卯月妙子「人間仮免中」イースト・プレス

[ Amazon ] ISBN 978-4-7816-0741-2, \1300

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 卯月妙子,という名前を初めて知ったのは,西原理恵子の「人生一年生2号」に掲載された座談会の記事からである。ウンコを食うAV女優,という触れ込みだったが,ずいぶん不幸そうな顔の女性であったという印象が強い。AV女優を営みつつ漫画家もやっているらしい,ということもその記事から知ったが,読もうという気にはならなかった。従って,本書で触れられている卯月の前著については全く知らない。画力がどの程度向上・・・いや,低下したのか,ということも全く分からない。

 本書の漫画の絵はひどいの一言に尽きる。褒めるところを見つけるのも大変なくらい下手糞だ。はっきり言って,今どきの小学生の方がよっぽどうまい絵を描くだろう。

 しかし本書の魅力は絵ではない。現実と妄想の境をさまよう主人公・卯月妙子の精神のありようをドライブする物語の力強さであり,還暦過ぎのやり手サラリーマン・ボビーさんとの愛の営みであり,そしてエキセントリックな生き方をせざるを得ない人間の魂の咆哮なのである。それらをこの下手糞な絵から読み取れるかどうか? それができない人には本書はお勧めしない。これからワシは本書をワシの神さんに読んでもらう予定だが,果たして結果は・・・? ワシはドキドキしているのである。

 それにしても,知識人と称される者たちの「聖なる売春婦」妄想ってどうにかならないものなのかな,とつくづく思う。小谷野敦が常々それを批判するのは当然だし,第三世界の現実を鴨志田譲と見て回ってきた西原理恵子も,売春というのは「最後の手段」であることを述べている。ろくすっぽ関係性を結んでいない男に肉体を売り渡して弄ばれ,一回こっきりでポイ捨てされて平気な女性はそれほど多くない,ということは,もっと広く伝えられるべきだと思っている。そして男優以外には直接肉体を弄ばれるわけでもないAV業界に集う女性たちも,基本的には思慮が足りないか,エキセントリックな精神状態を持て余した結果そうなっているのであって,基本的人権が配慮されるのは当然としても,それ以上に聖なるものとして「もてはやす」のは明らかにおかしい。以前,売春を肯定する書物を読んだことがあるが,それは自身の体験を語りつつ,感情のほとばしりが論旨をゆがめている,痛々しい代物だった。その時ワシは,売春なんてやるもんじゃないな,という確信を得たのである。

 本書を読む限り,卯月もその種の人間であるらしい。のっけから歩道橋を飛び下りるシーンから始まる,その痛々しい人生は,まともに語るとお涙ちょうだいの物語に成り下がる可能性もある。しかし,下手糞な絵とテンポの良いコマ運びが妙に明るいものをワシに授けてくれるのだ。それは多分,エキセントリックに生きざるを得ない卯月のカラッとした開き直りと,その精神を支える野太いエネルギーの発露がもたらす「生きる糧」なのであろう。ボビーさんという男気のある年寄りとの出会いと,そこから生まれた愛欲生活は,その結果として生まれた副産物のようにも思えてくる。これからの人生,そんなに長くないかもしれないが,ワシとしては折角助かった命に幸多かれと祈るばかりである。

 10年ぶりの単行本という本書,読む人を選ぶことは間違いないが,「選ばれた人」には卯月妙子の「生きる糧」が授けられること,間違いないのである。