[ Amazon ] ISBN 978-4-8211-7023-4, \781
2010年ノーベル化学賞を日本人2名が受賞した。両名とも米国大学の同研究室出身者,しかも指導教員も受賞者で,弟子にあたる今回の受賞者の一人を推薦したいと述べていたこともあったとのこと。世界レベルの学術研究競争が激しく行われるようになった昨今,一定レベル以上の頭脳が研究の自由と資金が保障されているところに集まるのは当然である。
それはいいとして,受賞者の一人が,近年日本人の海外留学組が少なくなってきたことを憂う発言をしたことが注目されたのは,「日本のガラパゴス化」を補強する有力な言説になりうるからであろう。何せノーベル賞受賞者だ。言論の重みは背負っている権威がデカければデカいほどよい。日本の若者には覇気がない,もっと海外でもまれて来い!・・・というエラソーな物言いが増えてきたのも,虎の威を借りる狐さんが跋扈し始めたからであろう。
その論はある意味で正しいが,これだけ流通や通信が世界規模でスムーズに流れるようになってきた昨今,果たして海外に出ていく理由が「情報収集」や「異世界コミュニケーション」だけでいいのかどうか,ものすごく疑問だ。例えばしらいさりい(近頃は精神世界に嵌っているようで心配だ)の漫画「ぼくは無職だけど働きたいと思ってる。」ではニートな主人公が,自宅アパートの一室でパソコンとインターネットを通じて毎日フィリピンの女性と英語でチャットする様子が描かれている。日本のどこの駅前にも英会話教室が乱立しているし,少なくとも外国語習得に関しては日本に居ながらにして相当なレベルまで学習することが可能だ。論文だってその他の情報だってWeb経由で相当な量がgetできる。・・・で,かのノーベル受賞者が,日本に戻ってもアカデミックポストに就けないという理由で米国に残ったというから,日本社会はまだまだ閉鎖的だな,と思うと同時に皮肉だとも感じる。・・・とゆーことをもろもろ考えれば,海外に出なければいけないという理由,かなり限られるように思えるのだ。
大体,特に目的もなく「海外留学してから今後の人生考えます」って奴ほど先行き不安に思えるのは杞憂だろうか? そんな奴はせいぜいコーヒーショップで麻薬に染まって沈没するのが落ちである。むしろ海外渡航を安心して見ていられるのはエネルギーに満ち溢れた「愛すべきバカども」に限られるのだ。よく分からない自分の内部から湧き出てくる「好奇心」,仏教用語でいうところの「業(ごう)」という奴を抱え,未知の世界に漕ぎ出ていく「愛すべきバカども」は,何があっても異世界に漕ぎ出していくものだからだ。ヤマザキマリの近著を読むにつけ,ワシはますます「愛すべきバカども」がいとおしく思え,その一人である著者に限りないエールを送ってしまうのである。
ヤマザキマリは現在,夫(ベッピーノ)と一人息子(デルス)の3人家族で米国・シカゴに住んでいるらしい。本書ではあまり詳しく語られていないし,他の著作を読んでもよく分からないが,文学を研究しているというこの旦那(ヤマザキより14歳年下),相当の学者だと思われるんだが,誰か日本のイタリア古典文学者でお知り合いはいないのだろうか。是非ともこのベッピーノの学者としての人となりを解説してほしいもんだ。何せ,結婚したのがベッピーノ21歳の大学生の頃。熱烈なプロポーズにほだされて,既にデルスを育ててた子持ちの「平らな顔族」ヤマザキは正式に結婚した訳だが,その当時に学者としての優秀さに魅かれていたわけでは決してない。変なオタク文学青年だった彼が,米国の大学に招かれるまで優秀な学者に育ったのは,偏にヤマザキマリの生体エネルギーがベッピーノを育てたとしか思えないのだ。それぐらい,本書で語られるヤマザキマリのエネルギーにはすさまじいものがある。これだけの「業」を抱えているからには,そりゃぁ,イタリアでもキューバでもポルトガルでも米国でも楽しく生活できるってモンである。
ヤマザキは既にたくさんのエッセイ漫画を執筆しているようだが,ワシは本書が初ヤマザキである。だもんで,どういう人生を歩んできたのかはよく知らないのだが,どうやら大学時代からイタリアで美術を学びつつ,寄り道的にキューバにボランティア活動しに行ったり,子供を作ったり(恋人とはその時点ですっぱり別れたそうな・・・すげ),ベッピーノと子連れ結婚して,しばらくは北イタリア・ベネト州の山麓にある旦那の実家で大家族生活を送っていたらしい。本書では主としてそのイタリア大家族生活が語られているのだが,まーこれが目からウロコ,イタリアのこじゃれたイメージが大崩壊してしまう。本書を読むまでは,ワシにとってのイタリア生活の知識は塩野七生から仕入れていたのだが,旦那がイギリス人の医者,都市部で使用人付の生活を送っているプチブル塩野の生活ぶりとは真逆のヤマザキマリの庶民的・土俗的生活っぷりは,塩野から植えつけられた先入観をぶち壊すのに十分な破壊力があったのだ。以下,破壊された先入観を列挙してみよう。
1.「欧州では老人介護問題は存在しない」・・・年老いた親はドライに割り切って全員老人ホームにぶち込むのかと思っていたが,ヤマザキマリは姑とともに98歳のアンナ(姑の母親)の食事の世話をしている。・・・下の世話はどうなっているのか。やっぱりイタリアにも「ヘルプマン」がいたりするのだろうか?
2.「子供はさっさと独り立ちして18歳以降は家を出る」・・・旦那の実家で大家族生活を送っていることもさることながら,旦那の妹まで小姑として居座っている。恋人募集中らしいが,社会に出たら一人暮らしして探すもんだと思ってたよ,ワシ。
3.「欧州では妊産婦を大事に扱う」・・・デルスを出産後,ヤマザキは病院内を歩いて病室に帰らされるところだった(結局,歩けなくてキャリーで運ばれた)。他の妊婦はひいひい言いながらも自力で戻っているとのこと。・・・日本だと妊婦虐待とか非難されそうだ。さすがローマ人の末裔は丈夫である。
4.「欧州では単身赴任はあり得ない」・・・旦那はシカゴ赴任後,しばらく単身赴任生活を強いられた。ヤマザキはポルトガルを気に入っていて,米国に興味がなかったとのこと。・・・かわいそうなベッピーノ,日本のサラリーマン転勤族は君の味方だ!(号泣)
・・・以上,確かにノーベル賞受賞者が言うように,海外に行かなければ分からないことはたくさんあるのだなぁと思い知らされたのである。しかし,果たしてヤマザキのような生活っぷりを望んで渡航する奴らがどのぐらいいるのやら・・・? いや,たぶん,子供を産んだ時点で,そして,油絵をやめて漫画を描いて生活すると決意した時点で,日本に戻ってくることを選択するのが普通だろう。傲慢な銭湯設計者を描いた「テルマエ・ロマエ」で手塚治虫漫画文化賞を受賞するほどの評価を得ているのだから,漫画の才能がないとは言わせない。出産後の放置プレイにもめげずに子育てをする根性があるヤマザキが,かのノーベル賞受賞者じゃあるまいし,日本に自分の生きていくポジションが築けないとは思えない。ではなぜ,ヤマザキは世界を漫遊し続けるのか?
それはヤマザキの持つ「業」に他ならない。赤道に近い温暖な地域を好み,情報にまみれた日本や米国のような先進諸国を避け,土俗的なイタリア大家族の中に溶け込んで自分の仕事を決して手放さないヤマザキの生き様は,万人にまねできるものではなく,過大なエネルギーを抱え込んだ「愛すべきバカども」にしか出来ないものなのだ。そして,本書は,そのバカどもが向う見ずにも飛び込んだ世界でしか得られない体験を描いた,貴重な一冊になっている。ヤマザキは大陸的なユーモアに包んで,イタリア人の生のエネルギーをワシらに伝えているのだ。どっちかてぇと,ノーベル賞受賞者の言説よりヤマザキの押し付けでない本作のあけすけな語りっぷりの方が,異世界体験の素晴らしさを上手に伝えてるように思えるのだが・・・ガラパゴスに住まう平らな顔族の諸君,どう思うかね?