内田樹「先生はえらい」ちくまプリマ―新書

[ bk1 | Amazon ] ISBN 4-480-68702-5, \760

 ただでさえ過熱気味の新書戦争を更に混迷に陥れるべく刊行が開始された「ちくまプリマ―新書」の,記念すべき第一弾の中の一冊がこれである。ターゲットはどうやら中・高校生であるらしい。確かに本書を見る限り,ページはスカスカに行間が空いているし,オジサンにとってはうざいほど漢字にルビが振ってあるし,文章も改行が多く,大変分かりやすく記述されている(これは内田先生だからなのかもしれないけど)。誠に「正しい中高生向け」新書であると言える。それ故に,本書がターゲットとなる若い彼らに読まれることは,まあまずないであろう。
 大体自分がその頃にそーゆー清く正しいジュブナイル本を読んでいたか,思い出して見るがよい。ワシの場合は,活字ばっかりの本を読むようになったのは中学1, 2年の時に父親から「ええ加減に字の本を読め」と言われて江戸川乱歩の猟奇物を薦められてからである(こんなものを薦める方も薦める方だが)が,読書の大部分は漫画で,たまにSF,当時の御三家である筒井康隆・小松左京・星新一に眉村卓や高千穂遙を読むぐらいであった。高校生になってからは生意気にも寺田寅彦随筆集なんぞに手を出して,「将来,学者になったらこういう落ち付いた文人になりたいものだ」と出来もしないことを夢想していたりしたのである。決して岩波少年少女文学全集やポプラ社の偉人伝なんかを面白く眺めたりはしなかった。むしろ精一杯背伸びをしようと,かなり無茶をして大して理解出来そうもない歴史書を読んだり,逆に高ぶる性欲を満たすべくそーゆーイケナイ方面のものに手を出したりしていたのである。そんなもんじゃないですか,若い頃は。従って,この新書の真のターゲットはもっと上の世代であって,あれこれ経験して痛い目にあった挙句に「ちょっとは初心に返ってみようか」と思い始めるあたりの人間が読むべきものとして企画されたに違いないと,下種の勘繰りをしているのである。

 大体,ワシらは教師が薦めるものをおとなしく読むような世代ではないのである。ちょうど「荒れる中学校」の時代にあって,実際に隣の組の担任教諭が校内暴力を受けたりしていたのを見たとあっては,「先生」は「センセー」あるいは「センコー」と呼ばれるべき無機物でしかなく,世間的な「タテマエ」としてそこに存在していないと面倒なことになるだけの存在であった。そんな世代であるから,一応教師となった現在でも,自分が奉られるエライ存在であるとは全く思えない。今ではどの大学でも受講学生にアンケートを取るのが一般的となったが,導入当時は随分と抵抗があったらしい。確かに厳しく怒鳴ったり指導したりすればアンケートには無茶苦茶に悪口を書かれるが,それに対して個人として「このバカッタレが」とは思うのは仕方がないとして,「そういう評価をされること自体が教師の評価を下げる」とか威厳がどーの指導力がこーのという議論が教師側から出たのを聞くと呆れ返ってしまう。自分の思いや教育的配慮がどうあれ,それを受け取るのは学生であって,アンケートの集計結果が示すものは紛れもなく,学生の反応そのものである。自分が教室で語り動き怒鳴り書いたことに対しての責任ぐらい引き受けたらどうですか,センセー方,いや,センコーどもよ,とワシは思っているのである(下っ端なので公の場では言わないけどさ)。
 
 「センコー」が「先生」に格上げされ,その上に「えらい」という形容詞が付くようになるには,学生さん達に「先生はえらい」と思ってもらうしかなく,それは教師の方があれこれ行う努力の成果だけでは決して得られない・・・ということは,すいません,ワシも教師になって10年経ちますが,ようやく分かってまいりました。従って,本書はワシにとっては少々「くどい」内容であり,まあウチダ節ファンとしては楽しめたが,新しい知見が得られたかどうかははなはだ怪しい。
 逆に,ワシみたいなボンクラ教師が10年経た経験を持って,「本書は正しいことを言っている」ということは保証できるのである。だから,うーん,やっぱり中高生には納得してもらうのは難しいんじゃないのかなぁ,この内容。やっぱり,筑摩書房の真のターゲットはもっと上の若手社会人あたりなんじゃないかと,思えて仕方がないのである。