[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-00-339441-0, \700
岩波書店 (2006.9)
通常2-3日以内に発送します。
いやー,昨年出た本だが,ほぼ同時期に出たウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」同様,解説しか読んでいない,つーか,読めていないのに,ここで紹介するのはかなりの暴挙であり,「買って読んだ」本しか紹介しないというスタンスにも反するのだが,現実逃避しながら本書(の解説)を読んであまりに感動しちまったもんだから,その「感動した所」だけをちょろっと書くことにしたい。
ちくま学芸文庫にも野崎昭弘「不完全性定理」が近頃収められたが,昔,これを読んだ時,どーしても靴下痛痒感が拭えなかった。いや,ヒルベルトによって「数学における論理体系は無矛盾か?」という問題がクローズアップされるまでの解説は見事だし,分かりやすい・・・のだが,肝心の不完全性定理の核心部分,ゲーデル数の構築手順が示されていない(コアな考え方とゲーデル数の具体例はある)ので,「分かった」気がしなかったのである。で,そこんところをきちんと書いている本はないか・・・と捜してみても,キッチリ記号的に書いてある入門書は見つからず(つーか,それをやったら入門書にはならんしな),とはいえ,現代的な記号論理学のテキストに当たるにしても,所詮そっち方面の専門家ではないワシとしては,ロクに使いもしない記号体系に慣れるだけ無駄,という意識があって,普段使っているもの以外,殆ど探索したことがない。しかし,一応,命題論理と一階述語論理(のトバ口まで)を講義する教師としては,一度ぐらいはゲーデル先生の大定理に触れるぐらいはしておくべきだろうと,わずかながらの良心の呵責を保持し続けていたところ,昨年(2006年)に本書が岩波文庫に収められたのである。でまあ買ってはみたものの,ずーっと枕頭に積んだままほったらかしにしていて,ようやくここ数日の現実逃避の末,前書きと本書の4/5を占める分厚い解説部分に手を出した,という次第なのである。
いやー,目から鱗,とはこの解説のためにあるような言葉である。大体,今までの古い数学史での位置づけだと,KroneckerとかBrouwerなんて,Hilbert大先生に刃向かったアホ(数学基礎論に限っての話だよ),というぐらいの位置づけだったのが,そうではない,ということをこの解説の大半を費やして説明してくれているのである。今も続く,数学理論というものに対する代表的な2大哲学,構築主義(直観主義)と形式主義という,どちらを省いてしまっても数学という太い縄を結えない大事な本質論をの片方をHilbertの対立者は担っていて,Hilbert(とその舎弟たち)も自身の理論を対立者との議論を通して強化していくと同時に,その核心部分を構築主義的なやり方で,もちろんメタな記号を導入することで作り上げていった・・・ということを,言われてみれば当然なんだけど,大量の一次資料にあたって調査した訳者らに示されると,もう説得力が格段に違うのである。
そして,ゲーデル以来,いやゲーデルでさえも,不完全性定理は数学理論の「一面の」不確実さを述べているだけで,数学という体系自体が「殆ど至る所」不確実であるとは一言も言っていない,という主張は新鮮である。まあこれも当たり前といえば当たり前だし,野崎の本にもそんなことは書いていないのだが,どーも,この辺りの「誤解」は,不完全性定理を「また聞き」した慌て者が言い出して広めたらしい。訳者もこの点誤解しないよう警鐘を鳴らしている。
現代の視点から,Brouwer v.s. Hilbertの議論を眺めてみると,ゲーデルの結果を知ってしまった上でも,両者の言い分が完全に間違いであった,とは言えず,むしろかなりの部分が今でも有効という結果が出ている,というのも初耳であった。つーか,ワシにとっては,「ふーん,まだそーゆーことをやっている研究者がいるのね」という驚きの方が大きい。最近は産学連携が声高に叫ばれていて,その主張の大半は正しいとは思うのだが,それを大義名分にしてあんまし理論屋さんを締め上げるのもいかがなものか,と,むかぁしちょろっと数学の水にあてられた人間としては苦い気分を持っていたので,少し安心したのであった。
・・・とまぁ,解説だけでも随分とワシにとってはためになった本である。で,いつになったら肝心の「翻訳」部分をきっちり読めるようになるのか・・・となると,えーと,あのー,・・・という次第で面目ないのである。ま,また現実逃避したくなったら立ち返ってみよう,ぐらいの漠然とした「希望」は持った,という辺りでご勘弁願いたいのである。