6/9(木) 掛川・?

 ただいま午前2時34分。中途半端な時間に寝てしまったら,夜中に蚊に刺されて目が覚めてしまい,そのままダラダラと起きている。うーむ,こうやって段々と眠れぬ夜が増えてきて,ラジオ深夜便のお世話になるのであるなぁ。

 こーゆー時は,日ごろつらつら考えていることをそこはかとなく書き綴れば,あやしうこそものぐるほしけれ。

 S先生の陰謀により,某シンポジウムで座長をさせられそうになっている(まだ確定はしていないと,少なくともワシは思っている)。今回は講演もしないし,左団扇でのんびり過ごそうと思っていたのに(泣)。今から座長のドタキャンを計画中。

 科研費の若手研究に応募し続けて6年になるが,一度としてあたったことはない。みっともない話だが,事実なんだからしょーがない。次回からは「若手」としては応募できなくなるので,更に長い書類を必要とする基礎研究に出さねばらなないのが面倒である。科研費Macro,ありがたく使わせて頂いております。
 さて,この科研費であるが,希望すれば,自分の研究の評価について,かなり荒っぽいものだが一応の評価値を教えてくれる。ワシはこれを欠かさず申し込んでいる。今年は(というより,今年も)評価はB判定(A, B, Cの3段階)であった。競争率は約3倍なので,採択されるためにはA判定の上位クラスに食い込まないと無理であるから,まあ,採択には程遠いという結果である。昨年は「どーせ受かんないしてきとーでいーや」と提出したらさすがにC判定だったので,今年は少し真面目に書いたのが,「少しは」効いたようである。不採択には変わりはないんだけど,ね。
 唐沢俊一というひとは,最近は随分とお稼ぎのようであるが,書いたものを読むと,結構苦労してきた人のようである。世間に揉まれてきたためであろう,第三者的評価に基づく自己分析の重要性を日記に書いているのを読んで,そーだよなー,と感心したことがある。
 曲がりなりにも大学なんて所にいると,下手すると自分の実力ってのが分からなくなってしまうのである。前の職場は体力と根性があれば乗り切っていける所だったので,がむしゃらにやっていれば良かったが,大学はそーではない(少なくともうちの大学は)。
 一研究者として個人として「うまくやっていく」ためには,体力と根性はあるに越したことはないが,それよりも効率性,コスト意識を持ってスケジュールを管理することが一番重要である,らしい。「うまくやっていく」という意味は様々であるが,本を執筆するとか,翻訳書を出すとか(あの翻訳プロジェクト,いつになったら完成するんでせうね(^^;)),査読論文をガンガン書くとか・・・という,第三者の目に晒されるところに自分の仕事の成果を置いておくことがメインとなる。それが厳しいreviewの結果,高い評価(これもいろんな意味があるけど)を得ると,「実力」が上がるということになる。もちろん逆のこともありうるけど,それはそれで「実力」の一評価であるから,「悪いのはあんた(自分)だよ」(by サイバラ)と納得する他ない。が,問題なのはこの「自分の成果を晒す」のは,自力でやる他なく,黙っていようと思えばいつまでも黙っていられる,ということである。つまりは,自意識過剰の引きこもり「自称」研究者,って存在もあり得ることになり,こーなってしまうともうどうしようもない。
 それを避ける意味でも,この科研費申請ってのはありがたい制度(いや,批判が一杯あるのは知ってますけどね)である。何せ,研究の「偏差値」が分かるのだから,こりゃ出さない手はないだろう,と思うのである。・・・ま,採択されなきゃダメなんですけどね,精進します。
 まあ,特に年配の方々からは色々と昨今の情勢について批判が聞こえてくるのであるが,世間的にはまだまだ特権がある立場なのであるから,評価評価で締め上げられると愚痴を言っても「何を今更」と突き放されるのがオチである。構造不況業種なので,将来はかなり不安ではあるけど,クビになっても同情される立場にはない。それなら最低でも「やるだけはやった」と思えるぐらいのことは,したいよねぇ。