1/9(金) 掛川・?

 昨日は,某企業から持ち込まれた
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と,学生実験用に購入した液晶ディスプレイ
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にかかりきり。・・・翻訳頑張りまーす。

1/8(木) 掛川・晴

 昨日は講義とゼミで疲れ果て,BNCpackをちみっと弄った他には何もせず。今日は翻訳頑張りマース。
 サイバラさんの「できるかなV3」を読み返していて(あっ,もう逃避しているっ),何かデジャヴ感が漂うなあ,と思っていたら,先ほど原因が判明した。このホステス編,めぞん一刻の後半で五代君がバイトしていたキャバレーの託児所を思い出させるのである。あの当時は「へー,水商売は福利厚生がしっかりしているんだ」ぐらいにしか思っていなかったのだが,今回サイバラさんの,対象に寄って寄って寄り切った体験漫画によってそれが裏付けられたことになる。全く,この世で一番強いのは,子供を産んで育てているオカンだよなあ。
 逃避ついでにもう一つ。PC Watchの元麻布さんの記事中,PCI Expressについて触れたところで,新商品出始めの時期に遭遇しやすい不具合について,「こうしたトラブルを体験するというのも,第1世代の製品を購入するユーザーの特権(?)」と書いている。これは思い当たるところが多い指摘である。わしは徹底して安定性重視なので,PCパーツについてはそーゆー体験をしたことはないが,新しいモノに飛びつく方ではある。おかげで1990年代後半にはTCP/IPとThe Internetに填った訳だが,あの当時は面白かった。北陸のSINET Hubが設置されていた金沢大学の集合ルータ室にも入れたし(TAを設置したのである),日本国内のサイトに接続するにもRouting経路がUSAまで往復していたなんてこともあった。DNSのSecondaryを同じ組織内で立ち上げるという馬鹿なこともしたし,Sendmailの設定をあれこれ弄くることもやった(これは今でも続く)。今から考えれば,トラブルの宝庫であったのだが,当時はもうドタバタと追いまくられていて,自分の思慮の浅さが原因で仕事を増やしているということに思い至らなかった。日本のThe Internetバブル直前の時代ならではの「初期不良」にまつわるトラブルも経験させて貰った。
 そーゆー身につまされる経験を経て現在に至るのであるが,自分の為になったことが多い反面,経験からしか「学習」できない自分のバカさ加減も大いに自覚させられた。利口な人とは理屈から先の見通しをきちんと立てられるレベル以上の能力を持っている人のことである。よって,経験を経ずとも未熟さから来るトラブルをそこそこ回避できる。バカとはこれができず,失敗からしか学ぶことができない。しかし,バカはバカなりの楽しさというのも確かにあって,利口な人が踏み出せない一歩を,体力に任せて踏み抜き転げ落ちる経験を経ることによって,「転落の痛み」を事前に予測できるようになるのである。致命傷にならない程度の転落であると判断できれば,その失敗をすることによって得る「成果」との最適化を図り,得になる失敗かどうかの予測はできるようになる。・・・と,このレベルまでたどり着き,なおかつ失敗をスマートに処理することが出来る技術が身に付けば,もうバカは卒業である。わたしゃまだまだ,もっと小失敗を重ねてバカの技術を磨かねばならない。
 しかし,考えてみれば,世の中バカの方がずっと数が多い訳で,それ故に叱り役兼道案内役である教師なる人間がいるところの学校で物事を習う習慣が廃れないでいる。教師だって人間であるからバカが多い訳だが,そうすると「バカがバカを教えてバカがさらにバカになる」という批判が出そうだが,前述の通り,バカはバカなりの経験を積んでいるはずなので(逆にいうと,バカは経験を積まなくてはいけないのである),それを教えることが出来る。これはこれで,立派ではないかもしれないが,「教育」にはなり得ているのである。大失敗しかねないバカを,小失敗程度に留めることが出来るバカにすることは,バカでもなんとかなる,筈である(ちょっと自信なし)。
 こんだけ長く言って,何を言いたいのかと問われれば,わし程度のバカでもそれなりに存在価値があるのだという,単なる自己弁護なのである。お粗末様でした。

1/7(水) 掛川・曇

 翻訳,わりかし進む。今日も頑張るべー。
 wingmp,ちょっと更新。C90じゃなくって,C99でしたな。失礼しました。

1/6(水) 掛川・晴

 マジメに翻訳を進める。シコシコ。
 見逃していたが,MPFRが2.0.2になって,C90準拠の特殊関数を取り揃えるに至っていた。後でコンパイルしてみようっと。

1/5(月) 掛川・?

 けーっきょく,予定通りの仕事はぜーんぜんおわらんかった。翻訳は今までのサボり量が多すぎて殆ど進まず,一月一杯かけてやっつけるしかない。もうあれも中断,これも中断ってなもんである。現実逃避てがら弄くっていたwingmpが唯一の成果か。ちぇっ・・・。
 という有様のまま,今日から仕事始め。だらけた体勢を立て直して頑張るしかないなあ。あーあ。
 やけくそでJeLA2004用の原稿下書きをやっつけて共著者へメールする。はふぅ,これで一つおしまい。これから翻訳と査読と二つ目の紀要原稿をやっつけねばならぬ。ああ~,死ぬぅ~(悦楽)。
 本日までに届いた年賀状は全部で21枚。わしは返事以外の年賀状は絶対に出さない主義なので,この年にしてはかなり少ない方だろう。このうち返事を書いたのは15枚である。折角なのでもう少し分類してみよう。
 21枚中,15枚はインクジェット紙のもので,5枚は単なる再生紙はがき。この20枚は50円もので,絵入りの53円はがきは一枚のみである。3円分をケチらねばいけない程,皆さんは年賀はがきを出しまくっているようである。
 返事を出した15枚のうち,わし個人向けのメッセージが何もない上に,住所書きまでプリンタで打ち出している「てめぇなんぞはお義理で出しているんだぜ」的メッセージがありありと分かるものが9枚ある。こーゆーのはメールで十分事足りるものである。ちなみにわしは嫌みっぽく53円のはがきで返事を書いている。「はっ,君たちビンボー人には53円はがきは使えまい?」という意味も込めてね。・・・ああ,わしってなんて人がいいんだろう。全くほれぼれしてしまう。
 これでまた年賀状が減るかな? ま,それはそれで結構なことである。どーせこの先さらに増えに決まっているのであるから,均衡が取れてちょうどよい。
 ↑という反応は,家族の写真付き年賀状に対するジェラ心が顕現したものである。あー全く羨ましいったら羨ましい。
 さすがにテンパって来たので,翻訳をちみっと進めて寝ることにする。