竹熊健太郎「フリーランス、40歳の壁」ダイヤモンド社

[ Amazon ] ISBN 978-4-478-06572-3, \1400 + TAX

 竹熊健太郎の著作をまさかダイヤモンド社から買うことになるとは思わなかった。読者が驚くぐらいだから,著者としても意外だったようである。まともなビジネス指南書になるはずもない著者の半生記は大変面白く読めたが,さてどんな人に勧めたモンかなというと,少なくともワシの周りの真面目な勤め人の方々ではないだろう。著者の言う通り,カタギの勤め人が務まらないタイプ,特にこれからの日本を生きる若者に対しての,「こういう人生もあって何度か死にかける経験をするけど大丈夫」というエールとして読んで頂きたいと思うのである。

 今はたまーに著者主催の電脳マヴォの掲載作品を読む程度のお付き合いだが,かつては饒舌な「たけくまメモ」というblogの愛読者であった。そこから著者のTwitterもたまに読むようになり,京都精華大学の教授に就任したと思いきや辞職したり,電脳マヴォの編集長解任にまつわる騒動などはつらつら見聞きしていた。特に前者に関しては,ワシも精華大より小さい地方私立大学に奉職する身として,気になる事件であったので,本書を購入したのはその顛末を知りたかったというゲスな興味が一番の理由であった。
 結論から言うと,ワシの興味は大体満たされた。本書にも書いてあるが,ご本人は脳梗塞を煩っており,後遺症は殆どないとはいえ,体に負担のかかる長距離移動を頻繁に繰り返したのだから,その負担で退職せざるを得なくなったのかなとワシは推察していたが,それ以上に,学生募集に四苦八苦している私立弱小大学の専任教授職という立場によるストレスが尋常でなかったことが原因だったと分析している。そこに電脳マヴォの運営に関わる対人トラブルも重なった結果,適応障害を引き起こし,自ら退職を申し出たという。
 大学の専任教授というのは,ふてぶてしく適応できない人にはつらい立場なのかもしれない。一学科には最低4名の教授が設置基準では必要であり,人事を含む諸々の雑務を担いながら,責任も取らねばいけない。ましてや,マンガ学部・デザイン学部以外の学生募集状況がダメダメな精華大(資料PDF)では,稼ぎの中心として人寄せパンダ業にも精を出す必要があったろう(竹宮惠子が学長に就任したぐらいだし)。しかしまぁ,一番大変だったのは本人よりもご同僚だったかもしれない。何せ,専任教授という中核の実働部隊(を担わなきゃいけない環境なんだろうと想像)が一人減ったのだから,その減少分を残った教授陣で賄わなくてはならず,面倒なことこの上ないのである。退職を申し出て学部長がホッとした,というのむべなるかな,なのである。

 ・・・とまぁ,ワシの興味の範囲内での感想はともかく,本書は,著者以外にも,様々なフリーランスの方々のインタビューが,著者の人生のあらすじとともに挟まれており,著者の誠実な語り口を上品なパンズとする美味しいサンドウィッチのような読み物になっている。自らは発達障害持ちで,大学や出版社のような組織内での仕事には向いていないと達観するに至った著者であるが,不器用故に才能を開花させた(せざるを得なかった?)訳であるから,斜陽日本に跋扈する詰まらん忖度主義には染まらない生き様はなかなか明るい未来を若者に提示していると言える。真面目な勤め人として一つの組織に縛られているだけでは得られない人生経験は,読み物として面白い啓蒙書をもたらせてくれたのだから,使い古されたフレーズだが,「人生万事塞翁が馬」なんだなぁとシミジミしてしまうのである。

佐藤二葉「うたえ!エーリンナ」星海社コミックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-511591-6, \640 + TAX

 年を取ったせいで,最近書店で手に取るのはお気に入りのベテラン作家の作品ばかりで,手堅く面白いのは当然ではあるけど,何か一つ物足りない残尿感も覚えるのである。つーことで,チマチマと空き時間に読めるWebマンガ,Twitterマンガをチェックし,感性の合う若い(かどうかは定かではないけど)作家を発掘するようにしている。
 ただ,そういうSNS空間でbuzzった作品が紙媒体の単行本になって読んでみると,今一つ物足りない,スカスカな印象を与えることが多い。これは多分にワシが年寄りのマンガ読みで,みっしり詰まった密度の濃い紙媒体連載作品を長年読んできたことに起因することではないかと考えている。近年の小さいスマホやタブレット画面で,すぐに読み込める小さいデータサイズの作品を多数読める環境では,どうしても絵やストーリーの密度を下げ,ヒット数を稼ぐ必要があるのだろう。その結果,ワシのような年寄りには「読みやすいけど価格に比して物足りない紙の単行本」となってしまうのであろう。この点,若い人にはそれで十分なのかなぁとも思うが,そういう体験を重ねてしまった年寄りとしては,自分の視線から外れていたbuzzり結果の紙単行本に外れが多くとも仕方ないかなぁと達観しているのである。

 つーことで,本単行本も,本数が多すぎて負いきれないツイ4作品群の一つからのbuzzり結果として発行されたものであろうから(経緯は全然知らない・調べてもいない)と,興味どころか存在すら知らなかったのだが,戸田書店静岡本店の新刊棚に見つけた本書の帯の「古代ギリシアの女学校ライフ」という「くそ真面目エロなし清純おほほ女子マンガ」っぽい雰囲気の煽り文句に興味を覚えてジャケ買いしたのである。そしたら久々にワシのような小うるさいマンガ読み年寄りも満足を覚える作品だったので,ここで紹介することにしたという次第である。

 表紙の二人の少女のうち,力強い腕で竪琴を持つ黒髪の美少女・エーリンナが本書の主人公だ。一言でまとめてしまえば,この少女の音楽スポコン物語なのだが,今時珍しく何のギミックもないストレートなストーリーで,定番のbuzzりアイテムを混ぜ込むという年寄りには邪魔くさいものが一切ない。そのくせ妙に読みづらい。つまりテンポが悪い。ぎこちない。描線は泥臭くて洗練されていない。・・・が,それが全て本作品の「魅力」に結実していくのだからマンガというメディアは不思議だなぁとつくづく感じる。そう,本作品は洗練された絵師による流行りのスマートなSNSマンガとは真逆の,泥臭くてひたすら真面目に古代ギリシアの生活様式を忠実に描写しようとするアカデミックなテイストの少女漫画作品なのである。

 ワシは大概,不器用な漫画家が真摯に描いた作品が大好きだ。矢口高雄しかり,吉本浩二しかり,少女漫画では柊あおいしかり,遠藤淑子しかり,である。小器用でないから,テイストに変化のつけようがなく,可能な範囲で積み上げるように作品を紡いでいく。その真摯さが伝わるせいか,妙に共感してしまう親しみやすいキャラが多数登場するのだ。
 本書でも,主人公のエーリンナ,その親友の金髪美少女・バウキス(表紙後ろの人物),周囲の先輩,そして少女楽団を率いる女詩人・サッポー,ライバルの美少年・リュコス・・・皆魅力的でかわいい。画風の古臭いところがまた,ワシみたいな年寄りにはナイスだ。そーいえば,最近は若いくせに妙に古臭い画風の作家がちらほら登場しているが,これも流行りなのかしらん?
 何にしろ,魅力的なキャラが,アカデミックに忠実な古代ギリシアライフを楽しく過ごしている様は,大変に面白く,突っかかりながらも一気に読むことができたのである。

 雨後の竹の子状態のSNSマンガの一番の欠点は,新人作家に対して殆ど指導らしい指導をしていないように見受けられることである。その分,作家は自身の作品の魅力を,読者の「正しい」感想をえり分けて見つけ出し,うまくセルフコントロールしていく必要がある。本書の著者の本業は漫画家ではないようだが,その分,本業である俳優・演出家・リュート奏者としての活動から受ける観客からの感想をえり分ける能力がついたのかしらん? ワシ個人の希望としては,この調子でずっと洗練されない作風を維持して頂き,buzzりはそこそこに,本書のようにまとまりが良く密度の高い作品を着実に積み上げて行って頂きたいのである。

映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」

[ 映画.com ]

 原作は読んでいたし,原作者・末井昭の警察との珍妙かつ熾烈なやり取りを描いた南伸坊「さる業界の人々」も読んでいたので,その辺のリアルな時代的描写を期待して見に行った。その辺は期待通りであったが,映画全体のトーンは,予告編の軽い調子とは真逆,冒頭から不穏な空気を漂わせる。明るいバブルのサブカルブームを描きつつも,その立役者の一人である末井昭の通底にある退廃性を最後の最後まで,セリフではなく映像で描き切っている。ワシにとって,良い意味で期待を半分裏切ってくれた傑作であったが,一緒に見に行った神さんは大分映画にあてられたらしく,狂気に満ちた芸術性が嫌いな常識人には向いていない映画であるらしい。

 原作については,カラッとした文章で衝撃的な母親の爆死について述べており,あまり深刻なものを感じさせないものであるが,どうやら監督はそう考えていなかったようで,末井昭の狂気の情念の根本をこの事件の凄惨さに求めている。そう,お気楽なバブル映画を期待していた向きはのっけから浮ぎられて沈鬱な気分にさせられる。論理的な物言いのできない朴訥な父親の存在が,輪をかけて重く苦しい青年前期を形成しており,後年のエロ・サブカル雑誌の編集長として大ヒットをかっ飛ばす原動力となったというのが本映画で監督が示した回答なのであろう。

 近年は暇で寂しい人間が増えたせいか,やたらに倫理性とか左右イデオロギーに基づく道徳を解く向きが多いようだが,世の面白い活動は訳の分からない狂的人間が発する情念に支えられているものである。本作はそのような狂的人間の面白さを表面的に示しつつ,狂気の根本にあるものを観客に刷り込ませる。その象徴は汚れて曇った眼鏡のレンズであり,そのような見えづらい眼鏡で日々を過ごす警察官,キャバクラの店長,そして父親なのだが,それは他ならぬワシら自身でもあり,昨今の小うるさい道徳主義者もそのような曇ったレンズから世を眺めているに過ぎないのだ。末井昭の生き方は透明でうその混じりけのない純粋無垢の狂気に貫かれており,狂気の情念が輩出した面白いコンテンツの出所を同時に見せる本作は,間違いなくフェリーニ的な傑作であると言えるのである。

内田春菊「がんまんが ~私たちは大病している~」ぶんか社

[ Amazon ] ISBN 978-4-8211-3566-0, \1000 + TAX

 内田春菊のエッセイ漫画に外れはない。流麗なペンタッチが白い画面に艶めかしい柔肌を描き出す。それでいて,内容はシビアで容赦ない。ダメンズを次々に恋人にして子供を作り,ダメと分かった時点で放り出す。内田本人の生命力・経済力が図抜けている分,割り切り方はスッパリしていて小気味良い。ワシはその力強い生き方を描いたエッセイ漫画である「私たちは繁殖している」は読んではいたものの,途中で脱落していたが,続刊が次々に出ているのを見るにつけ,このまま佐藤愛子か瀬戸内寂聴のように「完成」していくのであろうなと思っていたら,大腸がんになってしまったという。その顛末を,手術直後まで描いているのが本書である。その後については連載中なのでまた続刊が出るとのことである。

 20年以上前,オストメイトの方と仕事をしていたことがある。当時は人工肛門をサポートする技術が未熟だったらしく,アンモニアの匂いが漏れてはた目から見てても気の毒であった。さすがに最近は匂い消しフィルター付きの排便袋になっているらしく,昔よりずっと活動しやすいようである。その辺の事情については,内田のインタビュー記事((1)(2)(3)(4))を読むとよい。本書を買って読む気のない人にはこちらを勧める。

 しかし,ワシとしては,本書まるごと読まれることをお勧めしたい。ガン発覚のいきさつから,治療方針が決まるまでの医療機関とのゴタゴタ,そして最終的に人工肛門を形成するに至るまでの一部始終が流麗なタッチで描かれていることが,がん治療というものの真実を知るいい資料になっていると感じるからである。

 内田春菊は我慢しない。言いたいことは言うし,やりたいことはやる。それ故に医者との軋轢もあったりするが,そのおかげで信頼できる医師とはしっかりしたコミュニケーションが取れており,家族(子息)からサポートも篤い。科学を無視した耳障りがいいだけの暴論がSNSに蔓延る昨今,客観的な科学の知識に基づき,自分の意志の表明を躊躇なく行うことの重要性を知らしめる本書は,がんを含めた病とともに生きていくワシら中高年にとっては,良い資料となるに違いないのである。

キュン妻「日刊ヤンデレ夫婦漫画」メディアファクトリー

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-068157-3, \600

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 ちょろっと面白そうな「熱愛夫婦エッセイマンガ」なんだろうなと思って読んだら何とこれ,「因果は巡って丸く収まりました」的急展開が挟まっていたのでワシはびっくらこいたのである。

 最近は紙媒体の雑誌が全然ダメなので,もっぱらWeb上で連載を持たせて単行本にするケースが増えている。ただ,ネット上だと今度はその「雑誌」という範囲で読むことは少なくなり,お気に入りの特定作品のみ読む,というスタイルになってしまう。この辺が,読んでいる時には「冊子」という単位でページを繰ることしかできない紙媒体とは異なるWeb媒体独特の難しさである。その分,ストレージと帯域が許す限り大量に掲載はできるわけだから,ちょろっと良い新人がいればすぐさまスカウトして連載を持たせることはできる。ただそれだとツマラン連載も増えるわけで,ますます「たくさん作品はあるけどどれがいいのかわかりづらい」媒体に成り下がっていき,「とりあえずエロなら読んでくれるかな」的作品が増えていくわけである。
 その分,個人単位で好き勝手できるblogだのpixivだので独力でのし上がって単行本掲載まで辿り着くケースが増えている。ここで紹介した「旦那が何を言っているかわからない件」はその最高峰で,今や作者は何本の連載を抱えているのかわからないほどの人気っぷりである。

 本書もその一つであるらしく,作者・キュン妻は夫ともどもtwitterアカウントを持ち,自身のWebサイトだけでなく,pixiv,アメブロ,ニコニコ静画で本書に収められているエッセイマンガを連載している。その人気っぷりに目をつけたメディアファクトリーが作品をまとめて単行本を出版するに至ったようだ。そういうケースは最近目立って増えてきたし,目利き編集者がワザワザ赤字になる危険を冒してまで単行本を作ろうと考えるからには凡百のエッセイマンガにはない「特徴」がきちんと備わっているものが多い。ということで,大量のWeb媒体掲載作品を渉猟するよりはリアル書店の新刊平置台をチェックしている方がハズレが少ない,という事情は現在も変わらないのである。

 前置きが長くなったが,ワシが本書を手に取ったのは「幸せな夫婦のエッセイマンガ」という理由以上のものはない。なんせ表紙は文字ばっかりだし,作者は完全匿名。pixivで人気があっても相性合うかな?,と半信半疑ではあったものの,「実録熱愛夫婦モノ」で世の草食系男女を啓蒙する活動に日々勤しむ既婚者のワシとしてはネタの一つになるかなぐらいの感覚で買ってみたのである。そしたらそんなものを大幅に上回る「感動」を覚えたのであるから,これは紹介せねばとMacBook Airを開いたという次第なのである。ちなみにワシは本書を読む前は作者のtwitterもpixivも全く知らなかったし,本稿を書くにあたっても全くそれらを見ていない。以下で述べるのはあくまでこの単行本だけ読んだだけの一読者の感想に過ぎないことをお断りしておく。

 本書はゆるふわキュン妻とがんじがらめに妻を縛り付けたい夫との熱愛ぶりを描いた緩い4コマから始まる。といっても肉体的精神的DVではない。DVとは受けた本人が苦痛に覚える場合にのみ適用される用語であり,キュン妻は夫の締め付け的愛情に呼応して愛を育んでいるのだから何の問題もないのである。以前,大手小町で夫による外出禁止令を疎ましく思う妻からの相談があり,それに対する女性からの回答の一つに「妻が愛している限りなんの問題もない」というものがあってびっくらこいたことがあった。まぁ夫婦や愛というものはいろんな形があるので第三者の感想とは全く別物なんだなぁとワシは認識を新たにし,本書で描かれるサドマゾベストカップルは実在するのであろうなと首肯するしかない。

 しかし本書はそれだけにとどまらない「因果」を描いている。キュン妻のマゾ的愛情受け入れの態度は過去の家庭環境を起因とするものであり,それ故にサド的夫の愛情表現が,夫婦生活を営み,2子を育むために必須のものであった,という衝撃の展開が明かされるのである。ふえ~・・・まさに急転直下,放置すると因果は巡り,巡る因果を断ち切るには「愛」しかないのだなと,ワシはこの下手糞ながら可愛げのある漫画表現に納得させられたのである。まさに「愛は地球を救う」んだよなぁ。

 本書の帯には「読めば読むほどやみつきになる,究極の夫婦生活をおとどけします」とあるが,これは宣伝文句としては申し分ない,まことにワシにとっては「究極の夫婦生活」しか持ちえない「愛の効用」を知らしめる教材になったのである。Web時代ならではの大競争時代からこそ浮上してきた傑作,そして草食系男女の背中を蹴り上げて「オラ結婚しろ!」と本書を投げつけてどやし付けるにふさわしい作品なのだ。傷をつけるのが対人関係ならそれを癒すのも対人関係なしではあり得ない,アドラー心理学的真理に基づく本書は,まさに時代にふさわしい傑作エッセイマンガと言えるのである。