ふ~,何とかギリギリのぎっちょんで形だけは整いそう・・・って,油断しているとドハマリしそうだけどな。
札幌滞在中に知って驚いたニュース。ワシの心の師匠,森毅先生が大火傷とのこと。とりあえず命に別条はないらしい。
森先生,確か娘さんがいたはずだが,今は一人暮らしということか。うーん,大事に至らず何より。せっかく新刊も出せるぐらいの元気はあるんだから,まだまだ「もうろく」を語って頂きたい。つーか,若者の邪魔をしない年寄りが増えるのは歓迎なのよ,ワシ。
人間関係計算機,ねぇ。Comicリュウに登場した新人漫画家・つばな氏のSF短編を想起させるような電卓だ。これを利用して人間関係を査定すると「計算高い奴」と言われてしまうのであるな(オヤジギャグ)。
SFといえば,ちょうど最新のアフタヌーンの付録に四季賞の作品集が付いてきたのだが,四季大賞を取った庄司創「三文未来の家庭訪問」とか,つばな氏の作品とか,技術革新による道徳観のねじれっつーものに対して,わりかし寛容というか,楽観している雰囲気があって,ふーん,近頃の若いモンの感受性はナカナカのモンだな,と感心させられることが多い。
1970年代からオウム事件の手前,1990年代あたりまで,公害だの核兵器増強だの試験管ベイビーだののせいで,科学技術の未来に対しては悲観論がはびこっていたもんなんだけど,岡崎二郎「アフター0」あたりから風向きが変わってきたっつーか,「悲観ばっかりしてても仕方なかんべ」的な考えが徐々に増えてきた感がある。地球温暖化ってのはそろそろ懐疑論が常識化しつつあるけど,それだって「水の都になるわな」って牧歌的な作品(芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」とか)を生み出しちゃうし。
ま,悲観論テンプレートが飽きられてきたってこともあるんだろうけど,「なるようになるさ」的な思想が定着したとすれば,それはそれで良し,である。
明日も長い戦いが待っているので寝ます。