[絵・文] 速水螺旋人・[文]津久田重吾「いまらさらですが ソ連邦」三才ブックス

[絵・文] 速水螺旋人・[文]津久田重吾「いまらさらですが ソ連邦」三才ブックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-86673-081-3, \1500+TAX

 年末から正月にかけての時間は貴重な読書タイムである。浮世の流行とは無関係に,今の自分の興味だけを追いかけることができる訳で,「ワシ以外の一体全体誰がこんな本を望んでいるんだろう・・・クスクス」などとうそぶきながら,極私的な至福の時間を過ごすことができるのである。そんな一冊がこの「いまさらですが ソ連邦 (ソビエト連邦の略称) 」で,ホント,タイトル通り,今更誰が消滅した,現ロシア連邦の上に乗っかっていた社会主義国家のことを知りたいと思うのか,本書を企画した三才ブックスの編集者の脳天をかち割って見てみたいものである。さらに恐ろしいことには,本書は販売直後に予想外に売れ,慌てて増刷したという,データサイエンスに基づくマーケティングの限界を知らしめた曰く付きのアイテムなのだ。その証拠に,ワシが入手できたのは2018年10月19日の第2刷である。全く,今の日本には変な人種が,少なくとも本書の発行部数程度に存在していると言うことを知らしめたのである。

 1945年5月にナチス・ドイツが降伏し,1991年にベルリンの壁が崩壊するまで,第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカとソビエト連邦は,睨み合いながらも直接武力を交えることなく,互いの同盟国と共に冷戦という競い合いを続けてきた。本書はその米ソ冷戦の一方の極であるソビエト連邦について,基礎的な地理や民族についての知識,ロシア革命からエリツィンに至るまでの歴史,軍事や庶民生活について,速水螺旋人の愛とユーモアに満ちたイラストと偏執狂的な細かい肉筆による文章と,津久井重吾の簡潔な解説によって余すところなく開陳している希有な入門書なのである。速水のぎっちり詰まった文章入りイラストを読みこなすのにえらく時間のかかる厄介さはあるものの,それ故に入れ込んでしまうワシのようなファンも結構いるようで,本書が予想外に売れたのはソ連への郷愁を感じる向きより速水ファンが多数存在していたせいだろう。

 速水のソ連のアンバランスな人工国家への思い入れっぷりは並ではなく,漫画作品,特に近作はモロに大祖国戦争(ソ連における第2次世界大戦に対する呼称)を題材に取った「靴ずれ戦記 魔女ワーシェンカの戦争」は当然として,官僚主義が蔓延る「大砲とスタンプ」も,ソ連の国家体制に詳しい速水ならではのギミックがいっぱい詰まっている秀作である。かようなフィクションのベースは,本書で開陳されているソ連に関する豊富な実知識であり,それ故に,シビアな現実を踏まえた骨太なストーリーを編むことができ,浮つかないユーモアを醸し出すことにも成功しているのである。

 基本,長続きしている国家体制は,外部者にはうかがい知れない生活習慣や社会システムが複雑に絡まって一定のバランスが取れているものである。かの北朝鮮ですら,中国,アメリカという2大国の対立という地政学的要因もさることながら,非道ではあるけれど強烈な思想的締め付けと,小国故に可能な,死なない程度に生きていける食料配布のシステムがあったればこそ,キム王朝が三代に渡って続いているのである。当然,冷戦の1極であったソ連は,資本主義に対するアンチテーゼとしてのマルクス主義と,ロシア独特の農奴制に対するアナーキズム的反発という激烈な社会要因があって構築された人工国家だけあって,理想主義的な行き過ぎはあっても,見果てぬ夢を追いかけ続けるという大義に殉じて果てるまでは続いたのであるから,ソ連側の言う「正論」には一定の説得力はあるに決まっている。本書はそのソ連の正論を,現在の視点から見て分かりやすく津久田の文章がまとめ,速水のイラストが醸し出すユーモアを交えた語りで示してくれる,時流を顧みない良書なのである。

澤江ポンプ「パンダ探偵社」リイド社

澤江ポンプ「パンダ通信社」リイド社

[ Amazon ] ISBN 978-4-8458-6007-4, \670+TAX

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 2019年冒頭のぷちめれに相応しい一冊をご紹介したい。内容的には,手塚治虫の「きりひと賛歌」とつげ義春の「鳥男」をミックスしたような動物変化SFモノかと思い,ネットで見かけた第1話を読んでその意を強くしたのだが,今回,第5話まで収録した単行本を読んでみたら大分印象が変わったのである。もちろん,作者が意識したかどうかは不明なれど,本作の世界観は過去の大家の秀作に共通したものがあるが,現代社会を覆う閉塞感の中に清涼なユーモアをまぶしたファンタジー的ミステリー作品なのである。白さを生かしたセンスの良い画風は女性マンガを思わせる品の良さがあり,現代日本マンガがいかに高い峰を築いているか,世界に向けて印籠のように振りかざすに相応しい作品と言えるのである。

 リイド社といえば「さいとうたかを」抜きでは語れない。つーか,ゴルゴさいとうを支えるための会社であったものが,大御所の引退後を見据えたのか,単に経営陣がトチ狂ったのか,伝統的劇画路線とは真逆のマニアックな(かつての)ガロ的漫画作品を出しまくる「トーチweb」サイトを構築したのである。ネットで作品をバラまいてはTwitterで周知しまくるという地道ながらもウザい戦略で,正直,ワシの好む作品はそんなにない・・・つーか,本作以外にちゃんと読みたい作品と言えば佐藤秀峰と肋骨凹介ぐらいかなぁ。特段マニアな人間ではないワシは,作家の本能に忠実なゲージツ的作品ってのが苦手なのである。エンターテインメントに徹した,面白くて読み飛ばせる分かりやすいストーリー運びとコマ割りでないと,近寄りがたいものを感じてしまうのである。

 その点,この澤江ポンプの本作は,ギリギリ受け付けることができるゲージツ性を持ちつつ,しっかりエンターテインメントとして機能しており,マニアでない読み手でも面白く読めるだろう。画力の高さが目を引きつけるのか,読了までに時間はかかったが,それは,白いながらも「意味」を込めた優れた絵に魅了されるところが多いせいだろう。動物や植物にDNA的に変化してしまう奇病が蔓延る閉鎖的雰囲気漂う社会を描写しながら,だから何?と言わんばかりの運命の美しさを表象する。羽を広げた鳥少女(第1話),躍動する水泳アスリートの逞しい肉体(第3話)、ギガンテウスオオツノシカに変化しつつある半獣半人の老人の不気味さと完全に獣化した姿の神々しさ(第4話),抗えぬ運命の果てに現れる美は,エンターテインメントを越えたゲージツ的なものに昇華しているのである。

 主人公はパンダ化しつつある青年であるが,病気のために教職を首になった彼を雇った竹林も実は・・・というところで第一巻は終わっている。続きは今年の秋に出る2巻を待つか,Webで読むしかないようなのだが,ワシは単行本を待とうと思っている。今年の世界は混迷を深めるに違いないので,現実世界に不安を感じつつ本書の続きを読むべきと考えているからだ。マゾ? そう,本書はゲージツ的ムチを振るいながら読者の目を引きつけ,エンターテインメントの渦に放り込んでくれる傑作であるからして,リアル社会にきりきり舞いしていた方が,竹林の抱えている不安と伴走する楽しみが倍増するに違いないのである。

津野海太郎「最後の読書」新潮社

津野海太郎「最後の読書」新潮社

[ Amazon ] ISBN 978-4-10-318533-8, \1900+TAX

 齢50近くなると読みたい本の大半が「著者指名買い」で占められてしまって,購入に迷いというものが無くなりつつある。それなりに読書経験を積んできているから,自分の嗜好に合う本の傾向が固定化され,ついには「この著者の本を見かけたら即買い」するだけで月々の書籍代が尽きてしまうのである。マンガならとり・みき,ゆうきまさみ,速水螺旋人,みなもと太郎,吉本浩二,シギサワカヤ,・・・切りがないから止めるけど,エッセイストなら津野海太郎が筆頭に来る。ここでも散々ネタにしてきたので,入れ込みっぷりはそちらをご覧頂くとして,ワシが一番気に入っているのは,津野の達観というか俯瞰というか,自身の立ち位置を慎重に確認しながら書き進んでいく老成した文章スタイルなのである。

 津野自身は齢80歳,老成は当然・・・なのであるけれど,ワシが一番入れ込んで読んだ「歩くひとりもの」の時点で既にこの文章スタイルは確立されていたから,50歳代にはもう老成が完遂していた感がある。本書のタイトル「最後の読書」は,自身の年齢からして,長年続けてきた読書も「最後」かなぁという達観に由来するものである訳だが,老成的な物言いは今に始まったことではなく,年と共にできなくなることは増えつつあっても,できる範囲でやってきましょうという老師的物言いは,ワシみたいな年寄りの序の口に立ったばかりの人間にある種の安心感を与えてくれるのである。

 例えば,冒頭の鶴見俊輔の最晩年の「知的活動」について述べた文章は,悲しみよりも希望を感じさせてくれる前向きなものだ。病魔に冒された結果,声も手も動かなくなった鶴見だが,アウトプットはできなくなっても,読書というインプットは最後の最期まで行っていた,という記述に込められた希望的結論「鶴見さんも半睡半醒のまま笑っていたんじゃないかな」(P.18)は,単なる津野自信の勝手な思い込みではない。アウトプットができる時につけていた鶴見のメモ「もうろく帳」の記述に基づく実証的なものなのである。京都の良心的な書肆がまとめた「もうろく帳」を繰りながら,ははぁ・・・なるほど・・・こうかな・・・どうかな・・・そうか,なんて考えなら思考を繋げていく,その過程を読者に開陳しながら説得力と同時に希望を運んでくれるんだから,名人芸だなとため息が出てしまう。

 紀田順一郎の蔵書一括処分についての記述は,紀田に同情しつつも,まぁ年なんだし仕方ないんじゃないの,という恬淡としたもので,「紀田さんは三万冊の蔵書をなんとかみごとに処分してのけた。八十歳でも,やろうと思えばやれる。そのことを身をもって証明したといってもいい。その意味で紀田さん,あなたは大量の蔵書に悩む人びとやその家族にとっての老英雄なのですよ。」(P.107)となる。電子書籍がその福音となるべきところ,それも期待できないという現状ではねえ・・・と,津野の文章は続いていくのだが,この辺の感想については,既にマンガや専門書をKindleで140冊買っているワシは少し異なる。とはいえ,その年齢層なりの達観なのであろうということはワシも同意するのである。

 老人の賭場口に立つワシとしては,現状でもかなり物忘れや流行への対応能力の欠如に嫌気が差しつつあるのだけれど,本書に収められた文章に示される津野のゆったりした構えを見習えば,老いぼれたとて,そんなに悲惨なもんでもないのかもなぁと少し安心するのである。読み応えのある堅い本を読みこなせなくなる代わりに,ゆったりしたペースで古典に親しむことができる,というメリットも示されており,2008年に和光大学を七十歳で定年退職した時に「出版であろうと大学であろうと,他人といっしょにやる仕事はもういいだろうと,心底,そう思った」(P.99)今後の著作を楽しみにして「著者指名買い」していきたいと思っているのである。

 2018年にお世話になった方々に厚く御礼申し上げます。来年もよろしくお願い致します

シギサワカヤ「魔法少女は死亡する」白泉社


シギサワカヤ「魔法少女は死亡する」白泉社 [ Amazon ] ISBN 978-4-592-71144-5, \750+TAX

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71144-5, \750+TAX

 タイトルと,ちょっと無理した萌えを彷彿とさせる表紙絵から,トンチキで楽しげなお気楽ファンタジーコメディを想像させるマンガ単行本であるが,内実はまるっきり逆。リアルで痛々しくて切ない小説家崩れのアニメシナリオライター・杉並七生(3X歳)の愛らしい生き様を描いた一冊長編大河ドラマなのである。

 本書収録作品は,紙媒体と同程度の作品数・ページ数をWebで期間限定無料公開している白泉社の個人編集マンガムック「楽園」サイトに掲載されていたもので,ワシも欠かさず読んでいた。トンチキなタイトルと同名のオリジナルアニメ作品を,才能はあるが女癖の悪そうなアニメ監督・中野柊司に振り回されつつ,主人公・杉並が執筆するというのがストーリーの主軸の作品であるが,そこに絡む杉並のプライベートライフのトラブルが燃料となってぶっ飛んだエネルギーを読者に与えてくれるだけでなく,世間ずれしてやさぐれた中年にはシミジミ考えさせる夫婦関係のあれこれを提供してくれるのである。恋愛感情と性欲と社会(会社)生活が絡んだメンドクサイ人生って奴を突きつけてくるのがシギサワ作品の特徴であるが,本作はそれをコンパクトに一冊に詰め込みつつ,アナーキスト的情念を込めてコメディチックに描写しているのである。萌え萌えのパロディみたいなエロ表紙絵はこの訳の分からんエネルギーの産物なのであろう。

 一言で言って,杉並の旦那は酷い奴である。外資系の企業に勤めてそこそこ高給取りであるせいか金遣いが荒く,マンションの諸経費やクレジットカードの支払いを杉並に「よろしくー」と簡単に押しつけてくるし,管理組合の仕事も家事も任せっぱなし。杉並が仕事場と称して別の賃貸物件を確保し,実質的に別居状態になるのも無理はない・・・のだが,こんな酷い男でも,夫婦関係のやり直しを模索している辺りがイジマシイ。ああもう全くワシは嫁にしたいナンバーワンなのであるが,多分,堅実で浮気はしないが面白味のないワシみたいなサラリーマンを,この女は絶対に選ばない。仕事関係に思いっきりプライベートとを持ち込み,次々にスタッフに手を出す中野監督のような,野性味のあるオスにフェロモンを感じるのが杉並の不幸でもあり,生きる源泉でもあるのだ。これは所謂「人間の業(ごう)」というものなのであり,抗いようのない運命なのである。

 そういう「ダメンズ」を選んでしまう杉並であるが,トラブルがエネルギーとなる力強さがあり,しかも妙に世間ずれしたオヤジ臭い説教メッセージを自作にぶつけてくるのである。それが仇となってライトノベル小説家としてデビュー後は鳴かず飛ばずとなるが,ジタバタしてたところを妙な作品が好きな中野監督に見いだされてシナリオライターとしてスカウトされるという辺り,クリエイター共通の人間的厄介さと,ギャンブル的な世渡りの面白さを同時に語っていて,シギサワカヤ独特のストーリーテリングにワシはすっかり魅了されてしまった。図らずも(?)コメディっぽくなっているのは,杉並の人間力の力強さが「まぁ多少のことは乗り越えるよな」という安心感を与えてくれるため,どんな酷いイベントが発生しても不器用な乗り越えっぷりがユーモアを醸してしまうという所に起因しているのである。これが多少なりとも弱っちぃ輩だと,奈落の底に落ちたまま,悲惨極まりないお話になってしまうであろう。たとえ夫婦関係が破綻したとしても,杉並のようなタフさがあれば,一晩泣き明かした後はすっきりして自分の仕事に邁進するに違いないのである。

 長い人生においては,どうしてもプライベートライフの波風が,社会人生活を脅かすことが複数回は起きるものである。糸井重里の名コピー「おちこんだりもしたけれど、わたしは元気です。」は,降りかかるトラブルを真正面から感情的に受け止めることでしか,感情的に解消させることはできない,とワシは解釈している。怒りを感じたら怒り,笑いたい時には笑い,泣きたい時には泣き,寂しくなったら寄り添う相手を求めて甘える・・・という,このプライベートな感情的な波を,社会の一員として過ごすためのスタビライザーとして使いこなす。それを一生かけて試していくのが人生というものなのであろう。

 ・・・なんて大上段に構えなくてもすんなり入れる(冒頭は特に)取っ付きやすい作品なので,シギサワカヤの描く「 恋愛感情と性欲と社会(会社)生活が絡んだ 厄介さ」の虜になっているベテラン読者はモチロン,シギサワカヤを知らない方にもお勧めする次第である。

竹熊健太郎「フリーランス、40歳の壁」ダイヤモンド社

[ Amazon ] ISBN 978-4-478-06572-3, \1400 + TAX

 竹熊健太郎の著作をまさかダイヤモンド社から買うことになるとは思わなかった。読者が驚くぐらいだから,著者としても意外だったようである。まともなビジネス指南書になるはずもない著者の半生記は大変面白く読めたが,さてどんな人に勧めたモンかなというと,少なくともワシの周りの真面目な勤め人の方々ではないだろう。著者の言う通り,カタギの勤め人が務まらないタイプ,特にこれからの日本を生きる若者に対しての,「こういう人生もあって何度か死にかける経験をするけど大丈夫」というエールとして読んで頂きたいと思うのである。

 今はたまーに著者主催の電脳マヴォの掲載作品を読む程度のお付き合いだが,かつては饒舌な「たけくまメモ」というblogの愛読者であった。そこから著者のTwitterもたまに読むようになり,京都精華大学の教授に就任したと思いきや辞職したり,電脳マヴォの編集長解任にまつわる騒動などはつらつら見聞きしていた。特に前者に関しては,ワシも精華大より小さい地方私立大学に奉職する身として,気になる事件であったので,本書を購入したのはその顛末を知りたかったというゲスな興味が一番の理由であった。
 結論から言うと,ワシの興味は大体満たされた。本書にも書いてあるが,ご本人は脳梗塞を煩っており,後遺症は殆どないとはいえ,体に負担のかかる長距離移動を頻繁に繰り返したのだから,その負担で退職せざるを得なくなったのかなとワシは推察していたが,それ以上に,学生募集に四苦八苦している私立弱小大学の専任教授職という立場によるストレスが尋常でなかったことが原因だったと分析している。そこに電脳マヴォの運営に関わる対人トラブルも重なった結果,適応障害を引き起こし,自ら退職を申し出たという。
 大学の専任教授というのは,ふてぶてしく適応できない人にはつらい立場なのかもしれない。一学科には最低4名の教授が設置基準では必要であり,人事を含む諸々の雑務を担いながら,責任も取らねばいけない。ましてや,マンガ学部・デザイン学部以外の学生募集状況がダメダメな精華大(資料PDF)では,稼ぎの中心として人寄せパンダ業にも精を出す必要があったろう(竹宮惠子が学長に就任したぐらいだし)。しかしまぁ,一番大変だったのは本人よりもご同僚だったかもしれない。何せ,専任教授という中核の実働部隊(を担わなきゃいけない環境なんだろうと想像)が一人減ったのだから,その減少分を残った教授陣で賄わなくてはならず,面倒なことこの上ないのである。退職を申し出て学部長がホッとした,というのむべなるかな,なのである。

 ・・・とまぁ,ワシの興味の範囲内での感想はともかく,本書は,著者以外にも,様々なフリーランスの方々のインタビューが,著者の人生のあらすじとともに挟まれており,著者の誠実な語り口を上品なパンズとする美味しいサンドウィッチのような読み物になっている。自らは発達障害持ちで,大学や出版社のような組織内での仕事には向いていないと達観するに至った著者であるが,不器用故に才能を開花させた(せざるを得なかった?)訳であるから,斜陽日本に跋扈する詰まらん忖度主義には染まらない生き様はなかなか明るい未来を若者に提示していると言える。真面目な勤め人として一つの組織に縛られているだけでは得られない人生経験は,読み物として面白い啓蒙書をもたらせてくれたのだから,使い古されたフレーズだが,「人生万事塞翁が馬」なんだなぁとシミジミしてしまうのである。