佐野眞一「完本 カリスマ 中内㓛とダイエーの「戦後」」上巻・下巻・ちくま文庫

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上巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-480-42630-7, \1000
下巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-480-42631-4, \1000

 分厚い2冊の文庫本によって,ワシの貴重な三日間の連休は完全に潰れてしまった。

 やたらに重複の多いしつこい記述,空想が飛びすぎる部分など,平易かつ簡潔な文体が好みのワシとしてはかなり気になる箇所の多いノンフィクションなのであるが,やっぱりこの著者による「読ませる文体」と,「中内㓛(いさお)」という栄光と挫折を併せ持つカリスマ経営者の魅力に引っ張られて一気に読んでしまったのである。おかげで家事がおろそかになってしまったが,掃除洗濯をほったらかしても読むべき価値があることは間違いないのである。

 1969年生まれのワシにとっては1980年代の「ダイエー」という店は取り立てて特徴のあるショッピングセンターではなかった。こぎれいだし,品揃えはそこそこだし,近場にあれば立ち寄るぐらいはする,という程度の存在であった。本書の上巻で述べられている破竹の勢いで,松下電器や花王という大メーカーと喧嘩しながら,当時日本一の売上高だった三越を抜くまでに成長した栄光なぞ知るはずもなく,「垢抜けない小売店」という程度の印象しかない。しかも,その後のダイエーは転落の一途を辿り,2004年10月13日,産業再生機構による支援を仰ぐに至る訳だが,その過程では「サンデープロジェクト」に再建を託された経営陣が登場して田原総一朗をはじめとする出演者から励まされたりしていたのを見物させられ,特段愛着もない小売店の行く末にさして興味もないワシは心底うんざりしていたのである。
 「一体全体何が問題なんだ? あの中内って言うだみ声の親父のワンマン拡大路線が原因だってんなら,親父ごと葬っちゃえばいいじゃねーか」というのが,ダイエー再建問題についてのワシの感想であった。だもんで,当時のダイエー社長が報道陣にもみくちゃにされながら経済産業省で産業再生機構入りを表明しているニュース映像を見ても,「やっと決着したか,やれやれ」と思っただけなのである。

 実際,本書で語られているダイエー末期の状態は相当ひどかったようだ。粉飾とまではいかないが,グループ企業内で株のやりとりを頻繁に行うことで目くらましをして何とかしのいでいたものの,ちゃんと計量してみれば,ピーク時には2兆6千億円もの借金を抱えていたという。破綻した夕張市の借金が約600億円であることを考えると,途方もない金額である。1980年代半ばから改革の努力を行っていたとはいえ,そんな借金を抱えつつ,産業再生機構入りするまで十数年間もよく持ったモンである。

 これだけの借金を抱えたのはひとえにダイエー創業者・中内㓛の「ワンマン体制」そして「拡大路線」が原因である。
 ワンマン体制は徹底している。自分の後継者にと息子や女婿を取締役に配置し,周囲を全てイエスマンで固め,自分のプライベートカンパニーを次々に作っては潰したり合併したりしてダイエーの株式持ち分をしっかり保持する。80年代にV時回復を果たしたスカウト社長は放り出すようにして遠ざけ,次に連れてきた社長にはインサイダー疑惑をおっかぶせて放逐する。結局,再生機構入りするまで,CEOは辞任しても「ファウンダー(創業者)」という地位を維持してにらみをきかし続けるのである。うっとうしいことこの上ない。確か,「サンデープロジェクト」でも,中内の影響力が残ったままで再建は可能なのか?という質問が出ていたが,その疑問を裏付けるうように,最後は国家が中内を追放し,彼の私有財産を根こそぎ取り上げる形で再建を目指すことになってしまったのである。
 拡大路線については,ワシら中年以上の世代にはかなり明瞭な記憶が残っているはずだ。リクルート,ヤオハンジャパン(の静岡地区の店舗)を買収し,とうとう南海電鉄からプロ野球球団まで引き受け,ホテルやドーム球場までセットにして福岡ダイエーホークスを設立する。たしか先頃引退した「あぶさん」にも,ホークスのジャンパーを着込んだ中内が登場していたと記憶するが,本書によれば,実際,あのようなジャンパーを好奇心からか喜んで着ていたらしい。

 ってなわけで,ワンマン創業社長の転落の表層的な原因は火を見るより明らかである。しかし,この転落の根本には,そもそも破竹の勢いでダイエーを日本一の小売店にした原動力も絡んでいる。良くも悪くも,ワンマン体質を生んだ人間不信と,拡大路線を突っ走る情熱を中内に受け付けたのは,第2次世界大戦中,中内がフィリピンで体験した飢餓線上での敗走にあるという。食料が尽き,死んだ兵隊から靴を奪っては履き替え,自分の靴を食って飢えを凌いだというほどの凄惨なものだったらしい。そのせいで中内は総入れ歯になってしまうのだが,そんなことはたいしたことではない。問題は,仲間に殺されて「食われる」危険を感じながらの敗走を経験したことにより,極度の人間不信と,生き残ったことで戦死した仲間に対する抜きがたい罪悪感を抱えてしまったことにある。復員した中内は,級友の記憶に残らないほどおとなしかった戦前とは打って変わって,エネルギッシュに戦後のヤミ市をかけずり回って商いに励むようになったものの,ダイエーが大きくなるにつれて兄弟間の確執が増し,ついには自分を支えてくれた弟も放逐,前述したように,自分の失敗をフォローしてくれるようになった近習も,三越・岡田社長のように寝首をかかれるかと恐れてドンドン外部に出してしまうようになる。信頼できるのは自分の子供だけ。それも,ビジネスにかまけてろくにかまってやれなかったという負い目から思いっきり甘やかしてしまい,ハイパーマートのような大失敗を引き起こしてしまうのである。

 そんな中内だが,著者の佐野眞一は,取材するうちにその光と影を抱えた巨大な人物の魅力,いや,魔力に惹かれたかのように,中内周辺の取材を綿密に重ねていく。決して紋切り型の断罪はしない,中内の成功も失敗も丸ごと納得できる論証を突き詰めてやろう,そんな意気込みが感じられる本作は,佐野が生きてきた「戦後」を噛みしめ,理解するためのライフワークの一環として編まれたものなのである。