吉本浩二「カツシン 1巻」新潮社,春日太一「天才 勝新太郎」文春新書

[ Amazon ]「カツシン」ISBN 978-4-10-771770-2, \580 (+TAX)
[ Amazon ]「天才 勝新太郎」ISBN 978-4-16-660735-8, \940 (+TAX)

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 何度か書いていることだが,迷惑な人間のやることなすこと伝聞で聞く限りは,この上ない娯楽である。自分がそういう被害を被った経験があれば,周囲の人々への同情を込めた共感を覚えるだろうし,自分が迷惑をかけた経験があれば,そういう別の迷惑モノへの共感を覚える。どちらにしろ,読み手を駆動させるなにがしかの共感の回路を開くこと間違いないのである。

 加えてもう一つ,人類社会が今のような進化をしてきたのは,こういう迷惑人間が,ともすれば安定した人間関係が作る平和だが停滞した世の中をひっくり返してきたからという事実がある。戦争しかり,革命しかり,テロしかり,そして,もっと卑小なレベルでメンドクサイ迷惑人間がどういう意図を持つのか知らんが面倒事を引き起こしつつ会社の業績を上げたり,学校の知名度を上げたり,何の取り柄もないど田舎を世界に知らしめたりする。もちろん大多数の迷惑人間は本人が反省しない限りいつかは始末されることになるのだが,その「寿命」は迷惑と共にもたらせた「業績」によって伸びたり縮んだりする。その一番分かりやすい例が芸人という奴で,一番著名な破滅型芸人・横山やすしは,苦労人の相方・キー坊(西川きよし)の助力で得た漫才の面白さのおかげで,少なくともキー坊の参議院議員立候補による実質的なコンビ解散までは命脈を留めることができた。「遊びは芸の肥やし」として家族を泣かしても借金してでも客を楽しませてさえいれば許されていた,そんな昭和までの芸人の典型として「勝新太郎」がいた。今回取り上げるこせきこうじイズムの申し子・吉本浩二が描いた「カツシン」は,日本の文化を彩った迷惑人間を描いた暑苦しい傑作であり,そのネタ本の一つとなった読ませる評伝が,熱血時代劇研究家・春日太一が著した「天才 勝新太郎」である。

 吉本浩二のマンガは既にここで手塚治虫のエピソードをまとめた「ブラック・ジャック創作秘話」で取り上げている。本書でも相変わらず主人公である人物の持つ「情念」を描くことを主軸としており,いつも変わらんなぁと安心して読むことができた。その分,時系列的なカツシンの人生の把握ができず,まだ1巻が出たばかりであるからして,この先どこまで続くまで分からない続刊の刊行を待つことができず,手っ取り早く読めそうな春日太一の評伝をAmazonで発注したのである。春日の力量は仲代達矢のインタビュー集でよく分かっていたので,安心して買うことができたのだが,読んでみたらもっと面白かったので,一気に読んでしまった。こうしてワシは吉本のマンガと春日の評伝を通じてカツシンを知ったつもりになってしまったのである。主演映画は「迷走地図」しか見たことがないくせに,である。それだけこの2冊の持つカツシン由来の情念が一読者に過ぎないワシの脳を掻き回したのであろう。

 カツシンと言えば,ワシのイメージではこんな感じである。春日の言を借りれば次のようになる(P.287)。

 多くの俳優たちが「タレント」としてテレビの枠に小さく収まっていく中,時代に迎合しない勝は規格外の存在だった。だが,だからこそ,その言動はワイドショーやバラエティ番組の格好の餌食になった。少しでも勝と関わった人間は,面白おかしく勝のことを語った。そのほとんどは,豪快で金に糸目をつけない酒の飲み方や遊びに関するものばかり。勝は生きながらに伝説の存在になり,人々がそれをデコレートして語ることで,その伝説は一人歩きしていった。

 小林よしりんも一度SPA連載時にインタビューしたことがあるようで,その伝説を裏付ける言動に付き合わされた経験を漫画にしている。だがしかしそれをまともに受け取ってはいけないようだ。春日は続けて次のように述べている。

勝に近づく人間はみな,その伝説を期待した。勝もまたそのことをよく知っていた。彼らに喜んでもらおうと,ブランデーを一気飲みし,金をバラまき,「世間のイメージする勝」という道化を演じた。

 まさによしりんもそんな「世間のイメージする勝」の保持の片棒を担がされたわけである。

 さすがに吉本は春日の著作を読み,春日本人にもインタビューしているため,そんな事情はすっかり分かっており,繊細で臆病,自身が出演する作品は脚本・演出・音楽・編集に至るまですべて自分でコントロールしたがる我儘な芸術家であるにも拘らず,役を通じて世間に持たれた豪快なイメージを維持することに腐心するカツシンのエピソードをうまく拾っている。時系列的にはバラバラなのだが,それは各話ごとに軸となる勝を知るインタビュイーの持つ「印象」を大事にしているためであろう。どんなはた迷惑で魅力的なカツシンであったのかを,動きの書けないヘタクソな止め絵でじっくりねっちり情念を伝える,それこそ,そしてそれだけが吉本作品の魅力であり,吉本が描きたいものなのだ。

 「座頭市」に関してはどうもワシは見る気が起きないのだが,多分,本人がかなり控えめに演じていた「迷走地図」は,原作の持つどす黒いものをうまく隠して上質な政治ドラマになっていてワシは好感を持っている。巷間言われているカツシンも,ちゃんと普通に演技していたんだなよなぁ。吉本のマンガが出続けているうちは他のものも見てみようかな,と,多分この先当分気になり続けるだろうな,きっと。