[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-8401-1337-8, \514
メディアファクトリー (2005.11)
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ワシは自分の意思が薄い人間が大嫌いである。もちろん,意思がありすぎる人間も嫌いであるが,意思がないよりはマシである。世の中,自分の思い通りにならないことが多いのは当然であるが,時間と暇と住む場所さえ確保できているのであれば,自分次第でどうにでもなることも多少は残っている。自己表現という奴はその代表的なものであって,文章を書いたり漫画を描いたりアニメを作ったり(これはちと大変だが)することは,自分の意思さえしっかりしていれば何とでもなるものである。それが商売となると売れなかったり酷評されたりと,思い通りに金銭を得,評価されることは難しいが,表現を捨てるかどうかは自分次第である。
本書のウダウダしたあとがきを読んでいて猛烈に腹が立ってきたのは,著者の愚痴っぽさもさることながら,コツコツと積み上げ高めてきた表現能力をしょーもない理由で捨ててしまったことを知ったからである。もちろん,白井は白井なりに熟慮の結果なのであろうが,本書を編む土台となった角川あすかコミックス版3冊(1991年刊, 1994年刊, 1997年刊),及び希望コミックス版三冊(「GOGO玄徳くん!!」 2001年刊, 2002年10月刊, 2002年11月刊)を後生大事に抱えていた愛読者としては,「漫画家を辞めただぁ,ふざけんな!」と憤ってしまうのである。
申し訳ないが,デビュー当時の白井の絵は見られたものではなかったと記憶する。人物はゆがんでおり,シリアスものとなればどーにも不恰好で,人には薦められたものの,あすかコミックスから刊行されていた黒の李氷シリーズなどはどーにも読む気になれなかった。しかし,絵が下手,ということはギャグ漫画にはむしろプラスに転化する。とり・みきが言うように,絵が多少ゆがんでいたとしても,それがギャグの勢いを生かすことに繋がったりする。4コマではあるが,この「STOP!劉備くん」シリーズは,時事ネタをうまく三国志のキャラクターに嵌め込んで,しょーもないネタを笑える漫画に昇華させることに成功している。未だに復刻を望む読者が多く,それ故に今回新たに新作も加えて編みなおされたのは,白井の才能が一定のレベルに達しているという証である。
しかし,このシリーズをちまちまと続けつつも,白井は表現のレベルを更に上げていったのである。その成果は1997年に刊行された「賢治と水晶機関車」(あすかコミックスDX)に結実した。ワシは書店でこれを新刊書のコーナーで見かけて手に取り,どれだけ下手か(我ながらヒドイ)を確認しようとしたのであるが,一見して驚愕し,迷わずレジに持っていったのである。
書名から分かるとおり,これはは宮沢賢治の物語世界を下敷きにした短編を収録したものであるが,宮沢賢治の原作をなぞったものではない。主人公には中学生の宮沢賢治と友人の銀茂を据えた,賢治テイストではあるがオリジナルの物語である。この作品の絵のレベルは,デビュー当時のへたっぴぃなものと比べると,とてつもなく上がっている。勿論,絵に加えて物語の構成も優れたものになっている。ワシは「STOP!劉備くん」とは異なる世界を展開させつつある白井に驚愕したのであった。
その白井がだよ,体調が悪いならともかく,回復しつつあるというのに筆を折って看護師になるだとか,そのために予備校に通って楽しかったとか,面接を受けたけど(本人曰く)年のせいで落っこちたとか,ウダウダウダウダ・・・と本書のあとがきに書いているじゃねーかよ。
ふざけるんじゃない!
ワシは期待していたのだ。
「STOP!劉備くん」の続編が出るのを。「賢治と水晶機関車」で見せた表現能力の更なる高みを。その期待を裏切られたのである。一読者の勝手な言い分ではあるが,勝手なので勝手に言わせてもらう。まだまだワシは待っているのである。
本書はごく一部を除き,ほとんどが既刊の6冊の編みなおしである(おかげで絵柄がまちまち)が,待ち続けてくたびれ果てた読者としては,ないよりマシ,ではある。故に,ワシは名古屋にて迷わず本書をレジに持って行ったのである。これは期待を込めたエールである。
白井は,また描きはじめるようである。しかし油断はならない。またいつ筆を投げるやもしれぬ。そうならないよう,メディアファクトリーから今後刊行される白井の単行本は,どんなに絵が下手な作品であっても,買い続けねばならないのである。怨念を込めてワシは買ってやる。
白井よ,今度こそ漫画家人生を全うしてくれまいか。