秋山祐徳太子「天然老人 こんなに楽しい独居生活」アスキー新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-867241-2, \752

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 独身生活が長かった噺家・柳家喬太郎の新作落語「いし」には,主人公のひとりものがタオルで顔を拭いた途端,その臭さに気が付いて鼻を曲げる描写がある。「タオルが臭い」というのはズボラなワシにも覚えがあって,そもそもタオルはシャツやパンツのように洗うべきモノと認識していなかったことによる,男性ひとりものの典型的な失敗例なのである。
 もう一つ,家事に疎いひとりものが引き起こす失敗例に,「脱水し終わった洗濯物を脱水槽に入れたまま放置プレイ」というものがある。これは一度やったら二度とやらかすまいと心に誓うほどの悲劇だ。何せ,洗い立ての洗濯物が洗う前より臭くなってしまうからである。しかも,タオルなら一枚だけだが,洗濯物全体が臭気に覆われてしまうのだ。タダでさえ加齢臭が気になるお年頃のワシら中年男が,自らの怠惰によってお気に入りの衣類をアンモニアの固まりにしてしまったのである。臭い男が臭い衣類を着て町中を闊歩する様を思い描いてみたまえ。悲しいどころではない,社会の大迷惑である。奥田民生なのである。

 秋山祐徳太子はこの大迷惑をやらかしたとのことである(P.21~「独身行進曲」)。ただ,単なるギャグネタとしての迷惑話ではない。その時には「臭いシャツ」をきちんと指摘してくれる方々が周りにいて,すぐさま替えのシャツを持ってきてもらってそれに着替えたという,ひとりものをフォローする心暖まる(そうか?)美談になっているところがいい。
 本書は美術家・秋山の短いエッセイ集をまとめたものだが,副題が「こんなに楽しい独居生活」となっている通り,かなりその「独居生活」,つまりひとりもの生活はアッパーである。本人が無理して明るくふるまっているという風ではない。かといって,少ない年金を貰いつつ,都営住宅に住むという生活を卑下して笑い飛ばすという訳でもない。多くの友人知人ご近所さんと真っ当な社会生活を営み,時にはダリコパフォーマンス(本書帯のポーズがそれ)を結婚披露宴で演じたりする,そんな日常をカラッとした筆致で描写しているのだ。だからもちろん,人様に「独居生活」を勧めたりする愚を犯したりはしない。ましてや,独居していないまっとうな家族を非難したり拗ねたりはしていないのだ。今から思えば,かの酒井順子ですら,うまくオブラートに包んで誤魔化してはいるものの,自身が独身であることの自己肯定を語りたい欲望が溢れていたように思える。それに比べると,著者が齢70を超えているせいもあろうが,本書にはそんな自分勝手な主張は皆無である。
 それ故に,巻末の赤瀬川原平との対談を含めて200ページに満たない本書を読了した後の爽快さは際立っている。私は日々こんな「独居生活」をしています,というだけの,シンプルでアッパーな語りをまとめた薄い新書は,鬱々とした日本社会に清涼な空気を運んでくれる扇風機のような存在である。