[ Amazon ] ISBN 978-4-592-14278-2, ¥752
日本の土着神をファンタジー漫画の主役として登場させる時,そこに住む人間との関わり方には幾つかのパターンがある。その一つとして,人間社会の変化を直接あるいは間接的に引き受けるというものがある。人間がいてこその神,というのは紛れもない事実であるから,これは自然な神のあり方と言える。
例えば手塚治虫の「火の鳥・太陽編」では,壬申の乱の原因の一面を象徴するものとして八百万の神と仏教神との戦いが描かれるし,あとり硅子の「夏待ち」では,そろそろ過疎地の住民からは忘れられつつあるお稲荷様が主役の一人を張っている。夢路行の主様シリーズでは,神とも妖怪とも宇宙人とも解釈できる「主様」と他の土着神や鬼との交流が描かれるが,雪の神の一族は次第に山奥へと追いやられていく過程にある。
これらに共通するのは,古の日本では神と人間が安定した共存関係にあったという幻想が土台にあるということだが,これはあくまで幻想でしかない。もともと神という概念自体,近代においては科学的に否定されたものであり,人間社会のありように付随する浮遊的なものでしかない。つまり,過去においても安定したものであった試しがないものだ。だからこそ,神は常に人間から畏怖されたり唾棄されたり都合良く愛されたりしながら,人間が共有する概念として,変化しながらも存在し続けているのである。
わかつきめぐみが描く土着神が主役のシリーズも,単なるほわほわとしたファンタジーから変容し続ける人間社会の一端を担うように変化してきたが,それは今まで述べてきたように,神という存在を考えれば自然な帰着と言えよう。そしてその変化の結果,わらわらと画面を賑やかにしてきたキャラクター達には,我々人間が抱いている感情のメタファーとしての役割が担わされるようになっているのである。
「シシは土地神さまの所に住んでいます」というのが本書の冒頭の文句だが,タイトルロールの「シシ」にはこれ以上の説明はない。ちょっとエキセントリックなイケメンの土地神は,インテリジェンスと爆発する感情との間を往復しながら12ヶ月を過ごす存在であるが,シシはその土地神に何の影響も与えない存在で,愛玩動物としての役割も果たしていない。が,自身の存在が人間から忘れられつつある土地神がキセル煙草をくゆらせながらシシ相手に語るシーンにおいて,シシは我々人間が持つ「よく分からないけどそこにいる第三者」としての機能を担うようになった。たぶん,シシは村上春樹が言うところの「うなぎ」(分からない人は「村上春樹にご用心」でも読んで下さい)なのである。睦月から師走まで,愛嬌やトラブルを振りまいてくれはするものの,それはストーリー全体の本筋を直接担ってはいない。多分,天性のファンタジー作家・わかつきめぐみは,本書において,ストーリーを間接的に語ることに挑戦したのだ。シシと土地神のお付きの者どもが織りなすエピソードを介して,ワシみたいな読者が「勝手に物語る」作品を作り上げてしまったのである。つまり本書は「機能としての漫画作品」になってしまったのだ。・・・ってのはおおげさかな?
神という存在が共同幻想であることが明確になった今でも,いや今だからこそ,神は求められている。この先,日本の少子高齢化が進展するにつれ,限界集落が増え,うち捨てられる土地の寺・神社・地蔵も増えていくに違いない。しかしそれでも人間が全滅しない限り,土着神信仰もまた全滅することはないのだ。本書において,仲間が減りつつあることに嘆息する土地神は,悩みながらも破れかぶれになることはない。それはタネマキという謎の存在が置いていった種に希望を託しているからという単純な理由ではない。タネマキがいようといまいと,傍らで話を聞くシシさえ居てくれればいいのだ。そして我々人間が季節の変わり目を意識さえしていれば,土地神もまたそれに合わせて行動してくれるはずなのである。
今日は大つごもりである。今夜は一年を振り返って土地神とシシ共々しみじみとし,年が明けたら近所の社を巡って彼らの存在に思いを馳せようと考えている。
シークレット・ラブ I [ Amazon ] ISBN 4-8322-3058-1, ¥552
シークレット・ラブ II [ Amazon ] ISBN 4-8322-3071-9, ¥552
シークレット・ラブ III [ Amazon ] ISBN 978-4-8322-3094-1, ¥552
いや〜,エロ特集をすると予告しておきながら,年末に入ってしまうとテンションが落ちてしまい,殆どらしいことが出来なかった。だもんで,最後に書きたいことを全部書いてしまうと共に,これだけは紹介しておかねばらならないという3冊をご紹介することで,お詫びに代えたいと思う。
最近の2次元フェチな若者どもがどんなエロマンガを読んでいるのかを知るため,それなりにこの分野のマンガを渉猟し,何冊かは買って読んでみたのだが,いや〜,なんつ〜か,やっぱこの分野,進化が早いというか,もはや中年親父のワシには付いていけない所まで逝っちゃっている。SEX中の男が透明人間になるとか,巨乳女性はもはやホルスタインの化け物のような肉の塊になっちゃっているとか,性器の露出が殆ど欧米並みになっているとか(秘宝館が廃れる訳だ),ともかく凄い。一体どうやったらこんなホラーみたいなマンガを夜のおかずにできるのか,おじさんにはさっぱり理解不能である。Web上では全世界規模で実物が拝めるので,フィクションの世界では極端に走らないと刺激が足りないのかしらん? 中には完全なラブコメ&スポ根マンガの構成でありながら,スポーツの代わりにSEXをしているというものもあって,著者の意図とは別に大爆笑しながら読ませて貰ったが,おっさんとしてはもはやこの分野,トンデモ的な楽しみ方をしないとついて行けない所まで逝ってしまっているのだ。
ただ,この極端な変化は男性向けのエロマンガに限られるようである。女性漫画家が担当することの多い女性向けエロマンガの方は,そこまでファンタジック(と言っていいのかどうか?)な進化は遂げていないようで,まだ何とか「実用」に耐えうる程度に留まっている(BLは別ね)。つーか,今時,恋愛の中にSEXが登場しないというのも不自然である上に,女性にとってのSEXはどうしても妊娠という可能性を孕むものだから,幻想の上に乗っかって射精だけしていればいい男とは違う,生々しい現実を伴うものなのである。それ故に,化け物同士のくんずほぐれつなんぞ見せられても困るのであろう。
従って,同じエロでも男性よりは女性の漫画家が描いたものの方が現実離れしていないのではないか。徹底して男向けに描いたとしても,どこか違和感を抱えてしまうのではないか,と思えるのである。で,その違和感に誠実であればある程,男性奉仕のための作品からは離れていくのが自然の成り行きなのであろう。男性漫画家でも,エロから入って徐々に普通のマンガへシフトしていった一群としては,吉田戦車,山本直樹,陽気碑などが挙げられるが,彼らもどこか単なるエロには飽き足らなくなっていたのではないか。女性ならばなおのこそ,と,ワシには思えて仕方がないのだ。
そんな一人がこの「シークレット・ラブ」というベタベタなタイトルの短編集を描いた,雅亜公(まあこう,と読む)なのだとワシは勝手に確信しているのである。もし男性だったらごめんなさい。女性同士が使うあだ名のようなペンネームと,単行本の著者コメントで判断する限り女性と思われるので,以下ではそう仮定してぷちめることにする。
さて,この3冊の単行本の表紙を見て(写真参照),これがエロマンガではないと思った人はいないだろう。ワシもそのつもりで(どんなつもりだ)買ったのだが,その期待は半ば裏切られたのである。半ば,というのは,確かに本書に収められている作品にはSEXが描かれているのだが,ストーリーが面白いため,SEXが単なるお色気成分に成り下がっているからである。つまり本書はSEXを見せることではなく,SEXにまつわる男女の物語を描くことが目的の作品群だったのである。
特に感心したのは,女性キャラの心理描写が巧みなことである。まあ女性が描いている(たぶん)のだから当然と言えば当然なのだろうが,掲載誌は「別冊週漫スペシャル」である。小汚いラーメン屋に置いてあるマンガ雑誌に,SEX後に雨の音を聞きながら男と語らう行きずりの女性を描いたり(第6話「雨宿り」),既婚女性が男からコートをかけて貰ったことに「こんなことしてもらうの何年ぶりだろ」「女の子扱いしてもらったみたいで何か嬉しいな・・・」と少しジンとしたり(第26話「アイ・ニード・ユー」)というような繊細な女性の心理描写が描かれている作品が掲載されているなんて,時代も変わったものだと思わざるを得ない。絵柄はデビュー当時の金井たつおを思わせる,端正なデッサン力と可愛らしさを伴ったもので,確かに男臭い雑誌に載っていても違和感はないレベルである。しかし,単行本3冊になる作品を描き続けられたのは,絵柄だけではない,ストーリーの持つ魅力があったからこそなのであろう。そして,その魅力は女性心理描写の巧みさがあったればこそなのであり,今はそれを週漫の読者が支持する時代になったのである。
この作品群は3冊の単行本にまとめられているが,1巻よりは2巻,2巻よりは3巻に感心させられるストーリーが増えている。女性心理描写が巧みなのは全てに共通しているのだが,その上に構成させるシチュエーションが段々凝ってくるのである。
ワシが一番感心したのは,3巻巻頭の第21話「言えなかった言葉」である。これは電車の中で痴漢行為を働いてしまった男が主人公で,その男が好きになった相手が実は痴漢の相手だった・・・というものである。男にとって一方的に都合のいいエロマンガばかり読んでいる輩には少し苦いものを残すかもしれないが,それ故に,ワシはマジにこの作品,道徳教材として使えるのではないかと思っている。純粋エロを求めて買ったワシにとっては意外だったが,マンガとして楽しめたのに味を占め,この漫画家の作品を全部買ってしまったのは当然の成り行きと言えよう。
雅亜公の最新作「ラビリンス Vol.1」は,「シークレット・ラブ」の一短編を拡大したような不倫ものの長編であるが,ベタなタイトルが相変わらずなのはいいとして,今のところは間延びした作品という印象が強く,切れ味という点では短編の方がお勧めである。まだ始まったばかりなので,これについては今後に期待することにして,今は在庫がある「シークレット・ラブ」3冊で楽しむことをお勧めしたい。
順調に全ての予定が停滞中である。まー世の中そんなモン。出来ることをやっていくしかないのである。
自炊飯のための買い物以外はずーっと自宅でダラダラ。これがマンションになるとますます自堕落になりそうである。うーむ,Wii & Fitでも買って室内運動に励むか。
大鍋一杯に作ったおでんは三日で平らげてしまった。明日&明後日はカレーで過ごす予定。自炊だけだとホント,金が掛からないな。
ナイスステップな研究者の発表。九大の中尾先生が受賞。人材育成とのこと。なーるほど。
それにしてもこの賞のネーミングセンスを何とかした方がいいと思う。
停滞しながら寝ます。
どんよりどよどよの日。但し寒さはそれほどではない。石油価格が上昇している昨今,ちょっとでも暖かいのはありがたい。
昨日の夜,作りすぎたおでんで満腹になって眠くなり,ゴロゴロしていたところにマンション営業の方から連絡あり。予定通り,1月下旬に内覧会を行うのでスケジュールを教えてくれとのこと。寝ぼけ眼で応答していたので詳細はよく覚えていないが,どうも予定通り建物はできつつあるようだ。うーむ,信じられない。夢か幻か・・・等と遊んでいる暇はない。そそくさとアパートの管理会社に連絡,年明けに解約通知書に記入して届ける,ということに相成った。いよいよ借金生活が間近に迫ってきたなぁ。
ブット元首相暗殺されるとのこと。あんな年増美人をもったいない,というのが第一印象。
しかしイスラム圏って政治も経済も安定しないよなぁ。今回の暗殺事件の首謀者たるイスラム過激派だって,どこに着地点を見いだそうとしているのか,自分たちも把握できてないんじゃないのか。パキスタン国内でドンパチやらかしたって,結局は欧米列強に漁夫の利をさらわれるだけになりそうだし。インドだって問題含みだけど,政治に関しては安定した民主主義が定着しているだけ大分マシ。折角イスラムだけで分離独立してすっきりするのかと思いきや,純粋な宗教心だけで突っ走りたい方々が国全体の足を引っ張ることになるとは,天国(かな?)の父ちゃんと娘共々,思いも寄らなかった事態なんだろうなぁ。ホント世の中ままならない。
Diploma millで学位を取ったという教員,全国で48人とのこと。国立大にもいるらしい。案外少ないな,というのがワシの印象。小島先生のblogが面白い。
これに関して,まともな日本の大学でのDr.取りについてつらつら考えていたら長くなっちゃった。つーことで別エントリにする。
今日も頑張ります。
今日もいい天気。物が減ってややすっきりした部屋に掃除機をかける。本年の大掃除はこれにて終了。自分で処分出来そうなものはあらかた片付けたので,あとは引っ越し時まで持ち越しっつーことで。スタッドレスタイヤ4本,スチール本棚4つ,背もたれがぶっ壊れた椅子は業者さんに処分をお願いするとして,CRTが斜めに収まるタイプのPCデスクはどうしようっかなぁ。奥行きがあるので邪魔っけであるが,まだCRTは壊れそうもないし・・・うーん,もう少し悩むことにしよう。
朝9時過ぎにみかか西から連絡が入る。大規模な機器交換を行ったとのこと。今のところ通信速度は快適なままなので,礼を言ってこの件は終了。ご苦労様でした>みかかIPカスタマセンター・Fさん
今日も頑張ります。
洗濯日和のピーカン晴れ。今年は遠州名物空っ風が少ないので助かる。シーツとタオルケット(和製英語)を洗濯して外に干す。
昨日の夜から我が家のPCからはやたらWeb接続が遅くなっていたが,朝になっても状況変わらず。みかかに連絡するも,局からワシの部屋までの回線には問題がないとのこと。PCとADSLモデムを直付けしてPPPoEで繋いで確認してくれと言われる。確かに無線ルータがおかしくなっているらしいので(無線からDHCPが応答しない),ルータを新しくして試してみようと決意。
午前中は,Book Offに売り飛ばす本とCDを出すために宅配便の方を待つ。段ボール二箱。ペリカンさんが取りに来て,付箋のような簡素な受け取りを貰う。これで一件は落着。その後,まだ我が家に大量に残っていたPC-9801用のソフト(5 inch FDD)や3.5inch FDDをごっそり処分する。こういう分別が厄介な代物を捨てるのは,自治会のゴミ収集から締め出されたアパートにいる今のうちに限る。段ボール一箱分のゴミがなくなってすっきり。
午後は掛川・菊川地区の資源センターに粗大ゴミを処分しに行く。布団一式,座椅子(流山で隣の奴から押しつけられた奴),石油ストーブの3点。しめて30kgのゴミ。初めてだったので,どこに車を着けたらいいのか分からず,職員の方に指示して貰って何とか全部処分出来た。この3点のゴミを捨てる場所が全部決まっているのに感心。まだ世間は御用納めになっていないので,5分としないうちに全ての用事が済んでしまった。処理費用150円なり。安。
入口と出口でワシと車ごと秤に乗るシステムになっているので,差し引きしてゴミの重量が出るという仕組みになっていた。おかげでワシのパルサーは約1トンあることが判明。ちょっとお得感を頂く。
帰りにルータを買いに行く。この際全部GbEにしようかと思ったが,どうせ無線ブリッジを室内に置き,ルータは玄関に置く構成になるので,無線ブリッジモードを備えたメルコの安物(1.1万円)で済ますことにした。
で,自宅に戻って早速取り替えてみたものの,状況変わらず。MacBookからADSLモデムに直つなぎしても同じである。まるで64KbpsのISDN時代に戻ったようだ。
埒があかないので,もう一度みかかに連絡すると・・・折り返し連絡があり,確かに掛川の局からワシの部屋までの回線は正常だが,1.5Mbps ADSL回線を収容している局の機器にトラブルがあり,速度が極端に落ちているとのことだった。うーん,既にゴミ箱に突っ込んでしまった前のルータにはあまり責任のない話だったのか・・・ひょっとしてこのトラブル,ワシが第一発見者か? 今時1.5Mbps回線を使い続けているユーザは少ないだろうし。別に嬉しくないけど。
そーいや,10月にもワシのWebサイトを収容している仮想マシンのネットワークが切れたことがあって連絡したら,同じハードウェアを使っている別のユーザが相当無茶なプログラムを動かしていたせいでネットワークがダウンしてしまった,というトラブルの第一発見者になってしまったなぁ。
しかしこの第一発見者という奴,甚だ理不尽というか,割に合わないものである。ホントにトラブルか?てめぇがミスっているだけじゃねーの?などと必ず因縁を付けられるのだから。金一封貰えるわけでもないし,ホント割に合わない。
ADSL収容機器の修理は夜中まで掛かりそうだとのこと。まあこちらとしては対処して貰えばあまり文句はない。しかし,blogの更新が昨日から全く出来なくなってしまったのはイヤだなぁ。今朝も書きかけの記事がup出来ずにパーになってしまったし。この記事はoff-lineのテキストエディタで書いているのである。そうすると・・・際限なく書いてしまうので,たかが日記だというのに長いこと長いこと。そろそろこの辺で打ち止めにしておこう。
午後11:30過ぎにようやく復旧した模様。おお〜,快適快適。って,これが普通だってぇの。コスト削減圧力も結構だが,程々にしておかないと,必要不可欠なインフラ維持費用にも事欠くことになりかねない。光ファイバだって随分トラブルが発生しているぐらいだから,ボチボチ適正なコスト負担ってのを,みかかインフラに頼っている全国のISPは真剣に考えたらどうか。
エロ特集の行方ははみかかの努力っつーことで一つ。論文再査読依頼は何とか受け取れたが,年明け一発目の仕事だなこりゃ。それまでに自分の論文を仕上げなければ〜。
世間様よりチト早い仕事納めの日。まずは13年目の車検を済ませた我が愛車・パルちゃんを取りに行く。後ろドアのパワーウィンドウを運転席側の集中スイッチから空けることが出来なくなっていたのだが,それを直すために必要な部品が届かず,年明けになってからということらしい。それ以外は全部直してもらった。前タイヤ2本も交換,テカテカである。

総額15万(+パワーウィンドウ修理2万)で済んだ。「長く乗って下さい」とディーラーの方から言われたが,もちろんそうするつもりである。これから借金生活に突入するわけだし。とはいえ,既に12万キロ走破している奴だからなぁ,お紺以上にボロボロである。ま,今後2年間でドンだけ金が貯まるか,それ次第だな。
年内ギリギリになって,ようやく論文掲載誌が届く。

来年度からは紙形式での論文誌配布はなくなるらしいので,ホントに最後の紙論文になるかな。別刷りは来年に届くのだろうが,大師匠に紙の論文を届けるのもこれが最後かな?
それはともかく,著者の顔写真を載せるのは勘弁して欲しいよなぁ。顔で勝負しているんじゃないんだからさぁ。よっぽどドタマの後ろだけ取って送りつけようかと思ったが,結局めんどくさくて,5年前ぐらいの下から睨み付けるような証明写真を送ったが,世の中を恨んでいる目してるよなぁ。ま,法界悋気人間のワシにはふさわしいけどね。
仕事納めの後は,いつものようにジャスコへ買い物。今回は面倒なので,袋井店に出向く。しかしここは規模が小さいので,あまり面白いものなし。明日捨てる予定の座椅子の代わりも見つからず,結局掛川のホームセンターで購入。まだ年の瀬の準備には早いので,食料品を買い込む気にもならず,掛川の極小規模ショッピングセンターに寄って帰宅。レトルトのカレーライスと総菜のフライドチキンで夕食。そーいや,今日はクリスマスだっけか。
遙洋子のコラム,単なる八つ当たりで,芸も何もないな。更年期が近づいている独身者中年女が苛つくのは無理もないのだが,もう少し客観性がないと笑えないぞ。ここに書かれている三つのエピソードのうち,最後の自宅電球全取っ替え事件については確かにサービス過剰だとは思うが,そもそも電球(蛍光灯か?)ぐらい自分で代えろよ,と言いたい。同じく八つ当たりしながら世間に迷惑をかけている中年ひとりものとして,つっかかられたJRの売り子さんと車掌さんに,遙洋子に代わってお詫びする次第である。
エロ特集,最初は福満しげゆき。ポイントは奥さんの太ももだ!(そこだけ) ワシがエロと言ったらエロなんだ,とゆーことで一つご勘弁を。
さて本日はどうしようかなぁ。SMかなぁ,それとも発情した女子かなぁ・・・。書き上げたら寝ます。
[ Amazon ] ISBN 978-4-06-375417-9, \743
ガロの流れをくむ異端マンガ雑誌・アックスに掲載されていた福満のマンガを最初に知ったのは,多分,フリースタイル Vol.3掲載のいしかわじゅん×南信長対談だったと思う。その後,吾妻ひでおの日記でも好意的に取り上げられていたのを読んで興味を持ち,そろそろ購入すべきか,と考えていた矢先に出たのが本書である。しかもメジャー出版社。でも装丁はまるっきり青林工藝舎。普通のA5サイズコミックスに比べて価格も高めだし,つまりは,そーゆースタイルで売り出した方が得策だと講談社サイドは考えたということらしい。うーん,最近は小学館でもIKKIなんてマンガ雑誌が出るぐらいだし,飽和したマンガ市場で利益を上げるにはニッチなマーケットも確保しておかねば,と,大手出版も考えを変えたってことなんだろうか。この辺の動向はぜひ中野晴行さんに分析していただきたいところである。
そのニッチなマーケットにあって,それなりに利益が上がりそうだ,と目をつけられたのが福満しげゆきという存在だった,と勝手に断定することにして,さてこのマンガのどこが良かったのか? そこんところをつらつらと自分勝手に考えることにする。
2007年12月現在,福満のマンガはWeb上でも読むことが出来る。本書でも語られているが,ご本人のWebサイトも存在している(奥さんが作ってくれたものらしい)。福満を知らない方は,まずそれをご覧頂きたい。
読んだ? では,話を続けよう。
本書は青林工藝舎「僕の小規模な失敗」の続編・・・というか,現在進行形でこの日本の首都・東京に住む福満自身とその奥さんを中心とした生活を語る,エッセイマンガの体裁を取っている。いつも目の下にクマをはやし,自意識過剰気味な性格がもたらす額の脂汗を流しつつ,少し猫背気味の姿勢で漫画を書き,妻との間合いを取りながら時にはバイト生活を送っていた福満自身が主人公だ。が,双葉社と講談社から同時に連載の依頼を受け,メジャーの道を走り出したところが本書の後半で描かれているので,そろそろマンガだけで食える状況になってきたようである。なんか,水木しげるの自伝を読んでいるような気分になってくる。ガロ→講談社(少年マガジン)というルートを辿った水木と,アックス→講談社(モーニング)&双葉社(アクション)というルートを確保した福満,将来が楽しみである。
それはともかく,本書はエッセイマンガの形態を取っているし,福満自身もここで描かれているような惨めったらしい存在だと認識しているのだろうけど,それを額面通りに受け取るのは果たしてどうか,という気がする。実際,いしかわ×南対談においても
いしかわ「(略)とにかくこの粘着質はすごい。手紙を書きまくって,携帯書きまくって,通話料金が十二万だっけ。(笑)」・・・と指摘されている通り,実はこの福満という男,サイバラや得能史子と共通するまっとうな夫婦生活を送るための常識,相当の根性,プロ的視点,の持ち主とお見受けする。
南「毎日手紙書きまくったあげく,「お願いだから控えてください」って言われる。敵に回したくないタイプです(笑)。でもこのひとはものすごく極端だけど,ある部分はわかるなぁ,というところがありますよね。十七,八歳で将来に不安を持つというのは誰にでもあることだし,もっとダメな人って世の中にいっぱいいる。無気力でダラダラしててなにもやらない人とか。それに比べたらこの主人公はものすごくアクティブ。マンガを書くこともそうなんですけど,向上心がある。」
いしかわ「前向きだよね。でも暗〜い前向き。粘着質で暗い前向きなんだよ(笑)。」
まず,マンガだけで食えない状況にあっても,きちんと結婚している,ということが挙げられる。この時点で萌える中年ひとりものとしてはジェラ心に火が付いてしまうのだが,それはこの際置いておくことにしよう(でないと話が進まない)。まあ,結婚までの経緯は色々あったとしても,本書で描かれている夫婦生活は相当まっとうなものである。稼ぎのない時は奥さんが働いて食い扶持を確保し,そろそろダンナにメジャーからお声が掛かるようになった頃を見計らったように奥さんは専業主婦化していく。働いている間はダンナを穀潰しとして叱咤し(激励の意味もあろう),福満もぶつぶつ言いつつもそれなりにバイトに精を出す。ビンボー夫婦生活を描いたエッセイマンガは,例えばここでも取り上げた「まんねん貧乏」「同2」があるが,稼ぎの範囲で生活をする,稼ぎに不足があれば自分が動く,という原則に忠実なところは福満も得能も共通している。高々数万程度の急な出費を補う貯金も出来ずにサラ金に走るバカどもは,福満や得能の爪の垢でも煎じて飲むがいい。ついでにサイバラから罵倒されてみろ,と言いたくなる。その意味で,福満の夫婦生活は理想的なあり方と言える。
次にいしかわ×南対談で挙げられていた「根性」についてだが,当然,メジャーからお呼びが掛かるまで地道にマンガを書き続けたことを挙げなければならない。その前に,原稿料が出ないアックス(やっぱり本当だったのか・・・)に「普通に読める」マンガを描き,単行本まで出していた,というステップを踏んでいたことがジャンプのきっかけとなったことは疑いない。それにしても,この陰気を地でいくようなねちっこい画風で,自意識過剰としか言いようのない鬱々した世界を書き続けたことは相当な根性とお見受けする。本書ではミュージシャンを目指しながらライブの一つもしようとしない知人を尻目に,福満自身が見事バンドを組んでライブを敢行してしまうエピソードも描かれているが,これも根性の証左である。そして,自分でどれほど意識しているのかは不明だが,ちゃんとメジャーどこからの要求に応えて何度もネームを書き直し,画風も段々軽やかになっていくのはたいしたものだと思う。それでいて奥さんは可愛く描いているし,エロいし(ああっ,太もも太もも!),ワシみたいなメジャーどころしか読まない普通の読者のツボも刺激してくれる。それもこれも根性の賜物,と言うほかないのである。
そして最後は,福満のプロ的視点だ。客観性,といった方がいいかな。自分が他人からどう見られているか,その上で,自分はどう行動すべきか,という悩み,それ自体が本書が一番エンターテインメントしているところなのだが,答えの出ないこの問題を,福満はねちっこく根性で乗り切ると同時に,相当考えた上で行動しているのである。そしてそれを本作に描くことで読者を喜ばせることができる,ということも福満はちゃんと意識しているはずである。自分の自意識が過剰であり,しかしそれこそが自分の持つ一番の「ウリ」であり,それを丁寧な絵と端正なコマ割に載せることで,読者を満足させることが出来るという確信が,福満にはある筈なのだ。そこにワシはプロ的視点,客観性を感じてしまうのである。笑われることは恥と考えるだけではなく,むしろそれを利用して,「どう笑われているのか」と意識し分析することで表現のステージを駆け上ることができる,ということを,福満は都営団地の一室でペンを走らせつつ確信しているのである。
本書を単なる「ダメ人間」のエッセイマンガ,として楽しむことは可能であるし,世間ではむしろそちらが多数派なのかもしれない。しかし,ワシにはとてもそうは思えない。少数派かもしれないが,福満に嵌る読者のある一群は,間違いなく「共感」しているのだ。共感する読者は,「ああ,ここにも同じ自意識に悩む人間がいる」と安心する。しかし,その上には福満がしっかりと監視の目を光らせ,「・・・よし(ニヤリ)」とほくそ笑んでいるのである。
恐るべし福満。メジャー二社を巻き込んで取り合いになる騒動を,悩みつつもネタにするねちっこい政治力とプロ意識,大いに見習うべきである。
ふー疲れた〜。久々に都内をぐるぐる回ってしんどいのなんの。だもんで,本日の足跡だけを簡潔に記す。
1.朝8時過ぎに蒲田のホテル出発。東京駅にてコインロッカーを悠々確保,昨日の戦利品を格納して身軽になる。休日の東京駅地下のコインロッカーは,午前10時過ぎになると殆ど空きがない状態になるからね。
2.東京ミッドタウンをウロウロして,新国立美術館へ。公募展という奴の招待券を貰ったので行ってみた。黒川紀章の設計の建物だが趣味にあらず。公募展も素人の寄せ集めという感じで,まあ面白いものも散見されたが,隣でやっていた書道の公募展の方が楽しめた。しかし老後の趣味としてはこーゆーものに出展するというのも悪くない。一種の同人サークルみたいなもんか。これだけガラガラなら,コミケより体が楽である。
3.六本木から神保町へ移動。やっとこさっとこ「このマンガを読め!2008」と,書泉ブックマートにて遭遇出来た。その後,三省堂書店では平積みになっていたのを発見。神保町にしか配本しないつもりか吉田保・・・。三省堂では翻訳本が目立つところに縦置きされていて満足。もし目立たない扱いになっていたら「やさしい微分方程式」の上に載せてやろうかと思っていたが,テロを敢行せずに済んだのは幸いであった。
4.神保町から市ヶ谷へ移動。日本大学本部前を通過して私学会館にて情報科教育学会発足式に出るも,会場に冷房が入っていて寒かったのと,メンツが情報教育の常連さんばっかりだったのでさっさと出てきた。一応正会員の手続きは取ったので,今年度と次年度は会員でいるつもり。どーせもう一つの方は止める方向だしな。
5.市ヶ谷から秋葉原へ。夕飯をかっ込んで御徒町で下車,鈴本演芸場へ。本日の夜席は若手メインの興業で,喬太郎・歌武蔵・菊志ん・ロケット団・白酒を目当てにしていたのだが,この5人(組)にハズレなし。津軽三味線の太田家元九郎,アサダ二世も良かった。一番は喬太郎の「時そば」で,最初は本寸法でやるのかと思っていたら・・・という次第(何がだよ)。柳家一門のお家芸だけのことはあるね。
6.夜席が8時ではねたので,ダッシュで東京駅へ。午後8時23分名古屋行きこだまに間に合った。ふーしんど。
疲れたので今日はもう寝ます。明日からエロ特集,かなりこじつけも混じりますけど,乞うご期待(しなくていいです)。
どよんとした空の下,東京へ向かう。出発時にグズグズしたせいで10時5分掛川発のこだまに乗ることになってしまった。グズグズの理由は,炊いてあった飯の始末。ちょうど買い置きの海苔を切らしており,海苔なし・梅干しembeddedな白い飯玉を作って昼飯用に持って行くことになった。その決断に手間取り(海苔なしの飯玉をおにぎりと称するのは日本人としていかがなものか,そもそも海苔なしで神聖な飯を握って良いものかどうか,等),予定より2時間遅れで出発したのであった。
車中,伊丹映画の駄作について思いの丈を書いてみたら,随分長くなってしまった。これぐらいでいいか,と気がついたらもう東京駅である。人生は短い。
まずは翻訳本の営業のため,某大・某教室へ向かう。以前の建物は内装工事のため,某(某ばっかりや)大手電機メーカの元本社ビルに移転していた。エレベーターが10機もあって壮観。移転前の建物はあれだけの学生が出入りしているにも関わらず,一機のエレベータでやりくりしていたことを思えば隔世の感がある。ま,いずれは元の一機ビルに戻ってしまうのだが。
お留守だったので,翻訳盆の宣伝メモのみ残して去る。後でメールを頂き,すれ違いだったことが判明。2巻お揃いで常備しておくとよろしいですぜダンナ!(女性だけど),とお返事を宿で書く。ま,ワシがプッシュしなくても一揃いは買ってくれるとは思うが。
営業の後,御茶ノ水及び東京丸の内の丸善で本を漁る。久々の大量買い。相変わらず,フリースタイルの「このマンガを読め!2008」と遭遇出来ずに泣く。
・福満しげゆき「僕の小規模な生活」1巻,講談社(青林工藝舎刊行のものの続き)
・大槻ケンジ×西炯子「女王様ナナカ」徳間書店
・木村紺「巨娘」1巻,講談社
・内田麻里香「恋する天才科学者」講談社(一部はほぼ日で読める)
・鹿島茂「神田村通信」清流出版
ハズレなし,というラインナップ。講談社に思いっきり貢いでいるような気がするが,まあ刊行物の割合からいって仕方がないか。このうち鹿島茂を除けば全部エロ特集に組み込めそうな・・・こじつけだけど。つーことでぷちめれは後ほど。
本漁りの後は大師匠の所へ。星新一とか夏目房之介とかを愛読している身としては,このあたりに近しいものを感じてしまう。

そーいや,この文字書いたのって・・・

やっぱ,あのお方,だよね? ・・・ところでMSって,松尾スズキか?
この通りの先に,星新一の自宅があったんだよなあ(今はない)。

翻訳本をお渡しした後は,例によって大師匠と世間話。ま,殆どはワシの愚痴なのだが。どうもお邪魔致しました。
宿に帰って温泉に浸かって,人心地着いたのでこれを書いている。さて,これを書いたらもう寝ます。明日は東京駅コインロッカー争奪戦に参戦しなければならないのだから。
2007年年末,チャンネル数減の圧力を逃れたNHKは,2年ぶりにBSマンガ夜話を復活させると共に,伊丹十三の映画特集を組んだ。既に民放・地上波では宮本信子主演の映画は大概放映されているのだが,腐っても国営放送,コマーシャルによる中断がないとあれば,録画用としては最適なのである。とゆーことで,我が家のDVD+HDD録画装置は2008年の正月を迎える時には「伊丹ボックス」と化す予定である。・・・その前にもうちっとHDDの空き容量を増やしておく必要があるのだが。
ワシが見た伊丹映画を好きな順に並べると,次のようになる。
1.タンポポ
2.マルサの女2
3.マルサの女
4.お葬式
5.マルタイの女
6.大病人
未視聴なのは「静かな生活」「あげまん」「ミンボーの女」なのだが,今回の特集は「〜の女」シリーズに限られているので,ワシにとって初体験となるのは「ミンボー」だけである。
あれ? もう一本足りないんじゃないの? とお思いの方は,結構な伊丹映画通の方に限られるのではないか。そう,ワシは確かに「スーパーの女」を映画館で公開早々に見ている。しかし・・・ハッキリ言って,この映画,伊丹十三にあるまじき「超駄作」であって,順位付けすれば7番目に位置するのは確かだが,ワシにとっては,ランク外,という扱いをすべきものなのである。
この映画は,とある住宅地でスーパーを営む男(津川雅彦)と,その幼なじみのバツイチ女(宮本信子)が主人公で,この二人が,最近の食品偽装問題の主役になりそうな悪徳スーパー(伊東四朗が経営者役)に対抗すべく,「主婦感覚」と誠実さを売り物として対抗していく,という物語である。
当時,まだ20代のワシが見ていて思ったのは,演出とストーリーがグズグズに生ぬるいということだった。「マルサの女」「同2」で期待していた緊迫感は皆無,「タンポポ」における大時代的なケレン味と文人趣味も抜けており,まるで炭酸と果汁を抜いた,甘味料だけの清涼飲料水を飲まされているような映画だった。ま,今見ればそこそこ楽しめるかも知れないが,少なくとも公開当時のワシの率直な感想は,そのようなものだったのである。そして特にワシをいらつかせたのは,宮本信子が連呼する「主婦感覚」という単語だったのだ。「そのナンとか感覚とやらは,「それだけ」のものなのか?」と。
学校出てから15年(これは「マルサの女2」に出てきた歌の文句),そろそろメタボ体型を支えきれなくなった腰骨が悲鳴を上げるお年頃になったワシは,同じ年数をひとりものとして過ごしてきた。ズボラな男が大抵そうであるように,ワシも最初は外食とコンビニ弁当中心の生活を送ってきたのだが,カロリー量と味付けが気になるようになってからは,少なくとも朝食はかならず自炊したものを食するようになっている。
そうすると自然,冷蔵庫にある食材を中心とした生活を送ることになり,毎週末には近所のスーパーで大量の食材確保を行う必要が出てくる。そうすると必然的にそこで購入するものの値段・新鮮さには敏感になってくる。ワシの近所には3つの民間資本のスーパー(もう一つ農協Coopがあるが,ワシは生協アレルギー持ちなのでパス)があるのだが,このうち地元資本のKスーパーは価格面で一番お得ではあるものの,生鮮食料品の質に難があり,残り二つの鉄道系資本のチェーン店は,価格面で少し高めだが質はよい,という特徴を持つ。こうした特徴付けが出来るようになったのはスーパー通いの結果,身についた感覚のおかげだが,これを単純に「主婦感覚」と言ってのけてしまうのは,何か違う,という気が,「スーパーの女」を見た当時のワシも,今のメタボ中年のワシも,している(た)のである。スーパー通いによって身についた感覚全体を「主婦感覚」と定義するとすれば,この主婦感覚,もっと複雑なものを内包しているものであり,正確に言うなら,ビンボーしみったれな人間が自然と身につけざるを得ない,傲慢さと諦めとバカさ加減をない交ぜにした知識体系というべきものなのである。
食品偽装問題が騒がれるようになる前から,小売りスーパーで扱われている肉や魚,野菜類に関してはかなりの「偽装」が行われているという報道があった。ワシが知っているところでは,TBSの報道特集で扱われていた「タラバガニ」の問題がある。「タラバガニ」として売られているもののうち,かなりの割合で「アブラガニ」という別の種類のカニが混じっているようだ,という報道であった。他にも産地の偽りは肉にも魚にもあるという指摘がある。また,ワシの職場で遺伝子解析の専門家の方の話を聞くと,魚でも野菜でも,遺伝子レベルで解析すると本物ではないものが結構混じっているらしいのである。
もちろん,偽装をしてはいけないことは当然であるけれど,翻って,じゃあ,毎日の食い物をスーパーで購入するほかないワシらビンボー人どもに,「本物」を見分ける五感が身についているかというと,それははなはだ心許ないのは確かだ。つーか,DNA解析しなけりゃ分からんような代物をどーやって見分けるのさ,とワシらとしては口をとがらせてぶー垂れるほかないではないか。内部告発やInternetの普及によって,不正に対しては昔より厳しい監視の目が及ぶようにはなっているのだろうし,トレーサビリティの重要性は今後も増すであろうが,しかしラベルの張り替えぐらいで利益を増やせるという誘惑に対して超然としていられる人間がそれほどいるのか? と考えると,この手の偽装を皆無にすることはできないだろうと思うのである。
それに,仮に偽装が皆無になり,全ての食い物の値段がコストに応じたものになっていたとして,ワシらがそれに基づいて「高いブランド品」を買うようになるわけではないのだ。自らの懐具合と,ブランド品が持つ「魔術」を勘案して,高級品と低級品を買い分けるのが普通だ。衛生や健康に即時的な問題が生じるという事態でもない限り,財布の中身と精神的な満足度を秤にかけて日々必要な物を得る,というのが庶民であり,「こんな値段で本物のタラバが買えるわけないよなぁ,どーせアブラガニだろうけど,アブラだって結構うまいし,今日の所はこれにしておくか」というよーな諦観を伴った合理性に基づいて培われるのが「主婦感覚」というものの正体なのである。
ワシが「スーパーの女」で連呼されていた「主婦感覚」は,それが内包する一部の正義感を強調するためだけに使用されており,それを聞いていたワシは「何か嘘くせー」とカチンときていたのであろう。映画を成立させるためにはそーゆー狭義性も「アリ」とは思うが,それを「アリ」と思わせるにはもう少し演出やシナリオ上の工夫が必要だったのだ。インテリだった伊丹にそれが理解出来ていなかったとはとうてい思えず,恐らくはマーケティング上の戦略として,甘ったるい娯楽映画は主婦向けには行けると考えての映画だったのだろう。
しかしそれは「主婦感覚」を舐めていた,と言わざるを得ない。そこには「騙されていることを意識しつつもそれを楽しむ」という重要なファクターが抜けていたのだ。エンターテインメントと銘打っているのだから,むしろそちらを重視すべきであり,お気楽な専業主婦が「私向けの映画かな〜?」と見に行ったらトンでもなかった,というものを作るべきだったのである。そして,もしその専業主婦が本物の「主婦感覚」を身につけていたならば,絶対に「面白かったな〜」とウキウキして映画館を出,家でダンナに「こんな映画をみちゃったのよ〜」と報告したはずなのである。興行的には不人気だったというのもむべなるかな,なのである。
主婦感覚を舐めてはいけない。伊丹十三の不幸は,このことを見誤ったあたりから始まったのではないか,と思えて仕方がないのである。
例によって研究進まず。うだうだと時間を費やすのみ。
年末と言えばコミケであるが,今年は出かける暇も金もないので見送り。どーせワシみたいな中年は三日目しか用事がないのだが,今年は大晦日だもんなぁ。さすがに掛川くんだりから遠路はるばる出かけて,2007年最後の日を人いきれの中で過ごしたくはないのである。米澤死すともコミケは死なず。ま,予定が合えば出かければいいさ,という気分。年である。
とゆー訳で,会場でワシに似た人物を見かけても,それはワシではないので,訳の分からん噂を流さないように>学生諸君
最近,SIAM Reviewが面白い。学生の頃は,研究テーマなんてどうやって見つけるんだろう?と思っていたが,なるほどねー,ワシみたいなズボラ人間でもこういう雑誌を眺めているとネタらしきものと遭遇出来るって訳だ。
それに比べると,日本の学術雑誌(情報処理とか応用数理とか数学とか)はあまり役に立たない。これは日本語を操れる人口と英語を使用する人口を比較すれば当然のことで,執筆者の層の厚みが違うのであるから,仕方のないことである。
つーことで,SIAM Reviewの書評にあった,敬愛する(面識はないけど)Shampine先生が褒めていた本をAmazonで注文。正月中にやろうとしている仕事に使えるかな,と。その他,2本程使えそうな記事あり。勉強勉強。
明日から一泊で東京行き。寄席は混んでそうだから今回はパス。翻訳本の営業と,大師匠へのご挨拶と,学会の発足式の見学,ぐらいか。真面目な旅行だなぁ〜,私費だってのにさ。ブラック師匠の落語ぐらい聞いてくるかな。ちとタイトだが。
車検,17.4万で何とか収まりそうだとのこと。タイヤだのウィンドウの開閉スイッチだのダクトだのと,さすが13年目ともなるとアチコチにガタがくる。しかし新車を買う金もなし,これで2年乗り切れるかと思えば必要経費として割り切るほかなし。
日曜には終わるそうなのだが,夜七時までに取りに帰るのも面倒なので(代車なし,チャリを漕いで行かねばならない),火曜日の朝まで預かってもらうことにする。車なしの休日というのもいいものかな,と。
これから散髪して,少し仕事してから寝ます。
寒い日が続く。我が家の灯油ストーブもフル回転。こいつは2月の引っ越し時に廃棄予定だが,ちょっともったいない。「お紺昇天」の主人公の気分を味わいつつ暮れていく2007年の年の瀬である。
年の瀬と言うことで,決めなければならないことを片付けるためにこの会議あの会議と,様々な会議が目白押しらしい。役職者の方々は大変なようだが,下っ端,特にワシのように信用度の低い輩はそれほどではない。それでもまあこーゆー社会情勢なので,様々な変更だの模様替えだのに巻き込まれることも多い。本日もそんな提案をしてご意見を拝聴するという役回りになった。
まあしかし,メンバーが固定されてきてボチボチ十年にもなろうかという昨今では,誰がどんなことを言うかは大体読めており,内心はともかく,表面的には決定的な対決にはならず,それでいて積極的なイケイケムードとは程遠い,どよ〜んとした雰囲気に包まれる会議になってしまうのである。一言で言えば「老けた」のである。どこが,という具体的なことは聞いてはいけないことになっている。
CentOS 5.1 x86_64のMySQLはmy.cnfを変更するたびにcore dumpしまくって使い物にならなかったので,再度Fedora 8に入れ替える。すると全ての問題は解決され,T君作成の最新Robotは快調にマルチプロセス動作を始めたのであった。
T君曰く,CentOS 5.1ではRobotで使っているPerlのzlibモジュールに不具合があってまともに動作しないようだとのこと。そのため,未解凍の圧縮ファイルの内容ががMySQLに放り込まれておかしくなるのではないか,ということだったが,それにしても,素のHTML如きも全部化けたまんまってのはおかしい。どーもCentOS 5.1は,x86_64に関しては信用ならない,という結論に達した。5.2とか6が出るまで使うのは控えようっと。
ともかく,これでWebがらみの懸案事項は終了。正月明けまでワシは数値計算屋に戻ります。何とか今週中に論文本文の完成を目指さねば〜。土日は東京行きなので,それまでに日本語文ができあがれば,英語書きに専念出来るのだけれど。これが出来ないと,2月の秋田行きもパーになってしまう。申し込みはもうしてしまったので(さっき送った),前回のように直前にキャンセルという醜態を演じないようにしなければ。
電話,メールで連絡あれこれ。土曜日は大師匠の所へ久々に顔出し。翻訳本と論文を届ける予定だが,どちらもまだ届いていなかったりする。うーむ,今日明日中に届かなければ,ワシの手持ちの翻訳本だけでもお持ちしなければなぁ。論文の方はとっくに印刷に掛かっているはずなのだが。年内ギリギリまでヤキモキさせられるとは予想外。仕事なぞするものではない。
車検も1月中に通せばいいのだが,今月中に済ませることにした。年の瀬は代車が用意できないことが多いようなので,車が必要ない金曜日の夕方に出し,日曜日の夕方に引き取ることにした。ディーラーへはチャリンコで往復する予定。折りたたみ自転車を買っておいて良かった。しかし13年目の車検となれば,一体いくら取られるのやら。しかし,新車を買う金はないんだから,20万円台なら御の字としなければ。ああ請求書が怖い。
さて,風呂入って寝ます。
はー,2週間ぶりのゆっくりした週末である。先週は,金曜に非常勤講義で浜松,土日に福井で研究会,月曜は講義2コマにゼミ,水曜は両親の接待とマンション見学(工事中なのに・・・),合間に卒研指導(怒鳴り散らしとも言う),で,昨日,年内最後の非常勤講義を終えてこれを書いている。さすがに無茶なスケジュールと,重いMacBookを担ぎながらの移動が続いたせいで腰を痛めたらしく,ギックリ腰一歩手前の痛みを抱えてしまった。先ほど,マンションストーカー兼図書館通いのついでに薬局に立ち寄って,湿布薬を買ってきて貼ったところである。薬剤師さんに「どれがいいっすかねぇ〜?」とうるさく聞いた結果,これを選択した。
少しは効いてきたかな? しかし・・・年だな。最近,ストレスが高じて寝る直前にものを食ったり飲んだりしているせいでメタボが進行していることも影響しているのだろう。ダイエットせねばならんなぁ。4月の人間ドック入りまでに10キロは痩せないと・・・無理だ。
休日の土曜日にやることは決まっている。休みだからといって午後まで寝ているなんてことはなく,普通に朝7時過ぎには起きる。朝飯をかき込んだら,一週間分の洗濯物を放り込んである二層式洗濯機を回し,エセ・サイクロン掃除機でもって狭い42平米を丸く掃除する。ごちゃごちゃと壁際に置いてあるモノをどかしたり,万年床とその周囲に氾濫する本や雑誌を整理したりは一切せず,平らなところをあるがままに掃除するのみである。終わったところで,洗濯も終了しているので,脱水したら室内で干す。乾燥した端から着替えに使っていくので,衣装棚は必要ない。合理的とも言えるが,単なる無精である。引っ越し後は風呂場で温風乾燥が出来るようになるので,合理的洗濯生活は不可能になる予定だ。
ゴミ整理を終えたら図書館へ。途中,マンションストーカー行為に励む。今月中に5階まで建屋を完成させる予定なんだそうで,現在は屋根の工事が進展中。遅くとも来週いっぱいにはコンクリ打ち作業が終了するだろう。

うーむ,ホントに出来るとは信じられん。工事中の内部も水曜に見せて頂いたが,柱は太いし,ベランダはパネルなしの全部コンクリ打ちだし,風呂場は今よりでかくなるし(既に設置されていた),一体全体誰が住むんだ?という感じ。ストーカーとしては,親切に内部に手引きしてもらうと居場所に困るもんである。来年には住民になるんだという感覚をまだ持てない。さてどうなりますやら。
図書館で文學界最新号を読む。文学にはトンと縁のないワシだが,「ケータイ小説は「作家」を殺すか」という座談会に興味があったので読んでみたのである。3人ともケータイ小説の世界をよく知っている方々なので,タイトルとは異なり,否定的な話にはなっていなかった。結論としては「様子見」という感じか。新しいジャンルが勃興する時にはあれこれ批判が出るものだが,これは冷静に「観察」している方々の座談だったので,全体的に穏当な意見の交換が行われている珍しいもの。勉強になりました。
図書館に1時間程滞留した後,ブラブラとスーパーへ行き食材を買い込む。家に戻った頃には昼飯の時間となる・・・とまあ,こんな感じで,萌えるひとり者の休日は過ぎていくのである。
今日も,つまらんけど散弾銃をぶちかます程の不満もない日常を生きていきます。
[ Amazon ] ISBN 978-4-334-03423-8, ¥700
ちょっと前,「博士が100にんいるむら」というWebページが話題になった。ベストセラーになった本のよくあるパロディかと思って読み進んでいくと,ラストに衝撃的なオチがあるというものである。元ネタはこれであるらしい。
ポスドク(博士号取得済みの学生さん)の就職難という話は昔からある程度あったようで,人文系では40過ぎにようやく大学の常勤職に就けたというのがざらであり,理工系でも博士号取得後,ストレートに助手(助教)に就任,というケースはそれほど多くなかった。
しかし1990年代に入ってからの大学院強化という文科省の方針の下,全国の国公立大学だけでなく,弱小私立大学まで揃って大学院収容人数の増員が図られて以来,博士号保持者は増える一方,しかしそれに比して就職先は増えないどころか少子高齢化時代に入ってますます減る一方,という状況で,無職の博士は「無駄飯食い」というレッテルを張られ,ノラ博士とまで揶揄されるようになってしまったのである。本書はそのような「ノラ博士の就職問題」の背景を解説し,就職先のない状況にある博士達の生の声を集め,もっと広い視野を持って博士号保持者が現実社会に立ち向かうことを提案している。自身もノラ博士の一人である著者であるが,時々混じる「世間・文科省・現在常勤職にありながらもロクに論文を生産しない研究者への恨み節」を除けば,概ね冷静かつ分かりやすい文章を綴っており,「何で博士なのに就職出来ないの?」と疑問を持つ方々にとってはぴったりの解説書になると思われる。
・・・というのが本書に対する模範解答的な書評ということになるんだろうが,うーん・・・率直に言って本書に登場する博士の方々は,世間知らずに過ぎるのではないかと思えて仕方がないのである。まあ,様々な事情があって職がない,という状態になってしまったことは理解するのだが,「こんなに長い間勉強して論文を書いたのに」という恨み言をストレートに受け取ってくれる程,ワシも世間もお人好しではないのである。もちろん,「お前みたいな三流大学出のろくすっぽ業績がない輩が常勤職を持っているから,もっと優秀な奴が被害を被り,日本の研究者のレベルを下げているんだ!」という批判については首肯するが,だからといって「じゃあワシの席を譲ります」とポストを明け渡す気は全くないのである。何故なら,今の職場や日本の研究会でワシはそれなりのポジションを保持しているからであり,それが出来る人はそう沢山はいない,ということをワシは確信しているからである。
本書を読んだ方が誤解するとまずいのだが,前述したように,博士号取得→大学常勤職というルートが全員に保証されるという「常識」はなかったのである。大体,今程ノラ博士問題が深刻化していなかった1990年代半ばですら,ワシの師匠は「大学にポストを得るなんて,運が良くなきゃ無理よ」とハッキリ言っていたし,職を持つ社会人として博士課程に入学する際にも「仕事を持ったままの方がいいよ」というアドバイスは随所で受けた。少なくともワシが知る範囲で,「博士を取れば大学に残れるよ」と言われたという人を見たことがない。そういう別格扱いの人も僅かながらいるようであるが,それは才能が抜群という人に限られているように,ワシには思える。著者のいる社会科学系の世界ではどうだか知らないが,ワシのいる応用数学や情報科学・工学分野では,社会情勢や求められる専門性に相当左右されてポストが決まる世界なので,「職がない=才能がない」という公式は成り立たないのである。努力さえすれば大学にポストを得られると教授にそそのかされたという博士も本書には登場するが,自分がそれほどの才能の持ち主だと自負しているのであれば,もっと世間の風に当たって出身大学外へ出ることも視野に入れるべきではなかったのか? それが出来なかったという時点で,「甘いんとちゃう?」と思われるのは当然であろう。
ま,水月は,大学淘汰・倒産という時代に突入すれば,現在職を得ているワシら専任教員もいずれもっと転職の難しい「元大学教員」というノラ人間に成り果てると予想しているが,それについてはワシも同意する。だから,現在職のないノラ博士以上に悲惨な末路を辿る可能性も高い訳だ,ワシらは。そう言う意味でも,もっと若いノラ博士に同情する必要はまるでないし,むしろ同情して欲しいのはこっちだ!と言いたくなろうというものである。
は,甘い? そう,確かに甘いのだろう。しかしそれは博士号さえ取れれば専任教員への道が自然と付いてくる,と考えたどこぞのノラ博士と同等の甘さである。してみれば,世間知らずの甘ちゃんというのはお互い様,ということなのである。
つまりは,「センセー達も,その予備軍達も,もっと世間の風に当たりましょう」という教訓が得られる,というのが本書の一番の存在価値なのだ。大学教員の世界に縁のない方々におかれては,「へへっ,笑わせるね」と鼻を鳴らして頂くぐらいが一番真っ当な感想であり,いわゆる高学歴の集う世界が「お勉強ばっかりしている割には社会を知らないバカが多い」ということを理解するためにも格好の入門書であることは,バカ教員の一人として保証する次第である。
[ Amazon, Springer ] ISBN 978-4-431-10002-7. \6500

大雑把なところは速報編に書いたので,もう少し詳しいことをこちらの方でお知らせする。ただし,何分ワシ自身が翻訳者の一人なので,内輪褒めっぽい内容になるのは致し方ないことである。その分割り引いて読んで頂ければ幸いである。
本書は「Solving Ordinary Differential Equations I」の日本語訳である。原著のタイトルをそのまま翻訳すると「常微分方程式を解く」あるいは「常微分方程式の解法」となるが,第一章を除いては全て常微分方程式の離散解法についての詳細な解説なので,訳者間の意見を総合した結果,「数値解法」を冠した本書のタイトルに落ち着いたという次第である。
藤原正彦と言えば今や保守派のベストセラー作家として知られる存在となってしまったが,本職は純粋数学者で,自身では二流どころの学者と言っているが,かなりの国際派数学者と見ていい。その藤原は,主に数学者の世界について,「一流どころの学者が,二流の学者の書いた論文を全て読みこなして咀嚼しまとめ上げて,グループ全体の面倒を見ている」というような(手元に本がないのでワシのうろ覚えの要約であることをお断りしておく)ことを書いている。しかしこれは「論文はふつー英語で書くでしょ?」という学界では共通の傾向であり,ワシが属している(たぶん)数値解析・数値計算の世界でも事情は変わらない。一流どころのパワーあふれる一握りの研究者が,英語で記述された論文を常にWatchし,片っ端からその業績を自家薬籠中のものにしていくと共に,自身でもバリバリと理論を構築し,コードを書き,数値実験を行って論文を湯水の如き勢いで生産していくのである。
本書は常微分方程式の数値解法の分野では,一流どころの3人が集結して執筆した,帯の文句にある通り(背表紙),まさに「百科事典」的な内容の専門書である。本書と同様のタイトルの本は何冊か出版されており,日本でも監訳者が書いたものが入門書としては存在するが,それらがほぼ例外なく引用しているのが本書なのである。他人の論文からの引用はもちろん,著者らが直接関わった論文の内容もドカドカと隙間なく盛り込まれているので,1980年代までの文献調査はまず本書と本書の巻末に掲載された文献リスト(日本語ひらがな読みによるソート済み!)に当たった方が楽だろうというぐらいだ。それだけ体力も能力も備わったお三方,特にハイラーとヴァンナーの力量の凄さが示されているのが本書なのである。
理工系の教養・専門課程では今でもプログラミング実習も兼ねて数値解析・数値計算の講義がなされているが,そこでは大体最後辺りで常微分方程式の数値解法について触れられることになっている。Euler法,Runge-Kutta法,多段階法辺りが定番であろうが,もう少し凝り性の教師であれば,補外法についても触れるかもしれない。
本書ではそれらについて,「完璧な理論体系」だけではなく,それらを実際の問題に適用して得た計算時間vs.誤差のグラフ,実装に当たって考え得る工夫の数々も網羅的に記述してある。
例えば,Runge-Kutta法だと,これが陰的解法となれば,積分区間を離散的に区切った小区間を一つ一つ進むごとに非線型方程式を解く必要が出てくる。これをそのままNewton法で実行したのでは計算時間がかかってしまう。そこで,必要な時にのみJacobi行列の計算を行い,不必要な時には準Newton法を適用するという工夫を,普通の研究者なら当然思いつくだろう。
本書では更に,そのNewton反復計算そのものを軽くするための工夫についても述べている。具体的に言えば,Jacobi行列をHessenberg行列に変換し,ゼロ成分を構造的に増やして計算量を減らすのである。こう述べれば「ワシにもできるわい」という人も多かろうが,実際に適用する際には,Newton法・準Newton法のJacobi行列計算のタイミングに合わせて行わねばならず,実際に計算時間を減らすことができるレベルのコードを書くためには相当の数学的かつプログラミング的センスが必要となるのである。まあ,簡単だと思う向きは実際にやってみると良い。どんだけ大変な作業か,よーく分かると思うから。・・・つーか,ここに書いたワシの解説の本質がちゃんと伝わっていれば,の話なのだが。
この一例でも分かる通り,原著者には理論を構築するだけではなく,実装レベルまで見通したセンスと,実装そのものもやり遂げるだけの「力業」が備わっているのである。この凄さが日本の読者に伝われば,ワシら翻訳者冥利に尽きるというものである。
ちなみに,本書の解説に使用されたコードは原著者らのWebページ(主としてハイラーの方)で公開されているが,現在はTest Setを集めたWebサービスが本格的に展開されているので,そちらにあるものを使うのがいいだろう。本書ではこのTest Setについての記述がなかったので,ここで補足しておく次第である。
・・・とまぁ,本書の内容については賞賛の一言に尽きるのだが,実際に翻訳に携わったワシも含む訳者及び監訳者は相当苦労させられた。特に監訳者については,言っちゃ悪いが,「この程度」の翻訳料では相当な赤字だろうと思われる(まだ直接聞いてないけど多分そう)。ほとんどボランティアかと思えるような献身的な努力(原著者とのe-mail及び直接のコンタクト)に加えて,特にワシが担当した第2章の前半部の抜本的な訳文の修正作業や,全世界にまたがる研究者の発音(全部カタカナになっている!)のチェックと訳語の統一作業,フランス語・ドイツ語・英語の引用部分やその真意の注釈など,本文作成に必要な全ての仕事を一人でこなしたのである。一体この仕事量の何処が「監訳」なのか,クビを傾げる程だ。世間一般では「監訳」ってのは,手下に付いた訳者の仕事にけちを付けるか,「良きに計らえ」と言うだけのモンだと思われているし,実際その程度の,いやその程度のこともしない輩ばかりである。しかし,本書に関してはワシが書いた通りの超人的な働きぶりであったことは,ここできちんと書いておこう。
そして,最後にワシの仕事についても触れておこう(の割には長くなった)。ワシの「訳文の」担当は先に書いた通り第2章の前半だが,それ以外に,監訳者が原著者から受け取った原書の元ファイルをLaTeXに「翻訳」する作業も担当したのである。
どういう意味かって? 本書でもちらりと監訳者が書いているが,原著の元ファイル,実は
つーことで,ワシもまたかなりの無茶な作業で,pLaTeXでエラーが出ない程度のファイルを全章分作成し,必要最小限のマクロを組んで,担当する訳者にファイルと図版を配布して,「以降の作業は全部担当訳者が頑張って下さい!」と,甚だ無責任な仕事をムリヤリ終えたのである。ワシの無責任仕事に付き合わされた(第2巻分のファイル作成)豊田高専にいらっしゃる江崎先生には,深くお詫びする次第である。加えて,中途半端なLaTeXファイルに格闘された他の翻訳者の方々についても,お詫びしなければならない。どーもすいませんでした。
で,本書については,多分,製版業者の方の仕事だと思うが,本文の組み方についてはかなりの改善がなされていて感心させられた。・・・が,ワシの無責任仕事の一部がやっぱり残っている箇所があり,そこを見つけるたびにワシは「アチャー」と苦虫を潰す仕儀となってしまった。まあ言わなきゃ気が付かないかな,という程度ではあるのだが,やっぱり忸怩たる思いは残る。といっても,あの当時の力量ではまあ仕方がなかったかな,と開き直る気分も,多少は・・・ある。でもまぁミスはミス,もし,それらしき箇所を見つけた方は「幸谷の無責任仕事がここにも!」とお怒り頂いてご勘弁をお願いしたいのであります。だってできちゃったもんは仕方ないじゃん。ぶー。
ともあれ,TeXの製版についてはそこそこの出来ではあるものの,内容については折り紙付きである。常微分方程式を使ってシミュレーションをしようという方には,TeX Bookのような座右の書として(褒めてないかな?この言い方)入手されておいても損はない。何せ,原著よりも格安なんだから,買わない手はない。万単位で売れるような,そんな子供だましの数学入門書などではないから,今買っておかないと,あっという間に絶版であろう。第2巻の翻訳は来年早々には出るはずだが,見つけたら2冊揃えて即買い! ですぜ,ダンナ。
12月に入ってからは,すっかり寒くなってしまった。当たり前のことではあるのだが,8月下旬の酷暑を考えると,冬がこうあっさり訪れるとは予想外のことであった。
本日は久々に有給休暇を取ってのんびりさせてもらっている。昨日は午後8時過ぎには床に入ったが,即寝入ってしまい,気がついたら朝の6時過ぎ。やっぱり土日出張,月曜1,2コマ連チャンで講義をして,その後にゼミをやって・・・とゆーよーな日程は,ワシのような虚弱体質人間にはタイトすぎた。
ぐっすり寝たおかげで少しは体力が回復したが,次週月曜の年内最終講義を終えるまでは完全回復には至らないだろう。12月を師走と言うが,全く今月は奔走しているモンなぁ。まあワシ以上に走っている方は何人もおられるが,走るどころか止まっている人も,ねぇ。いいよなぁ,xxxxxxxxxxの人はよぉ。
愚痴っていても仕方ないが,せめて本日はつかの間の体力回復日として,ゆっくりさせて頂く予定。つーても,両親の接待をせにゃならんのだが。
うーん,精神的な余裕がなくて,ぷちめれっている暇がない。エロ特集の前にまともな本の感想も書きたいのだが,来週火曜日以降にならないと無理だろうなぁ。ワシ自身の論文執筆作業もあるし,並列処理するだけのcore数のないワシの脳ミソでは無理かも。ここの更新が滞ったら,仕事に励んでいると思って下さい。
と書いた直後に一本あがった。世の中そーゆーものである。自分のことなのに,それすら思うようにいかないモンである。
MacBookで使っているFirefox 2.0.0.11だが,Hang upする回数が激増してしまった。Windows版では特に問題は起こっていないのだが,何が悪いのかなぁ。一応シェアが増えつつあるOSなんだから,もう少し品質を上げておかないと,この先Safariに対抗することは難しくなるのではないか。現状でもSafariに頼らざるを得ないページもあるわけだし。
CentOS 5.1をダウンロードして,CentOS 5ではインストール困難だったQuad-coreマシンにインストールしてみると,あっさり完了してしまった。あの苦労は何だったんだ,という程。Fedora 8には申し訳ないが消えて頂いた。だってねぇ,yum updateのサポートがすぐに終了してしまうようなdistributionは,4〜5年は使い続けようとしているワシみたいなビンボー人には向かない。卒研が終わったら,うちのDual-coreマシン群は全部これに揃えたいが・・・面倒だからやらないかも。
さて,掃除して銀行行って待機するとしますか。
昨年同様,同じ研究会が開催されているので福井に来ている。福井と言えばこの張り紙である。今年もあって嬉しい。

どこが気に入っているかということを詳しく説明すると人間関係にヒビが入りかねないので,黙っておくことにする。何もかも書けばよい,というものではない。ワシも大人になったものである。
ちなみに,このblog更新は,H先生に確保して頂いたビジネスホテルの無線LANを経由して行っている。どうやらここはOCNと契約しているらしい。最大20Mbps出ているようなので,Bフレッツかなぁという気がする。あくまで気がするだけだが。
中途半端な講演に色々つっこみを入れていただき,大分ミスが直った。どうも皆様お手数おかけします。今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
さて,明日も研究会の続きがある。ワシはちょっと早めに名古屋に戻って本屋を散策した後,掛川に戻る予定である。
とりあえず,もう寝ます。
ただいま。名古屋コーチンを堪能させて頂きました。お世話下さってどうもです>Mさん
福井ではなかなか流しのタクシーが捕まらず往生する。通りを走りに走って,何とか捕まえることができ,名古屋行き高速バスに滑り込みセーフ。タクシーの運転手さんによれば,最寄りの私鉄駅に行けば沢山たむろっているとのこと。勉強になりました,ええ。
しかし前回の大阪行きもそうだったが,帰途になるとワシは焦って走らされる運命にあるらしい。呪われているのか?
明日も早いので寝ます。
朝晩は寒いが,日中はポカポカ日和。こう寒暖の差が激しいと,中年太りのメタボ体型親父にはちと辛いぞ。
あ,多田道太郎が死んでたのか。名前はよく見かけたが,ワシはちゃんと読んだことがない人だったな。これから先も多分読むことはないな。83歳ってのは思ってたより若かったが。とりあえず縁もないけど恨みもないので合掌。
毎日新聞,MSNとの提携が終わって自社サイトに移行したが,前よりずっとニュース一覧が読みにくい上,レイアウトも改悪されている。MSNに移行時は随分叩かれたが,その後改善されてマシになっていただけに,この状態では・・・三大新聞社の中では一番経営的に苦しいはずで,Web広告からの上がりもバカにならんと思うのだが,これではそれで稼ぐこともできないのではないか?
代わりにMSNと提携した産経はblogサービスとの連携もはかるなど,Webサービスの向上に余念がない。少しは毎日も見習って,せいぜいサイバラから「朝日かあさんに乗り換えます」と言われないように頑張って頂きたいものである。
あー,明日の講演資料がまだ全然できてないぞ。今夜何とかでっち上げねば。これからがんばりまーす。明日は福井,明後日は名古屋に寄ってから戻ります。
さっ,さっぶ〜。「今年の冬は暖かいからコートなんていらねーぜ」と思っていたが,とんでもなかった。インフルエンザも流行の兆しがあるようだし,栄養が悪いのか逆むけが増えてきた虚弱中年ひとりものでもあるし,防寒対策はしっかりしなければ。
本日はみかか西から営業の方がお二人来られる。ひかりグリッドの具体的なお話が聞けて勉強になる。とりあえず使わせて欲しいということで,3月に時間を取って取り組んでみる予定。Grid MPをベースにした分散処理環境だそーなので,てこ入れが求められるワシのテキストを充実させるためにも集中して勉強してみるのもいいかな,と。どうせ高速回線は必要なので,ものはついで,ということで。
フレッツ光プレミアムについてはIPv6ベースの地域IP網を使うことになるので,既存のサービスが使えなくなるのではという危惧を持っているが,先行して実践されている方の記事を読むと,それなりに使えるものにすることはできるようだ。
職場の方は離れた階の間にVPNを張って,まるごとフレッツsupportedな部屋にしようかと考えているのだが(FreeS/WANか?,と思ったら,市販の安いルータにVPNサーバの機能があるようだ。何でも進化するモンだね。),どうせなら外部からもVPN接続出来るとありがたい。これができると自宅の方でもVPNを導入して,外部から職場や自宅のリソースを使うことが出来る。
ただ,設定にはあれこれ苦労するらしいので,2月下旬から3月いっぱいは久しぶりにネットワーク屋の感覚を取り戻す必要があるなぁ。このサイトももっとハードディスクのでかいサービスに移行したいが,同時にやると失敗しかねないので,ネットワーク環境が整うまではお預けだな。
翻訳本,Amazonからも購入出来るようになったので,当分ここの右のバーにバナーを張っておくことにする。ちゃんとした紹介文は後ほど。
テンプレートをいじるついでに,みゃー先生のblogへのリンク追加しました。今後ともよろしくお願い致します。あ,助成金取得おめでとうございます。コメント書いている余裕がないので(自分の所の更新はするくせに),こちらで書かせていただきます。
ぼつぼつやって寝ます。
あれま,日をまたいじゃったよ。明日・・・じゃない,今日は午後から浜松へ出張なので,まずは手短に。
翻訳した本の現物が届いた。
立派なハードカバーである。原書に比べると紙が薄いのか,あまり厚くはない。
ページをめくっていくと・・・うーむ,訳注に見入ってしまうな。TeXの組版・・・は,身もだえしそうな所が多数だが,印刷屋さんがフォローしてくれた分,大分マシにはなっている。
ちゃんとした感想は後ほど。
とりあえずもう寝ようっと。
ただいま。今年度のフォーラムは過去最大級の盛況ぶりじゃないのかな。名鉄ホテルの3,4,5階を借りて

このでかい講演会場がギッチリだったからな。さすがスズキの社長の講演となると神通力が違う。

・・・あ,ワシの展示したポスターを撮るのを忘れてしまった。後ほどここに掲載するけどね。
人疲れしたので寝ます。さて,今年最後の発表に向けて準備しなくちゃ〜。
ピーカン晴れ。日本海側はさぞかしドンヨリしていることであろう。お散歩日和が続く掛川である。
そーいや,昨日の某非常勤講義で中間アンケートを軽く取ったのだが,その中に「面白いことをblogに書け」というものが一つだけあったな。うーむ,ワシにとっては「面白い」ことを満載しているつもりなのだが,学生様にはそうではないということなんだろう。ま,嗜好は人それぞれですから,としか言いようがないな。
掃除機をupgradeして以来,引っ越し後の生活の予行演習も兼ねて,毎週週末は掃除洗濯買い物をまとめてこなすようにしている。これを真面目にやると結構しんどい。主婦な方々はこれを毎日こなして,しかも家族分の洗濯と調理をしなければならないのだから,さぞかし重労働であろうと想像出来る。その分,近所のスーパーの総菜コーナーの充実ぶりを見ると,手抜き出来るところはそうしようという人も増えているんだろうなぁ。やむを得まい。
マメに掃除機をかけるようになって思ったこと。
・細かいチリやホコリに敏感になった。
・畳敷きの床に寝そべるようになった(以前そんなことをしたら全身ホコリまみれになった)。
・畳表の痛み具合に敏感になった(8年目だからな)。
・次の段階はホコリハタキもやろうと決意するようになった。
・・・だからどうだというわけではないが,つまりは,中年男の一人暮らしでもそこそこ清潔な状態を保つことは出来るのだな,ということを実感するようになったということである。
不要不急な道路工事のあおりで近々切り倒されるはずの街路樹を愛でながら,

銀行に金を借りる相談に行く。既に審査も終わっているので,今後のスケジュールは次週以降に連絡をしてくれるらしい。結局15分程で終わったが,行員の方には「ホントに2月に出来るんですか?」と念を押されてしまう。そう言われましても,こっちとしては先方がそう言っているんだからそれを信じるしかないですよねぇとモゴモゴするのみである。
その足で,先方に居室のコンセント位置だのLAN配線だのクーラーだのの打ち合わせに行く。ネットワーク配線は松下の「まとめてネット」というものが入る予定だとのこと。その時には「ああそうですか」で終わったのだが,家に帰って調べてみたら,これは100BASEのSwitching Hubを内蔵しているバージョンで,GbEにしたければ「まとめてねっとギガ」にする必要があるらしい。プラス2万ぐらいだし,配線もCat5Eで同じなので,これに変更を要求してみよう。どうせならGbE部屋に住みたいからねぇ。
しかし,フレッツ光プレミアム(Bフレッツにするかも)にしようとすると,現状の無線ルータではスピードが追っつかなさそう。これはこれで室内wLAN用として使うとして,外部回線もGbEクラスのものを探しておかなきゃいかんなぁ。
何か疲れたのか,午後は昼寝。気がついたら4時過ぎ。慌ててカラになった冷蔵庫内部と灯油タンクを満たすべく,11年目を迎えようかというパルサーを駆ってスーパーとガソリンスタンドへ。夕食はちょっと豪華に,手抜き主婦のまねをしてカツロース総菜を買ってきて,カツライスとする。これで満足なんだから,ワシってホント安上がりな人間である。
「動く!改造バカ一台 DVD第4弾」を見ながら,師走初日をまったりと過ごす,掛川の夜である。
ぷちめれを一本上げたら寝ます。・・・あ,地震だ。ぷちめれは気分が乗らないので中止しました。また明日。