内田樹「街場の中国論」ミシマ社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 978-4-903908-00-7, \1600

街場の中国論
街場の中国論
posted with 簡単リンクくん at 2007. 6.10
内田 樹著
ミシマ社 (2007.6)
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 日曜日の午前中,AM7:30~AM11:00頃まで,フジテレビ,NHK,TV朝日の番組リレーを眺めることが,政治経済に関心のある日本のサラリーマンのデファクトスタンダードになって久しい。ワシも時間に余裕ある時は(ない時でも現実逃避行動の一環として),ぼーっと眺めることにしている。ここ10年ばかり,そーゆー日曜日の午前中を過ごしてきたが,年とともにワシの脳内の視聴態度が変わってきたのである。
 以前は野党や攻め立てる司会者に共感して見ることが多かったが,今は与党代表者や攻め立てられる側に日ごろの自らの言動を重ねて見ることが多くなっている。そして,つくづく「言い立てるだけ,批判するだけってのは楽だな」と思うようになった。逆に言えば,自分が批判される側になってきた,ということでもある。言い訳をする,自己弁護をする,そーゆー「情けない」立場になってきた,ということである。客観的に見て,ワシ自身に責任がある失敗を重ねてきた,という訳である。・・・書いてきて気分が暗くなってきたが,まあ,ワシが子供の頃,オトナが遠い目をしながら「・・・いろいろあるんだよなぁ・・・」と誰に語るでもなく呟くのを何度か聞いたが,それを同じ態度をワシが取るようになった,ということなのである。その意味で,ワシはオトナになったのである。
 で,今のワシは選択的にリスクをとるかどうか,考えるようになっている。卑怯な態度だなぁ,と我ながら思うが,リスクを引き受けるからには責任が付きまとう訳で,できもしないことをやすやすと引き受けることはかえって相手に失礼になる,と考えてのことである・・・おっと,もう言い訳を始めてしまった。それでも我ながらバカだなぁ,と後で思ってしまうリスクを抱えてしまうことは,今でも多いと感じる。その意味でワシはやっぱり本質的にバカなんだろう,きっと。
 そんなワシとは真逆の人間がいる,ということを知ったときは新鮮な驚きを感じた。自分の社会的地位を維持するための必要最小限のことはするが,それ以上のことはひとかけらもやろうとしない,そーゆー人間のあっけらかんとした態度表明を聞いたときは少し感動した。同時に,こりゃ困ったことになったなぁ,と大いに戸惑ったのである。でまあ,実際,そーゆー人間の尻拭い,しかもリスクつきの仕事も引き受けさせられて,ウンザリさせられているのである。
 ワシら人間は,国,地方,市町村,町内会,会社,学校,各種団体・・・いずれかの組織に属し,そこで一定の社会的役割,つまり,内田樹いうところの「雪かき仕事」を大なり小なりこなしている。その自分とは直接関係のない「雪かき仕事」は,個人としては避けることは可能だが,「誰かがやらなければならない」重要な仕事なのであって,みんなが避けてしまうと組織全体が困ったことになる,つまり,個人個人が基本的人権を維持できない事態に陥ることになる。内田はこのような「雪かき仕事」を徹底して避ける人種,個人の「目先の」利益しか見ずに行動する人種を「小利口」と,皮肉を込めて命名した。

「集団の一定数だけがそれを行う場合には利益が多いが、閾値を超えると不利益の方が多い行動」というものが存在する。
 これを読んで,そっか,ワシが感動したリスク忌避人間は「小利口」だったのか,とポンとひざを打ったのである。そして考え込んでしまったのだ。小利口にならず,バカからある程度は脱却するための個人の道を探りつつ,社会全体として機能不全に陥らない方策はないものか,と。

 本書は「中国論」と銘打ってはいるが,内田も述べているように,一定の客観的事実を踏まえてはいるものの,詳細を極めた提言や研究を述べ立てる現代中国論ではない。太古からの存在しつつけてきた最も近い大国について,「小利口」ではない態度で内田が真摯に考えたcleverな論考,それが本書である。
 だからといって,「ウチダのいつものエッセイの寄せ集めだろ?」と軽んじるのは間違いである。この現実的な「おじさん的思想」をどう捕らえるのか?,と質問することで,その回答者の現実的思考能力を測ることができる,そーゆーリトマス試験紙(最近は使わないかな?)として役に立つ思想書なのである。