酒井順子「負け犬の遠吠え」講談社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-212118-2, \1400
 この日記でも既に言及しているし,目下ベストセラー路線まっしぐらの本を今更紹介してもねぇ・・・と躊躇していたら,「東京人」5月号にて鹿島茂が,短いページ数ながら本書を「今更ながら」「面白かったので」紹介していた。別段それが悔しいとかいうのではなく,殆ど本書のあらすじ紹介みたいなその書評を読み,「オスの負け犬」である不肖・この私めは,負け犬としての義憤に駆られたのである。所詮,鹿島先生はオスの勝ち犬であるから,勝ち犬には描き得なかったであろう本書の価値をもっと賞賛しておく必要がある,と判断したのである。
 そもそも,オスの負け犬本と呼ぶべきものは昔から存在した。ワシはぼちぼち負け犬として一生を送る可能性が高まってきた三十路前半から,この手の負け犬本をボチボチ漁ってきたし,手本とすべき先輩の負け犬を見つけては生きる糧としてきたのである。ここでは先輩の「オスの」負け犬についての言及はせず,オスの負け犬本だけを紹介しておこう。
 負け犬の先駆者と言えば,海老原武「新・シングルライフ」である。これより以前に元祖「シングルライフ」という本を上梓しているらしいが,あいにく未見である。本書は「歩く裏切り者」津野海太郎曰く,「戦うひとり者」というぐらい,先鋭的な負け犬の主張を込めた思想書(おおげさ?)である。独身者であるが故の,世間からの攻撃・圧力・同情に対して果敢に反論を試みている。そして,世間になるべくご迷惑をおかけしない独身者としての生き方を提示して,本書を締めくくっている。負け犬たるワシをして,勇気づけられることの多い本なのだが,その海老原をして「自分は状況シングルからそのまま今日まで来てしまった」と告白している。つまり,独身者たる身分は自ら力強く選択したのではなく,なし崩し的に今日まで来てしまった,というのである。これは「結婚できるならした方がよい」という世間一般の常識を肯定しているのであって,自らの生き方をよしとはしていないのである。つまり,「自分はオスの負け犬である」ことをちゃんと認めているのである。酒井の前に,先駆的な本書があったことはもっと広く知られてよいように思う。
 勿論,海老原の本は「オスの負け犬本」(しかも大分年上)であるから,メスの負け犬にとっては物足りない面もあったろう。しかし,メスの負け犬は酒井も含めた「女性作家」を探せば,いやぁ,もぉ,酒井が指摘するようにマスコミ業界同様,負け犬だらけであって,ちょっと挙げただけでも大先輩には森茉莉(バツイチだけど)を筆頭に,群ようこ,中野翠,岸本葉子・・・と評論家を名乗る人を含めれば枚挙に暇がない。しかし,彼女らにはあまり「負け」という意識がないようで,本書のように「世間的には負け負け負け・・・」と切々(飄々?)と敗北ぶりや愚痴を述べまとめたものは殆ど存在しなかったのではなかろうか?少子化に歯止めがかからず,いよいよ移民政策まで叫ばれるようになった昨今,お国に協力する気持ちはなきにしもあらずなのに,世の中,オタ夫やダメ夫やブス夫やダレ夫ばっかり氾濫して私らのような負け犬には飛びついてくれない・・・という女性陣から観た真実を述べた本書は,満を持して登場したと言ってよい。何たって,帯の文句が「嫁がず/産まず,/この齢に。」である。「ああっ,この本は私のことを書いているっ」とギクリとした方は相当数,いるのではないか?
 単純に考えてみれば,人間は雄と雌が存在して,それは生殖のためにあるのだから,雄と雌はくっついているのが自然な姿なのである。そして,自然界の生存競争は自らのDNAを残すことが出来るか否かで勝ち負けが決定するのである。であるならば,くっついていない雄も雌も,生存競争から脱落した「負け犬」に他ならない。自ら「負け」を選択したかどうかは,本人のプライドに関係するだけであって,自然界から見れば負けは負け。さっさとその事実を認識し,遅まきながら「勝ち」を目指すか,「負け」を認めて子ども以外の価値を創造すべく,仕事に邁進するか,どちらかを選択しなければならないのである。このような酒井の主張は極めて明快だ。本書が,メスだけでなく,オスにも,そして勝ち犬にも読者を広げていったのは,このような単純かつ合理的な主張が,酒井の円熟した筆力によってユーモアにまで昇華している為であろう。もう,負け犬連中は涙を流しながら「こっ,これって私(俺)だよ~」と叫び,勝ち犬連中は「負け犬ってそうなんだよな~」と勝者の余裕を持って本書を楽しむことが出来る。ワシが義憤を駆られたのは,鹿島先生の書評にこの「勝者の余裕」を感じたからに他ならないのである。ぐぞぅ~。
 と言う訳で,本書に触発されたオスの負け犬どもは,さっさと海老原先生の「新・シングルライフ」も読むように。酒井ばっかりよい目にあってはイケナイ。よいな。

日本IBM「グリッド・コンピューティングとは何か」ソフトバンク

[ BK1 | Amazon(まだ在庫なし) ] ISBN 4-7973-2339-6, \2400
 昨日(2004,3/25)八重洲ブックセンター本店に入ったら,コンピュータ書籍コーナーの所に専用の台が備え付けられ,本書がドドーンと積んであったので買ってしまった。そのすぐ後にGGF報告会に行こうって輩が,こんなもん買ってどーするよ・・・と思いはしたものの,何分,よーわからんのですわ,正直言って。この手のまとまった資料本が出てくれるのは,大変ありがたかったのである(情けない)。
 こちとら,HPC研究会の末席を汚しているから,それなりに話を聴く機会はあるものの,Gridっつーもんの実物を拝んだ訳ではなく,触ったこともないから,Gridがらみの研究報告があっても,「はあそーですか」という以外,さしたる感想はないのである。判ったよーな気がしなかったのである。まあ,The Internet上にセキュリティやら認証やらのAPIを備えたミドルウェアが出来ているのであろうというぐらいのイメージしか持っていなかった。
 で,本書を読めば,そーゆー漠然としたGrid像をもっと明瞭なものに出来るのか? と言えば,それはやっぱり無理だったのだ(泣)。しかも,GGF報告会では,本書P.169のコラムにあるWS-RF(Resource Framework)がOGSIの次を担うということになってしまったようなのである。詳細は,グリッド協議会の会員になって,中田氏のプレゼン資料参照して下され。いやぁ,日本語文字コードと言い,ISOと言い,IEEEと言い,標準化作業ってほんとに複雑怪奇な代物ですなぁ。・・・つまり,Gridを活用した具体的事例集とか,最新情報までばっちりフォローした完璧な資料集とか,そーゆーものではないのだ,本書は。かなり誠実にGridが成立するまでの歴史概略や,Globus Toolkit 2/3の解説とそれに必要なCAやらWebやらXMLやらの周辺技術解説,インストール方法等がコンパクトにまとめられていて有用であるには違いないのだが,ワシみたいな小規模PC Clusterしか使ったことがないバカタレにとっては,これでGridを分かれと言われても,うーん,難しいのであります。やっぱり具体的事例の解説がほしいなぁ。URIだけ示されても追いかけるのは大変であります。
 一応,素人向けの書籍に仕上がってはいるが,分散処理とか並列処理とか,TCP/IPに疎い人には,ここで用いられている概念理解が相当困難じゃないのかしらん? 著者らの努力によって,現時点ではかなり良い出来のGrid解説書になってはいるが,Gridを成立させているのは確固とした独自技術の固まりではなく,The Internetの上で培われて来た標準化技術,しかも激烈な競争を勝ち抜いてきたde facto Standardも含んだ寄せ集めである。もし本書の半ばで読了を諦めても,それは著者らの責任ではない。Gridというものを,シチめんどくさい内部技術をぜーんぶすっ飛ばして,ごく簡潔に提示する言語がまだ確立していないためなのである。逆に,ここで提示されている要素技術に親しんでいるIT技術者なら,付録のGlobus Toolkitのインストール方法を参考にして,Gridらしきものをでっち上げて楽しむことができよう。
 ・・・で,ワシと言えば,GGFの報告会を拝聴し,Globus Toolkit 4.xが出るまで様子見を決め込むことにしたのである(ぉい)。

西原理恵子「毎日かあさん カニ母編」毎日新聞社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-620-77054-X, \838
 ご本人のサイトからリンクが張ってあったので,毎日新聞連載のこの作品はチラチラと読ませて貰っていた。今回,その一年と2ヶ月分がまとまったと予告があったので,早速購入したという次第。
 子供を産んだ女性の漫画家は皆,育児マンガを描く。これは日本の漫画文化が根付きつつある証左である。内田春菊が自らの繁殖家庭(変換ミスに非ず)を赤裸々に書くかと思えば,青沼貴子はぽよぽよする怪獣としての息子の日常を描き,アニメ化までされてはた迷惑な子どものキンキラ声をお茶の間に届けるという暴挙に荷担した。・・・と,もう固有名詞を挙げればキリがないほど,多くの漫画家が子どもをネタにしている。少女漫画に続き,育児マンガも女性によって確立したジャンルと言える。他にも,自分のペット自慢をしまくるネコマンガ・トリマンガ等があるが,こちらはグレたり離婚したり犯罪を犯したりというスリルに欠ける分,ものすごく甘々で,大量に食すると胸焼けがするという欠点がある。やはり,人間が一番である。特に,責任を放棄した負け犬にとっては。
 で,サイバラと言えばどうなるか。まあ,息子がバカで(男は大概バカである),娘が上手く(今の世は女が珍重される),元々母性溢れたサイバラの営む家庭はかなり平凡に見える。離婚というスパイスもない訳ではないが,今時,身近でこれだけ別れた事例を見せられると,もうスパイスにもならない。むしろ,離婚後もちゃんと定期的に夫と面談している辺りに,サイバラの土着的常識人ぶりを観る思いがする。
 と言う訳で,ギャグも面白いし,シンミリさせる所もいつも通りではあるが,読了感はいつにも増してホノボノである。重松清が最近のサイバラを評して,優しい物語が増えてきたような気がする,と書いていたが,まあねぇ,子供を持って優しくなれないようではdomestic violenceまっしぐらでございましょう。サイバラがかように優しくなった,その理由を本書ではたっぷりと語ってくれている。負け犬としては,やはり「育児真理教は強かった」と思わざるを得ない。ぐぞ。

一條裕子「すてきな奥さん」フリースタイル

[BK1 | Amazon] ISBN 4-939138-13-5, \980
 もうあちこちで話題になっていたので今更ではあるが,貯まった本のお蔵出し第一弾として,これは外せないのである。
 本書は,アフタヌーン誌で連載されていた「蔵野夫人」をベースに,かなりの分量の書き下ろしを加えて一つのまとまった物語に紡いだものである。連載当初はさほど目立たない扱いであったが,読むと,これがまた何とも言えない独特のユーモアがあって,いっぺんに好きになってしまった。トーンもベタもカケアミも少ない,かなりすっきりとした白い絵なので,あのごっついむさ苦しいアフタヌーン連載陣に混じると,どうしても見落とされがちになるのか,9ヶ月で連載終了と相成った。そのうち講談社で単行本になるのかな~,と思っていたら一向に書店では見かけず,昨年12月になってようやっとフリースタイルという私好みの本を刊行しつつある小さい出版社から発行されたのが本書である。講談社も惜しい作家を逃したものである。その後,一部のウルサガタには好まれて話題になったのだから。
 この作品集,読めば読む程,とり・みきを連想してしまう。白い空間の使い方といい,ロッドリング(ミリペンか?)を使っているところといい,連載時の原稿に思いっきり手を入れて,単行本内で一つの物語を紡いでしまうところといい,全く,とり・みき的な作家である。それでいて,あまり先鋭的なギャグ指向でない,三浦しおんにも繋がる妄想的世界を作り上げているところに,この作家のオリジナリティが光っている。
 ほのぼのではない,でも,ほっと肩の力を抜きたい時にはお勧めの作品集である。

櫻井鉄也「MATLAB/Scilabで理解する数値計算」東京大学出版会

[ BK1 | Amazon ] ISDN 4-13-062450-4, \2900
 昨年(2003年)に出版された良書・・・なんだが,あまり話題にならなかったな。著者があんまし自己宣伝する人ではないせいか,それとも,出版社があまり力を入れて営業していないか・・・両方だな。
 こと,ソフトウェア重視の数値計算の本に関して,わしは次の点をチェックするようにしている。

  1. サポートWebページが存在しているか?
  2. ソフトウェアの解説が十分なされているか?
  3. 参考文献が明示されているか?

 まず,最初の項目についてはちゃんと存在しているので○。
 次に,本書で扱っているMATLAB/Scilab(www.scilab.orgでもアクセス可)についての解説だが,これは×と○の部分がある。×なのはこれらの統合型数値計算ソフトウェアが成立した歴史的・技術的経緯が全く語られていない点。ちなみに,ScilabはfreeのMATLAB cloneと言っても差し支えない存在であるが,freeなんだからさぁ,せめて開発者groupに敬意を払う意味でも説明が欲しいよなぁ,ってのは人情じゃないでしょうか。しかし,interpreterの文法の説明については,MATLABとScilabで相違する点もきちんと明示されていて,一通りプログラミング言語の初歩を習得した読者ならば苦もなく理解できる。よってこの部分については○。
 参考文献についても,巻末に明示されているので一応○。「一応」ってのは不満もあるから。確かに名著とはいえ,今頃Forsytheを紹介されても図書館ぐらいでしか読めないだろう。大体,これって日本語訳も出ているのに,その紹介ぐらいあったっていい・・・と,イマイチ詰めが甘いので「一応」が付いてしまうのであるな。
 と,著者の人柄に甘えて細かい点をつついてしまったが,内容に関しては申し分ない(と言う資格がお前にあるのかという疑問を持ってはイケナイ)。面白そうな部分の記述が淡泊に過ぎて,「もうちょっと説明をしてくれよー」と思わないでもないけど,そう思わせるところも含めて大したものである。数値計算のテキストはもう大抵はこの手の統合型interpreterで記述されているから,本書によってようやっと日本語only読者も欧米型の標準テキストを読むことが出来る訳で,誠に喜ばしい。実習込みの講義をするのなら,今のところこれに勝るテキストはないと断言しておく。