手の手で引き出そうとするけなげな妻が主人公の漫画です。全編そればっかってのが凄いよね。「やる気まんまん」と真逆だけど方向のブレなさ加減は同じ同じ。それじゃ妻がヤリマンなのかっていうとそんなことは全然なくて,単純に「寂しい」のよ。これから初の出産を控えて不安なことが多いってのに,肝心の旦那が寄り添ってくれるのかどうか,それを確認したいだけなのに全然相手してくれなくて不安になってる。ギャグっぽいシチュエーションだけど,可憐な切なさが漂っていて,その辺が昔の下世話で絵がヘタクソだった大人マンガとは全く違うわね。いつもの木尾士目よりも掲載媒体が「楽園」という少女漫画ベースのムックだから,特に最初の頃はお目目キラキラ,線も細くて気合入っているなぁと思いました。

 ということで,一話10ページ程度の短編をまとめたこの漫画,うちの宿六はずいぶんお気に入りのようだけど,妻への感情移入がイマイチなようなので,あえてコメントしてみました。漫画一冊で我が家のコミュニケーションが円滑になるもんじゃありませんが,エロの究極にある夫婦の性生活,特にそこにおけるディスコミュニケーションを活写した作品ってのは貴重だなぁ・・・と,ウチの宿六はまるで他人事のように語っているのが腹立たしい妻なのでした。

[注] 本文面に関しては今後一切のコメントを拒否するものであります。

御手洗直子「31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる」新書館

[ Amazon ] ISBN 978-4-403-671272, \850(+税)
[ Kindle ] ISBN 978-4-403-671272, \595(税込)

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 本書は2012年10月下旬に発売されたコミックエッセイなので,すでに新刊書店からは消えている。近頃はだいぶKindle本が増えてきたが,どうやら売れ行きが止まった旧書から電子化しているようで,本書も今はKindle本として購入することができる。ワシは書籍版より300円ほど安くなった後者を購入して読んだのだが,この度,神さんより「妙齢(便利な言葉だ)の友達向けにお勧めの婚活(マニュアル)本はないか?」と問われて本書を思い出し,Amazon経由で書籍版を取り寄せて神さんのお友達にプレゼントすることになったのである。・・・怒られたりして。

 本書はどうもタイトルと出版社(ゆるいBL本出版が多いところ)から誤解されやすい面があるが,きわめて真っ当なネット婚活本であり,特に同世代の女性にとってはお役に立つ情報が分かりやすく述べられているのだ。確かに著者はオタクなBLマンガ家であるが,商業作家として荒稼ぎしているわけではないようだし,ファッションセンスが優れている超美人では決してないようだし(円山応挙の幽霊画に似ているそーな・・・そこそこ美人かな?),つまり普通に過ごしている三十路前後のスタンダードな女性なのである。その普通の女性がダラダラ付き合っていた彼氏に振られたことを切っ掛けに普通にネット婚活(サイト名は不明)を始めたところ,大変なこと(後述)になったものの,まぁ何とか当初の目論見通り1年で相手を見つけて入籍に漕ぎ着けた,というところはかなり多くのアラサー女性には参考になるところが多いと,ネット婚活経験者のワシも神さんも判断しているのである。

 どの辺が参考になるかというと,次の3点だ。

  1. ネット婚活は期限を区切って短期決戦で臨むべし。
  2. アラサー女性には大量の男性からのお誘いメールが押し寄せることを覚悟すべし。
  3. 高収入の売れ残り男性は何らかの問題を抱えていることを認識すべし。

 1については婚活に限らない話で,目的がはっきりしているなら,まず期限を区切って全力を賭けろということである。婚活の場合,いい相手と出会うには,メールだけでは分からない情報を引き出すべく,沢山の相手と直接会って言葉を交わす必要がある訳だが,いい歳の男女が落ち着いて話すならレストランか喫茶店が普通であり,さらにディープな話をしたければちょっとアルコールを交える居酒屋なりなんなり,ともかくショバ代を払う必要のある場所が不可欠だ。会うなら多少なりとも身なりに気を使う必要もあるし,とにかくコストがかかる。気合を入れて活動するなら短期決戦でドカンと金をつぎ込むことを覚悟せよということが,本書を読むとよく分かるのである。

 2については,メールを送る側(貰うこともあるが,かなり少ない)である男性には気が付かないポイントだ。つまり,ネット婚活の際のオファーのやり取りは圧倒的に「男性から女性」が多くなる。どっかの掲示板では「男は狩人」と形容していた女性がいたが,まさしく女性側は狩られる側,つまり獲物なのである。著者の場合,300通ものメールがサイト登録直後から押し寄せてきたということであるが,うちの相当妙齢(ホントに便利な言葉だ)な神さんですら,大量にメールが来たそうなので,サンプル数2なれど,それが普通の状態であることを覚悟すべきなのであろう。最初はメールの到着を喜んでいた著者であるが,大量処理のためにさっさと男どもを割り切っていくところなぞ,さもありなん,という気がする。しかしこの過程を経ることで,自分が意識していなかった「男性の好み」が分かってくるのだから,何事も経験しておくに越したことはないのである。

 3については,具体例については本書を読んでご確認下さい,ということに尽きる。非情なことであるが,「性格の良さを取るか,金をとるか」の選択が待っているということは覚悟しておくべき,ということが本書を通じて学ぶことができるであろう。これも「自分が結婚に対して何を求めているのか?」ということを考えさせられる良い経験に繋がってくるのであるから,婚活とは結局,「容姿」「性格」「収入」の3要素の「最適解」を探索する自分探し,ということになるのである。

 「BLマンガ家」にしてはシャープかつシンプルな画風で,とても読みやすい。時系列でその都度その都度著者が出会った・考えたことがまとめられているので読破するのに時間は要しないところもGoodだ。しかし何より一番感心したのは著者の確固とした「男選びの軸」である。「他人に敬意を払えない人とか」は「私すっごい嫌いなんです」(P.98)と,きっぱりした信念があってこそ,1年でbestではないかもしれないがbetterな出会いが実現できたのであるから,結局のところ,本書から得られる一番の教訓は,「一番嫌なところは断固拒否する」ということなのである。

 つーことで,ちょっと古いがKindleでも読める本書は,アラサー女性向けのスタンダードな婚活マニュアル本としてお勧めする次第である。

犬上すくね「アパルトめいと 1巻」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71059-2, \648

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 幸せなエロを描かせたら田中ユタカか犬上すくねの右に出る者はそうそうおるまい,とワシは断言しちゃうのである。で,年末から松の内ぐらいは愛情に満ち溢れた健全なるエロスに浸りたい,という方々に本書を推薦しておく次第である。著者の言葉を借りれば「こいつらセックスしかしていねぇ!」(おまけチラシより)カップルだけを描いたラブエロ漫画作品集なのである。ワシとしては少女漫画に慣れ親しんだ人なら犬上すくね,ちょろっと劇画テイストが入った方がいいなら田中ワタルをお勧めする。

 犬上の名前を初めて知ったのはコミティアのカタログ,ティアズマガジンだったと思う。ほどなく商業誌デビューを果たし,長く連載を持っていたようだが,ワシはあまり感心がなかった。複数あった長期連載を終え,短めの作品をあちこちのマイナー誌に描くようになってワシの視界に入るようになり,白泉社のエロ恋愛女性漫画ムック「楽園」に本作が載るようになってようやくじっくりお付き合いできるようになったのである。他にもほのぼの四コマ雑誌に載った作品なども読んだが,イマイチ読み続けるには弱いなぁと感じた。それは単純にエロの有り無しという以上に,読者の感情を引っ張り込む力がエロ込みの恋愛表現より弱いからではないかと考えている。

 表題作は,ビンボーなライター男を性欲のはけ口として使い倒そうとしているキャリアウーマンが主人公である。とはいえそこは犬上すくね,エロには愛情が付きまとい,両者を分離する困難さが物語の中心テーマとなっている。その辺りが純然たる少女漫画の系譜を継いでいるなぁと感じさせるのである。

 表題作以外にも二つの短編シリーズが収められているが,テーマ的には表題作と同じである。短いだけによりこの著者の持ち味が明確になるなぁと幸せな性欲に満たされる年末なのでありました。

松本あやか・エアーダイブ(編)「札幌乙女ごはん。」札幌商工会議所

[ 記事 ] ISBN 978-4-88193-019-9, \100

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 Amazonでは扱っていないようなので,とりあえず本書,というより本小冊子の紹介記事をリンクしておいた。一言で言うと,「札幌商工会議所推奨店」の宣伝漫画である・・・が,一つの失恋物語を通じてうまく五店舗を織り込んであって妙にギコチない漫画にはなっていないところに感心させられたのである。

 このたび京都精華大学の学長に就任する竹宮惠子は漫画を大学で教えるにあたり,どういう教材を使ってどのように学生の漫画力を高めていくか,ずいぶん悩み,奮闘したらしい。その漫画家育成教育の一環として,京都市内の商店・企業の宣伝漫画を描くというものがあって,ほほうPBL(Project Based Learning)だなぁと感心したことがあった。出来上がったものがどんなものかはよく知らないが,クライアントの言うことを聞きすぎてもストーリーがスムーズに進まないし,自己表現の極みを尽くしちゃうと二度とクライアントが依頼してこなくなる可能性がある。なかなか難しいテーマに挑戦させるんだなぁと思ったものである。

 本作はプロとして活躍する著者が描いているだけあって,16頁の失恋グルメ漫画としては随分と出来が良い。キャラのハッキリした若い社会人の女性3人組が魅力的で,この調子で続編もシリーズ化してくれると面白いだろうなぁと期待してしまう。商業漫画としての及第点を目指すには基本となるキャラ設定とストーリー展開をキッチリ決めることが必要なんだなぁということを示した本冊子は漫画化教育の良いお手本となるであろう。

児美川孝一郎「キャリア教育のウソ」ちくまプリマー新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-480-68899-6, \819

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 社会人になる一歩手前の学生,高校生,専門学校生,大学生は誰しも一抹の不安を持つものだし,それは学校制度が整っていない時代にあっても若年者が社会制度に組み込まれる直前は「やってやるぞ!」という気負いと「大丈夫かな・・・?」という不安を同時に抱えていたに違いないのである。

 自分が大学を卒業する時,大学院を修了する時を振り返っても不安だらけであった。大学を優秀な成績で卒業したのならともかく,何とかギリギリ卒業に必要な単位を揃えた上に,大学院は格下の所を出たわけで,研究生活自体はやりたい放題やって充実はしていたものの,そこを通じて社会的に通用のするスキルを身に着け得たのかと言われると全く自信はない。今から思えば,若年者のスキルとは「未知のことを学習してスキルを習得する能力」なのであって,知識そのものではないのである。大体経験値ゼロの人間の身に着けたスキルなんてのはたかが知れていて,社会が期待するのはその後の「伸びしろ」なのである。日本社会が学歴より「学校歴」,つまり偏差値の高い学校を卒業した若者を重要視するのはそのためである。もちろん「学校歴が高いだけの役立たず」は存在するが,そういう人間の割合,即ち「不良率」は統計的に偏差値と高い相関関係を持つというのは厳然たる事実だろう。その意味ではワシも含めた若年者の不安というのは,迎える側の社会の諸先輩方が我々に対して持つ不安,即ち「自分らの仲間としてちゃんとやってくれるのか?」ということと同じなのである。

 不安なのはお互い様という中で,若年者の方が社会に踏み出すための足場を掴むための教育が「キャリア教育」と呼ばれるものである。著者はそれを専門としている研究者であると同時に,社会的な先輩として実際に若年者に相対する教育者でもある。本書はその両面の経験を踏まえて不安を抱える若者に,宣伝文句としての建前の背景にある「キャリア教育の限界」を優しい言葉で語りかけてくれる良書である。従ってタイトルは「キャリア教育(の背景にある世の常識を知らない若者にとっては)ウソ」ということになろう。つーか,キャリアに限らず「教育」というものが,それさえ受ければ素晴らしい人間になれると確実視できる代物ではないという常識を知らずにただ学んでいる若者にとっては,教育というものの「宣伝文句」そのものがウソ,ということになるのかもしれない。教育の一番の効果は「学ぶ姿勢」「学びを通じて会得する学習スキル」であって,知識そのものではない,ということはもう少し広く人口に膾炙していい事実であり,そうなれば「キャリア教育のウソ」なんてタイトルは不要だったろう。

 本書全体を通じて「いくらなんでもそのキャリア教育に対する宣伝文句は言い過ぎだろう」ということを中高生でも分かるように縷々説明しているが,ワシが一番胸に応えたのは,いわゆる「低レベル高校」におけるエピソードだ。詳細は書いていないので雰囲気しかわからないのだが,熱心な教員達が,純真な高校生をキャリア教育の煽り文句で煽った結果,自分のできることを超えた希望を持ったまま「夢追い人」としてフリーターになっていく卒業生が続出した,というものである。これはワシ自身にも覚えがあって,自分の能力に見合わない希望を持ったまま就職活動に突入し,次々にお祈りメールを貰って挫折する,というのは大学生でも高校生でも大差ないのである。結局,現在の日本の教育全体が個人の希望を煽るだけ煽り,憎まれ役となる適切な評価機関としての役割を果たしていないことが問題なのである。

 本書の存在意義を一言でまとめると,そのような歪を「キャリア教育」という断面から照射しているところにある。キャリア教育を担う一教員として,そして,かつては自身の希望と能力とのマッチングに悩んだ経験者として,ワシは当たり前のことを分かりやすい言葉で解説した本書を全ての若者とキャリア教育の実践者に読んで頂きたいと思っているのである。