原作・太宰治,作画・山本おさむ「津軽 太宰治短編集」小学館

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-182698-5, \1238

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 ワシにとって,太宰治と山本おさむは,永らく敬して遠ざけるべき存在だった。太宰の「走れメロス」は教科書で誇らしげに友情の大切さを見せつけていたし,山本おさむは「遙かなる甲子園」という,文句の一つもたれようものなら障碍者団体から総スカンを食いそうなマンガを描いていたから,批評の対象外にしていた。つまり読まなかったのである。
 そう,ワシはいわゆる「文部省(現・文科省)特選作品」というものが大嫌いなのである。触れたくないのである。ワシにとっては,税金を食いつぶして作ったわりには面白くない,押しつけがましい「正しい思想」をまき散らす害悪でしかないのである。太宰治も山本おさむも,その意味ではまごうことなく「文部省特選作品」・・・だと思っていたのである。
 しかし本作は,そうして遠ざけてきた二人が,とても上質なエンターテインメントを作り上げてきたことをワシに教えてくれたのである。読まなかったのは思い込みが激しすぎたせいであるが,それにしてもちともったいなかったな・・・と,この「津軽」を読んで反省したのである。

 優れた原作であっても,マンガにした途端に駄作に落ちる,ということはよくある。いや,かつては良くあった,というべきか。力量のない漫画家は単に原作をなぞるだけで済ませようとして,一番光る玉をダメにする。その意味では,中央公論新社が企画した「マンガで読む古典シリーズ」は図抜けたベテラン漫画家ラインナップの古典原作モノであった。ま,スカもあるが,おおむね,どの漫画家も,そのままなぞっては面白くない古典をどのようにエンターテインメントにアレンジするか,ということをよく練った作品が揃っていたのだ。
 もし今,その精神を受け継いだ「マンガで読む文学シリーズ」を企画するとすれば(昔,徳間書店でそーゆーものがあったと大塚英志が書いてたな),太宰治の愛読者である山本おさむが執筆陣に加わっていなければいけない。短編だけでもこれだけ芳醇な「面白い太宰治」という果実をワシらに運んできた力量がある漫画家とは,実は本作を読むまではよく分かっていなかったのだ。不明を恥じたい。

 山本おさむを見直すきっかけになったのは,今は見られないようだが,双葉社のサイトで連載していた漫画講座だった。高橋留美子の短編を題材にして,シナリオの優秀さを解説していた。「へぇ,山本おさむって理論派だったんだな」と,感心したのを覚えている。本書に収められた短編のうち,巻頭の「カチカチ山」はその理論的なシナリオ作りが功を奏した作品である。原作が,落語でいうところの地噺,つまり,作者による語りがメインになっているため,そのまま漫画化するには,背景となる「絵」が地味では盛り上がりに欠ける。そこで,原作が空襲の最中であるというシチュエーションを生かし,クライマックスを燃えさかる東京の風景に重ねている。具体的にどう「重ねて」いるのかは本書を読んで確認して欲しいが,これは見事な「シナリオ」である。

 本書の見所はもう一つ,巧まざる(?)ユーモアと,真っ正面から感動を描き出す誠実さのハーモニーが醸し出す物語の豊かさであろう。旅先で求めた鯛を5枚におろされたぐらいで大仰に騒ぐ太宰と,乳母と久しぶりに再会する太宰,両方包んで芳醇な文学を巧みに描き出した表題作「津軽」を読んで,ワシはうなってしまったのである。ま,くどくど書くのも野暮だから(既に遅いが),まずは読んで頂きたい。

 文科省が特選するかどうかは知らねど,本作はメディア大賞にはノミネートして欲しい作品である。日本のマンガ文化を誇るなら,骨太のシナリオに支えられた,真正面から感情を描いた本作が一つの核であることを示す必要がある。本作はその「核」を代表する最新作なのである。