うえやまとち「クッキングパパ」79巻・モーニングKC

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-300279-9, \467

 いつ終わるか分からない,ひょっとして作者が死ぬまで続くかと思われる大長編マンガには法則がある。
 まず,「マンネリ」でなければならない。といっても読者を飽きさせない程度のエンターテイメント性は最低限必要である。水戸黄門に由美かおるの色気(ワシにはさっぱり分からないのだが)があるようなものか。さらに,見せ場が必ずあり,この見せ場に至るまでの道筋が「マンネリ化」することが欠かせない。水戸黄門ならば印籠・・・といった手垢がついた分析は,どこかで見たことがあろうし,誰もが知っていることであろう。しかし,この分析には欠けている点がある。著者のモチベーションが維持され,適度なテンションが作品に満ちていること,これは「マンネリ」とか「見せ場」という要素以上に必要なことである。そして,これが常人には容易に真似の出来ないことなのである。
 大体,Web日記やblogだって,一年以上続いたものがどれほどあるか,尻切れトンボに終わったものを挙げれば,もうキリがない程である。続かない理由は色々あろうが,要はテンションが続かなかったということに尽きる。個人のWebページの寿命が大体三年と言われているのに対し,会社等の組織のWebページが長続き(更新されないのも多いけどさ)しているのは,書いている人間が複数いたり人事異動があったり,つまりは複数人が携わっているという要素が大きいのだろう。個人が一つのことをやり続けるのは,当人がどう思っていようと,それは大変なことなのである。

 という訳で,クッキングパパである。あの競争熾烈な青年週刊誌モーニングにあって79巻を達成した偉大な大河マンガである。間違ってもグルメマンガなどと言ってはいけない。大体「グルメ」なんぞは「大切な食べ物にうるさく文句たれる人」(by 川原泉)であり,スノビッシュな陰険野郎にこそ相応しい言葉である。その意味では「孤独のグルメ」はいい意味で陰険野郎を見事に描いた傑作である。しかし,クッキングパパは料理することを幸いとする人々を描いた作品であって,出されたものに「うるさく文句たれる人」は殆ど登場しない「白マンガ」(by BSマンガ夜話)である。
 ワシはマンガのコレクターではないので,クッキングパパを全巻集めたりはしない。登場人物が不老不死になる数多の大長編マンガの中にあって,このマンガの登場人物たちはみなちゃんと年を取っていく稀有な作品であるため,主人公が家長である荒岩家の様子が気になって時々覗いてみたくなるのである。で,久々に拝見させて頂くと,ああ,あの小さかった娘さんは元気に野山を駆け回っているわ,小学生だった息子さんはもう高校生だわ,夫妻は厄年を越えようかという年齢になっているわで,全く月日の過ぎるのは早いものである,と感慨に耽ってしまった。・・・マンガでだよ?。マジにこれって数十年後にはサザエさん並の貴重な文化財として扱われるのではないか。

 今回特に感じたのは,善き小市民としての日常を描く,白マンガ性である。それが一番よく分かるのがCOOK.774「串カツが食べたい!!」である。道路交通法が改正されて飲酒運転に対する罰則が厳しくなったため,いつもは串カツを肴に晩酌をしてから一休みし,酒を抜いて帰宅していたおじさんが,それを控えるようになった・・・という話である。どういうオチが付いたかは単行本を読んで頂くとして,誠に清く正しい解決策が示されることになる。これをどう見るかは人によって異なるだろうが,組織の勤め人で扶養家族もいる大多数の中年日本人なら,「正しすぎるよなぁ」と頭の片隅で思いつつ,これを肯定する,いや,こうするべきであると言わざるを得ないであろう。異論はあろうが,今の日本は,正直に法律に則って生きた方が,小市民的生き方がしやすいようになっているのだから。
 小市民的生き方における幸福感を「おいしー」という一言と表情にして「マンネリ」的「見せ場」にしているこの作品は,誠に清く正しい白マンガである。大人になって丸くなった,いや,丸くならざるを得なくなった人には,善き小市民のバイブルとして,是非お勧めする次第である。