F.W.J.Olver et al. (ed.), "NIST Handbook of Mathematical Functions", Cambridge University Press

[ Amazon ] ISBN 978-0-521-140638, \4213(2010年9月現在)

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 SIAM News 2010 SeptemberにP.J.Davisによる本書の書評が載っていた。つらつら読んでみたら,これがなんと,Abramowitz and Stegun編集の"Handbook of Mathematical Functions"(以下,A&Sと略記)の改訂版にあたるというではないか。早速Amazonから購入ボタンをぽちっとなして,手元に届いたという次第である。
 まーしかし買ってよかった。こちらはカラー刷り,CD-ROM付(原稿のPDFファイルが丸ごと入っている),さすがにデジタル版のリンクは再現不可能だが,A&Sには入っていなかった特殊関数とか,最新の文献リストまで掲載されている。時代が違うので数表はほぼ皆無になっているけど,いまだに新規参入の特殊関数が考案されるんだから,計算屋としては,やっぱ新しいものを常備しておきたい。

 関数という概念が固まる以前からコンピュータが一般化するまで,数表というものは人間社会には必要不可欠のものであった。一松信によると,Napierの対数表にその起源が求められるらしい。また,科学技術が進むにつれて,近似計算でしか表現できない現象も現れてきたようで,D.A.Grierによれば,ハレーすい星の軌道計算はクレローの近似計算(離散フーリエ変換を使ったものらしい)によって実現できたが,この計算はクレローの二人の友人を巻き込んで5カ月間かかったとのこと。以来,産業革命で計算のニーズは高まり,大量の計算ニーズが生まれ,フランスの土木技術者・プロニーによって19巻の三角関数・対数関数表が作られる。もちろん,すべての計算は人力で行われていた時代であるから,大量の計算労働者を動員しての成果である。
 で,ENIACから商用電子計算機=コンピュータが一般化するギリギリの時代,最後の人力計算(たぶん,機械式の手回し計算機は使っていたと思うが)による成果が,1964年に発行されれたA&S,すなわち

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であった。土台はルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として行われた関数表作成プロジェクトにある。土木工事同様,人的資源の大量導入が必須だから,景気テコ入れのための公共事業としてはうってつけだったという訳。

 A&S発行後,関数計算はコンピュータで自動的に行うものとなり,以後発行される関数ハンドブックは,数表よりも,解析的性質,計算方法や近似式の記述がメインとなる。ほぼ50年ぶりの改訂版である本書はさらにその先を行き,具体的な計算方法は文献とソフトウェア(大方はNETLIBのTOMSにある)へのリンクに譲っていて,メインの記述はもっぱら解析的性質とかグラフ(3Dカラー!)である。

 A&Sのガンマ関数の章を書いたDavis先生によると,そもそもA&Sの出版自体,「私たち著者は恥ずべき海賊版と考えている」("we authors considered shamefully pirated")だっつーんだから,穏やかでない。政府発行のものだから不満足なバージョンだったってことなのかどうか,詳細は不明である。もっともこの記述に続いて「とはいえ,法律的には文句の言いようがない」("but that, legally speaking, were not")とあるところや,A&SがNIST(National Institute of Standards and Technology)の前身であるNBS(National Bureau of Standards)から出ていること,そしてA&S発行後,25年間も科学書の売り上げトップになっていたことを考えると,著者らの完璧主義に付き合う余裕がないほど早期発行の要求が強かったんで,政府権限で「さっさと出さんかゴラァ」と強引に出版させたってことなんだろうなと想像する。・・・でまぁ,半世紀近く経過してようやく改訂された本書とフリーアクセスなデジタル版が出せた訳で,Davis先生の感激たるや,ワシみたいな若造には想像に余りある。

 それににしても,ぱらぱら本書をめくってみると,もうすっかり時代は変わったなぁと,若造でも嘆息してしまう。数表が皆無になった代わりに,FortranやC/C++といった言語で関数計算が記述され,それをそのまま自分のプログラムに組み込んでしまえばいいってんだから。軍隊式に計算労働者を組織して検算付の超低速な並列分散処理をさせていた時代に比べると,石器時代から現代社会への移行並の大変化が,50年程度の期間に圧縮されてしまっていることになる。ワシだって標準ライブラリにない関数はごそごそTaylor展開式を引っ張り出してプログラミングしてた時代があったんだが,それもかれこれ20年近く前になってしまうのだなぁ・・・いや,年は取りたくないものである。

 が,否応なくワシは,精神構造は若造のまま,肉体的には年寄りになった。本書は当初,A&Sのように完全フリーで出すことも議論したようだが,結局,CD-ROM付の印刷版も含めて著作権縛りは残し,その代わりにフリーアクセスのWebバージョンを広く公開することにした。しかし,老眼が入ってきつつあるワシの目にはちとWeb画面の数式は読みづらい。結局,印刷版を買ってみて「こっちのほうが断然きれい!」と嬉しくはなったものの,もうすっかり若くないことを思い知らされて,ちょっと気分が落ち込み気味なのである・・・ま,関数ハンドブックなんてものを面白がっていること自体が年寄りの証拠ではあるのだが。