谷口ジロー・稲見一良(原作)「猟犬探偵① セント・メリーのリボン」集英社

[ Amazon ] ISBN 978-4-08-782400-1, 1000

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 昨日(12/29),一通り年末の行事を済ませてホッとしたところで偏頭痛となり,余裕もあることから日がな一日ベッドでゴロ寝,積ん読となっていたマンガやら小説やらをつらつら読むことが出来たのである。
 で,その中の一冊,谷口ジローの新刊を読み進めていたら,ふと,登場人物の人生を語る,コントラストのきつい5ページを読み終える直前で不意に涙がこぼれてきたのである。まぁ,体調の悪い時に弱気になっていた,という事情が大きいとは思うが,それにしてもマンガを読んで泣いてしまうという体験は久しぶりで心地良かった。それは一重に,谷口ジローの卓抜な演出力のなせる技であり,そこにまんまと嵌まって背負い投げを食らったワシは,読者である幸せを感じていたのである。

 本書の原作である稲見一良の小説を読んだことはないので,原作がどの程度本作で改変されているのかは分からない。あとがきで谷口が風景・風俗描写を現代に合わせたということは述べているが,大方は原作通りなのではないかと推察される。谷口が惚れ込んで漫画化しようとしたからには,原作を大きく弄るはずがない。
 では,優れた原作をそのままなぞれば優れたマンガになるかと言えば,数々の原作付き失敗作を見れば分かる通り,そう簡単なことではない。脚本段階では良くても,監督の腕が悪ければ駄作に終わる。「演出」という仕事はそれほど難しく,作品そのものの出来を左右する重要な職人芸なのである。

 谷口ジローのマンガのすばらしさを今更ここに言を連ねて詳しく述べる必要は無いだろう。かっちりした描線に薄いスクリーントーンを重ねて爽やかな画面を構成し,物語に必要な要素を過不足なく全て絵に盛り込んでいる。ストーリー運びにはナレーションを効果的に使用しており,徒にページ数を稼ぐことなくコンパクトにまとめる。
 本作の場合,イチロー似の猟犬探偵・竜門の仕事の紹介を第一話の冒頭でさっと済ませ,様々な人物を絡ませつつ,タイトルである「セント・メリーのリボン」の意味が分かる最終話まで,そのストーリーの語り口の見事さはさすがだなぁと感服せざるを得ない。ワシがウルっときた,リチャードの半生を語った5ページは最終話の一つ手前に納められているものだが,アメリカで農園主として地道に生きてきた老人が突然伴侶を失ったことを語るコマは,畑の中で帽子を取って佇む老人を描いている。このあたりで,登場人物達の人生が重層的にストーリーに絡み,最終話の大団円を迎えるのだが,その重みを感じたからこその泣きだったのかなぁとワシは思うのである。

 原作が優れていても,ストーリーの運びのうまさに描写力が付随していなければ感動の量は確実に減る。谷口ジローは,この二つを統合した「演出力」が抜群なのである。とかくその画力だけが賞賛されることが多いようだが,その力を発揮できるストーリーがあってこそのものなのだ。この職人芸は,行き当たりばったりの事故的ストーリー展開だけでダラダラ巻数だけを稼ぐコミックス業界では希有なものだ。いい加減,商業的にはイマイチであっても,「まとめる」能力もなければ,新刊コミックスはブックオフに直行するだけである。本作はシリーズものとして続刊が予定されているが,この1冊で物語としては完結している。谷口の爽やかなカラー表紙に包まれた本書は,日本マンガの最高峰を象徴する一冊として永久保存して頂きたいものである。