釈徹宗「不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者」新潮選書

[ Amazon ] ISBN 978-4-10-603628-6, \1200

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 内田樹先生のblogにリンクがあったので,面白そうだな,と思って買っておいたのが本書である。本年度は10年間途切れなかった非常勤講義がなくなったので,その分の時間を研究にぶちこんでおり,興味のある本でもついつい積ん読の山に埋没させてしまっている。本書もそのうち忘れ去られるかという矢先,英文の報告書を特急仕上げで完成させて気が抜けたのがGW突入直前。手持ち豚さん((c)高橋なの)状態になってベッドに寝転んだ時,枕頭にこれが積んであり,つい先ほど読了することができたのである。

 宗教というと,せいぜいお東さん(浄土真宗大谷派)の檀家というぐらいのおつきあいしかない不信心なワシなのであるが,宗教者という人種には興味が多少はある。多分,その昔に遠藤周作の著作などに触れたことと,普段は神も仏も排除してしまった学問に埋没した生活を送っていることが関係しているのだろう。どっぷり填るつもりは毛頭ないが,「気になる存在」として横目でちろちろ眺める程度の興味が続いているようなのである。
 確か高校か中学の国語の教科書だったと思うのだが,遠藤周作の短編小説で,「ねずみ」(だったと思う)と揶揄されていた外国人の神父が登場するものを読んだことがある。戦後,主人公が「ねずみ」神父が捕虜の身代わりになって死んだと聞かされて感慨にふける,というのがラストシーンだった。
 そーいや,今思い出したのだが,山崎努の一人芝居で,「ダミアン神父」というのもを見たんだったな。いやまぁ壮絶なまでに「キリストに狂っている」ような,まあキリスト教的には素晴らしい人間なのだろうが,ワシみたいな不信心者にはついて行けないような人種のお話だったなぁ。

 まぁ,大体話題になる宗教者ってのはそーゆー一刻者が多い。それはそれで面白いんだけど,ワシみたいなゲス人間とは相容れないところがあって,実際にそーゆー人が身近にいたら,敬いつつ遠ざけるように過ごすことになるに違いないのだ。
 しかし,棄教者となると,話は別だ。文学的なテーマとしてよく取り上げられているらしいが,ワシは読んだことがない。だって堅苦しそうじゃん。でも人間として実在していたら,ワシは自分から近づいていって根掘り葉掘り話を聞き出そうとするだろう。だってワシはゲスなんだからね。神様を棄てちゃったという一種のダメ人間の方が共感できるところが多そうだし,反面教師としても役立ちそうじゃん。故・中島らもは,薬物中毒の教育をしたければ,ヤク中体験者を雇って全国の学校で講演させろと主張していたが,それに近い「教育効果」を,棄教者からは聞き出せそうだ,という予感がワシにはするのである。
 だもんで,この「不干斎(ふかんさい)ハビアン」なる人物は面白そうだと,ゲス人間たるワシは思ったのである。何せ,「神も仏も棄てた」んだからね。どーゆー人物か,知りたくなろうというモンである。
 で,結論から言うと,ゲス人間としてのワシの感性を満足させてくれる人物ではなかったが,言論なるものに関心のあるヘボ学者としての感性は結構刺激してくれた,そーゆー本であった。宗教者である著者によれば,ダメ人間というよりは,ある種の宗教者として位置づけるべき人物がこの不干斎ハビアンということになるらしい。ワシの予想とは違ったが,いい意味で裏切ってくれた本書は,この先碌なことがなさそうな予感のする日本社会に生きるワシらに,「そーゆー開き直り方もあるのか」と知らしめてくれる優れた学術書である。

 ・・・で終わっちゃうと「不干斎ハビアン」ってのが具体的にどーゆー人物なのかがさっぱり分らん上に,本書の魅力がどこにあるのかも示せてないから,ネタバレしすぎない程度に(しちゃうかも),ワシが理解した範囲でハビアンと本書の著者・釈徹宗の言論の素晴らしさを縷々語ってみたい。

 まずこのハビアンなる人物の略歴を,本書のP.26~41の記述から抜粋して紹介する。

 1565年頃 北陸に誕生 → 京都で臨済宗(禅宗)系統の寺院で学ぶ
 1583年 キリスト教に入信,大阪・高槻の神学校で学ぶ
 1586年 正式にイエズス会修道士となり,大分・臼杵の修練院へ移動
 1603年 京都・下京教会へ移動,説教師のリーダーとして活躍
 1605年 仏教・神道・儒教と対比させつつ,キリスト教の優位性を説く「妙貞問答」を執筆
 1606年 林羅山と対面,その様子は羅山の「排耶蘇」に記述される
 1608年 突如,女性修道士と共にイエズス会脱会,そのまま棄教
 1614年 キリシタン関係者から隠れるように各地を渡り歩き,長崎に定住
 1620年 キリスト教批判書「破提宇子」を執筆,京都管区長コロウスが禁書に指定
 1621年 長崎にて死去

 ・・・まあ,呆れるというか何というか。一生のうち,キリスト宣教のための名著「妙貞問答(妙秀と幽貞という二人の尼の問答形式)」を書いたかと思うと,棄教後の最晩年には「破提宇子(提宇子(デウス)を破る,の意味らしい)」を書く。恥も外聞もないのかお前はお前は!・・・と,キリシタンからも神道・仏教側からも非難されそうな行いをしている。
 しかしどちらも現在まで伝えられる名著となっていて,「破提宇子」は明治期にキリスト教の普及を恐れた政府によって復刊されてたりするから,ん~,頭は切れる人物だったんだなということは認めざるを得ない。幕府に重用された儒学者・林羅山と対面してディベートを行っているあたり,体制側からも一角の人物として見られていたことを示している。

 本書ではハビアンによるこの二冊に対して,それぞれ一章ずつ割り当て,詳細な分析を行っている。その結論をここでバラすと新潮社の金君がフォーカス仕込みのカメラ抱えて殴り込んできかねないので止めておくが,「ちょっとそこまでハビアンに肩入れしてイイのかぁ~?」と言いたくなるほどのものである。それは「野人」という,ある種の真摯な宗教者としてハビアンを著者が評価した結果なのであるが,これについては本書で多数紹介している先行研究者からは相当反論があるやもしれない。
 しかし,著者・釈徹宗は,宗教者としてというよりは,宗教「学者」として,ハビアンの言論の論理性と近代性(ちょっと眉につばつけておく必要はあるようだが)を,ネチネチと突っ込みつつ,総体としては評価せざるを得ないと結論づけているのだ。その手腕は,釈の可能な限り内省的な分析ぶりによって認めさせられてしまう。ワシは人文系の学者には相当いかがわしい言論をまき散らすバカ共がいることに常々憤慨しているのだが,考証自体がいい加減で,単なる自分の哲学を土台にしたことしか言わない輩とは異なり,釈の言論は相当まっとうなものとお見受けした。ことに時々開陳してくれる「メタ議論」,議論の手法についての解説には感心させられたものである。皆さん,本書のキーワードは「turn around」ですぜ。おおっとこれ以上の解説は野暮というもの。ちゃんと本を買って読んで確認して下さいませ。

 結論において,釈はハビアンという人間をこうまとめている(P.246)。

そんなハビアンの宗教性にはリアルな身体性が感じられる。実際に,ハビアンは自らの進行に突き動かされて日本各地を駆け巡る生涯を送っている。同じ信仰を持つものを導き,奮い立たせ,また他宗教・他宗派の人々と真剣に向き合い,討論してきた人物なのである。将軍から大名,学者,仏僧,婦女子,市井の人々に至るまで実際に宗教論をかわしながら鍛錬されてきた宗教性こそが,ハビアンを「野人」へと到達させたのである。

 ワシはここんとこを読んで,内田先生はお嫌いなようだが,小林よしのりを思い出してしまった。左右陣営の人々と渡り合い,オウム真理教から付け狙わられ,薬害サリン事件に首を突っ込んで唾棄され,新しい教科書を作る会を立ち上げたかと思うと脱会し,右だか左だかよく分らんカテゴライズ不能のエネルギッシュな「小林よしりん」としか形容のしようのない人物になっている。そっかこういうのが「野人」か,とワシは勝手に解釈しちゃっているのだが,まあ他にも宗教家ではない「野人」ってのは居るよね。
 いつの時代も,頭と体ががっちり結びついて,周囲の空気とは関係なく自分の生理のみに忠実な蒸気機関車のごとく突き進んで生きていかねばならない人物というものは居る。ハビアンはたまたま時代状況が彼とキリスト教と邂逅させたために,無節操な宗教渡り歩きと非難されても仕方のない生き方をしてしまったが,すべての宗教を敵に回す著作を二つ歴史に残したことで,日本社会に根強い土俗的信仰を認識させたことは大いに評価して良い。機関車に踏みつけられたハビアン周囲の宗教者達は少しの恩恵と大いなる迷惑を被った訳だが,日本の文化向上のためには欠かせない礎を残したということだけは確かなようである。