つげ義春「つげ義春コレクション 近所の景色/無能の人」ちくま文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-480-42544-7, \760

neighboring_view_good_for_nothing_people.jpg

 次年度からの収入減少に備えて貧窮シフト体制に入ってからつげ義春を読むと身に染みて理解できるようになる。おまけにこれから先もいいことがあまりなさそな予感がしている能ナシの中年の男になってみると,なおさら理解が深まるというものである。

 つげ義春を,パロディではなくオリジナル作品で知ったのは,本書の最後に収められている「蒸発」,特に井上井月のエピソードに感動したのが最初である。確か新潮文庫を立ち読みしたんだったっけか。まだ若い時だったので,「無能の人」のシリーズなぞは,見てはいけない人生の深淵を見せつけられるように感じてコワゴワ眺めていたものだが,今となっては味わい深い,そしてユーモラスにも感じられる作品である。多分,自分なりに「底」を見知ってしまったと自覚したためであろう。落ちてしまえば井戸の底の蛙となるのもそれほど悪いものではない。「落栗の座を定めるや窪溜り」(井月, P.312)である。

 ちくま文庫から「つげ義春コレクション」が2008年後半から刊行されるようになり,ワシはせっせと買い込んでいる。安くてコンパクトなのもさることながら,つげ義春は筑摩書房という,一度潰れた出版社から出るのが相応しいと思っているからでもある。
 つげ本人は,若い時分はともかく,再評価されて以降はそれなりに安定した生活を送っているのだろうと思うが,作品の方はむしろ陰々滅滅さが際立ってきて,本書に収められている1979~1986年に執筆された作品群では,そこから迫力やユーモア,時には「まーるいみどりの山手線」(P.289)のようなギャグまで飛び出すようになっている。それを芸術的と一言でまとめてしまうと,ちょっと違うような気がする。むしろ,馬齢を重ねたオッサン・オバサンのための,リアルに腑に落ちるエンターテインメントとして世間に定着する力を得た,というべきだろう。中古カメラの商売に熱を上げ,多摩川の石を拾って売ろうとする助川助三は一言で言うとダメ男であるけれど,そんなダメ男を罵倒しつつも別れようとしない妻,そして陰気で将来有望でもなさそうな息子。この3人を嘲笑できる奴がいたら,それこそ人非人のレッテルを張ってやりたい。大方,しょうがねぇなぁと思いつつ,自分の至らなさと世間とのズレがもたらす痛みを彼らと共有する筈である。この「痛みの共有力」が,つげ義春を現代に突き刺している力の源泉なのであろう。

 世界的な不況が回復しようとしまいと,この先の日本は少子高齢化と人口減少の進展により,斜陽の時代が続いていくことは間違いない。しかし隣近所で人間がバタバタ死んでいくような戦前戦後の非人道的なまでに悲惨な状況に陥ることも考えづらい。懐さみしいなぁ,家族はいるし健康ではあるが先行き明るそうでもないなぁ,でも死ぬのもイヤだから成り行きで適度に頑張りつつ生きていこう・・・そんな,合理的だけど希望に満ち溢れてもいないちょっと下り坂の生活をありのままに送っていくためのバイブルとして,つげ義春コレクション,特にこの巻はその価値をますます高めていくに違いないのである。