昨日(2011年7月8日(金)),神田神保町のコミック高岡・書泉ブックマート・三省堂本店を一巡りしてきた。しかし,「和田慎二追悼」というフェアをやっているところは皆無。白泉社の少女漫画雑誌を1990年代に引退してからも結構精力的に作品を発表し続けていたのは良く目にしていたが,過去のヒット作に絡めた作品は「今更」感があったし,近作を読もう気も無く,個人的には完全にスルーしていた。それはワシだけではないようで,Twitterでも「スケバン刑事」以前の作品が好きだったという,50代以上の方々のメッセージが多数見受けられ,近作を読んで嵌まった,という若者の意見は残念ながらかなり少数のようである。
とはいえ,読めば結構面白い,ということはもっと評価されても良いように思う。「もう少し画風を現代的にしてくれれば」と感じる向きも多かったのではないか。ストーリーテリングは今の漫画家にも十分参考になるだろうし,キャラクター造形も分かりやすくとっつきやすい。手塚治虫のように若い漫画家の感性をどかどか作品に取り入れる柔軟性があり,エロ度ゼロな健全さを捨てても読者へ媚びるような要素がもう少しあれば,別な展開があり得たかもしれない。そう考えると,麻宮サキだけの漫画家として忘れ去られるにはちともったいないなぁ,とも思うのである。
・・・などと言いつつ,ふと我に返ればワシの書棚には和田慎二の商業作品が一つも無いのである。1987年から「花とゆめ」を読み始めたワシには「ピグマリオ」が一番近しい作品なのであるが,大河ドラマの割りには最初から全部読んでやろうという気分が起きなかった。手練れ過ぎて,一作一作,以前の連載分を遡らなくてもストーリーの流れとキャラの把握がすぐにできた,というせいであったような気がする。連載は欠かさず全部読んでいたし,大団円までお付き合いしたにもかかわらず思い入れがイマイチ少ないのは,「健全な面白さ」以外の要素が少なかったせいかなぁ,と今となっては思うのである。貴重な働き盛りの時期を「ピグマリオ」に消費されてしまった,という和田自身の述懐も読んだ記憶があるが,本人としては「そこそこの人気」(決してアンケート一位,というポジションではなかったと記憶する)に甘んじる作品をだらだら続けてしまった,という気分もあったのかもしれない。
1990年代に突如連載を投げ出すようなエンディングで「花とゆめ」を飛び出してからの活躍ぶりについては,前述したように横目で見てきただけなので,よくは知らない。しかし,結構時間も自由に取れて好きに活躍できたのかなぁ,という感じは伝わってきたので,人気の程はともかく,最期の最期まで仕事を続けられたというのは本人的には幸福だったのかな・・・とワシは勝手に思い込んでいるのである。
この記事のトップにあげた同人誌は新谷かおるとの合作で,新谷のストーリーに和田キャラがはめ込まれている,という感じのものである。1999年の夏コミで販売されていたものを,「こんなの売ってた!」という情報を得て自分のサークルから飛んで買いに行った覚えがある。その場で読んでも結構面白かったが,今読み返してみても色あせていない。逆に,色気満載の新谷キャラが和田の地味な画風に華麗さとエロさを加えていて,ブレンド具合が絶妙である。もう少しこの新谷かおるの貪欲さが和田にあればなぁ,と思わずにはいられない。
合掌。