2/1(日) 掛川・晴

 急に寒くなったと思ったら,ここんとこ数日は暖かい。このまま春になるのかな。

 並列DKA法は,P4HT Clusterにて,P3/Celeron Clusterより10倍速く終了した。正確に言うと,8CPUのP3/Celeronでの計算時間は,4CPUのP4HTでの計算時間の5倍かかっている。即ち,単純計算で,同じ8CPU使うと10倍違う事になる。ぐはーっ。プログラムは全く同一のものを使っているから,これは所謂「札ビラで問題解決を図る」典型例なのだが,それがこれほどとは。金持ち喧嘩せず,なのが理解できるような気がする(何を言いたい)。
 ちまちまとベンチマークを積み重ねてみると,いろいろな事が見えてくる。例えば,正方行列の積をIEEE doubleで計算する場合,Cacheミスによる速度遅延はP3/Celeconマシンの方がヒドイ。最高性能と比較して1/15になる。それに対してP4HTマシンではせいぜい1/4程度である。逆に,最高性能だけを比較するとどちらもそれ程変わらない。つまり,P4HTマシンではメインのRAMとCPUとの転送速度が劇的に改善されていることになる。・・・そりゃぁそうだよな,FSB 133MHz対400MHz(×2)だもん。単純計算で約3倍高速になってるのだから,この結果はほぼ説明が付く。逆に,L2 Cacheとの転送性能やIEEE754 double演算そのものの改善は,CPU clock数の比に対して殆ど見られないと言える。ここ数年のCPU Clock数の向上も打ち止めになりつつあるようだし,限界なのかしらねぇ。これからはCache consciousなアルゴリズムとそうでないバカアルゴリズムとの差が縮まっていくことになるのかも。

 出勤途中にはとあるゴルフ場の入り口がある。その少し先に見事な蓮池がある・・・というより,あった,というべきだな。
 今も池はある。しかし水がないのである。以前は水面にびっしり蓮の葉が茂っていて,誰が放流したのが,ルアーロッドを操ってバス釣りに興じる人がちらほら見られた。確かにブラックバスの生育条件としては申し分ない場所であったろう。
 それが災いしたのか,ある日突然,池から水が無くなった。勿論,釣り人も消えたが,同時に,春には満開の美しい花を開いていた蓮も大部分が枯れてしまった。今では,たまに雨水が貯まるごくわずかの部分で,枯れ果てた茎の間から若い蓮の緑がチラホラする程度になってしまった。
 池から水を抜いたのは,どういう理由なのか,正確な事は知らない。無責任な野次馬であるわしは,自分の所有物である池で他人がバス釣りをタダで楽しむのが許せなかったのだろうと,邪推している。以下は,この邪推の基づく勝手な感想である。
 ゴルフ場の経営者が頭に来て水を抜き,蓮を枯らしたのは,果たして賢明な判断だったのか? ゴルフに来る親父ども(とオバハンども)には,入り口に咲く蓮の花には興味のない連中が多いのかもしれない。しかし,無惨に枯れ果てた茶色い蓮の池は,以前にも増して目立っている。あったモノがなくなってしまったことに気が付く客は少なくないと思われる。サービス業として,入り口に枯れた植物をほったらかしにしているのはいかがなもんだろうか? とても「来客歓迎」の意をを表現しているとは思えない。せめて,池を埋めて別のものを作るとか,植えるとかすればいいのに。
 カッとなって辺りのものに極端な八つ当たり行為をぶつけてしまう事は,わしにもよくある。さすがに三十路を越えると,行動をとる前にそれがどの程度の後遺症をもたらすのかを計算することができるようになる。それでも後になって公開する事は続いており,それを反省するたびに,あのゴルフ場横の枯れた蓮池を連想するようになってしまった。

 こと,他人に情報を公開するという面ばかり強調されるWebだが,無視されている,と感じさせてくれることも多い。自分の書いた事に対する反応がない,ということは,普通に暮らしている市井の人間にとってはごく当たり前の事だが,それ故に「無視されるメディア」としてのWebの性質は見過ごされがちなことである。
 大人数が集まる匿名掲示板に罵詈雑言が多いのも,Webサイトに掲示板が設置される事が多いのも,Replyを貰いやすいWeblogが増えてきたのも,無視されたくないという心理の裏返しと言えるのではないかな。

 ぷちめれは翻訳終了まで封印する。早くても再開は3月以降になる。紹介したい本は山になっているが,まあ仕方がない。