三井斌友・小藤俊幸「常微分方程式の解法」共立出版

[ Amazon ] ISBN 4-320-01608-4, \2600(現在は\2835)

solving_ode_mitsui.jpg

 久々にこーゆーまともな常微分方程式の教科書を通読した。卒研テーマのネタとして本書がちょうど良さそうだったので,解説用にと一気にまとめのメモを作ったのだが,さーて,ワシが学部生だったときの本書があれば良かった・・・のかどうか,ふと考え込んでしまった。そのあたりのことも思い出しながら,つらつらと長めのぷちめれを書いてみることにする。

 本書は未だに完結の目処が立たない工系数学講座シリーズの一冊として,当初の締め切り予定を大幅に超過した上に著者が一人増殖して出版されたものである。なぜそんなに締め切りにこだわるかというと,ワシはこのシリーズを能登半島に左遷中,行きつけの本屋に予約を入れていたのである。1990年代後半に結構華々しくシリーズ刊行をぶちあげ,編集委員はさることながら,その著者のラインナップを見てワシは薄給を叩いてでも全部揃えてみせると意気込んで予約を入れたものである。・・・でまぁ,学術書にはよくあることだが,最初の何冊かは順調に出たものの,あれから十年以上経つというのに未だ出版されていないものがあったりするのである。そりゃあねぇ,いくら執筆者が学界の重鎮揃いとはいえ,身銭切っている読者としてはイヤミの一つも言う権利があろうというものである。いい機会だがら一度言っておくが,ワシは一冊残らず刊行されるまで,執念深く待つ。だからもっと著者をせっつけよっ!>共立出版

 まあしかし遅れるのも無理はないのである。何せ指名された方々は皆,過労死しそうなほど忙しい人ばかりである上に,完璧主義者が多いんじゃないかと想像する。いい加減な内容を書くとすぐさま編集委員のH先生のつっこみが入ってしまう(妄想です)ことを恐れてのことではなく,せっかく書くなら新機軸も少し入れてわかりやすい解説を付けて・・・などとやっていると,完成が長引いてしまうのであろう。その証拠に刊行されたものは,時間をかけただけのことはあるよな,と思えるものが多い。本書みたいに,ずぅううっとワシの座右においてあるものもある(「工学における特殊関数」とか)。もっとも偏微分方程式関係のあの本は肩すかしにあったとかってものもないではないが,この辺は好みが分かれるところであるから,著者の両K先生におかれましては決して気分を害されることがないようにお願いしたいものである。

 さて本書である。一昔前までは,教養系の微分方程式の教科書と言えばヤノケン(矢野健太郎)のアレであろうが,記号処理的計算に満ちていて,コンピュータシミュレーション全盛の今日向きではない。大体,原始関数が代数的有限表現で完結するってのは限られるのだから,その手の計算は程々にして,とっとと「力学系」つまり,常微分方程式全体が形作る「場」,局所的な振る舞いと大域的な振る舞いを知る理論を勉強した方が得策である。何せ計算ならコンピュータがやっちまうんだし,それほど複雑ではない方程式なら3次元までのベクトル場ぐらい,フリーなソフトウェア(Scilabとか)ですぐに描けてしまう。数式からだけでは難しい幾何学的イメージ作りがコンピュータの手助けでできるのだから,今は本当に力学系の勉強にはいい時代になったものである。本書はポントリャーギン以来(でいいのか?)の伝統である,線型常微分方程式の解析解を導出する手順を丁寧に解説し(第2章~第4章),それを元に一般の常微分方程式の安定性の解説を行う(第5章)。著者らの専門性が生かされるのは第6章以下で,数値解法としてはポピュラーな一段法であるRunge-Kutta法の解説と,数値解法の安定性(A安定性という奴)の解説が初学者向けになされている。もっともこの辺をきっちり勉強したければ,同じ著者らによる「微分方程式による計算科学入門」の第1章(陰的解法については第2章も)だけ読んだ方がいいかも。百科事典みたいな訳本もあるけど,ちょっと厚すぎるし,肝心なところは前書にコンパクトにまとまっているから,とっかかりとしてはこれで十分だと思う。

 今ワシの手元には本書の他に2冊の力学系の教科書,スメール・ハーシュ「力学系入門」(岩波書店)と大橋常道「微分方程式・差分方程式入門」(コロナ社)があるので,これらと比較しながら本書の特徴をもう少し詳細に述べてみたい。
 常微分方程式とはどんな現象を記述するものでどんな種類があるのかといった概論を語っている第1章と数値解法の解説にあたる第6章以降を除き,無駄な解説が一切ないなぁ,というのが第2章~第5章まで流して読んだ感想である。しかも説明が簡潔でHartman・Grobmanの定理等の大物を除き,証明が一切省略されていない上に,必ず手計算できる例題が付いている。他の2冊にもこれらの特徴が当てはまるが,本書はそれが完璧すぎるきらいがある。隙がないので手を抜けない,抜いた途端に次の例題で躓く(前の例題を解いていないとその結果が使えない)のである。
 これはワシみたいな怠け者学生(だった奴)にはつらい。まあ元々数学ってのはサポったら置いてきぼりを食らう非情な学問なのであるけど,普通の教科書はもう少し「この辺は勘弁しておいてやらぁ」という手抜きポイント(著者が説明をめんどくさがっているだけか?)があったりするんだが,本書には一切ない。少なくとも2章から4章までには見あたらなかった。反面,それなりに知識が身に付いて(いた)人間が読むとまことに分かりやすい,スムーズに知識の整理が付く感じで,線型常微分方程式の解析解を得る2種類の手続きをまとめるメモはすんなり出来上がった。従って,手計算部分の習得に足を取られそうなバカ初学者には根性が必要で,きっちり2章から5章まではまとめノートをとりつつ計算しながら順序通りに進むしかない。「まえがき」に記してある各章の関係図を真に受けて3章をとばして読み進んだりすると後で少し困ったりしそうである。ま,著者も「詰め込み」であることは承知の上で書いているから,そーゆー本だと諦めてつき合うのが吉でありましょう。それ故に,読み通したときには結構な高みに登っているということは保証付きである。
 そう断言できる理由は,本書の例題の解説がねっちり書いてあるためでもある。手計算で無理なく進められるよう2ないし3次の例題でとどめてあり,計算過程もしっかりこれでもかというぐらい丁寧に書いてある。他の2冊に比べて一番特徴的なのはこの点で,純粋な数学屋さんなら計算そのものは手を抜くものである。現に,これだけ執拗に行列の固有値と固有ベクトルを求めさせている「常微分方程式の」教科書は他にないんではないか。それ故に,それなりの計算力があれば躓くことは少ないと思われる。

 ・・・という貶しどころのない本書なのであるが,ワシにとっては理想的な本とは呼べないところが幾つかはあるのだ。以降はワシの好みとはこの辺がズレている,というポイントを列挙してみたい。

 一つ目は,先に書いた「例題の解説がねっちり書いてある」点である。講義の演習を思えば当然の措置ではあるが,これをやりすぎると妙な誤解を初学者に与えてしまう可能性がある。ワシが受けてきた線型代数の講義では,固有値と固有ベクトルの計算は3次以上の例題で,それも程々に打ち切って,さっさと固有空間の話に切り替えていた。固有値の計算は,手計算レベルだと固有多項式の係数を陽的に導出して(本書ではLeverrier-Faddeev法を紹介している)代数的に求めるが,これは一般には標準的な解法とは呼べない。5次以上の行列の時にも使える「一般理論」に繋げるにはこの「ねっちり」さが仇とならないのかなぁ・・・という不安がある。現に,行列式は3次までしか計算できない輩が結構な率でいたりするし。・・・ということで,著者にとっては言いがかりに近い文句ではあろうけど,も少し一般理論に触れさせ得る,手計算は無理だけどこういう大次元でも形式的な行列(Frankとか)では固有値と固有ベクトルがこんな形で与えられていて,この場合の一般解はこうなる・・・というようなものがほしかったなー,と思っているのである。
 二つ目は,線型数値計算に対しての解説が少ない(ほぼ皆無)こと。「そこまで書いていられるかいっ!」と言われそうだし,無理もないんだけど,著者が数値解析の専門家であることを思うと,うーん・・・少なくとも前述したように固有多項式をモロに作ることを標準として扱うのは勘弁してほしいよなぁと思うのである。モロに出すにしても,計算量の点ではDanilevski法の方が少ないし,もう少し吟味して出してほしかったなぁ(計算手順はLeverrier法の方が分かりやすいけどね)・・・ってやっぱ贅沢ですかね?
 三つ目だが,これは著者には責任のない話である。本書は現在でも版を重ねている良書であるにも関わらず,印刷品質が劣化しているのである。どの刷からかは不明だが,ワシが昨年(2008年)入手したものは印刷会社が変わっており,明らかに版の質が悪くなっていた。文章が読み取れなくなるというほどひどいものではないけれど,図版のスクリーントーンの模様は潰れて汚くなっていたし,初刷をコピー機で読み取ったような代物だった。まあ出版不況と言われて久しい時代状況ではあるし,ましてや読者が限られる理工系のテキストだから,出版社がコスト削減に走る理由も分からないではない。しかし,間欠的とはいえ増刷するような商品を,一目で分かるレベルにまで劣化させるのは営業的に得策とは思えない。多少質を落としたところで売り上げと関係がないと高をくくっているのであれば,出版元&印刷会社に猛省を促したい。

 ということで,線型常微分方程式ばかりか,数値解法の安定性解析にまで踏み込んだ,ネッチリ解説の本書は,印刷の質を除けば,きっちり勉強したい&シミュレーションもしたい向きには大いにお奨めしたいのである(ホントだよ)。

 なお,先に挙げた内容に関する2点の「言いがかり」についてはワシ自身も気にかかっていて,それを自分なりに解決すべく,次年度の卒研テーマを設定したという経緯がある。そのために卒研生用にもう一冊本書を買って三つ目の文句が追加されてしまったのはともかくとして,ワシに新たな(でもないか)研究テーマを提供してくれたという点についてはここで感謝の意を表しておきたいのである。