[ Amazon ] ISBN 978-4-480-03155-6, \950
映画「三文役者」に入れ込み,原作である新藤兼人「三文役者の死」(岩波現代文庫)でさらに感動を深めたワシであるが,「三文役者」たるご本人・殿山泰司の書いたものを読んだことはなかったのである。ジャズやミステリーが好きで,エッセイも書きまくっていた殿山の著作は何度か書店では見かけているので買う機会はあったのだが,三十路台の時は特に関心も払わずスルーしていた。だもんで,この度,筑摩書房が品切れ状態だった文庫を一気に50点,読者のアンケート結果に基づいて復刊させた中に本書が入っていたのを機に,ワシは殿山泰司ご本人の文章と初対面したのである。
結論から言うと,大変面白かった。本書はタイトルに「日記」とある通り,1975年(昭和50年)11月から77年3月まで,日々感じたことを躍動感のある文体でつづったエッセイである。初単行本化が1977年,1983年に角川文庫に入り,1996年にちくま文庫へ移籍,それが2010年に3刷として復活し,ワシの手元にある。大体,一日1~2ページの分量でコンパクトに印象的な出来事が殿山文体で描かれている。論理的な繋がりよりは感性重視でドカドカ突き進み,時々感極まって「ヒイッ!」とか「ヒヒヒヒ」とか「バカヤロ!!」という,自身に対しての罵倒のようなトノヤマ的「独り言感嘆詞」が挿入される。これがいいリズムになっていて,多分,ジャズの影響なんだろうなぁ,いい具合にスウィングしているのだ。
そんな生きのいい文章は,殿山泰司の人柄もよく伝えている。新藤兼人は殿山を「三文役者」,すなわち,向上心,野心というものを持たない分をわきまえたバイプレイヤーと見ているが,それは殿山自身の性癖によるもので,だいぶ若いころから「なすがまま」を体得していたと思える。それは全く努力をしていない,ということではなく,仕事となれば全力で当たり,監督から求められている「絵」をきちんと差し出している。本書の最初でも大島渚・監督作品「愛のコリーダ」の撮影で奮戦する様が得意の感情表現入りで語られているが,依頼された仕事はきっちりこなすプロ根性を「含羞」で包んでいるような感じがする。面白いのでこの箇所を引用しておこう(P.22)。
とにかく(出演作の「愛のコリーダ」が)ハード・ポルノですからね,チャンとやらなければいけないんだ。出演の諸兄姉がチャンとやっておられるのにはつくづく感心した。オレのその乞食の役は,アレがチャンとなってはいけない役なので,チャンとならないようにチャンとやらないと,チャンとやったことにはならないことになる。そのためにオレは,値上げになった新幹線や値上げにならないオレのギャラのことなど,頭の中で回転させたが,その必要のないほどチャンとならなかった。だからチャンとやれたことになる。チャンチャン!! よくわからんなア。
本人は勢いだけで書いているのだろうが,この短い文の中にトノヤマの人柄がぎっちり詰まっているように,ワシには思えるのだ。自分の奮闘ぶりを描きつつ,それでいてバイプレイヤーとしての弁えと共演者への気遣いは失わず,諧謔的にまぜっかえしつつも待遇への不満を混ぜ込んだりして,なかなかの名文家であるなぁと,ワシは感心したのである。他にも,桂米朝のラジオ番組で「いつもオンナのハナシばかりされているから,きょうは芸談でもお聞きしたいんですがね」と言われて仰天し,「ボクは芸談なんかやれる役者じゃないですよ,芸談ならボクが師匠におききしたいなア」(P.64)と遠慮したりと,殿山の「前に出ない」人柄が伝わってくるエピソードに事欠かない。そりゃ,こーゆー可愛げのある人物は,女性から好かれるに決まっているワイ,アンタ,還暦過ぎてオンナもアソコもダメになったって言ってるけど,いい意味のスケベ心は失っていませんな,それをイヤミなく吹聴して人を楽しませるリッパな芸をお持ちじゃないですかア,ヒヒヒヒ・・・なんて言いたくなってくる。
いや全く,読んでいて楽しくなるエッセイである。癖になりそうだ。殿山死んでもエッセイ残す,21世紀も文章で魅了するのであるなぁ。いや,筑摩書房,いい本を復刊させてくれました。投票で選ばれるのも当然だけどね。