木野咲カズラ(漫画)・徒然花(原作)・萩原凛(キャラクター原案)「誰かこの状況を説明してください!〜契約から始まるウェディング〜1」「同2」フロンティアワークス

「誰かこの状況を説明してください!〜契約から始まるウェディング〜1」「同2」

[kindle] 「誰かこの状況を説明してください!〜契約から始まるウェディング〜1
[kindle] 「同2

 本作はRenta!のTwitter広告で見かけたのがキッカケで読んでみたものである。なんでRenta!のリンクじゃなくてKindleなのかというと,サービスの継続性や専用アプリの使い勝手からして,前者より後者の方が断然高いので,他の電子書籍サービスで見かけたコンテンツも全部Kindle経由で購入することにしている。正直言って,日本国内限定の電子書籍サービス,ワシは一切信用していない。泡沫ローカル電子書籍サービスなんてシャボン玉,屋根まで飛ばずに遠からず消え去るに決まっているのである。

 それはともかく,本作は久々に一気読みしたラノベのコミカライズ作品で,こういう体験をしたのは「キャンディ・キャンディ」や「なんて素敵にジャパネスク」以来なのである。「契約ウェディング? ふ〜ん,ありきたりのハッピーエンド作品かな」と舐めてかかってKindleの1巻を読んだらドハマリし,読了後即座に2巻をクリック一発で購入してしまったのである。原作は8巻まであるので,今後もコミカライズ版は出るものと期待しているが,途中で止めやがったら承知しねぇぞ。ワシは真正の漫画読み体質なので,先に上げた2作品のごとく,最初に漫画から入った作品はあくまで漫画で読み続けたいのである。

 近年のワシのラノベ感は「侮るべからず・恐るべし」なのである。才能ある若者が殺到しているということもさることながら,ゲームやアニメ,YouTube・ニコ動など,ネットを通じて自在に膨大なコンテンツに触れられる時代になって久しい昨今,デジタルネイティブ世代のコンテンツ作成能力の高さは恐るべき物があると感じている。本作の原作者については,ワシは全く馴染みがないのだが,本作の主人公・ヴィオラのキャラ設定をキッチリ構築したということだけでも尊敬に値する。それを優れた漫画描写能力でコミカライズした木野咲カズラの力量が相まって,Renta!がTwitter社に大枚払って一押しする作品になったのだと思われる。

 ヴィオラは,領民思い故にキツキツ生活をしている貧乏伯爵家の娘である。不作の穴埋めをすべくこしらえた実家の借金をチャラにしてもらう代わりに,由緒正しき金満公爵家の跡取りであるサーシスの名目上の妻となることをあっさり承諾してしまう。サーシスには溺愛する元踊り子の豊満年増愛人がおり,別宅で二人きりのアバンチュールを楽しむ日々。身分差故に愛人とは正式な結婚ができないため,サーシスの両親をはじめとする世間体を維持するだけの妻として公爵家の本宅に迎え入れられたのである。
 そこで意気消沈するかと思えば,ゴージャスな生活ぶりに驚きはするものの,恋愛体質ではない良妻賢母なヴィオラは一人きりの生活を,多くの使用人たちと存分に楽しむモードに入る。きっぱりと割り切って,金満体質で人間味のない公爵屋敷の生活をエンジョイしようと張り切るのだ。食べ切れないほどの美食をサーブするのを辞め一人で食事するには十分な量に留めさせる,家具調度類を品の良いものに変える,室内を自宅庭園で育てた花で装飾する・・・等々,旦那が居ないが故に心地よい空間に,どこか冷たかった屋敷を構造改革してしまうのである。当然,多数の使用人の受けは最高に良く,形式妻とは知らないサーシスの両親にはベタ惚れされ,愛人ベッタリの旦那は屋敷内の人間関係に不案内であることをヴィオラに叱責される始末である。結果として,徐々に愛人よりもこの良妻賢母で精神的にタフな形式的な妻の方にサーシスは傾いていくというストーリーである。

 何が驚いたかといって,この令和の時代に「良妻賢母」の持つ抗いがたい魅力を描いていることである。専業主婦としてひたすら家のために尽くす,そのためには使用人とのコミュニケーションを密にして,システマティックな屋敷運営体制を構築したその手腕と人間的魅力に,お坊ちゃんは遅まきながら気が付くという辺り,恋愛至上主義で結婚した結果,家事にも疎く,外でろくすっぽ稼ぐこともできない相手であることに気が付いた結果の若気の至り離婚なんて事例は履いて捨てるほどある。本作の場合は愛人との別離ということになるが,これを描いている所がなんともリアルで面白いのである。全く,近年のラノベ恐るべし。それを流麗な絵とマンガ構成でコミカライズする近年の若手漫画家の力量たるや,全くオッサンとしては嘆息する他ないのである。

 一つ訂正しておくと,コミカライズされた2巻においてはヴィオラは良妻ではあるが「賢母」にはなっていない。愛人が去った後,ようやく形式的に生活を共にする夫婦になったところで終わっている。つまり,サーシスはぞっこんになりつあるが,ヴィオラは恋愛感情の高まりがまるでないところからのスタートラインに立っただけなのである。原作は既に完結しているらしいが,ワシは生粋のマンガ読みなので,先刻宣言した通り,コミカライズ版の完結の方を待つことにする。始まったばかりの愛情ギャップのある夫婦の物語の今後の展開が楽しみで仕方がない今日この頃なのである。

藤生「えりちゃんちはふつう」白泉社

藤生「えりちゃんちはふつう」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71152-0, \830+TAX

 齢50のオヤジにもヒリついた感情を引き起こすエッセイマンガだ。タイトルからして人をイラつかせるところがある。「ふつう」って何だよそれ? 良くも悪くも金持ちでも貧乏でもないと言いたいのか? ・・・まずは読んで頂き,どう感じたかを皆様からお伺いしたいという欲求を抑えられないワシなのである。

 エッセイマンガの読み方は難しい。ワシは「ふつう」に,エッセイマンガの主人公を著者の投影として解釈するが,果たしてそれでいいのかどうか。本書の場合,幼い頃の思い出を描いた後,実態は違っていたというネタバレが含まれていたりするから用心しなくてはならない。そのネタバレ直後に著者は

「えりちゃんちはふつう」は実際にあったエピソードを元に構成したフィクションです

藤生「えりちゃんちはふつう」P.34より

とお断りを入れているのである。しかしワシはどうしても,著者の藤生と本書の主人公である「えりちゃん」を切り離すことができないのである。それは,本書に収められている20本の短い「フィクション」から,この上ないリアルな感情の揺さぶりが与えられるからである。

 「えりちゃんち」は,三人兄弟故なのか,ケーキは特別な日しか買ってもらえないという程度にちょっと貧乏である。父親は成績が悪いと手が出る程度に乱暴で,母親は兄弟の真ん中である「えりちゃん」への愛情が今ひとつ薄い。なるほど確かに,どこの家庭にもある多少の歪みを抱えた「ふつう」ではある。あるけれど,自己主張が不得手で内向的な「えりちゃん」には少々辛いことが日常的に降ってくるのである。曰く,何でもいいと言われて買ってきたラーメンに文句を言われる。曰く,自分だけ幼稚園での送別会をやってもらえない。曰く,全く母親から期待されなかった高校に合格した結果,同級生から八つ当たりされる。・・・等々,日本の義務教育における女子共同体のメンドクサさに起因するヒリついたエピソードが,ワシみたいなオヤジにもいちいち響いてくるのである。マンガである以上,脚色はあるだろうが,とても単なるフィクションとは思えず,故に「えりちゃん」の健気さは,(お会いしたことはないので勝手に想像した結果の)腺病質な藤生に通じるモノがあると結論付けざるを得ないのである。

 藤生の絵はセンスあふれる白くて細い描線で構成されている。「えりちゃん」も,不登校気味だった中学生時代から同人活動に目覚め,ハブられるだけだった学校とは別の同人コミュニティの元で人生を歩み出していくのだが,同時に,ヒリついた学校生活を突き放して観察する視点とテクニックを得た訳である。BL由来の繊細なキャラクター描写は,空白の美の中のなかで起きる感情の爆発や達観を的確に表現するに相応しいものになっているのである。

 本書を編むのに要した6年間,「楽園」を一人で背負うI田編集長は藤生,いや「えりちゃん」に「なんでもいいからとにかく描け」と言う。そして描いたものは「なんでもいい」日常的ではあるが,ヒリついた感情を惹起させる物語であった。これからも編集長は末永く「描け」と,藤生じゃない「えりちゃん」に命じて頂き,ワシらに「えりちゃん」の何でもなくない「ふつう」な出来事をマンガで与えていただきたいと念願しているのである。

 

R. T. Kneusel, “Numbers and Computers”, Springer

R. T. Kneusel, “Numbers and Computers”, Springer

[ Amazon ] ISBN 978-3319505077, \8000ぐらい?

 「多倍長数値計算(仮)」という本を刊行すべく原稿は何とか仕上げたものの,果たしていつ頃完成するのかは全然見通せない今日この頃,いつになったら版下ができるんでしょうか? ・・・ま,予定より1年以上完成が遅れたワシには急かす権利はありませんな。

(追記: 今年秋頃に出るそうです。ワシがサボらなければ。Mさん,慌てさせてすいません。)

 つーことで,いわゆる多倍長計算,GNU MPとかMPFRとかQDとかで,どういうC/C++プログラムを書いたら長い桁数で計算がすいすいできるようになるのかなぁ~という方への(刊行予定の立たない立った)入門書を書いたわけだが,そーゆー本が,この世にないわけではない。日本より何十倍も読者がいる英語の本ならありそうなもんだが,これが案外ない。もちろんこの分野の専門家の書いた”Modern Computer Arithmetic” (by R.P. Brent & P. Zimmermann)とか,”Handbook of Floating-point Arithmetic” (by Muller, et. al.)なんてのがあるんだが,これはゴリゴリの専門書であって「入門書」ではないのである。

 「入門書」とは何か? それは敷居を極力低くした,底の浅い記述に満ち溢れたお手軽な本のことである。「LAPACK使う必要があるんだけど,ググったら大量の解説ページやマニュアルが出てきてゲンナリ」という向きに,お手軽な「とっかかり」を提供すること,そのためには分厚さで圧倒してはならず,古老の如きウンチクを傾けてはならず,記述は簡潔にしたペラペラな本が望ましい・・・という自虐はこの辺にしておくけど,必要以上に厚くする必要はない,つか,「ほんとにその分厚さ必要なの?」というプログラミング書籍が多くてちょっとゲンナリしているのは確かなのである。「敷居を低く,底は浅く」書く,その上で「ストーリー」があれば言うことなし。入門書との相性は,著者が提供するこの「ストーリー」と波長が合うかどうか,そこに尽きるとワシは確信しているのである。

 「ストーリー」とは何か? それはその入門書の目的を完遂するための「流れ」と言い換えることができる。本書の場合,「数とコンピュータ」というタイトルが物語る通り,整数,有理数,浮動小数点数,固定小数点数,区間演算(Pythonによる実装とMPFIの解説がある)などなど,「コンピュータ上で数をどのように取り扱うか?」ということを理解させるべく,その本質的な記述を心掛けつつ,短く適切なプログラム例を織り込んでおり,プログラミングを通じて目的を完遂しようというストーリーがあるのだ。

 これ,ワシにとっては理想的なストーリーなんである。で,ワシもそれに従って・・・といきたいところだが,いかんせん教養がなく,仕方がないので自分なりに持っているノウハウの引き出しをぶちまけた「GNU MP, MPFR, QDプログラミング入門書」になってしまったのは致し方ないところ。それなりにストーリーを作ったつもりであったが,どーもワシの悪癖である「書いてあるからプログラム読めば?」というところが随所に出てしまってかなり解説が舌足らずになってしまっている。・・・という反省ができるのも,先達である本書が優れたストーリーを見せてくれたからである。

 まさに「先達はあらまほしき」なのである。まぁバリバリプログラミングしたい向きにはちと物足りないところはあれど,現代的に「数」の扱いはどうなっているのか,俯瞰的に知りたい向きには程が良い「入門書」と言えるのである。

映画「スターリンの葬送狂騒曲」(原題:The death of Stalin)

Blu-ray, The death of Stalin

[ Amazon ] \2500 + TAX

 いやいや予想外に面白かった。予告編で見た時にはちょっとふざけたテイストで,正直三谷監督作品「清須会議」並みの凡作を予想していたのだが,いやいやどうしてどうして。シビアな政治闘争と苛烈な情報統制・集団指導体制のもろさをシリアスに演出することで,ブラックユーモア的な戯画を作り上げることに成功した佳作である。10連休という史上最も政治的な意図で弛緩しまくった日本の一般家庭に息つく暇を与えぬ豊かな時間を与えてくれた本作に献杯すべく,ぷちめることにしたという次第である。

 古来,「集団指導体制」というものぐらい脆弱かつ笑える政治装置はない。その渦中に入ってしまい,権力闘争に巻き込まれた当事者にとっては悲劇であろうが,遠目で眺めていられる部外者にとってはこの上ない「喜劇」だ。安定しているようでいて,複数メンバーの力の作用反作用によって辛うじてバランスを保っている状態は積み木細工に例えられる。疑心暗鬼の末にバランスがいったん崩れると,崩れきるまで闘争が続くことになる。日本の歴史で言えば,鎌倉幕府初期,源氏の将軍三代から北条氏の執権政治体制に移行するまでは将軍家を巻き込んだ御家人の権力闘争に明け暮れ,まさにこのグラグラな積み木状態が続いていたと言える。嫉妬からくる讒言の果てに殺し合いに至る過程は竹宮惠子「吾妻鑑」でたっぷり堪能できるのでお勧めの歴史漫画である。

 ソビエト連邦の大祖国戦争,米国で言うところの太平洋戦争,日本でいうところの大東亜戦争を強引な恐怖政治と指導力で乗り切った独裁者・スターリンが突然死するところから本作の幕が開ける。スターリンの下で集団指導体制を形成してきた幹部の重しが突然崩れ,一応の後継となるマレンコフは単なる忠実なスターリンの部下でしかなく,当然,独裁的な決断などできるはずもない。となれば・・・ということで,赤い国の歴史に詳しい向きは当然結果は知っている訳であるが,刑事コロンボの例にもれず,犯人が分かっていても逮捕までの過程がスリリングでありさえすれば面白い作品になることは周知の事実。本作も,「マレンコフにいち早くすり寄って一番手にいたはずのあのデブがどうやって除かれちゃうのかしらん?」という下種的興味にキチンとした回答を与えてくれるのである。

 本作の原作はフランス戯曲だそうだが,イギリス人監督が仕切ってくれたおかげで,いわゆる日本凡作(そこそこ楽しめるから駄作とは言うまいよ)にありがちの「どうせ最後はホノボノ落ちか?」と感じさせる嫌な伏線は一切なく,「あのデブ」の末路が一番のクライマックス,怒涛の如く最高幹部会議が展開していくのである。筋書きは歴史に則っているけど,「あのデブ」の最期はヒトラーのそれだよなぁ・・・実際にはもっとスマートなやり方で排除されたのだと思うけど,その辺は限られた舞台俳優だけで物語が進むように「脚色」されている。権力者が自分の手を汚さずに物事を進めることは政治の常道・・・などと野暮なことは言うまい。テンポの悪さをホノボノで誤魔化す癖のある国産ドラマの安っぽさとは対極のシビアな舞台を作り出すことで,それを遠景で見る観客にブラックユーモアテイストを与えてくれる本作は,安直な国民的長期休暇に堕したワシら日本国民に活を入れてくれる傑作なのである。

[絵・文] 速水螺旋人・[文]津久田重吾「いまらさらですが ソ連邦」三才ブックス

[絵・文] 速水螺旋人・[文]津久田重吾「いまらさらですが ソ連邦」三才ブックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-86673-081-3, \1500+TAX

 年末から正月にかけての時間は貴重な読書タイムである。浮世の流行とは無関係に,今の自分の興味だけを追いかけることができる訳で,「ワシ以外の一体全体誰がこんな本を望んでいるんだろう・・・クスクス」などとうそぶきながら,極私的な至福の時間を過ごすことができるのである。そんな一冊がこの「いまさらですが ソ連邦 (ソビエト連邦の略称) 」で,ホント,タイトル通り,今更誰が消滅した,現ロシア連邦の上に乗っかっていた社会主義国家のことを知りたいと思うのか,本書を企画した三才ブックスの編集者の脳天をかち割って見てみたいものである。さらに恐ろしいことには,本書は販売直後に予想外に売れ,慌てて増刷したという,データサイエンスに基づくマーケティングの限界を知らしめた曰く付きのアイテムなのだ。その証拠に,ワシが入手できたのは2018年10月19日の第2刷である。全く,今の日本には変な人種が,少なくとも本書の発行部数程度に存在していると言うことを知らしめたのである。

 1945年5月にナチス・ドイツが降伏し,1991年にベルリンの壁が崩壊するまで,第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカとソビエト連邦は,睨み合いながらも直接武力を交えることなく,互いの同盟国と共に冷戦という競い合いを続けてきた。本書はその米ソ冷戦の一方の極であるソビエト連邦について,基礎的な地理や民族についての知識,ロシア革命からエリツィンに至るまでの歴史,軍事や庶民生活について,速水螺旋人の愛とユーモアに満ちたイラストと偏執狂的な細かい肉筆による文章と,津久井重吾の簡潔な解説によって余すところなく開陳している希有な入門書なのである。速水のぎっちり詰まった文章入りイラストを読みこなすのにえらく時間のかかる厄介さはあるものの,それ故に入れ込んでしまうワシのようなファンも結構いるようで,本書が予想外に売れたのはソ連への郷愁を感じる向きより速水ファンが多数存在していたせいだろう。

 速水のソ連のアンバランスな人工国家への思い入れっぷりは並ではなく,漫画作品,特に近作はモロに大祖国戦争(ソ連における第2次世界大戦に対する呼称)を題材に取った「靴ずれ戦記 魔女ワーシェンカの戦争」は当然として,官僚主義が蔓延る「大砲とスタンプ」も,ソ連の国家体制に詳しい速水ならではのギミックがいっぱい詰まっている秀作である。かようなフィクションのベースは,本書で開陳されているソ連に関する豊富な実知識であり,それ故に,シビアな現実を踏まえた骨太なストーリーを編むことができ,浮つかないユーモアを醸し出すことにも成功しているのである。

 基本,長続きしている国家体制は,外部者にはうかがい知れない生活習慣や社会システムが複雑に絡まって一定のバランスが取れているものである。かの北朝鮮ですら,中国,アメリカという2大国の対立という地政学的要因もさることながら,非道ではあるけれど強烈な思想的締め付けと,小国故に可能な,死なない程度に生きていける食料配布のシステムがあったればこそ,キム王朝が三代に渡って続いているのである。当然,冷戦の1極であったソ連は,資本主義に対するアンチテーゼとしてのマルクス主義と,ロシア独特の農奴制に対するアナーキズム的反発という激烈な社会要因があって構築された人工国家だけあって,理想主義的な行き過ぎはあっても,見果てぬ夢を追いかけ続けるという大義に殉じて果てるまでは続いたのであるから,ソ連側の言う「正論」には一定の説得力はあるに決まっている。本書はそのソ連の正論を,現在の視点から見て分かりやすく津久田の文章がまとめ,速水のイラストが醸し出すユーモアを交えた語りで示してくれる,時流を顧みない良書なのである。