須藤真澄「ナナナバニ・ガーデン 須藤真澄短編集」講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-375982-2, \838

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 ここんとこ,毎年大晦日にご紹介する作品は,ファンタジー漫画と決めている。特に理由があるわけでなく,好きな漫画に少女マンガ系統のファンタジーが多いこと,そしてそれを一年の締めくくりの日に紹介することが相応しいように思えてきた,という程度である。

 「ファンタジー」の定義は人それぞれで,SFチックな妄想から,限りなくノンフィクションに近いものも含まれてしまう。しかしその幅広い定義に共通する「芯」に当たるものに,「「こうあってほしい」という願望が含まれていること」があると,ワシは確信しているのである。それは宗教に通じる,古来から人間が抱き続けてきた根拠なき期待であり,翻ってみれば,思うようにならない現実世界からの逃避願望というものかもしれない。在野の人々の根拠なき希望,無責任な逃避願望を肯定してくれる存在の一つとして「ファンタジー」というジャンルの読み物は今も昔も支持されている(きた)のだとワシは思う。だから「癒し系」という呼び名が登場した時は,「うん,ぴったり!」と広く受け入れられたのだ。

 その意味では,須藤真澄はまごうことなき「ファンタジー」漫画家である。エッセイ漫画を描いても,フィクションを描いても,須藤真澄の作風は微動だにしない。いや,デビュー間もない時期の作品(「マヤ」に収められているよ!)は,大きな揺れが見られ,あの独特の描線「つーてん」(主線が,長く伸ばした水滴のような形の点線になっている)も,試行錯誤の結果生まれてきたもののようだ。しかし一度固まった芸風は,わずかに変化しつつも(つーてんがちょっと間延びしてきた等),そのまま今に至っている。本書に収められた作品は2002年から2010年までの短編であるが,正直,読んだだけではどれが最新作でどれが8年前のものだか全然分からない。掲載誌も,まんがライフオリジナル(竹書房),アフタヌーン(講談社),徳間書店とバラバラであるが,全く変化というものが見られない。つか,須藤真澄という一個人一ジャンルが確固として確立していて,「ますび先生の作品を載せたい」という依頼をしているようにしか思えない。「ますび先生に細かい注文出しても無駄」と思われているのだろうか。いや,多分,「ますび作品」が読みたい読者がいて,それに応えようとしての掲載なのだ。BLを描こうと男女エロ(読んでみたい・・・)を描こうとミステリーを描こうとSFを描こうと,それはすべて須藤真澄ファンタジーになってしまうのである。

 だから,「須藤真澄ファンタジー=ハッピーエンド」というステレオタイプな理解は間違っているのだ。どんなエンディングであれ,ますびファンタジーの作用によって,ハッピーと思わされてしまうのである。それが一番よく分かるのは,飼い猫との別れを描いた名作「ながいながい散歩」であるが,本書でも,最新作「サンドシード」は,結構悲劇的な話にも演出できるだろうに,須藤真澄はそれを決してしない。何故か?

 それこそが須藤真澄を不動の「ファンタジー」作家と屹立させている源泉なのだ。どんな現実であっても,希望に満ちたエンディングに収めてしまう,その「力量」こそが須藤真澄をして20年以上もポツポツと作品を生み続けさせているのだ。その「希望に満ちたエンディング」こそが,「ファンタジー」の確信であり,だからこそ,須藤真澄はファンタジー作家の代表格と言えるのである。

 この年末,気温も財布も寒い一方であるが,まずは飯が食えて生きて年が越せることを「ハッピーエンディング」と考えれば,来年への希望を託す意味でも,本書を読みながら須藤真澄の描く「バニ」に乗ってゆらゆらとこの2010年最後の一日を過ごしてみるのは悪いことではない,と,ワシは思うのである。

2010年,皆様から受けたご恩顧に感謝します。 来年2011年も,よろしくお願い致します。