いしかわじゅん「今夜、珈琲を淹れて漫画を読む」小学館クリエイティブ

[ Amazon ] ISBN 978-4-7780-3514-3, \1900 + TAX

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 いしかわじゅんのマンガ評は単行本になるたびに買って読んでいる。「漫画の時間」に始まって「秘密の本棚」「漫画ノート」,そして今回の「今夜、珈琲を淹れて漫画を読む」(長い!)。BSマンガ夜話のファンだったということも,いしかわじゅんの文章が好きだということもあるが,それ以上にマンガへの愛情にあふれた姿勢そのものが大好きだということが大きい。そういう読者がワシだけではないことは,4冊も単行本が発行されていることで証明済みだ。

 評論でもエッセイでも小説でも,「相性」が極めて重要だ。言っている内容は正しくて参考になるとしても好きになるかどうかは別問題,欠点だらけで失笑しながらも虜になることは良くあることで,客観的な評価とは別の主観的な相性という奴の存在は思いのほか大きいのである。ワシといしかわマンガ評の愛称はバッチリすぎて,ワシが時折書く感想文は殆ど猿真似になってしまっているほどである。
 いしかわじゅんのマンガ評論は率直であり,擦れておらず,きわめてストレートだ。絵が下手であれば画力が無いと言うし,ストーリーが破たんしていれば壊れていると言うし,皮肉な言い回しは皆無,まるで無垢な少年のようだ。還暦過ぎて以前の文章よりもこなれてきた感じを受けるものの,きわめて後味の良いマンガ評なのである。ワシの読書感想文は,多大な影響を受けているにもかかわらず,いしかわじゅんほど率直であるかどうかはまだ自信がない。いろいろ内心の屈託があるせいで素直になれてないなぁと,自分が書いたものを読み返すとそういうヒネたところが気になるレベルであり,いしかわじゅん的達観に到達するにはまだまだ精進が必要なのである。

 いま本書に収録されているマンガ作品数を数えたら,丁度100作品。1作品に2ページなので,いしかわ節を堪能するにはちょっと短い。読み応えのある長めの作家論が7本収録されているので,それでのどの渇きを潤して欲しいという趣向らしいが,欲を言えばもう少し長大なマンガ論が読みたいなぁ。新聞連載を始めた著者には酷すぎる希望であることは百も承知であるのだが。

アニメ「旦那が何を言っているかわからない件」ブルーレイ

[ Amazon ] \8590(定価)

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 最初のアニメ放映が終わってすぐにDVD&Blu-rayが発売された訳だが,何だがすごい勢いで売れたようで,ワシは発売前にBlu-rayを予約で買ったために5398円で購入できたのだが,今ではせいぜい15%引き,6000円台でないと購入できないらしい。DVD版は割と安いようだが,今時ハイビジョンがフツーになってしまっているのにこんなリア充爆発汁アニメ,高画質で見ない手はないのである。

 原作については既に述べた通りであり,その後の原作者・クール教信者の活躍っぷりも知る人ぞ知る,過労死するんじゃないかというぐらいの連載の抱えっぷりは,過去色々あったせいであるようだが,元気で「寂しく可哀想なおまいらまとめておっぱいでリア充汁」をまき散らしているのは誠に喜ばしい限りである。アニメ化された本作が人気を集めるのも当然なのであるが,しかしこれ程とは・・・しかも第2期の政策が早々に決定されたというんだから,いかにもオタクな皆様方の幸せになりたい欲求が強いかということが分かろうというものである。

 なーんだ,みんな寂しいんだ。
なーんだ,みんなカップルでイチャイチャしたいんだ。
なーんだ,みんな結婚してつつましくも小さい幸せに浸りたいんだ。

・・・ということが,原作に忠実に作られ,キレの良いギャグの詰まった5分アニメの人気の高さで立証されてしまったのである。まぁ人間素直になることは良いことであり,野郎の拗れた心象を癒してくれるのは自分だけに降り注ぐやさしい愛情だけであるという当たり前の事実を知ることは日本の将来にとって真に役立つこと間違いないのである。もちっとカオルのおっぱいは線じゃなくて影付きでボリューミー(日本語英語)に描いてほしかったという希望はあるがそれはまぁ許そう(偉そう)。

 さて,ワシも一応は既婚者になったのだし,以前書いた通り,既婚者が結婚生活をあまり面白くなさそうにひとり者に語ることは害毒であると主張した以上,ここで声高に述べておきたい。

結婚はいいものだ。
妻のおっぱいはいいものだ。
みんな結婚しよう!

 かつての「リア充願望保持者」として第2期の放映を妻を抱きつつ待つことにしたい。

須藤真澄「グッデイ」エンターブレイン

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-730047-7, \780+TAX

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 毎年大晦日にはほっこり幸せになれるファンタジー作品を紹介している。今回は須藤真澄だからその条件に十分適う作品のハズなのだが,ワシは一抹の不安を感じている。かの一休禅師が正月に骸骨を杖に刺して「ご用心ご用心」と言って回ったエピソードを連想させてしまうかもしれない。まぁいつものマスビ作品のトーンであることは間違いないのだが,副題が”Today is a good day to die”だから,マスビ流にメメントモリど真ん中貫いた作品集であることもまた事実なのである。大晦日のこの日にメメントモリだと?

 ある薬を飲むと,世界中でただ一人,その人物が死ぬ直前,一日前からまん丸く見えるようになる。「玉迎え」というその名の通り,とてもかわいらしくまん丸に手足が付いたように見えるのである。本作はそんな「玉迎え」を見た人物と死を迎えた当人,そしてその周囲の人々を交えたエピソードを10話収録したシリーズ短編集である。最後の作品「ワンデイ」は,第1話を玉迎えされた当人の側から見たアレンジものなので,正しくは9話+カップリング1話というのが正しい。

 齢40を半分過ぎると死をそれなりに身近なものとして感じられるようになる。老化現象が進むし,知人友人も体を悪くしているし,両親の老いは避け難く,そろそろ今後のことを考えておかないとなぁ・・・と,自分も周りも死の匂いが濃くなってくるのである。つーか,それが普通になってくるので,勿論気分の良いものではないが,「まぁしゃーねーな」と前に進まないとイカンということもリアルに理解できるようになる。そうなると,どのみち確率100%で間違いなく死ぬわけだし,そうなるまでに何ができるか,指折り数えて後悔がないようにする・・・ということが不可能であることもまたリアリティをもって実感できるようになる。明日死ぬということが分かっても,一切の心残りなく往けるなどということは「できねーよそんなもん」なのである。

 そう,マスビ流のメメントモリは,死の当事者にとっては「できねーよそんなもん」であり,その周囲のまだ生きていかねばならない人間にとっては,死は死として「まぁしゃーねーな」と前に進まねばいけない,そーゆーものなのだ。そーゆーものが,いつものマスビ作品同様,わきゃわきゃ賑やかしい「祭り」のなかにぶち込まれているのである。

 してみれば「ご用心ご用心」と触れ回った本人も結局は人に言うよりも自分に向かって言っていたような気がする。「冥土の旅の一里塚」である自覚があることが「生」であるということを自覚し,自覚したところでいつもの自分以上のことがすぐにできるわけでもないから「ご用心」めされよ。親しい人の死に一時的にじめっとするのは仕方ないが,それだけに留まるのは「ご用心」,「冥土の旅の一里塚」を通過しただけのことだからチラ見した後は通過するだけなのだ。本書は一里塚を通過するための儀式を自己流に昇華した作品として,現時点の須藤真澄の達観ぶりを知るいい素材なのだから,「ご用心」のためにもこの年末年始に読むのはそれなりにふさわしいものと言える・・・よね?

 本年はご愛顧ありがとうございました。
 来年もよろしくお願い致します。

早野龍五・糸井重里「知ろうとすること。」新潮文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-10-118318-3, \430+TAX

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 色んな人が本書について述べているので今更ここでワシが何か言っても蛇足でしかないのだが,未だに「放射能汚染の疑いとの共存」ができていない人が結構な数いるようなので,私見を述べておくついでに本書を紹介する。

 誰しも死ぬ,致死率100%,でも死を恐れるばかりで何も手が付かない状態に陥るのは愚かである。勿論,がんを宣告されて余命○年,などという状態であれば落ち込んでシクシク泣くだけということになるのも止むを得ない。しかしそれでも一定期間だけだ。脳が正常に働き,知人友人とのコミュニケーションが取れているうちは何かをしなければならない。前に進まねばいけない。飯も食わねばいけないし性欲も発散しなければならないのである。

 東日本大震災と,放射能村が作り上げた原子力発電の安全神話によって,福島第一原発は1号機から3号機までメルトスルー状態となり,燃料が入っていなかった4号機も巻き込んで水素爆発を起こした。その際,大量の放射能(放射性物質)が拡散し,その影響は東京地方まで及び,2011年3月23日には金町浄水場で最大210ベクレルに達したと東京都が発表するに至る(日経新聞参照)。この時はワシも東京にいて,放射能入りお茶を飲んでいたりするわけだが,味に変わりはないし,年も年だし,そもそも人体に多大な影響が及ぶ量でもないと判断して大して気にもかけないでいた。とはいえ,遠く福島から関東地方,果ては静岡までその影響が及んだわけだから,全体としては大量の放射能がばらまかれたことは間違いない。その反省もろくすっぽしないまま,既存原発周囲の避難計画も立てずに(そもそも全住民の避難なんか考えて作ってないだろうし)再稼働だけ進めようという輩が跋扈しているのは腹立たしい限りである。最低限,原子力村関係者が福島県民に土下座してからモノを言うべきだろう。
 あまつさえ,現状の福島第一原発の汚染水はUnder controlとはとても言えず,原子炉と漏れた燃料を冷やすことはできているが,致死量の放射能を含んだ汚染水全てを回収できているのかと言うと,かなり怪しいと言わざるを得ない。どうも地下水(+汚染水?)の流量が多いせいで,原子炉周囲に張り巡らせようとした凍結土壁の計画も失敗に終わっており,一部は海に流れているのではという疑いがどうしても拭えないようだ。4号機の使用済み核燃料の移設が,事故後3年以上経ってようやく終わったという現状では,肝心の1号機~3号機の廃炉作業がそのうち終わるなんてことは信じられないというのも無理からぬことである。

 さりとて,立ち入り制限地域の外では福島産の農作物には影響がほとんどないらしいことも分かっている。汚染された水田で育てた稲にセシウムが吸収される率も低いようだし,全品検査してもコメから放射性物質が検出されるということはないらしい。何より,ホールボディカウンターを使って3万人分のデータをまとめた知見を査読論文として早野らがまとめている。これらの仕事にはツッコミが多数あるようだが,反論があればデータをまとめて論文にしてキチンとした学術雑誌に投稿して掲載してほしいものである。

 だから安心,というのも,言い過ぎになる。糸井は福島産のコメに含まれる放射能の議論において,次のような知見を述べている。

糸井「軽々しく安心ですなんていうと,逆に不審がられるでしょうし,けしからんってことになりそうです。かといって,気にしすぎるのは,あまりにも現実的でない。」(P.78-79)

 確率的にはかなり低い危険性に対して,その危険性に対して,言い方を変えると,かなり高い安全性に対して,どのように我々はふるまうべきか? ということである。「福島第一原発から漏れ出る放射能が完全にブロックされているとは言えないが,少なくとも農作物への影響は殆どないし,内部被ばくを心配するほどのことはない」と断言するとひょっとすると多少の修正は将来必要になるかもしれない。しかしかなり安全かもしれない状況にも関わらずおびえ続けるのはどうなのか?という問題もある。前者しか言わないのも不誠実だが,後者について全く無視するのは危険性だけを述べ立てた「脅迫」でしかない。正しく恐れる,ということは,正しく無視する,ということと両立するものだし,そうでなければ致死率100%のワシら人間が生きていく甲斐がない。

 本書によって,少なくとも福島では放射能物質の計測は続いているし,農作物への影響は少ないし,立ち入り制限地域以外での生活を完全否定することは「あまりにも現実的ではない」という認識は持てるはずだ。コントロールできていない汚染水の一部については心配が尽きないが,少なくともその影響が他の地域まで波及する状況になれば,早野らのグループに知覚されないはずはないだろう。そのぐらいの信頼はしていいとワシは断言する。

 心配は尽きないが,尽きないからこそ計測を継続して「知ろうとすること。」それしかできることはないし,それによって知ったことは,無視していいはずがない。「放射能汚染の疑いとの共存」とは,「放射能による危険」と「放射能を受けても安全」との両天秤を持ち続けて日々生活することなのである。

中村公彦・責任編集「コミティア30thクロニクル1」「同 2」,「同 3」,双葉社

Vol.1 [ Amazon ] ISBN 978-4-575-30677-4, \1500+TAX
Vol.2 [ Amazon ] ISBN 978-4-575-30729-0, \1500+TAX
Vol.3 [ Amazon ] ISBN 978-4-575-30795-5, \1500+TAX

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comitia_chronicle_vol2

comitia_chronicle_vol3

 間違いなく2014年一番の「労作」の一つであり,一マンガの読み手として,コミティア参加者として感嘆する作品集であったので,ここで一言述べておくことにするのである。

 大きなプロジェクトを長期に渡って維持するには,その中核をなす人間の「徳」,即ち人間力が不可欠であるようだ。竹熊健太郎はコミケを率いてきた米澤義博や2ちゃんねるを創設した西村博之にそれを見出している

コミケが始まったのが1975年、米澤さんがコミケの主催者になったのは80年ですが、現在のコミケがここまでの規模になったのは、なんと言っても米澤さんの力でしょう。
以前俺は2ちゃんねるの西村博之氏に会ったとき、なんとなく米澤さんに感じが似ているなと思ったことがあります。顔も世代もやってることも違うのだけど、世の中に対する柳に風的な態度というか、飄々とした感じに共通点があると思ったのです。

「世の中に対する柳に風的な態度というか、飄々とした感じ」というのは,言い換えると大人(たいじん)の風格があるということである。今の政治家で言うと,千葉市長・熊谷俊人夕張市長・鈴木直道にもそれを感じる。聞かれたことには的確に答えつつ,理不尽な批判に対しては受け流し,自分や組織内でストレスを必要以上に貯めこまない。歳を取るごとにある程度はできるようになることではあるが,デカいプロジェクトを維持するだけの度量を持った人はそれほど多くない。急速に業績を伸ばした企業がちょっとしたことで躓いたとたんにワンマン経営者の馬脚が現れ,世間の指弾を受けて崩壊していくのはごく普通のことであり,それ故に創業以上に長期にわたる業績の維持において,経営者の人間力が試されることになるのである。ワシは直接コミティア主催の中村公彦さんとお話したことはなく,遠目にみてあの太ったおじさんかという程度にしか知らないのだが,書いたものを読む限り,かなりの大人とお見受けする。それ故に30年もコミティアが続いており,本書のような優れた作品を生み出す土壌を維持できたのであろうと想像している。

 本作はそのプロジェクトを率いてきた(つーか,成り行きで引き受けざるを得なかったらしい)中村の編集によるコミティア・サークル参加者の傑作集である。今やプロになった人が多いが,プロへの登竜門として機能するだけでなく,商業誌とは異なる描きたい作品を描いて出店するプロ作家も,プロにはならずにゴーイングマイウェイを貫くアマチュアプロ(変な言葉だが)まで,様々な描きたい欲求を包含してきたオリジナル創作同人イベント,それがコミティアである。いくつかあった(ある)オリジナル創作同人イベントのなかでも毎年4回,ビッグサイトの2ホールを埋め尽くすサークル数をコンスタントに維持するまでに至ったのは,

  • デザイン性に優れたパンフレット「ティアズマガジン」のクオリティの高さと記事の面白さ
  • すべてのサークルの見本誌を集めて閲覧できる読書会の開催
  • 優れた作品を単行本にまとめて販売する試み
  • Belneワークショップや商業誌出張編集部による若手育成システムの展開

等々,試行錯誤の末にたどり着いた試みが成功したからであるが,それを可能にした代表者の姿勢があってこそだろう。それを評価したみなもと太郎先生のご尽力もあって文化庁メディア芸術祭功労賞を得たのは大変めでたいことであるが,ある種当然と言えよう。読者との直接接触できるだけでなく,小なりとはいえマネタイズの方法も提供できる場があってこそ,日本の漫画界の今が存在しているのである。

 その結果生まれた作品群が650頁近くの単行本3冊に凝縮されているのだ。ワシは一種の資料本として買ったのだが,プロにならずに書き続けているアマチュアプロ作家の作品(Vol.1の南研一,Vol.2の舞村そうじ,Vol.3のウチヤマユージ)には感銘を受けたし,何よりVol.3の青木俊直「ロックンロール2 花はどこへ行った」には打ちのめされたのである。分厚い作品集の割には定価は控えめだし,まだ書店で売っているし,何よりコミティアに参加すればそこでも買えるので,今活躍中のプロマンガ家の源流を知るだけでなく,彼らを育てた肥沃な土壌を知る意味でも,是非一揃えしておくべき作品集である。