1/8(木) 掛川・晴

 昨日は講義とゼミで疲れ果て,BNCpackをちみっと弄った他には何もせず。今日は翻訳頑張りマース。
 サイバラさんの「できるかなV3」を読み返していて(あっ,もう逃避しているっ),何かデジャヴ感が漂うなあ,と思っていたら,先ほど原因が判明した。このホステス編,めぞん一刻の後半で五代君がバイトしていたキャバレーの託児所を思い出させるのである。あの当時は「へー,水商売は福利厚生がしっかりしているんだ」ぐらいにしか思っていなかったのだが,今回サイバラさんの,対象に寄って寄って寄り切った体験漫画によってそれが裏付けられたことになる。全く,この世で一番強いのは,子供を産んで育てているオカンだよなあ。
 逃避ついでにもう一つ。PC Watchの元麻布さんの記事中,PCI Expressについて触れたところで,新商品出始めの時期に遭遇しやすい不具合について,「こうしたトラブルを体験するというのも,第1世代の製品を購入するユーザーの特権(?)」と書いている。これは思い当たるところが多い指摘である。わしは徹底して安定性重視なので,PCパーツについてはそーゆー体験をしたことはないが,新しいモノに飛びつく方ではある。おかげで1990年代後半にはTCP/IPとThe Internetに填った訳だが,あの当時は面白かった。北陸のSINET Hubが設置されていた金沢大学の集合ルータ室にも入れたし(TAを設置したのである),日本国内のサイトに接続するにもRouting経路がUSAまで往復していたなんてこともあった。DNSのSecondaryを同じ組織内で立ち上げるという馬鹿なこともしたし,Sendmailの設定をあれこれ弄くることもやった(これは今でも続く)。今から考えれば,トラブルの宝庫であったのだが,当時はもうドタバタと追いまくられていて,自分の思慮の浅さが原因で仕事を増やしているということに思い至らなかった。日本のThe Internetバブル直前の時代ならではの「初期不良」にまつわるトラブルも経験させて貰った。
 そーゆー身につまされる経験を経て現在に至るのであるが,自分の為になったことが多い反面,経験からしか「学習」できない自分のバカさ加減も大いに自覚させられた。利口な人とは理屈から先の見通しをきちんと立てられるレベル以上の能力を持っている人のことである。よって,経験を経ずとも未熟さから来るトラブルをそこそこ回避できる。バカとはこれができず,失敗からしか学ぶことができない。しかし,バカはバカなりの楽しさというのも確かにあって,利口な人が踏み出せない一歩を,体力に任せて踏み抜き転げ落ちる経験を経ることによって,「転落の痛み」を事前に予測できるようになるのである。致命傷にならない程度の転落であると判断できれば,その失敗をすることによって得る「成果」との最適化を図り,得になる失敗かどうかの予測はできるようになる。・・・と,このレベルまでたどり着き,なおかつ失敗をスマートに処理することが出来る技術が身に付けば,もうバカは卒業である。わたしゃまだまだ,もっと小失敗を重ねてバカの技術を磨かねばならない。
 しかし,考えてみれば,世の中バカの方がずっと数が多い訳で,それ故に叱り役兼道案内役である教師なる人間がいるところの学校で物事を習う習慣が廃れないでいる。教師だって人間であるからバカが多い訳だが,そうすると「バカがバカを教えてバカがさらにバカになる」という批判が出そうだが,前述の通り,バカはバカなりの経験を積んでいるはずなので(逆にいうと,バカは経験を積まなくてはいけないのである),それを教えることが出来る。これはこれで,立派ではないかもしれないが,「教育」にはなり得ているのである。大失敗しかねないバカを,小失敗程度に留めることが出来るバカにすることは,バカでもなんとかなる,筈である(ちょっと自信なし)。
 こんだけ長く言って,何を言いたいのかと問われれば,わし程度のバカでもそれなりに存在価値があるのだという,単なる自己弁護なのである。お粗末様でした。