昨日の超並列研究会は,DELLの営業トークも含めて,なかなか面白かった。GUI Web Browser発祥の地,NCSAのDELL Clusterの話,Switchの実物を拝めたInfiniBandの話を聞けて,ホホウなるほどと感心して帰ってきた。しかし,ここでも挨拶を交わすような人が来られているとは思わなんだ。
・・・で,36歳の誕生日は過ぎてゆくのであった。ついでに人間ドックの予約もしておく。今年度はとうとう受診できなかったしなぁ。
本日は学内Webサーバをex-csと同じ構成(Apache2+MySQL+Tomcat)にして,replaceした。あーめんどくさ。しかし,前回作ったメモがあったので,作業そのものはさくさくと進む。MySQLで作ったデータベースのバックアップを取るのを忘れていたというオマケはついたが。
本日で職場を去る人もあり,明日来る人もあり。人生色々である。
明日はあれやってこれやって,SciCADE参加振込み手続き開始,研究室のメインPC Dual 19inch化,cs-pccluster2の復活作業とLCD追加をやったあと,某科研費(2006年度からは共同研究者になってしまったので)Projectに本腰を入れることになる。しばらくそっちのプログラムは組んでこなかったからなぁ,思い出すだけで一日終わっちゃうかも。土日が勝負かな。
来週は,cs-pcclusterの復活,学生実験準備をやってようやく並列計算に取り掛かれる,つーか,取り掛かねばSciCADEにもSWoPPにもFITにも間に合わないのであった。あー,もう春休み気分を捨てて仕事モードに突入せねば。
寝ます。
お,終わった。未読大王からgetしたファイルをマージして,目立ったミスを修正して3年越しの翻訳作業に一区切ついた・・・。でも細かいところのすり合わせとか,誤訳もまだ残っていそうだし,うーん,何回見直しても直った気がしない。気分は前野良沢(そんな大層なもんかいっ)。「あれここれもまだ足りないよ―な気がしますが一応完成っつーことでひとつ」と小生御大にメールして今日の作業は終了である。
明日はDELLのHPC戦略とやらを伺いに川崎へ。明後日は学内サーバの移設作業で,月曜日までに某Projectのプログラムを仕上げて・・・うーん,死にそうである。のんびり温泉に浸かっていたバチがあたったか。でも休養は良かったなあ。来年もやろっと(懲りてない)。
今日はもう風呂入って寝ます。
結局,翻訳最終チェックはなーんにも進まず。休養ボケが続いているらしい。とはいえ,心機一転,今週こそ終わらせねばいけないので,明日からは気合を入れなおして頑張るしかない。メールの返信が滞っているのはそのせいです。明日には返信します>S先生 ついでに,SciCADE05の申し込み,遅くなりましてすいませんでした>Local Secretariatの方々(ワシもなのであるが実質的に何もやってないのであった)
風呂入って寝ます。
さて,これから私的Blog論を展開する訳だが,その論がどのような所から影響を受けているのかを明らかにするため,ワシが良くチェックする(ほぼ毎日)サイトを列挙することにする。これを書くためにFireFoxのTab機能を使ってこれらのサイトを並べてみたが,何とまぁ綺麗に自分の好みが反映されていることかと,改めて感動してしまった。なお,使用CGIのVersion Numberは2005年3月26日現在のものを記している。
○内田樹の研究室(Movable Type 3.15A利用)
「ためらいの倫理学」「寝ながら学べる構造主義」「先生はえらい」の著者である神戸女学院大学教授のBlog。ちなみに「ためらいの倫理学」は,Blog形式に衣替えする前の著者のWebサイトに掲載した文章が土台となっている。
門外漢には小難しい文学的タームが多用されるし,ワシとは考えが異なる点も見受けられるが,文章が面白く,何より人生を楽しんでいる様子が伺えるところが良い。50を越えたら人生もBlogもかくありたいものである。
「LaTeX2e美文書作成入門」「Javaによるアルゴリズム事典」の著者である三重大学教授の日記。以前は「いろいろ」と題した静的HTMLメモだったが,三重大に移る前にPukiWikiに魅せられたようで,更新を続けていた主要なディレクトリの多くがWikiによるものとなった。
実は,著者とはPC-VAN時代に一度お会いしたことがある。その時は神奈川で高校の教員をされていたのだが,その後,三重の私大の教員となり,つい最近,また三重大に移られている。昔から温厚かつ冷静な対応を掲示板やWebでもされていて,ワシみたいな瞬間湯沸し器人間からすれば,その人柄は尊敬の一言に尽きる。初期のPC(8bit時代)に親しまれてアルゴリズム(特に圧縮)やTeXに関する優れた著作をモノにしてきており,どちらも版を重ねてロングセラーになっている。現在に至るキャリアアップの主たる土台はこれらの著作の実績にあると思われる。
自分の専門分野とは被るところが多いので,内田先生よりは奥村先生を手本とすべきなんだろうが,こんなにマメにWebや著作を書く生真面目さはないので,真似しようとしても無理である。まあ,ワシにとっては見果てぬ神様レベルの到達点なので,毎日拝見するだけが関の山である。
○武田徹のオンライン日記(teacup AUTO BBS Lv3)
「「核」論」「「隔離」という病」という,単なる報道に留まらない思想を伝えてくれる重厚な著作を刊行し続けているフリーのジャーナリストによる,掲示板を利用した日記。以前は書き込み自由,但しメールアドレスの明示を求める,というスタンスで運営をしていた。その際に,浅い考えを掲示板で述べたら,真面目で深いコメントを頂き,「へー,見ず知らずのワシにもこんなにちゃんと答えてくれるんだ」と感動した覚えがある。そーゆー対応はワシには無理である。
専門書のように,門外漢には分からない専門語を書き連ねるのではなく,ねっちりと自分が調べた内容を伝え,それでいて文章は明快に,しかし論旨はそう単純ではない,というスタイルが,ワシにとっては理想である。あれもこれもこーんな事実があって,でもまだまだこのあたりもこのあたりも未知のことなんだよ,という「一言でまとめられない」,それでいてそんなに分厚くない,ワシの専門分野について書いたものができればいいなぁ,と,武田の著作を前に,ぼんやり考えているのである。
○いしかわじゅんHome Page(HTML, Topページに直書き)
近年では「うぇぽん」「薔薇の木に薔薇の花咲く」といったギャグ漫画家としてより,BSマンガ夜話での辛口(「正直」なだけなんだけどな)レギュラーコメンテーターや,「いしかわ式」「漫画の時間」といったエッセイや評論を書いている文筆家としての方が認知度が高いと思われるいしかわじゅんのWebページ。トップページに文章をセンタリングして書き込んでいく,というスタイルは古いと言えば古いが,慣れてしまうと読む方も書く方も楽である。
自分の気持ちに「正直」で,直裁的な言葉を使って相手の神経に触ってしまうことが多いため,あちこちで感情的な悪口を言われてしまうようだが,第三者としては信頼できる「印象批評の達人」と言える。自分の言ったことに対しては逃げずに腰を据えて対処している所は,常に逃げ腰の体制を取って日々ビクビクしながら過ごしているワシにとっては見習いたい。実践はできそうもないが。
しかし,著作を出すスピードは物凄く遅い。連載終了後に恐ろしいほどの加筆訂正を行い,本の装丁に関してもあれこれこだわってしまうためらしい。「漫画の時間2」がいつ出るのか,殆どナイアガラ―並みの忍耐力を試されるつつ,Webサイトをチェックしつつ待ち続ける今日この頃である。
○唐沢俊一の裏モノ日記(HTML, mixi.jpに書いたものを適宜整理して掲示)
今ではオタク的なディープネタを得意とするライターとしてより,どっかに買収されかかっているフジテレビの番組「とリビアの泉」のネタ提供者としての方が名高い唐沢俊一氏の日記サイト。現在は,と学会会員が集うmixiの方でやり取りをすることが多いようで,日記の方は気が向いたときにそれをまとめて掲示する,という体裁を取っているようだ。
氏は現在の地位を得るまではアルバイトしたり,芸能プロを経営したりと,結構苦労人である。今の日記を読むと,ご夫婦+ご母堂揃っての美食(といっても夕方だけだが)の毎日が続いているようであるが,どっちかってぇと,うまいものを食う,というよりは皆で集まってワイワイやる,という方が好きでやっている,という感じがする。一人地道にコツコツとネタ集めを図書館と古本屋を回ってやる,という作業も好きだが,と学会みたいなグループを作って喋り倒すのも同じくらい楽しむ,社会性のあるオタク(ワシの友人にもう一人似たタイプがいる)の走りみたいな人である。
ワシは唐沢俊一名義の近作よりも,唐沢商会名義の,弟なをき氏との合作漫画が好きで本人の日記を読むようになった。これらの作品は時代が早すぎたようであまり部数が出ずに終わっているようだ。それ故にネタだけが今になって「トリビアの泉」に噴出した,とも言える。苦労人らしく,世間に物申す,というよりは申し上げる姿勢がその思想にも現れているところが,小うるさいけどいざという時には頼りになる先輩と,ワシには思えるのである。
○Takachiho Notes(HTML, Topページに直書き)
ダーティーペアシリーズ,クラッシャージョーシリーズで著名なSF作家高千穂遙氏のWebサイト。ここもトップページに日記を書いているが,いしかわじゅん氏とは違って,きっちり枠に囲んで二日分ずつ掲載している。几帳面で後輩には小うるさい氏の性格がよく出ているページである。産経新聞を盛んにお勧めしているが,連載四コマがライバルA新聞のいしいひさいちと対抗できるレベルになったら考えてもよろしい。
思想的にはワシとは全然違っているのだが,自転車ダイエットに精を出して地道に健康を維持する姿勢は見習いたい。
こうして見ると,全てのサイトは本人が執筆した作品を読み,それを通じてチェックするようになったものばかりである。こちとら一応三十路過ぎの中年であるから,曲がりなりにも思想は固まってきており,どれ一つとして全面的に賛成するような意見のあるサイトはないが,どこかに参考にしたいと思わせる主張があることが分かる。ま,当たり前であるが。
内容もさることながら,字体の大きさも結構重要な要素となっている。Movable Typeの場合,標準のCSSでは日本語環境には小さすぎるFontサイズになってしまう。気にならない人が多いのか,そのまま使っているケースが多く見受けられるのだが,とにかく読みづらくって仕方がない。そーゆーページは段々読まなくなって,残ったのがこれらのサイト,ということになる。案外HTML直編集のサイトが多いのは,ISPお仕着せのBlogシステムを使ってデザインを主どおりに変更する手間を避けるための知恵なのかな,とも感じる。流行は一通りチェックしつつも是々非々で望み,役に立たないと思えばそのまま,役に立つと思えば取り入れることに躊躇しない姿勢も共通している。これは本人の思想の持ち方とも関係しているように思える。
以前,友人から「Blogとはどういうことを書けばいいのか?」という質問を受け,次のように答えた。
1.自己満足が基本。他人がそれを読んで面白がったり怒ったりするのは全て余禄。
2.システム的には,デザイン感覚のないワシみたいな奴でも,読みやすい版組みにしてくれる所が一番の売り。HTMLを書かなくて済むのも楽。
3.トラックバックやコメント機能については使っていないので特段意見はなし。
大分偏っている上,3に至ってはBlog一番の利点を活用してないことになり,Blog利用者としては下の下,と言われても仕方のない所がある。しかし,この原則に従い,Web日記からBlogへ移行して,今年(2005年)の8月で3年目を迎えるのである。「更新が命」とはWeb全般に言えることであるが,それだけではダメで
4.年単位で更新をし続けること
これができなければ,それはとてもBlogの名に値しない。何事にも飽きっぽいワシが,Web日記も含めると6年も「更新」は続けているのだから,人様から何と言われようと,この原則は「正しい」のである。逆に言えば,4の原則を守るべく1~3の原則は定められるべきなのであり,続けることが出来ればBlogのポリシーは何であれ正当化されるのである。
ん? Web上に公開するんだから,「人様に読んでもらう記事を書く」という原則も必要なんじゃないかって?
ふん,しゃらくさい。
もし,本当に誰かに読んで欲しいんだったら,それは個人ページに書くんじゃなくて,企業や組織が運営しているもっと大規模なWebサイトか,別のメディア(書籍,雑誌,TV, ラジオ・・・)に売り込むべきである。まず自分以外の信頼できる第三者に目を通してもらい,大人数が読むであろう場所にその記事が掲載される,そのぐらいのシステムと場が不可欠である。
個人Blogはそういう場ではない。もし貴方が世間的に有名人であるか,ホリエモン並みのお金持ちであるならば別だが,そうでない一介の市井人の作るBlogのアクセス数は,外的要因がなければそう増えるものではない。ちなみにワシのBlog(ここね)の一ヶ月のアクセス数は2264(2005年2月分)である。3年続けた結果がこれであるから,始めたばかりのBlogはもっと悲惨なアクセス数となることは間違いない。読んでいるのも,偶然ググってみたら辿りついたとか,Web Robot,貴方を見知っているごく少数の知人,というのが関の山である。個人Blogにおいて,不特定多数の人に読んでもらいたいという欲求を満たすことは期待できないと思い知るべきであろう。
読んでもらえないような文章を長く書く意味はあるのかって?
・・・あのね,その質問に対しての回答は,質問そのものをちょっと改変すれば事足りるのよ。
長く書き続けた文章には何がしかの「意味」が宿る,のだよ。分かるかね?
そりゃぁ意味の通じない文字コードのカタマリでは無理だが,少なくとも書いた本人に理解できる内容であれば,自分用のメモとしては「意味がある」と言え,もしかしたら他にも「意味がある」と感じてもらえる人がいるかもしれない。それでは不十分だ,もっと多数の人に認められたいと思うのであれば,前述したように,それに相応しい場を求めて自分を売り込めばよろしいのである。そんなことをしなくても,書いた本人が理解できる文章を書きつづけるその行為自体には,「意味が宿る」のである。少なくともワシ自身にとって,このBlogは誠に意味深い内容になっている,ということは断言できる。
故に,Blogは書き続けること,そのことが一番の肝要なことなのである。ワシにとっては書きつづけるためのモチベーションは「自己満足」にあったのである。
ということで,この「About Blog」というカテゴリの記事は,気が向いたときにBlogについての私論をそこはかとなく書き綴っていく予定である。春休み企画みたいなものなので,10回程度で完結する筈である。完結しなかったら「飽きたんだな」と思って頂ければ幸いである。このお気楽さも個人Blogならでは,である。
毎日,朝と晩に温泉に浸かる生活を送っている。いいだろー。これは,朝風呂の後,飯を食おうとしたら食堂が一杯で席がなく,空いたら連絡するのでしばらく部屋で待っていてくれ,と宿の人に言われたため,その待ち時間を利用して書いている。まだかー,腹減った~。
昨日は友人と待ち合わせの上,N山S寺を見学し,ついでにうなぎを食してこようという計画だったが,友人の携帯にいくら電話しても繋がらなかったため,一人で観光して,著名なK豊・・・の隣の店で一人でうなぎを食って帰って来た。
宿に帰ってメールを読むと「いつ来るんだ?」と友人から問い合わせ。「何言ってんだボケェ,何十回電話かけたと思ってるんじゃワレェ」と返事をしたらようやく先方から電話が入り,携帯の使えないエリアにいるということであった。K東のC県でもそんな地域があるのか? まあ,ともかく改めて飯でも食おうということで,本日夕方にF橋で落ち合うことになった。ヤレヤレ,である。
あ,呼ばれたので,朝飯食ってきます。
食ってきました。
とはいえ,仕事も持ってきているので,そちらもきちんをやらねばならない。さて,未読大王(面倒なので「メール」は略)の分は,遅れたが品質は・・・ダメダメである。どうやったらexploitationが「外挿」になるんだ? そもそもイマドキは「補外」だろうっ! あー,何言っているんだかわからん直訳調っ!・・・ちょっと前半を見ただけで真っ赤になってしまった。何が三日で仕上がる完成度だっ! 本来なら最終校正は年長者の役割だろっ! ・・・とめげていても仕方がないので,バリバリ直しを入れていくのであった。
予定通り,骨休めのつもりが骨休めにならない仕事付きの休暇を送るために某温泉に来ている。ネットが使い放題なのはありがたいと言うべきか,もう慢性の連続ネット猿状態に陥ってしまっていると言うべきなのか。旅の友Let's Note R3はともかく,外付け光ドライブまで担いできたのはやりすぎではないのか。何のための休暇なのか(以下加算無限個の愚痴略)。
これから学部時代の恩師の退官記念パーティーに参加する。その後2次会の予定。門限がある宿なので,果たして帰りつけるかどうか不明。○○公園あたりで野宿する羽目になるかも。
では行ってきます。
第一部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747749-5, \838
第二部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747759-2, \838
第三部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747772-X, \838
古典を読め,とはよく言われることであり,実際読むべきである,とは思う。古典とは,その後それを追う著作がいっぱい出て,「何でこんなに言及されるのか?」と不思議に感じたときに紐解かれる,いわば著作の源泉なのである。そーゆー代物は読みたいとは思うが,例えば「たけくらべ」を読もうとしても,文語調に慣れていないヘタレな現代一般人の多くは読了できないだろう。短いこの作品にしてからこの体たらくであるから,源氏物語なぞは,まあ無理である。せいぜい,瀬戸内寂聴や円地文子の現代語訳を通じてオリジナルの息吹を感じる程度が関の山である。
更に問題なのは,文語もさることながら,その古典が執筆された際の時代背景についての知識が必要になることである。実は,ワシは名前を出していながら白状するが,源氏物語は現代語訳や大和和紀「あさきゆめみし」すら読んだことはない。もちろん,学校教育でちらりとその抜粋を見かけたことはあるが,光源氏なる人物がいかような女遍歴を辿ったのか,ということはさっぱり分からなかった。おぼろげながらも筋を知ったのは,川原泉「笑うミカエル」を読んでからである。おかげでワシの光源氏像はエラく偏ったものとなってしまっている。
とまぁ,読みたくても読めないのが,ワシにとっての古典である。どーせオリジナルを読めないならさ,いっそマンガでもダイジェストでも小説でもいーじゃん,と安易な開き直り状態に陥ってしまっているのである。
というわけで,「ミシェル 城館の人」である。ミシェル,とはMichael de Montaigne,つまり「随想録」を著したモンテーニュのことである。皮肉もあり,鋭い文明批評あり,何より相対主義的な思想書と褒めちぎられることの多いこの古典は,しかし白水社の全訳は2186ページ・・・もうそれを聞いただけで読む気が失せる分厚さである。せいぜい同じ出版社から出ている新選本の方を読むのが精一杯である。しかしそれとても,それが執筆された時代背景を知っているのと知らないのとでは,やっぱり読み方が変わってくるのではないだろうか。現代にも通じる,かなり普遍的な「エセー」であるとは言え,それが16世紀の宗教改革の嵐が吹き荒れていた頃に,政治的に重要な役割を果たしながら,一人城館に篭ってこれを書いていた,ということが分かってくると,より一層,古典としての凄みが理解できそうではないか。しかも,ミシェルさんは,領主としてあまりよい働きをしたとは言えず,父親には溺愛されてラテン語の早期教育まで受けさせられたが,母親とはあまりうまくいかず,しかも妻は寝取られる,というプライベートまで明かされてしまうと,だからこそこれが書けたのかな・・・と変な納得をしてしまう。そーゆー,ミシェルさんに関する様々な政治的・家庭的な事柄も,「エセー」からの豊富な(ちょっと重複は多くてくどい感じはあるけど)引用も含めて時系列的に述べられている本書は,言葉は悪いが「馬鹿でも読める随想録」と言える。ワシはこの3部作を読了して,すっかりモンテーニュが,随想録が分かった気になってしまった。
しかし,本書は小説としての筋の通し方も見事である。最終的にモンテーニュが到達したもの,それに向かって収斂していくまでの流れが,歴史的ドラマの要素も加わって,結構ドキドキできたのである。相手に合わせるだけの相対主義は思想とは呼べない・・・モンテーニュがたどり着いたのはそんなものではなく,自分の内面を徹底的に見つめることで築くことの出来た「思想」であると,堀田は言う。果たしてワシみたいな文学的素養のない人間にそれが正しく理解できているかどうかは怪しいが,どーも,小林よしりん的な「絶対主義」よりは,ずっと相対的な「構造主義」の方が肌に合うよな,と感じつつあるワシとしては,ミシェルさんに近しい感情を勝手に覚えてしまっているのである。
昨日は雨だった。途中,暖かい空気が流れてきたようで,冷気を溜め込んでいた我が職場の廊下は水浸しとなっていた。冷たい飲み物の入ったガラスのコップに水がつくのと同じ理屈である。しかし滑って転んで死んでしまっては元も子もないので,慎重に歩かねばならないのが面倒である。
どーにか学外設置サーバが動作する。iptablesは細かい指定が出来るのが売りだが,どーもうまく指定できていないようである。今のところはえいやっとセキュリティ的には甘くしてあるのだが,さて休暇明けにはどうなっていることやら。トップページが書き換わっていたりして。
さて本日は名古屋で某御大の退官記念講演会,明日はワシの学部時代の恩師の退官記念パーティである。その後はのんびり休暇を楽しむ予定が,サーバの構築に時間が掛かって,肝心の翻訳最終チェック作業がぜんぜん捗っていない。従って,仕事道具一式をかついでホテルに向かわねばならない。嗚呼。それもこれもメール未読大王が(以下略)。
ということで,行ってきまーす。
ただいま。定年退官記念講演会というのは,話には聞いていたが出席するのは,実は初めて。なかなかいい雰囲気で行われていた。その後,八事のホテルに移動してパーティ。2次会が開かれたので1時間ほどお付き合いして帰宅した。
明日も退官記念パーティ。その前にあれこれ雑務を片付けねば。仕事も持っていかねば。それもこれも(以下略)。
寝ます。
晴れてたような気もするが,2つの会議の合間にVine 3.1でサーバのセッティングを行っていたので,忘れてしまった。
あーめんどくさ。久々のセッティングなので,すっかり忘れてやんの。apt-getコマンドは便利だが,それに頼れないPHPだのJakarta-TomcatだのJDKだのとあれこれ突っ込んだのである。一通り動くところまで漕ぎ着けたので,一安心である。後はiptablesでガッチガチに防御してセッティングである。postfixの設定は結局後回し。やっぱりSMTP-AUTHを使いたいので,再来週にテストを重ねてから使ってみることにしたい。でもやっぱ,sendmailに比べると楽だわ。
さて,明日も早いので,さっさと寝ます。もう少しで休暇だ休暇だ。
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-309-72846-4, \1200
サラブレッド,という言い方があるそうだ。何のことかというと,いわゆるエリート純血主義のことである。出身地,出身校,両親・親類等が優れている人物のうち,特に才能に秀でている者を引き立ててエリートとして育てあげる,というシステムをそう呼ぶのだそうである。取り立てて才能もなく,出身大学も並以下,人並みはずれて努力家というわけでもないワシは,最初そのシステムを聞いてムカついたものである。大体,サラブレッドだらけの世の中って面白くなさそうである。ワシみたいな馬鹿もいた方が,何かと賑やかで,トラブルは多いけど,それ故に思わぬ見返りもありそうじゃないか。
しかし,サラブレッド・システムでなければ生まれ得ない人物,というのも確かにおり,馬鹿を生かすなら,飛び切りのエリートもいないと釣り合いが取れない,とも言える。まあ,最終的にはバランスの問題になるのだけれど,とびっきりのエリートってのは,やっぱり必要だな,と,同世代のそーゆー人物と言葉を交わす機会が多くなってくると,そう思うのである。
サラブレッドなら,自力で這い上がってくるんじゃないかって? いや,それじゃまずいのである。千尋の谷から這い上がって来た時点で,サラブレッドは獅子になっているのである。馬はやっぱり平和な牧場で,飼い葉に困ることなく,それでいて「走る」ための鍛錬だけは怠らずに続ける,そうやって育てなくてはならない。余計な岩登りなんぞさせてはいけない。ま,ワシみたいな馬鹿は,「馬鹿力」がないと世の中渡っていけないので,大いにロッククライミングに励む必要があるのだが,ね。
で,西島大介である。後見人は・・・いっぱいいそうだけど,やっぱり大塚英志の力が大きいのかな。独り立ちして書いた作品は既に2作。「凹村戦争」と,この作品である。「へえー,新人でもう書き下ろし2作目?早川と河出から,ねぇ」などと嫌味を言ってはいけない。彼はエリートなのである。サラブレッドなのである。その資格を十分備えた作家(漫画家,と言われた方が嬉しいのかな?)なのである。大事に育てようではないか。冗談抜きで,ワシは宮崎駿亡き後は西島大介が日本のカルチャーを引っ張っていくのではないかと,期待しているのである。
とにかくセンスがいいのだ。一見かわいい3頭身のキャラクター達が,鮮血を噴出しながらバラバラになったり,SEXしたり(本作ではベロチュー止まりだが),泣いたり笑ったり絶望したりと,白い画面を有効に使って柔軟に動き回り,ストーリーを作っていく。読み終わってみると,実は二作とも馬鹿マンガ(by BSマンガ夜話)だと結論付けられるのだが,それ故に読了後の爽快感はなかなか心地よい。久々にヤラれたという気分を味わって,ワシは大変に嬉しいのである。
現在連載中の「ディエンビエンフー」はタイトルから分かる通りベトナム戦争が舞台の作品だが,これも含めて3作全て,舞台が破壊されつくした,あるいは破壊されつつある世界である。まあ小難しい評論だと色々理屈がつくのだろうけど,単なる中年の一おっさんとしては,バブル後の失われた十年世代の感覚なのかな,という気はする。そして,絶望の底にいる以上は這い上がるしかない,というストーリーも,そこに由来するのだろう。
何だこいつ,デザインセンスはあるし,動きはうまいし,デビュー後の活躍の舞台もちょっとマイナーだが注目されやすい所だし,すくすくとエリート街道まっしぐらの癖に,みょーにワシら馬鹿の琴線に触れる作品を描くじゃねーか。あっ,そこが「才能」なのかっ! こいつぁ,やっぱりサラブレッドなんだなぁ。
とゆー訳で,しばらくは西島大介の走りっぷりに注目,なのである。
寒いぞ。一時的に寒気が戻ってきたらしい。灯油の備蓄がなくなるのが早いか,それとも本格的な春が来るのが早いか。あと三日が勝負である。
某シンポジウムの登録受け付けCGIを設置した職場の外部Webサーバが,停電復旧後,早々にダウンしたらしい。復旧はいつになるやら。結構高いマシン(確かUltra Sparcを積んだ奴)を買ったのに。
前の職場でも,Compaq(現HP)のNetware Serverを導入したが,ワシが出て行ってから早々にダメになったみたいである。高いマシンを導入するのは故障が怖いからなんだが,いざ壊れてしまうと誰でもすぐに治せるというモンでないだけに,復旧に時間が掛かる。それを考えると,そんじょそこらにあるPCにLinuxでも突っ込んで,技量の範囲内で世話できるサーバを立てて置いた方がよっぽどマシな場合もある。メンテナンスの手間とコストを良く考えて,しかも実績のある業者に頼まないといかんのだが,さりとてこちらが余りにメンテ料金を値切ってしまうと,「安い客」扱いされて,ろくすっぽ勉強していない新人なんかを回されたりする。うーん,難しい。
別件で,久々に外部サーバのセッティングをしなきゃならない羽目になり,Vine Linuxを弄くり倒す。apt-getは便利なコマンドだが,結局/usr/localに突っ込まなきゃならないものもあり,updateは全て自動で,とはいかないところが悩ましい。今日はまとめてupdateかけて,iptablesやOpenSSH,apacheのセッティングは明日に回す。さて,出来るかな?
総務省の人口動向調査が発表される。ジワジワと人口ピラミッドがやせ細っていく様子が良く分かる。全国の都道府県で,人口が増えたのは関東・中部・関西地区を除けば,福岡県と静岡県だけ。周囲の地域からこの地域へ人口が移動しているだけなんだろうな。老後は東京で,という人も多いようだし,過疎=老齢化とは単純に結びつかない時代になってきたようだ。50過ぎたら,ワシも老人ホームを捜さねばいかんのう。
今日は炊きそこなったメッコ飯を食いすぎたので腹具合がよろしくない。さっさと寝て,明日に備えます。
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-12-204492-8, \838
いやぁ,濃い内容の本である。が・・・ちょっと高くないか,中央公論新社さんよ・・・高々280ページの文庫本にしてこの値段である。「武田徹」というネームバリューに対する対価なのか,それとも売れ行きがあまり期待できないからなのか。多品種少量生産しなければならない出版社としては,台所事情も苦しいのだろうが,それは読者も一緒である。ご一考願いたい。
値段はともかく,本書は大変エキサイティングな内容となっている。つい先日,ようやっと法律的には解決したハンセン病患者の強制隔離問題を媒介として,全ての伝染病の罹患者に対する「隔離」の是非とその有様を検討する,という重厚な評論が展開される。しかしこれはアームチェア・ディテクティブ的な机上のものではなく,綿密な取材と資料探索に基づいて行われたジャーナリストの仕事なのだ。
ハンセン病問題を丹念に追っていくことでどのような論理が展開されるのかは,本書を丹念に読んで(著者に言わせると取材に費やした年数はかけて欲しいそうだが,そりゃ無理だ(笑))確認して頂くとして,一つだけ強調しておくとすれば,著者が問うているのは伝染病患者を隔離することの善悪ではなく,社会が「排除のメカニズム」を発揮しない隔離はどのようなものなのか,ということである。感傷的,あるいはイデオロギー的な信念とは別の位相で冷徹に「理想的な隔離」を追求しているのである。
香山リカの解説も含めて本書を読了して感じたのは,21世紀の現在においては,いわゆる「専門家」に対する疑いの目が「排除のメカニズム」に組み込まれており,それについての言及を武田も香山もしてないなあ,ということである。ハンセン病患者の強制隔離が積極的に行われた戦前ならばいざ知らず,薬害エイズ問題やオウム事件を経験してきた日本社会は,科学的言説を「権力」として振り回す専門家に対して距離を置いた見方が出来るようになっている。センセーの言うことはなんでも鵜呑みにしてしまうよりは良いこともあるが,いくら科学的に正しいことを主張しても簡単には受け入れてくれない,という状況は怖いところもある。個人的にはその点についても答えて欲しかったところである。
何はともあれ,力作であることは変わりないので,新刊で購入するには価格的にちょっとためらわれる向きには,是非ともしばらく待った後にBook offを探索されては如何であろうか。
雲が大目の空の隙間から太陽がちらちらと見える。もう朝方でもそれほど寒くない。春の様相。花粉も絶好調のようである。
お,Gladmanさんのソースキットがupdateされたか。後でチェックせねば。
昨日は,メール未読大王から完成原稿を奪取する予定であったが果たせず。本人曰く,作業用の不安定なPCから原稿ファイルを移動したNote PCもおかしくなり,現在打ち直し中につき,明日(つまり本日)午前11時に改めて渡したい,ということである。大事な原稿のバックアップぐらい取って置けよ,んっとに。
で,今日の午前中が勝負というわけである。さてどうやることやら。
こんなに立て続けにPCがおかしくなるのは,まあ運が悪いとしか言いようがないが,バックアップを取っていなかったことがまず致命的な間違いであり,猛省をお願いしたいところである。更に,いろいろ聞くと,Windows 2000を使っていながらロクにWindows Updateもしていないようで,もうなんというか,トラブルの原因は自分の行いにあるとしか言いようがない。
しかし,これって,PC利用者の大半に当てはまりそうな怠惰である。ワシも自宅マシン(今これを書いている奴)はWindows 2000 Proであるが,このインストールには一日を費やしている。インストール作業そのものは2時間ほどで終わるが(Pentium IV 2.8GHzマシンだし),その後のWindows Updateで膨大なパッチを導入せねばならず,そっちの方に大部分の時間を取られるのである。SP4を入れてもなおそんな有様であるから,まあWindows Updateの存在は知っていてもついサボってしまいたくなる気持ちはわからんではない。
また,バックアップについても,順調にPCが動いている限りはついサボりがちになる。・・・ま,痛い目に遭えば人が代わったように十重二十重とバックアップをとりまくるのであるが(ワシのことだ)。ワシの場合は,普段は職場で別ハードディスクと外部のftpサーバにバックアップを取り,重要かつ持ち出しても問題のないものは自宅でもftpサーバを介して保存しておく,という三重体勢である。更に,年度末に一度,CD-R, DVD-Rに一括してその年度に作成したファイルを必ず2枚バックアップを取っている。従って,過去のワシのデータは五重,もしくは最低でも二重に保存してある。これだけあっても,東海地震が起きればどうなるか分からない。某プログラマさんは,ソースコードをCD-Rに焼いて銀行の貸し金庫に入れて置くそうである。完全を期したいなら,そこまでやる必要があるのだ。
そーゆー,普段の利用方法についての講義や実習も取り入れないと,これからのコンピュータリテラシ教育は単なるアプリケーション実習に堕してしまうんだろうな。
本日は卒業式につき,ボチボチ出勤します。続きはまた後で。
ただいま。原稿はもらえた。完成度はイマイチだが,日本語は完璧・・・でもない。こりゃぁ,直しが大変だぞ。シャカリキで頑張らねば。
紀要のClucster論文,2分割しろという査読者からの指示があったので,さっさと取り下げる。またぞろ論文を仕立て上げる時間もないし,あえて分割する必要もないと感じたので,論争するよりは取り下げた方が無難と判断したのである。大体,既に一本acceptしてもらっているものがある上に,また2本も掲載して合計3本,こちとらそんなに業績に飢えているわけではないのに,そんなに書いてどーするんじゃ。とはいえ,折角書いたのを埋もれさせてももったいないので,こっちに置いておくことにする。
あとはぷちめれ書いて,翻訳チェックして寝ます。
[ Amazon ] ISBN 4-87257-533-4, \1140
本書の刊行に対して「吾妻ひでおが帰ってきた!」と表現するのは軽率のそしりを免れない。吾妻ファンを公言する人が浮かれてそう言っているのと聞くと,ホントにちゃんと読んだのか?,そもそもアンタはホントにファンなのか?,と疑わしく感じてしまう。
吾妻ひでおは,3度失踪し,3度とも帰還した。最初の2回は失踪してホームレスとなり,肉体労働にも従事した。3度目はアルコールに逃避して連続飲酒状態となり,親父狩りに遭った後,家族に抑え込まれて病院にぶち込まれた。その3度の失踪の間,吾妻ひでおはそれなりに作品を発表しているのである。単行本も発行しているのである。本書にはそのこともちゃんと描かれているのだから,それをホントに踏まえた上で「帰ってきた」と言っているのかよ,と思ってしまうのである。
本書の内容が内容だけに,反響も大きいようだが,巻末で対談しているとり・みきは二つの意味で心中複雑だろう。
一つは巻末対談での発言にあるように,「パンツの中まで見せて,ドロドロした部分もさらけ出したほうが凄いと言われがちじゃないですか。(中略)僕はそれ,絶対に違うと思うんです。それを一旦ギャグにして出すという,その辛さ,芸として見せることのほうがいかに大変なことか」という点が読者に理解されているかどうか,ということ。
もう一つは,かつてのブライアン・ウィルソンが作品作りのプレッシャーからドラッグに嵌って再起不能とまで言われる状態になった,ということが知られてから
真のロック野郎と称えられるようになった,そのことに対するとり・みきの違和感が,本書の刊行によってもう一度惹起されるのではないか,ということである。失踪したことによって,「吾妻ひでおは真のギャグ漫画家である」などという輩が出かねない,いやもう出現していそうな状況は,「職人芸」こそ称えるべきであると思っているとり・みきにとってはかなり嫌なのではないだろうか。
しかし,無責任な第三者であるワシは,もっと酷いことを考えている。仏の顔は3度までは撫でてもいいらしいが,正直,3度も失踪を繰り返したとなると,4度目もあるだろうと考えてしまうのである。そして,申し訳ないが,無責任かつ無慈悲な第三者であるワシは,口には出さねど(書いているけど),その4度目を期待してしまっているのである。Comic 新現実で始まった「うつうつひでお日記」をドキドキしながら読んでいるのである。「いつ落ちるか?」と。
デジャヴ。
これと同じドキドキ感を,つい最近まで中島らもに対して抱いていた自分を思い出した。アル中になり,ウツ病になり,ヤク中になって大阪拘置所にぶち込まれ,最後は酔っ払って階段から落っこちて死んでしまったあの作家の,作品よりは行動に対して期待してしまっている,無責任な読者である自分。世間の多数も,ひょっとしてワシと同じ穴の狢なのだろうか? そして,吾妻ひでおに対しても,とり・みきの願いとは全く逆の期待をしているのだろうか? ・・・などと疑問文で書いてしまうあたりが偽善者の偽善者たる所以である。吾妻本人がこれを読まないことを願っているが,もし読んでしまったらすぐに忘れて頂きたい。別段,読者の期待に答えて頂く必要はないのです。でも,でも,ね・・・。
さて,本書を読了した貴方にもう一度,問いたい。
「吾妻ひでおは帰ってきましたか?」
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-42067-3, \780
The InternetがWeb(World Wide Web)の登場によって爆発的に使用され拡大していったのは1990年代の,特にWindows95の登場以降である。その証拠にボチボチ開設10周年を誇るサイトが登場し出している。まだ10年かぁ,と思うと同時に,もう10年かぁとも思う。何せコピペ自在の儚いデジタル,移り変わりの激しいこのITの世界であるから,高々10年というよりは,10年間もよくもまぁWebと付き合ってきたなぁという感慨の方が強いのである。
今から思えば青臭かったと苦笑するしかないが,The Internet勃興期には,ありとあらゆるものがon-line化され,全ての商品は通販を通じて購入可能となり,OSなくともブラウザさえ動作する端末があれば事足り,既存メディアは淘汰されてThe Internetに集約され,一個人でも大企業でもWebページの上では平等・・・なんていう論調があっちこっちに見られたものである。何なら古本屋の均一棚を見てみるがいい。もうこっぱずかしい内容の「The Internetはパラダイス!」的な本が一杯並んでいるから。そーゆー時代を経ても,なおThe Internetのトラフィック上位に食い込んでいるWebは,ワシを含む様々な「The Internetをやらねば人にあらず」的な熱狂人作り出すだけのことはあったと,青臭さが抜けた今だからこそ断言できる訳である。
で,そーゆー時代もそろそろ終わりかけてきた1999年9月,恐怖の大王の代わり(?)に,一人の変な本好きライターがオンライン古本屋「杉並北尾堂」を立ち上げたのである。
オンライン古本屋,というとワシはふるほん文庫さんを思い出してしまうが,こちらは大量に文庫を集めてNPO法人まで作ったはいいものの,どーも経営的にはイマイチである。派手に株主を募集したはいいが,初年度を除いて配当金もロクに払えぬありさまで,最近ようやく紀伊国屋書店と提携を果たして何とか生き残りを計っている。
それに対し,本書の著者が経営する杉並北尾堂は,月々数万円というオーダながらも,副業としてはまあまあの利益レベルを維持し続けており,日本経済が右肩下がりになろうかという状況では,かなり堅実な商いを続けているのである。
とはいえ,個人経営(奥さんはいらっしゃるが,積極的に手伝っている訳ではないようだ)ならではの苦労はあって,仕入れだのセドリだの会合だのと時間は確実に取られてしまい,それがこのレベルの利益に見合っているかどうかという点は正直厳しいところだろう。しかし,大事なのは著者本人がこの忙しさを楽しめているかどうか,ということである。忙しいながらも達成感があり,その上で次の投資に繋がる稼ぎがあるのだから,著者・北尾トロは幸せな男なのである。
古本販売の方は一時停止していたが,今はメールマガジンを通じてのみではあるが,再開したようである。本業であるライター稼業に勤しんだ方が実入りもいいはずであるが,古本屋のおやじも捨てがたい魅力がある,ということなんであろう。腹は出るし腰も痛いし成人病が気に掛かる年になり,「幸せな人生とはなんだろう?」という命題を真面目に考えるようになったワシとしては,本好き人間の「幸せ人生サンプル」の一つが本書に提示されていることを発見して,喜んでいる次第である。
札幌は雪だったのに,掛川に戻ってきたら暖かいでやんの。気温の変化の激しさについていけるかしらん?
自分の発表を終え,昼過ぎに新千歳空港へ移動。ラーメンを食した後は,飛行機が飛び立つ時間までのんびり本を読む。あー久々だ,こんなにゆっくり読書できたのは。紹介すべき本が溜まってしまってどうしようもないので,明日以降,暇を見て書いていきますが,どーなることやら。
今日は「隔離という病」(武田徹)を読みながら寝ます。うーん,いつもながら武田さんの仕事は凄いな・・・。
花粉症に悩む人々がボチボチ出現しだしたと思ったら,一転冬に逆戻り。明日は関東地方でも積雪があるらしい。飛行機が飛ぶのか?いやそれより新幹線は動くのか? 明日は早めに出かけた方がよさそうである。
Smithfield初お目見え(PC Watch)。うーむ,確かに安易な実装である・・・ま,性能が出ればいいんだし,AMDのDual Coreより早く登場させるにはこれしかなかったということなんだろう。さて,性能が出るのかどうか? 早く試したいなー。
しかし,CPUブランドから"4"が取れるとややこしいな。ワシの実験室ではまだPentium MMX 200MHzという骨董品(しかもAT電源!)が稼動中なのである。同じ"Pentium"ブランドでも内部周波数が15倍違うんだからなー。しかもFSBに比較しても半分・・・。全く,元麻布さんではないが,どこまで早くなるのやら。
結局,Newton-Krylov法の並列化は着手できず,えいやっと中間報告を行うことになりそう。3月もスケジュール目一杯だし,最終週に手がけるしかないなー。SciCADE05はこれで喋るしかないか。
ということで日記はしばらくお休みします。再開は早くても来週9日以降。んでは。
職場の会議の後,メール未読大王に「忘れんなよ!(意訳)」と一言伝える。やっているという返事を頂くが,はて結果に出るかどうか。
査読報告書,本来の締切日を間違えていて,二日遅れでupする。と,その後7時間で「条件付採録」の決定が下される。どうやら遅れていたのはワシだけだったらしい。すんません>担当編集委員様。
同時平行で,一本目の紀要原稿の査読結果が戻ってくる。すげ―早い。書式のミスや修正を求める内容だったので,さっさと直して共著者へチェックをお願いする。と,「もっと直したい」というワガママを共著者様が仰られるので,IT秘書としては泣く泣く従うことに。うーむ,札幌行きまでに上がるのか?
ボチボチと地道な論文読みを始める。明日は確定申告書を出しに行かなくっちゃぁ。
風呂入って寝ます。