[ Amazon ] ISBN 978-4-06-352477-2
本書はタイトル通り,腫瘍に侵された自分の金タマとおさらばする経験をした著者(奥浩哉のアシスタント)が描いた闘病マンガである。従って,いわゆる「闘病記」の一種であるのだが,エッセイマンガ,とは言いづらい。表紙の通り可愛らしくちんまりしたキャラクターが持ち味のマンガだが,多くのエッセイマンガのようにあっさり軽くは読めないのだ。「イブニング」に連載されていたということもあって,かなり構成的に優れたストーリー漫画になっており,いろんな要素を取り込んだ読み応えのある作品なのである。ワシは夫婦の情愛にホロリとさせられたが,人によってはもっと違うエピソードに涙腺を刺激されるであろう。それだけ「多面的」な漫画になっている,ということはもっと声高に褒められてしかるべき作品である。
内澤旬子が言うように,癌だの心臓病だの耳なじみのない難病だの精神の病だのの所謂「闘病記」は山ほど出版されており,現在進行形で新規参入の病人が自らの体験を書き,読んでもらいたがっている。つまりそれだけ需要があり,その需要に対応できる人材=病人が存在しているということである。なぜそうなのか? 当たり前のことだが,人間皆死ぬ,致死率100%であり,戦争や飢餓とは縁のない現代日本社会における死亡原因の大部分は病気であり,死ぬまでに何度か病院のお世話になるという経験を重ねる訳だから,その度ごとに病気のことを知りたくなるのは当然のことである。・・・となれば,医者が書いた客観的な解説書よりは,市井の一市民が体験した文章の方がとっつきやすく,親しみやすい分,選択される率が高くなる訳である。そして読者は病気についての医学的知識以上のことを知ることになる。多分それが数多の闘病記が途切れずに出版されている理由なのだ。
本書でも語られているし,他の闘病記でも,いや,もっと遡って聖書以来ずうっと言われていることであるが,病気のような災難は「贈り物」であり,その程度に応じて自分の人生を振り返って見直す必要が出てくる。その際には自分と関わりのある家族,友人,同僚,親戚,ペット等々,いやでも巻き込んで考えざるを得なくなる。多分,膨大な数の闘病記が絶えず出版されているのは,病気の情報ソースとして以上に,自分の人生と社会との関わりを考える一種の「人生哲学書」になっているということが人を引き付けるからではないか,と本書を読んでワシは気づかされたのである。
本書の著者,武田一義のケースでは,そもそも金タマの癌,精巣腫瘍の原因が肉親からの遺伝によるものではないか,ということが物語の途中で描かれている。しかしそれは不幸とイコールではない。本書では多くの癌患者が登場するが,そのキャラクターは様々で,今までの人生と家族との総復習をさせられている様が上手くちりばめられており,癌という重い「贈り物」を受け取ることで何が起きるのか,ということを闘病情報よりずっと有益な情報としてワシら読者に教えてくれるのである。武田の癌も,結果的に本書という成果物に繋がったことを考えれば,金タマと引き換えとはいえ,とても大きな「贈り物」であったということになる。それは武田のみならず,本書を読んだ読者に対しても心地よい「贈り物」になっているのだ。
デビュー作としてこれだけの傑作を描いてしまうと次作がどうなるのか,余計な心配をしてしまうが,本書で示した画力と構成力を生かした作品に繋がることを期待したい。