11/29(木) 掛川・曇

 朝起きて飯食ってさあ出勤しようとしたら,段々と頭痛が酷くなってきたのでバファリンを飲んで一休み。2時間程横になって夏目漱石「私の個人主義」を拾い読みしていたら回復した。うーむ,基本的にはバファリンの作用のおかげなんだろうが,漱石先生の功徳も多少はあったかも。
 ワシが査読した別の某論文,採録となったとのこと。めでたい。いくら合理的判断を尽くしたと言っても,rejectって気分が悪いモンなぁ。それなりにキャリアを積んできた人が,力を込めて書いてきたものであるから,通るに越したことはないのである。
 しかし今回別の論文査読もしてみて改めて思ったのだけど,最近のワシの査読報告書は異常な程「くどい」「ねちっこい」のである。所詮は×××博士号しか持っていないワシであるから,人様の論文を読む時には常に勉強させていただこうという姿勢で読み込むようにしているのだが,最近はそれなりに知識と経験を積んできたせいか,大分理解が進んだ(錯覚かも)ようで,結構面白く感じるようになってきたのである。そうなるとこのバカは調子に乗って引用文献を取り寄せて比較参照したり(ヤナ奴だね),ちみっとプログラムを書いて追試してみたり,何度も文章を読み返したりと,ネチネチ論文を突っつき回し始めるのである。
 そうなると,字句の間違いというミクロレベルから,論旨の不明確さ(ワシの理解度を超えているだけかも)というマクロレベルまで,「あれ?あれ?」と疑問に思うところが結構出てくる。それを箇条書きにして,文章を整えて,何度も推敲しているうちに・・・ワシの査読報告書は,何やらもわ〜んとした怨念というか臭気というか邪気というか,そういうものが発せられる「情念の固まり」となってしまっているのである。考え過ぎならいいんだけど,どうも他の査読者のように,指摘すべきことのみをあっさり書いたものと比べると,恐ろしく「粘度が濃い」ように思えるのである。
 よく考えてみれば,査読報告書なんて所詮は匿名だし,業績になるわけではないし,てきとーにやっておけばいいものではある。ワシとてそうそういつもいつもねちっこく書いているわけではないし,ワシごときが読んだところでアラなぞ一欠片も見あたらないパーペキな論文というものもあるのだ。今回2回連続「情念どろどろ」査読報告を書いてしまったのは,そういうものが書ける要素を持った(なんて持って回った言い回しだ)論文相手だったからで,そういうものに対してはどーもワシは過剰にあれこれ書いてしまうようなのだな。だけどそれは別段,論文著者を貶めているんではなく,それだけ真剣に読み込ませて頂いた,という証なのであるから,まああまり気を悪くしないで頂きたいのであります。
 ・・・あ,今週に入って頭痛が頻繁に訪れるのは,あの情念の固まりを3ページも書いたせいなのかも。
 本日は他に,
 ・T君作成のWebRobot最新版をCore2Quad 6600マシンで動作させる
 ・来週火曜日開催の当学・産学官連携フォーラム用ポスターを作成
 ・I君卒研のプログラマ(MySQLでTransaction初体験)
等をこなしたが,バファリン様の効き目あらたかなせいか,一日中薄ぼんやりしていたような気がする。おかげで我が家の灯油の備蓄は切れたまま。明後日までオンボロクーラーで我慢しなきゃ。
 BSマンガ夜話を見たら寝ます。

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