西原理恵子「パーマネント野ばら」新潮社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-301931-X, \952

パーマネント野ばら
西原 理恵子著
新潮社 (2006.9)
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 かの漫画王いしかわじゅんがのたまう事には,毎日新聞社から出したエッセイ集の,本屋店頭における扱いがあまりよろしくない,あれは毎日に政治力がないからだ,毎日では仕方がない,ということであった。しかしそれを聞いたワシは,どんな地方の場末の本屋にも一冊は置いてある「毎日かあさん1」も毎日新聞社発行の漫画です,従って,失礼ながら,いしかわ先生の本の扱いがよろしくないのは単に「サイバラ」と「いしかわ」の

ネームバリューの違い

なのであって,出版社のせいではないのでは? と思ったものである。
 そして今回,この本が発行されたことで,ワシの前言は正しいこと確信させられたのである。

 新潮社といえば,良質な漫画作品を扱っていながら,ことその営業成績に関してはロクでもないことで有名である。
 まず発行されても店頭で見かけることは少ない。ワシが技術者ドキュメンタリーとして一押しする漫画,小沢さとる「黄色い零戦」や,杉浦日向子の最高傑作「百物語」,ベテランギャグ漫画家初のエッセイ漫画を収録した,山科けいすけ「タンタンペン」。マンガを大々的に扱っている大規模店には,まあなんとか平積みになる程度は配本されていたが,地方の中堅書店ではまずお目にかかれなかった。少しは版元になっているコミックバンチを見習えよ,と言いたいぐらいの体たらくであった。
 しかし,サイバラは別格であった。茶畑しかないようなド田舎の本屋でも平積み,50万都市のコミック専門店でも平積み,日本全国津々浦々,どこへ行ってもサイバラ初のオトナ(オバサン)の恋愛・感情を描ききった意欲作は配本されていたのである。
 つまり,やっぱり出版社の問題ではなかったのだ。
 サイバラの新刊は,「サイバラ本」という分類にカテゴライズされているものであって,おそらくは「ムラカミハルキ本」より若干格下ではあるものの,日本各地に固定ファンが少なくない一定数存在する,とニッパンやトーハンから太鼓判を押された存在になっていたのである。従って,毎日新聞社という朝日や読売やそのうち産経にも抜かれること確実の斜陽新聞社であっても,良質マンガを売るノウハウを全く学習してこなかった文芸only新潮社であっても,関係なかったのだ。「西原理恵子」という名前が,配本数を決定する唯一の決め手なのである。いしかわじゅんの嘆きは正しく,それは斜陽新聞社から発行される,ほどほどの部数の売り上げのみを期待される本に相応しい,普通の扱いだった,というだけのことだったのである。

 本書とほぼ同時期に角川書店から馬鹿でかい版形の「いけちゃんとぼく」も出ているが,絵本というだけあって児童書っぽい内容(クライマックスはちょっとオトナっぽいが)であり,少し物足りないと感じた。それに対し,本書は今までの西原キャラよりずっと等身のでかい少女漫画的美人が主人公で,かのいしいひさいちが藤原先生や月子を登場させた時のような,いい意味での違和感を漂わせる冒険的な作品になっている。すれっからしの中年の心象に近い感覚も好ましく,建前だらけのリーマン生活に嫌気がさしている向きには,登場人物たちのすがすがしい生きっぷりを楽しむことで,ストレス解消間違いなしである。

 「男ははようおらんになるにかぎるなー」という言葉は真実である。
 
 ワシはこの真実をオバハンに分からせるような,底意地の悪いジジイになりたい,と思いました。◎