小林よしのり「卑怯者の島」小学館

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-389759-4, \1800 + TAX

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 久々の小林よしのりフィクション,太平洋戦争から多くの材料を取っているとはいえ,ワシとしてはギャグの少ない近年のよしりん作品を割と愛好している方なので,本書の刊行を楽しみにしていたのである。で,発売日から大して日もおかずに購入,一気呵成に読了し,書下ろしの最終章まで辿り着いてびっくらこいた。

 「これは,『東大快進撃!』じゃないか!」

・・・ということで以下は完全に本書「卑怯者の島」のネタバレになるので,未読の方は読了後に読まれたい。

 よしりん作品に耽溺するようになったのは,現在の多くの愛好者同様,「ゴーマニズム宣言」からである。それ以前の作品も少しは機会あるごとに読んではいたが,元々少年ジャンプ系列の作品が人気ご都合主義的で好きになれなかった上に,絵から入るワシのマンガ読書スタイルにはとてもじゃないが,「おぼっちゃまくん」以前のバランスの悪い絵柄は受け入れ難かったということも大きい。だからデビュー作の「東大一直線!」はパラパラと眺めた程度であり,その続編にあたる「東大快進撃!」も,連載途中の作品を何度か見た程度であり,最終回に至ってはどこかの待合室か書店の立ち読みで読んだというぐらいなのである。
 しかしその最終回は衝撃的で,「ギャグマンガの結末がこれ?!」と驚き,その後,ゴー宣が始まった時も,なるほど,世間に物申すスタイルがここに結実したのかと,割とすんなり受け入れられたものである。その後の活躍っぷりは,ワシより詳しい方が多いだろうから省略するが,色々と物議を醸しつつも健筆をふるって現在に至るのだから,まぁとにかくジャンプ出身者はすげぇなと素直に脱帽するしかないのである。

 「ギャグ漫画家は過酷な稼業」ということは,数多のギャグマンガ家が描けなくなったり失踪したりしている実例が相次いだことでよく知られている。近年は先達のあまりの悲惨さに恐れをなしたか,若いギャグ漫画家は適度に気晴らししたりして作家生命を延長させる術に長けているようだが,その分ギャグに含まれる「狂気」成分が目減りしたように見受けられる。それについての論評は避けるが,よしりん近辺の50~60歳代のギャグマンガ家で現在も現役で生き残っているのはそんなに多くはないことを考えるとむべなるかなと感じる。
 しかし,ワシは面白い作品だけを追い求める無責任な一読者であり,作家が死のうが生きようがそんなことはどうでもいいのだ。表面的な取り繕いとは別に内実は,よしりんがゴー宣で描写していた如く,何でもいいから面白い作品をと渇望する餓鬼のようなものである。特にワシ世代は「マカロニほうれん荘」の栄光と没落をリアルタイムで見ているだけに,作家の枯渇すら楽しんでしまうような浅ましさがあるのだ。
 そんな残酷な餓鬼読者に囲まれてギャグ作品を描き続ける作家はどれほど苦しいことだろう。20代の才能だけで突っ走れた時代ならいざ知らず,机と編集者との打ち合わせ以外の往復運動以外知らずに狭い世界に埋没し続けてギャグを追い求める生活を続けていれば破綻しない方がおかしい。肉体や精神を酷使し続けても,雑誌の人気ランキングや単行本の売れ行きという結果がついてくるかどうかは全く保証のない世界だ。勤め人以外の人生を知らないワシなぞは想像を絶する過酷な世界だなと他人事のように感じるしかない。

 本作は太平洋戦争末期の壮絶な日米の激突を描いた,かなりリアルな題材に基づく長編漫画であるが,読み進むにつれて奇妙な懐かしさを感じるようになっていった。それは食料弾薬一切の補給路を断たれて飢餓線上を精神力だけで生き抜いている日本軍部隊の隊員によしりんスタッフが使われているという点であり,そして最終章のクライマックス,バス乗っ取り犯のナイフで割腹した主人公がギラギラした目を輝かせているシーンで確信に至ったのだ。「わぁ,よしりんは芯の部分で変わってないな!」と。
 もちろん,本書はギャグ作品ではなく,シリアス一辺倒の物語だ。タイトルである「卑怯者」は,激戦を愛国者としてではなく卑怯者として生き抜いてしまった主人公を指す言葉であるが,実は本書の主要キャラクターは,忠心を尽くしたトッキ―を除いて漏れなく「卑怯」な部分を抱いている。日本兵だけではなく,直接対峙した米兵にも腰抜けがいる。もちろん英雄的活躍もたくさんあるが,多くのキャラクターが「卑怯」と「英雄」の間を振れ幅の違いはあれ,往ったり来たりしているのだ。その精神の振幅は同胞意識であったり,栄養状態であったり,混乱の激戦における瞬間的なシチュエーションによって規定される。この振幅状態の描き方はシリアスそのものだ。しかしこのシリアスさが実は小林よしのりの原点である「狂気的ギャグセンス」の発露によるものではないか。奥底に破壊的衝動を抱えつつ,時代時代の状況を凌いでいき,ついには自らのよって立つところを崩壊させてしまう狂気のどん詰まりを描いた作品として,本作はまぎれもなく「小林よしのり」作品の神髄を露出させているのではないか? それがワシの感じた「懐かしさ」の一番の理由なんだろうと,ワシは勝手に確信しているのである。

 手元にはない「東大快進撃!」のラストだが,ワシが覚えているのは,ついに東大に合格を果たして安田講堂(だったっけ?)の屋上に上り詰めた主人公・東大通が,ライバルの秀才(不合格)が打ち込んだ楔の招いた講堂崩壊に巻き込まれて消えていく,というものだった。「え?ギャグマンガなのに最後がこれか? 小林よしのりって狂ってんなぁ」というのがワシの感想であり,それは本作においても全く変わっていない。右に左に天皇に玄洋社に反戦に反原発に・・・と目まぐるしく思想の変遷を繰り返しているように見えるよしりんであるが,真の部分は内蔵する破壊的狂気,そしてそれをガードしつつも活写する卓抜な表現力を武器に「今現在」を解釈して表現活動をし続けているだけなんだろう。個々の言動に対しては違和感を持ちつつも,ワシが今もよしりんの,特に「フィクション」を楽しんでいられるのも,餓鬼のように面白さだけを追求する卑しい読者根性を満足させるだけの狂気を発信しているからに違いない。そしてそれが小林よしのりが解釈した「リアルな戦争」に結実して,本作として届けられたのだから,餓鬼のようにワシは喜んでしまうのである。

 でもワシは「夫婦の絆」の続きも渇望しているんですがね,小林先生・・・まだあきらめてませんよワシ。

佐々大河「ふしぎの国のバード 1巻」エンターブレイン(KADOKAWA)

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-730513-7, \620+TAX

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 本書の紹介をコミックナタリーで読み,その意外な着眼点を面白く思って早速本日,本書を買って読んだ。率直に言って,デッサンのヘタクソな森薫のような画風,新人であることを考慮すれば仕方ないとはいえ,1巻に収められた分だけでも絵の変遷が気になるほどで,マンガとして安定しているとは言えない。しかし,明治初期の日本を旅行して回ったイザベラ・バードに着目してその旅行記を描こうという心意気と,丁寧な描線と緻密な背景の書き込みによって補われた作品の熱量には圧倒された。森薫信奉者の評価が辛くなるのは仕方ないが,いしいひさいちや植田まさしや大友克洋登場後のフォロワーマンガ家の異常な大量登場を思えば,森薫のフォロワーが多少なりとも出るのは,彼女の偉大さを証明するものであれ,否定するものじゃないのだから大目に見て頂きたいと思うのである。

 作者・佐々大河は殆どすっぴんの新人マンガであるらしく,ちみっと検索したぐらいでは大した情報が出てこない。せいぜい2011年早大卒というFacebookの記述があったぐらいだ。それから類推されるのはまだ二十歳代の知的水準の高い若者なんだろうという程度だ。森薫フォロワーらしい画風の所以は不明だが,安定していないところを見ると,2巻以降の激変もありうるかなぁとワシはかなり楽しみにしているのである。

 最近は日本全体の経済のパイがシュリンクしているようで,あちこちで悲鳴のような痛々しい愛国心の発露が聞こえてくる。日本万歳,中国韓国けしからん,日本サービス最高,日本製品品質最高,あまつさえ,第2次世界大戦前後の歴史の無知をひけらかすような「愛国無罪」的言動まで見るにつけ,ちと右翼っぽいところがあるワシですら,おめーらいい加減にせいよと嫌気がさす程だ。在日外国人が日本を褒め称える言動を持ちあげる風潮も大概にした方がいい。政治経済が安定している国ならどこでも真摯に努力している人間はいるし,そこで培っている文化から生み出される製品やサービスはそれなりのものが必ず存在しているのだ。自分で比較対象の努力もせずに,他人の言で持ち上げられて舞い上がっていると,そのうち詐欺師が出てきて騙されること必定である。いやもうすでに中韓のスパイが盛んに「日本素晴らしい大作戦」を決行中で,ワシらの精神をスポイルしようとしているのかもしれない。

 本書の主人公であるバードは,世界各国を巡って旅行記を執筆してきた女丈夫である。写真を見る限り,本書で描かれるか弱き女性とはとても思えない。あんなハードな旅を完遂した西遊記の玄奘三蔵が優男であった訳はないとガタイ男として描いた藤子F不二雄はまことに正しいのである。しかし,イギリスの世間知らずな貴婦人バードを,未開の野蛮国・日本に解き放つことで,蚤の大群に襲われてセクシーな肢体を晒すこともできるし,雑音としてしか聞き取れない日本語を話す素朴な明治の日本人に対する喜怒哀楽を率直に表現することもできるようになるのだ。歴史物を娯楽作品として描く時には読み手の感情を揺さぶらねば,興味を引き付けることはできないから,史実とは異なるフィクションを入れることは当然ある。そこに無粋なアカデミック的茶々を入れるのは学者先生に任せておけばよく,マンガ家は自身の熱意を透過しやすい物語世界を構築することに専念すればいいのである。その意味で,本作は今のところ成功しているといって良い。力量が伴っていないところもあるが,森薫流の分厚いファンタジー世界を描こうとしていることは間違いなく,背景も人物も流麗な描線で装飾されており,この調子で背伸びを続けていけば次巻以降は独自の世界を構築していけるとワシは確信しているのである。

 そして,江戸時代を引きずっている野蛮国日本がいかようなものであったか,ヤワな貴婦人バードの率直な感情表現によって,つまり,現代人であるワシらと共通する欧米的価値観を通じて鮮やかに見せてくれることで,妙な日本万歳的雰囲気に冷や水をかけてくれるのではないかという期待もある。通訳の伊藤鶴吉の謎な経歴について,これからどういう味付けで明らかにしてくれるのかという伏線も用意されている。不安定な所はあれど,期待大の新人マンガ家なので,森薫のパクリだなんだという下らない雑言は無視して独自の佐々大河マンガを目指して頂きたいものである。

いしかわじゅん「今夜、珈琲を淹れて漫画を読む」小学館クリエイティブ

[ Amazon ] ISBN 978-4-7780-3514-3, \1900 + TAX

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 いしかわじゅんのマンガ評は単行本になるたびに買って読んでいる。「漫画の時間」に始まって「秘密の本棚」「漫画ノート」,そして今回の「今夜、珈琲を淹れて漫画を読む」(長い!)。BSマンガ夜話のファンだったということも,いしかわじゅんの文章が好きだということもあるが,それ以上にマンガへの愛情にあふれた姿勢そのものが大好きだということが大きい。そういう読者がワシだけではないことは,4冊も単行本が発行されていることで証明済みだ。

 評論でもエッセイでも小説でも,「相性」が極めて重要だ。言っている内容は正しくて参考になるとしても好きになるかどうかは別問題,欠点だらけで失笑しながらも虜になることは良くあることで,客観的な評価とは別の主観的な相性という奴の存在は思いのほか大きいのである。ワシといしかわマンガ評の愛称はバッチリすぎて,ワシが時折書く感想文は殆ど猿真似になってしまっているほどである。
 いしかわじゅんのマンガ評論は率直であり,擦れておらず,きわめてストレートだ。絵が下手であれば画力が無いと言うし,ストーリーが破たんしていれば壊れていると言うし,皮肉な言い回しは皆無,まるで無垢な少年のようだ。還暦過ぎて以前の文章よりもこなれてきた感じを受けるものの,きわめて後味の良いマンガ評なのである。ワシの読書感想文は,多大な影響を受けているにもかかわらず,いしかわじゅんほど率直であるかどうかはまだ自信がない。いろいろ内心の屈託があるせいで素直になれてないなぁと,自分が書いたものを読み返すとそういうヒネたところが気になるレベルであり,いしかわじゅん的達観に到達するにはまだまだ精進が必要なのである。

 いま本書に収録されているマンガ作品数を数えたら,丁度100作品。1作品に2ページなので,いしかわ節を堪能するにはちょっと短い。読み応えのある長めの作家論が7本収録されているので,それでのどの渇きを潤して欲しいという趣向らしいが,欲を言えばもう少し長大なマンガ論が読みたいなぁ。新聞連載を始めた著者には酷すぎる希望であることは百も承知であるのだが。

アニメ「旦那が何を言っているかわからない件」ブルーレイ

[ Amazon ] \8590(定価)

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 最初のアニメ放映が終わってすぐにDVD&Blu-rayが発売された訳だが,何だがすごい勢いで売れたようで,ワシは発売前にBlu-rayを予約で買ったために5398円で購入できたのだが,今ではせいぜい15%引き,6000円台でないと購入できないらしい。DVD版は割と安いようだが,今時ハイビジョンがフツーになってしまっているのにこんなリア充爆発汁アニメ,高画質で見ない手はないのである。

 原作については既に述べた通りであり,その後の原作者・クール教信者の活躍っぷりも知る人ぞ知る,過労死するんじゃないかというぐらいの連載の抱えっぷりは,過去色々あったせいであるようだが,元気で「寂しく可哀想なおまいらまとめておっぱいでリア充汁」をまき散らしているのは誠に喜ばしい限りである。アニメ化された本作が人気を集めるのも当然なのであるが,しかしこれ程とは・・・しかも第2期の政策が早々に決定されたというんだから,いかにもオタクな皆様方の幸せになりたい欲求が強いかということが分かろうというものである。

 なーんだ,みんな寂しいんだ。
なーんだ,みんなカップルでイチャイチャしたいんだ。
なーんだ,みんな結婚してつつましくも小さい幸せに浸りたいんだ。

・・・ということが,原作に忠実に作られ,キレの良いギャグの詰まった5分アニメの人気の高さで立証されてしまったのである。まぁ人間素直になることは良いことであり,野郎の拗れた心象を癒してくれるのは自分だけに降り注ぐやさしい愛情だけであるという当たり前の事実を知ることは日本の将来にとって真に役立つこと間違いないのである。もちっとカオルのおっぱいは線じゃなくて影付きでボリューミー(日本語英語)に描いてほしかったという希望はあるがそれはまぁ許そう(偉そう)。

 さて,ワシも一応は既婚者になったのだし,以前書いた通り,既婚者が結婚生活をあまり面白くなさそうにひとり者に語ることは害毒であると主張した以上,ここで声高に述べておきたい。

結婚はいいものだ。
妻のおっぱいはいいものだ。
みんな結婚しよう!

 かつての「リア充願望保持者」として第2期の放映を妻を抱きつつ待つことにしたい。

須藤真澄「グッデイ」エンターブレイン

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-730047-7, \780+TAX

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 毎年大晦日にはほっこり幸せになれるファンタジー作品を紹介している。今回は須藤真澄だからその条件に十分適う作品のハズなのだが,ワシは一抹の不安を感じている。かの一休禅師が正月に骸骨を杖に刺して「ご用心ご用心」と言って回ったエピソードを連想させてしまうかもしれない。まぁいつものマスビ作品のトーンであることは間違いないのだが,副題が”Today is a good day to die”だから,マスビ流にメメントモリど真ん中貫いた作品集であることもまた事実なのである。大晦日のこの日にメメントモリだと?

 ある薬を飲むと,世界中でただ一人,その人物が死ぬ直前,一日前からまん丸く見えるようになる。「玉迎え」というその名の通り,とてもかわいらしくまん丸に手足が付いたように見えるのである。本作はそんな「玉迎え」を見た人物と死を迎えた当人,そしてその周囲の人々を交えたエピソードを10話収録したシリーズ短編集である。最後の作品「ワンデイ」は,第1話を玉迎えされた当人の側から見たアレンジものなので,正しくは9話+カップリング1話というのが正しい。

 齢40を半分過ぎると死をそれなりに身近なものとして感じられるようになる。老化現象が進むし,知人友人も体を悪くしているし,両親の老いは避け難く,そろそろ今後のことを考えておかないとなぁ・・・と,自分も周りも死の匂いが濃くなってくるのである。つーか,それが普通になってくるので,勿論気分の良いものではないが,「まぁしゃーねーな」と前に進まないとイカンということもリアルに理解できるようになる。そうなると,どのみち確率100%で間違いなく死ぬわけだし,そうなるまでに何ができるか,指折り数えて後悔がないようにする・・・ということが不可能であることもまたリアリティをもって実感できるようになる。明日死ぬということが分かっても,一切の心残りなく往けるなどということは「できねーよそんなもん」なのである。

 そう,マスビ流のメメントモリは,死の当事者にとっては「できねーよそんなもん」であり,その周囲のまだ生きていかねばならない人間にとっては,死は死として「まぁしゃーねーな」と前に進まねばいけない,そーゆーものなのだ。そーゆーものが,いつものマスビ作品同様,わきゃわきゃ賑やかしい「祭り」のなかにぶち込まれているのである。

 してみれば「ご用心ご用心」と触れ回った本人も結局は人に言うよりも自分に向かって言っていたような気がする。「冥土の旅の一里塚」である自覚があることが「生」であるということを自覚し,自覚したところでいつもの自分以上のことがすぐにできるわけでもないから「ご用心」めされよ。親しい人の死に一時的にじめっとするのは仕方ないが,それだけに留まるのは「ご用心」,「冥土の旅の一里塚」を通過しただけのことだからチラ見した後は通過するだけなのだ。本書は一里塚を通過するための儀式を自己流に昇華した作品として,現時点の須藤真澄の達観ぶりを知るいい素材なのだから,「ご用心」のためにもこの年末年始に読むのはそれなりにふさわしいものと言える・・・よね?

 本年はご愛顧ありがとうございました。
 来年もよろしくお願い致します。