わかつきめぐみ「シシ12か月」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-14278-2, ¥752

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 日本の土着神をファンタジー漫画の主役として登場させる時,そこに住む人間との関わり方には幾つかのパターンがある。その一つとして,人間社会の変化を直接あるいは間接的に引き受けるというものがある。人間がいてこその神,というのは紛れもない事実であるから,これは自然な神のあり方と言える。
 例えば手塚治虫の「火の鳥・太陽編」では,壬申の乱の原因の一面を象徴するものとして八百万の神と仏教神との戦いが描かれるし,あとり硅子の「夏待ち」では,そろそろ過疎地の住民からは忘れられつつあるお稲荷様が主役の一人を張っている。夢路行の主様シリーズでは,神とも妖怪とも宇宙人とも解釈できる「主様」と他の土着神や鬼との交流が描かれるが,雪の神の一族は次第に山奥へと追いやられていく過程にある。
 これらに共通するのは,古の日本では神と人間が安定した共存関係にあったという幻想が土台にあるということだが,これはあくまで幻想でしかない。もともと神という概念自体,近代においては科学的に否定されたものであり,人間社会のありように付随する浮遊的なものでしかない。つまり,過去においても安定したものであった試しがないものだ。だからこそ,神は常に人間から畏怖されたり唾棄されたり都合良く愛されたりしながら,人間が共有する概念として,変化しながらも存在し続けているのである。
 わかつきめぐみが描く土着神が主役のシリーズも,単なるほわほわとしたファンタジーから変容し続ける人間社会の一端を担うように変化してきたが,それは今まで述べてきたように,神という存在を考えれば自然な帰着と言えよう。そしてその変化の結果,わらわらと画面を賑やかにしてきたキャラクター達には,我々人間が抱いている感情のメタファーとしての役割が担わされるようになっているのである。

 「シシは土地神さまの所に住んでいます」というのが本書の冒頭の文句だが,タイトルロールの「シシ」にはこれ以上の説明はない。ちょっとエキセントリックなイケメンの土地神は,インテリジェンスと爆発する感情との間を往復しながら12ヶ月を過ごす存在であるが,シシはその土地神に何の影響も与えない存在で,愛玩動物としての役割も果たしていない。が,自身の存在が人間から忘れられつつある土地神がキセル煙草をくゆらせながらシシ相手に語るシーンにおいて,シシは我々人間が持つ「よく分からないけどそこにいる第三者」としての機能を担うようになった。たぶん,シシは村上春樹が言うところの「うなぎ」(分からない人は「村上春樹にご用心」でも読んで下さい)なのである。睦月から師走まで,愛嬌やトラブルを振りまいてくれはするものの,それはストーリー全体の本筋を直接担ってはいない。多分,天性のファンタジー作家・わかつきめぐみは,本書において,ストーリーを間接的に語ることに挑戦したのだ。シシと土地神のお付きの者どもが織りなすエピソードを介して,ワシみたいな読者が「勝手に物語る」作品を作り上げてしまったのである。つまり本書は「機能としての漫画作品」になってしまったのだ。・・・ってのはおおげさかな?

 神という存在が共同幻想であることが明確になった今でも,いや今だからこそ,神は求められている。この先,日本の少子高齢化が進展するにつれ,限界集落が増え,うち捨てられる土地の寺・神社・地蔵も増えていくに違いない。しかしそれでも人間が全滅しない限り,土着神信仰もまた全滅することはないのだ。本書において,仲間が減りつつあることに嘆息する土地神は,悩みながらも破れかぶれになることはない。それはタネマキという謎の存在が置いていった種に希望を託しているからという単純な理由ではない。タネマキがいようといまいと,傍らで話を聞くシシさえ居てくれればいいのだ。そして我々人間が季節の変わり目を意識さえしていれば,土地神もまたそれに合わせて行動してくれるはずなのである。

 今日は大つごもりである。今夜は一年を振り返って土地神とシシ共々しみじみとし,年が明けたら近所の社を巡って彼らの存在に思いを馳せようと考えている。

本年は大変お世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。